安斎育郎: 外部、内部被ばくを最小限に抑える方法
5月8日、福島から戻ったばかりの安斎育郎さんからメールが届きました。「保育園のグラウンドの表層土をはがすと放射線のレベルが減ることを確かめてきました」とのことでした。また貴重な資料を三点送ってくれましたので、ここに一挙掲載します。
1)「原発事故による放射能災害と子どもたちの生活-放射線被ばくをどうやって少なくしましょうか?-」
2)「福島原発事故が教えてくれるもの」
3)「原発事故対応の科学性を問う」
2)と3)は一部内容が重複していますが、合わせて、1)のサマリーの詳述になっています。重要と思うところに下線を引いてあります。福島をはじめ、日本中の人たちがどうやって被ばくを最小限に留めるかのヒントがたくさん詰まっていますので是非お読みください。
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(プロフィール)1940年、東京で9人兄弟の末子として生まれる。1944年、二本松に疎開。二本松小学校から小3で東京へ。公立の小・中・高校を経て東大工学部原子力工学科卒、工学博士。1969年に東京大学医学部助手になり、東京医科大学客員助教授をへて、1986年、立命館大学経済学部教授、88年、国際関係学部教授。1995年より、国際平和ミュージアム館長。2006年4月より立命館大学特命教授・名誉教授。2008年4月より国際平和ミュージアム・名誉館長。現在、安斎科学・平和事務所所長。平和のための博物館国際ネットワーク・執行委員。南京国際平和研究所・名誉所長。ベトナム政府より、文化情報事業功労者記章受章。第22回久保医療文化賞受賞。国境なき手品師団・名誉会員。著書に、『からだのなかの放射能』(合同出版)、『食卓の放射能汚染』(同時代社)、『人はなぜ騙されるのか』(朝日新聞社)、『ビジュアルブック語り伝えるヒロシマ・ナガサキ』全5巻(新日本出版社、第7回学校図書館出版賞)、『ビジュアルブック語り伝える沖縄』全5巻(同、第9回学校図書館出版賞)、『ビジュアルブック語り伝える空襲』全5巻(同、第11回学校図書館出版賞)、『だます心 だまされる心』(岩波書店)、『日本から発信する平和学』(法律文化社)、『放射線と放射能』(ナツメ社)、『だまし博士のだまされない知恵』『だまし世を生きる知恵』(新日本出版社)、『ホントにあるの?ホントにいるの?』『これってホントに科学?』『福島原発事故─どうする日本の原発政策』(かもがわ出版)など多数。NHK人間講座「だます心 だまされる心」(全8回)、日本テレビの「世界一受けたい授業」等に登場。
1 放射線は被曝しないにこしたことはない
(1) 放射線被曝と人
① 身体的影響(確定的影響・確率的影響)、②遺伝的影響、③心理的影響、④社会的影響
② 確率的影響=癌当たりくじ型影響→当選確率は?=100ミリシーベルトで癌が0.5%増)
(2)放射線を出すものを取り除く─これ基本
(3)放射線防護の原則
①外部被曝から防ぐには?─遮蔽、距離、時間
②内部被曝から防ぐには?─体の中に取り込まない(ヨウ素剤)、取り込んだら排出する(下剤)
(4)被曝はどうやって測るか?
①外部被曝(線量計率測定器〈サーベイメーター〉、積算線量計〈安斎先生がいま着用してる〉)
②内部被曝(ホールボディモニター、バイオアッセイ〈おしっこ、うんち、つば、鼻腔スメアなど〉)
2 外部被曝から身を守るには?
(1) 放射線源を取り除く─放射能をばらまかない、庭の表層土を除去する、体や髪の汚染を防ぐ
(2) 放射線を遮蔽する─線源と人間の間に遮蔽物を置く(金属板。土嚢)
(3) 線源からの距離をかせぐ─なるべく汚染物から遠くへ
(4) 放射線を浴びる時間を短くする─時間短縮は最後の手段
3 内部被曝から身を守るには?
(1) 3つの汚染ルート(経口、経気、経皮)
(2) 経口摂取を防ぐ(汚染食品や汚染水に注意する、皮膚を覆うなど、食品を煮炊きする)
(3) 経気道摂取を防ぐ(マスクの着用、汚染砂の舞い上がりを減らす)
(4) 経皮吸収を防ぐ(皮膚を覆う、傷をつくらない)
(5) 食品汚染の実態をこまめに公表し、規制を徹底し、調理による除染効果を含めて知らせること。
4 どれくらい被曝する?
(1)外部被曝:安斎先生が福島入りして、どれだけ浴びた?→メーターを見よう。
(2)内部被曝:500ベクレル/キログラムで汚染したホウレンソウを200グラム食べたら被曝は?
→0.001ミリシーベルト程度(天然放射性核種カリウム40による被曝=0.2ミリシーベルト程度)
5 能書きも大事だが、何よりも実効的な対策を
(1) この間の政府の動きで感じたこと(同心円の避難指示、後手後手の事故対応、汚染放置の議論)
(2) えっ、“100億円のSPEEDI(スピーディ)よりも、100円ショップのコンパス”が使われた?
(3) 起こってしまったことの解釈はひとまずおいて、被曝を減らす努力を実践しよう
(4) そして、東北地方で「ガン検診・心のケアを含めた手厚い健康管理プログラム」の実践を
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福島原発事故が教えてくれるもの
原発被災地へ行く
2011年4月16日、私は放射線測定器を携えて、福島の原発被災地に向かいました。1970年代から原発問題に一緒に取り組んできた現地の人々と会い、空間線量率を測定し、汚染地帯の表層土を採取するためです。放射線防護学を専門とする私は、この未曾有の大事故によってもたらされた被災の実態を自らの目で見、試料を採取しておきたいと願っていました。しかし、事故後のマスコミ攻勢の中で時間が見出せず、やっと71歳の誕生日にいわき市にたどり着くことができました。評論家の江川紹子さんが、取材のために同行しました。
放射線のレベルは、いわき市内では0.45マイクロシーベルト/時程度でしたが、富岡町・大熊町・浪江町と原発近傍に近づくにつれて高い値を示し、最大50マイクロシーベルト/時にも達しました。東京都の普段の自然放射線のレベルが0.07マイクロシーベルト/時程度ですから、およそ700倍にも当たります。
黄色い菜の花が群生し、枝ぶりのよい桜が満開の時期を迎え、野生の辛夷の花が美しく咲いていました。私自身も1944年から数年間、縁故疎開で福島県二本松に住んでいたことがあります。福島は父母の故郷なのです。本当に、金子みすゞさんの詩の一節にある「見えないものでもあるんだよ」というフレーズそのままに、地表を覆う「見えない何者か」が測定器の針を大きく振らせます。もしも放射性物質に赤い色が着いていたら、森も畑も野も道も、時おり出会う見捨てられたイヌも、何事もなかったように草を食むウシも、みんなみんな真っ赤に違いない─そう思いながら、「透明な恐怖」の中に沈む日本の故郷の原風景を後にしました。
放射線と放射能の基礎知識
私たちの身の回りのものは、いや、私たち自身の体を含めて、みな「原子」と呼ばれる粒子で成り立っています。原子は、その中心にある「原子核」と外側の「電子」から成り、原子核は「陽子」と「中性子」という2種類の粒子から成ります。電子はマイナスの、陽子はプラスの電気を帯び、中性子はその名のごとく電気的に中性です。陽子と中性子は、まとめて「核子」(原子核を構成する粒子)と呼ばれます。
原子核にある陽子数と、原子核の外を回る電子数は等しく、アルミニウムなら13、鉄なら26、金なら80、ウランなら92などと、原子ごとに決まっています。だから、陽子数(=電子数)のことを「原子番号」といいます。
質量(目方)でいうと、中性子は陽子よりもほんの少しだけ重いですがほとんど同じで、電子はそれに比べると1800分の1以下の軽さです。だから、原子の重さの大部分は、陽子と中性子から成る原子核に集まっており、陽子数+中性子数(つまり、核子数)のことを「質量数」といいます。原子の質量をよく代表しているからです。
原子番号が同じでも(つまり、同じ種類の原子でも)、原子核の中に含まれている中性子の数はいろいろなので、原子番号が同じなのに質量数が違う原子がいろいろあります。福島原発事故の経緯の中で「ヨウ素131」という核種が問題になりましたが、ヨウ素原子の原子核には陽子が53個含まれているので。原子番号は「53」と決まっていますが、中性子数は55個から91個のものまでいろいろあります(陽子数と中性子数を足した「質量数」で言えば、88~144までいろいろあることになります)。だから、原子番号53と言っただけではどのヨウ素原子か決まらないので、質量数を付け加えて「ヨウ素131」(陽子数53個+中性子数78個=質量数131)のように言い表します。
普通は、鉄原子はいつまでたっても鉄原子であり続けるし、酸素原子がいつの間にか窒素原子に変わってしまうこともありません。しかし、中にはヨウ素131のように、放っておくと勝手にベータ線という放射線を出してキセノン131という別の種類の原子に変わってしまう原子もあります。このように、「放っておくと勝手に放射線を出して別の種類の原子に変わってしまう」性質のことを「放射性」といい、それを「能力」に見立てて「放射能」ということもあります。つまり、ヨウ素131は「放射性である」とか、「放射能をもつ」とか言い表します。一般に、放射能をもった物質からは「放射線」が出てきますが、この放射線を体に受けると細胞が傷つけられていろいろな影響があり得るので、原発から大量の放射性物質が環境中にばらまかれるような事態はとても心配です。
原子力発電の原理と放射能
普通の原子に中性子をぶつけても、その原子の核がパカッと2つに割れるなどということはありません。ところが、ウラン235の原子に中性子をぶつけると「原子核分裂反応」というのが起こり、2つに割れ、強烈なエネルギーを出します。このとき、ウラン原子核の中に入っていた中性子が2つ、3つこぼれ落ちるので、これがまわりにウラン235原子に当たって核分裂反応が起これば、次々と反応が持続し、エネルギーを連続的に発生させることができます。これを「核分裂連鎖反応」といい、人類が最初にこの反応を利用したのが原爆です。
でも、原爆のように一度に核分裂連鎖反応を起こすのではなく、制御しながらじわじわと連鎖反応を起こせば、安定的にエネルギーを取り出せるのではないか─これを実現しようと試みたのが「核分裂連鎖反応炉」(原子炉)であり、そのエネルギーで水を加熱して水蒸気を発生させ、その水蒸気でタービン発電機を回すのが「原子力発電所(原発)」に外なりません。石油や石炭に比べると、ごくわずかのウランから大量のエネルギーを取り出せるので、「第3の火」として注目されました。しかも、石油や石炭の燃焼時のように「2酸化炭素」(CO2)を出さないので、地球温暖化防止にも役立つと宣伝され、いよいよ「原子力ルネサンス」の時代が来たと言われていました。ルネサンスというのは「再生」という意味で、とかく評判がイマイチだった原子力が地球環境問題の中で見直され、再評価されたという意味が込められています。
ところが、ウランの核分裂反応には、危険な牙が潜んでいます。ウラン235が中性子の作用でパカッと割れた結果できた破片(核分裂破片)が放射能を帯びているのです。「放射性核分裂生成物」といいます。原発を稼動させてウランの核分裂を持続的に起こせば起こすほど、ウランの核燃料の中には放射性核分裂生成物が大量にたまってきます。これが事故で原発の外に漏れ出すようなことになると大変です。福島原発事故の場合、確かに最初のマグニチュード9.0の巨大地震の揺れを感知して、原発の中には、核分裂の仲立ちをしている中性子を効率的に吸収するホウ素やカドミウムなどを含んだ「制御棒」というのが自動的に挿入され、核分裂連鎖反応は止まりました。
しかし、原発はそれだけでは安心できないのです。
核燃料の中に蓄積されている莫大な量の放射性核分裂生成物が出す強烈な放射線の発熱のため、放っておくと核燃料が溶融する恐れがあります。溶融するとドロドロに溶けた燃料が原子炉容器やそれを収めている格納容器を溶かし、そこに、過熱した核燃料の被覆管と水の反応や、水の放射線分解で発生した大量の水素ガスが爆発したりすると、とてつもない量の放射能が施設外に放出されてきます。だから、何が何でも核燃料を冷却し続けなければなりません。その場合、核燃料が原子炉の中にあろうが、原子炉外の使用済み核燃料貯蔵プールにあろうが、事情は変わりません。
福島の原発事故では、第1原発内の6つの原子炉のうち、1・2・3号機では原子炉の中で、3・4号機では貯蔵プールで、地震と津波による電源喪失のために核燃料を冷却し続けることができなくなりました。核燃料は破損・溶融し、閉じ込められていた放射能が核燃料の外に漏れ出しましたが、悪いことに、水素爆発で原子炉建屋や格納容器が損傷されたりしたため、大量の放射性物質が外部環境に放出されました。
放射能の拡散と人々の被曝
政府は地震が起きた当日、原発から3キロ以内を避難・避難指示を出すとともに、3~10キロに屋内退避を指示し、翌12日には避難指示を20キロ圏内まで拡大しました。2日後の3月14日、通商産業省の原子力安全・保安院は20キロ以内の住民への屋内退避を呼びかけ、翌日には20~30キロ圏内に屋内退避を指示しました。10日後には20~30キロ圏内の市町村に対し、住民に自主避難を勧めるよう要請し、28日には20キロ圏内への立ち入り規制を続けることを決めました。そして、4月1日、20キロ圏外の地域にも「計画的避難区域」を定め、1か月以内を目安に対するよう促しました。私は、4月16日、1970年代から福島への原発設置に反対する活動を一緒にやっていた人々の要請に応えるためでもありましたが、この時期に汚染土壌を採取することにも重要性を感じていました。しかし、4月22日、葛尾村・浪江町・飯舘村の全域と川俣町・南相馬市の一部は「計画的避難区域」に、また、広野町・楢葉町・川内村の全域と田村市と南相馬市の一部は「緊急時退避準備区域」にそれぞれ指定され、現地に立ち入ることは基本的に禁止されてしまいました。私は放射線や放射能分野の専門学会が緊急調査団を派遣するなどして、実態の解明や今後の放射線被曝の最小化のためのデータを調査することを期待しています。
ところで、政府の避難指示などが、当初、原発を中心に同心円を描くように行なわれたことを訝しく思っていました。もちろん、放射性物質はどちらの方向にも均等に広がるものではなく、事故時の風向に大きく左右されます。また、いつどの地域に放射能が降下するかは風速や降雨量や地形に大きく影響されます。環境中での放射性物質の動きはとても複雑ですから正確に予測するのは大変ですが、専門家は「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」という呼び名のコンピュータ・プログラムを開発し、25年ほど前から運用されてきました。文部科学省は、福島原発事故後の3月12日2時48分、1号機の格納容器圧力の上昇を踏まえて、万一放射能が放出された場合に備えて24時間後までの拡散を予測し、18時過ぎには水素爆発の事実を踏まえた計算も行なっていました。また、原子力安全・保安院(経済産業省)も11日の夜から15日にかけて42件の計算を試みていたということですが、それにもかかわらず、住民への退避指示は「同心円」で行われたのです。私が4月に調査した範囲でも、放射線のレベルは原発の北西側で相対的に高い値を示し、明らかに同心円的な拡散とは似ても似つかぬ分布でした。計画段階でならいざ知らず、いったんある場所、ある季節に事故が起これば、地形的・気象的特性を踏まえた上でより現実的かつ合理的な退避アリアの勧告がなされる必要があるでしょう。福島原発事故の場合は、この季節には北西の風が山と山に挟まれた谷筋を通って放射能を運び、浪江町・飯舘村・川俣町に高い濃度の放射性降下物を降らせましたが、その後もやや高い放射線レベルを観測した福島市はその延長線上にありました。この「帯状高汚染地帯」は30キロを越えてもなお広がっており、単に原発を起点とする同心円では判断できないことを教えています。「100億円を投じたSPEEDIが、100円ショップのコンパスに負けた」と揶揄される出来事でした。
ただし、放射線のレベルが相対的に高いこれらの地域に、日々新たに原発から高濃度の放射性物質が降り注いでいるということではなく、事故直後に起きた爆発によって周囲にばらまかれた放射性物質が地表面に降り積もり、そこからガンマ線が放出され続けていることが主要な原因です。逆にいえば、放射能を含む表層土を削り取れば、放射線のレベルをそれなりに減少させることができますので、「毎時3.8マイクロシーベルト」を判断の目安に校庭などの使用制限をするかどうかなどと議論している間に、小学校・幼稚園・保育園などのグラウンドの表層土を削り取ることが有効であるに相違ありません。放射線から身を守る第一の方法は、放射線源を除去することです。同心円や汚染基準値といった紋切り型の杓子定規な発想ではなく、いま、誰が、どのような方法で具体的に守られるべきなのかを指示・勧告すべきでしょう。取り除いた表層土は、学校の裏庭など、普段あまり人が立ち入らない場所に掘った穴に埋め、ビニール・シートで覆って簡単な柵を施し、立ち入りを制限すればいいでしょう。対策は、何よりも、人々の不要な被曝を避けるという観点から、現実的で実行可能な方法を遅滞なく実践するということを眼目にすべきです。
放射線源をできるだけ除去した後、放射線から身を守る方法は「①遮蔽する、②距離をとる、③時間を制限する」の3つです。①②③は重要性の順序でもあり、その基本は、体にやって来る放射線をできるだけ少なくすることに外なりません。グラウンドに面した教室の壁面は、当面、ロッカーを置いたり、砂嚢を積んだりして遮蔽効果を高めることもできます。放射線の減弱の程度は、汚染した地面からの距離によっても違うので、1階・2階・3階の教室ごとに放射線量率には差があるでしょう。相対的に放射線レベルが高い地域では、教室ごとの放射線のレベルを把握して、使用頻度などを配慮することも意味があるでしょう。そうした手立てをとらずに、いきなりグラウンド使用の時間制限だけが示唆されるというのは、放射線防護学的には大いに疑問です。
危機はなお収まらない
ところで、冷却系統を失った結果として過熱していった核燃料は、とにかく原子炉内のものも貯蔵プールのものも強制的に冷し続けなければなりません。3,4号炉のプールには自衛隊やレスキュー隊が水をかけましたし、原子炉には最初は海水、後には真水を注入しました。最先端の発電技術であるはずの原子力発電の冷却系喪失事故では、こうなるのが宿命です。「原子力いざというとき原始的」という川柳で揶揄する向きもいましたが、とにかく「冷す」ことしかありません。しかし、厄介なことに、冷そうとして水を入れると、それが原子炉外の格納容器やタービン建屋や、はては外部のトレンチから海にまで漏れていくという事態を生じました。そして、とうとう、漏れ出した水を別の場所に移送させないと事態収拾のための作業もままならず、新たな冷却水の注入もできないと判断した東京電力は、ついに諸方面との事前の合意形成もないままに、あたふたと「低レベル廃棄物建屋」の汚染水を大量に海に放出したり、メガフロートを静岡県から移動させたりして、そこに高レベル汚染水を移そうと悪戦苦闘してきました。汚染水が漏れ出している事態は、深刻な状況にないはずの6号機についても見られました。「核燃料は冷さなければならないし、冷そうとして冷却水を入れれば漏れる」という状況がある以上、このままでは高レベル汚染水の移送先が窮屈になるのは時間の問題です。どうしても「自己完結型の冷却システム」を構築しなければならないでしょう。つまり、漏れ出した水の熱を大気や海水に逃がし、可能な方法でできるだけ放射能を除去した後、再び冷却水として利用する方法です。
火力発電所の火災事故などと原発事故の決定的な違いは、物が燃焼して熱を発している場合には、水をかけたりすることによって温度を発火点以下に下げたり、可燃物が酸素と接触しないようにすることによって、燃焼という発熱反応そのものをなくすことが可能なのですが、原発事故の発熱体は使用済みの核燃料に含まれる放射性物質で、この発熱自体は水をかけようが何をしようが収まりません。核燃料の内部に蓄積されている放射性物質は、それぞれのペースで放射線を出し続け、それが熱源となって燃料自体を加熱します。酸素と反応しているわけではなく、核物質自身がもつ核特性に由来するものですから、出てきた熱を奪い去って燃料が溶けないようにするのが精一杯で、発熱そのものを止めるわけにはいかないのです。もちろん放射能は時間とともに減衰していきますから、何百年・何千年と経つうちに発熱量が減ってきますが、とにかく事故直後は膨大な放射能が核燃料の中に蓄えられているために、ひたすら冷却し続けないと核燃料が崩壊熱で溶融し、内部の放射性物質が大量に環境中に放出される自体を招きかねません。したがって、現在周囲の放射線のレベルは落ち着いているように見えながら、原子炉施設本体での危機的状況はなお一向に去っていないので、世界中の知恵と技術を総動員して冷し続けなければなりません。
3月30日、日本の原子力開発を先頭だって進めてきた16人の人々が、政府に「緊急建言」を発しました。原子力安全委員長や日本原子力学会会長や放射線影響研究所理事長などを務めてこられた錚々たる人々です。その建言には、以下のような下りがあります。
「私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」
最後の部分は不気味でさえあります。この「建言」は最後に、「事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取組みが必須である。私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである」と結んでいます。この国の原子力開発を主導してきた人々でさえ、政府が科学者・技術者の総力を結集する体制が出来ていないと感じる危うさが、この原発事故の危機を象徴しています。私たちは引き続き「隠すな、ウソつくな、意図的に過小評価するな」「最悪に備えて、最善を尽くせ」の声を上げ続けることが不可欠です。
喉元過ぎても、熱さ忘れるな
福島原発事故では、まだ、「熱さが喉元を過ぎて」はいません。もし、幸いにも熱さが喉元を過ぎる見通しがついたとしても、私たちはそれで「熱さ自身を忘れること」があってはならないでしょう。
日本は、しばしば、「地震の巣窟の上にある」とたとえられてきましたが、その国のエネルギー生産を原子力発電のような巨大な潜在的危険性を秘めた技術に依存し続けていいのかどうか、国家百年の計に照らして国民的な論議を興すことが不可欠です。自然エネルギーのより有効な利用は推奨されるべきものですが、電力の3分の1を原子力発電に依存するまでに肥大化してしまった事態を、どのようにしてより安全な発電方式に転換していくのかは、5年や10年で実現できるものではないでしょう。原子力発電をphase outさせる(=段階的になくす)計画を進めつつ、他の発電方式に切り替えるための技術開発や法制度改革を実行しながら、私たち自身のエネルギー消費生活のあり方にも省察を加えなければならないでしょう。地球環境問題が顕在化する中で「環境に優しいエネルギー消費生活のあり方」が問われてきましたが、原発社会から脱却するとすれば一時的に火力発電への依存度が高まる可能性もあるでしょう。それが場当たり的にならないように、まさに国家百年の計として計画的なエネルギー生産と消費のあり方が国民的な合意形成を踏まえて追求されなければなりません。それを可能にするのは、「喉元過ぎても、熱さを忘れない」主権者としての私たちの自覚と責任意識と実行力に他ならないと思います。
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※平和学入門(担当:安斎育郎)参考資料
東電福島第一原発は、東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波によって、核燃料の崩壊熱を除去する冷却用電源を喪失し、1~4号機が次々と深刻な状態に陥った。国際原子力事象尺度で「レベル7」に分類されたこの人類史的な原子力災害は、なお収束を見ていない。筆者は、事故直後から、当事者に「隠すな、ウソつくな、意図的に過小評価するな」の原則を守り、「最悪に備えて最善を尽くす」ことを求めたが、放射線防護学を専門とする立場から、政府の事故対応には気になることがいくつかあった。
第1は、同心円状の退避指示である。原発の計画段階ならいざ知らず、特定の場所で特定の季節に事故が起きたら、地形や気象の条件を反映した放射能拡散予測に見合った対策が必要である。そのような場合のためにこそ、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)が開発されてきたはずだった。実際、文部科学省は、福島原発事故後の3月12日2時48分には、1号機の格納容器圧力の上昇を踏まえて、放射能が放出された場合の24時間後までの拡散を予測していたし、同日18時4分には水素爆発を受けた計算も試みていた。また、経済産業省の原子力安全・保安院も11日の夜から15日にかけて42件の計算を試みていたという。しかし、住民への退避指示は「同心円」で行われた。事故直後のことだから情報の確度も不十分で、予測には曖昧さが伴われることは当然だが、同心円よりははるかに現実的に相違ない。事実、観測された放射線のレベルも同心円とは程遠い不均等性を示しており、それはその後公表されたSPEEDIの評価結果にも反映されていた。筆者も、4月16日、いわき市から浪江町までの80㎞余りを調査したが、原発から北西方向に当たる飯舘村の近くでは、この季節の気象条件や地形を反映して、30㎞同心円の周縁部にもかかわらず、毎時50マイクロシーベルトという異常に高い放射線レベルを観察した(東京の平常時〈毎時0.07マイクロシーベルト程度〉の約700倍)。その後、放射線レベルが高い地域として計画的避難区域に指定された川俣町や、学校での屋外活動の制限が話題となった福島市などは、この方向の延長線上にある。同心円による形式的な退避指示は、退避する必要があった同心円外の人々を不要な危険にさらし、退避することを要しなかった地域に風評被害をもたらしたりする。100億円余を投じて開発されたとされる科学研究の成果が、原発事故の危機管理にあたって現実的・合理的な退避指示に十分活かされなかったとすれば、極めて遺憾なことと言わなければならない。
第2は、なぜ屋外活動の制限基準などを論議している間に、2~3cmの汚染表層土を除去するといった実質的な被曝低減策を実施しなかったのかという点である。放射線防護学的観点からすれば、被曝低減のためには「放射線源を取り除く」ことが第一である。この場合、「削った表層土の処分法が定まっていない」といった言い訳は理由にならない。表層土を剥離する校庭の一隅(あるいは裏庭など人の立ち入りの少ない場所)に穴を掘り、そこに汚染土を封じ込めて表面にビニール・シートを被せ、簡易な囲いを施すなどして立ち入りを制限すればいい。もちろん、穴の部分の表層土も一時的に脇にのけておいて、穴を掘った後に深部に埋め戻せばいい。表層数cmよりも深部から掘り出した土はほとんど汚染していないので、校庭など、表層を削り取った後の表層土として利用することも可能だろう。梅雨期を迎えて放射能が深部に浸み込む前に削り取ることは、意味のあることである。あるいは、暫くは庭を雑草で覆うことさえも意味があろう。放射線粉塵の舞い上がり効果を抑えることができるし、やがては植物自身が放射性物質を取り込むので、それを刈り取って処分することによる除染効果も期待できる。
外部被曝から身を守る上での防護原則は「遮蔽する、距離をとる、時間を制限する」の3原則だが、おそらく学校でも汚染源からの距離や施設の構造に応じて、同じ施設内でも場所によって放射線レベルにはかなりの違いがあるに相違ない。例えば、窓際にロッカーや砂嚢などを置くことによって、汚染源からの放射線をいくらかでも遮蔽し、子どもたちが受ける線量を多少なりとも下げることが可能かもしれない。被曝低減のための措置をとることを勧めることなく、いきなり「被曝時間の制限」を示唆することはいかにもお座なりの印象を受ける。もしもこうした措置を保護者を含む関係者の参画型で実施できれば、問題への関心を深め、状況を改善するための主体性を育む点でも意味なしとはしない。
また、食品の放射能汚染に関しては、基準を定めて出荷停止などの措置をとるだけでなく、市場に出回ったものについても調理過程での除染効果などを含めて広報すべきだろう。例えば、「公益法人 原子力環境整備促進・資金管理センター」は、“環境パラメーターシリーズ4”として『食品の調理・加工による放射性核種の除去率』という技術刊行物を出しているが、そこには野菜・穀類・肉・魚などについての除染効果に関する研究成果が紹介されている。具体的に消費生活者がとることのできる措置を提示することも、たとえその効果が限定的なものであったにしても、安全・安心に向けて関心を喚起し、可能な措置は自らとるという主体性を培うためにも意味があると思われる。
以上、いくつかの事例を挙げたように、事故後に政府がとってきた措置の多くは、放射線防護学的にみて科学性や実践性に欠けるものだったとの印象を免れない。できるだけ早く実行することに意味があったことを適切に提起・実行しなかったという点では、すでに遅きに失した面があるが、現時点で実行することも意味を失ってはいないだろう。
なお、原発事故による放射線の危険を感じている人々にとっては、被曝や汚染の程度を理解し、健康上の問題の有無を納得ずくで把握できることが安心への重要な要素である。相対的に高い放射線レベルが続くと懸念されている施設については、関係者が自ら放射線のレベルを把握できる措置(測定器の供与、あるいは、当該施設関係者立会いの下での定期的な測定サービスの実施など)をとることが必要だろう。給食のための食材や水の放射能汚染が心配される場合には、当該施設関係者(保育や教育に携わるスタッフや保護者)も参画して監視計画を立て、情報公開を保証してチェックすることが期待される。行政も震災被害の只中にある状況下では、大学や研究機関が技術や知識を積極的に提供することも検討されてよい。
その上で、乳幼児を含む地域生活者がどれだけの体内汚染を余儀なくされたかを把握することも安心への道だが、体内汚染を測定することは外部被曝の場合ほど容易ではない。体表面に付着した放射性物質は、避難所などで実施されたような放射線測定器(サーベイ・メーター)による簡易な検査によってある程度チェックできるが、体内に取り込まれた放射性物質から体外に出てくる放射線を測定することによって体内汚染をチェックする全身放射能計測装置(ホール・ボディ・モニター)は一般に非常に高価で、設置台数も極めて少ない。他の方法はバイオアッセイ(生体試料分析)と呼ばれるもので、尿や糞や唾液などを採取してその放射能を測定する方法である。汚染した粉塵を吸入した可能性がある場合には、鼻腔をソフト・ティッシュなどで拭き取って分析する「鼻腔スメア」のような簡便な検査もあるが、定量的な分析は容易ではない。また、尿や糞を採取することにも抵抗感があるし、専門機関による分析に日時を要する上、排泄量から体内汚染量を推定するのにも大きな不確定性が伴われる。したがって、いずれの方法をとるにしても全数調査は不可能で、地域生活者の中から乳幼児や妊娠可能年齢の女性を含む何人かを選んで検査するいわゆる「サンプリング調査」にならざるを得ないが、筆者はそのような制約された条件の下でもこれを実施し、体内汚染の実態が公表されることが好ましいと考えている。
そして、最終的なステップは健康状態の把握であり、心理的ストレスやがん検診を含む健康診断や保健相談が、とりわけ被災地の住民や被災地から避難した人々については従前以上に丁寧になされるべきであろう。放射線の影響については、身体的・遺伝的影響に加えて、心理的影響が軽視されるべきではない。かつて、肺結核に関する医師の誤診がもとで1か月に40枚のレントゲン撮影を受けた男性が、それが原因で白血病になったと妄想し、当該医師にガソリンをかけて焼き殺す事件があった。福島原発事故の経過の中でも、枝野幸男官房長官の「直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない」という説明が多くの人々の不安要因となり、「直ちに」ではないが「いずれは」という疑念を抱かせた。白血病やがんのような確率的影響は、余程顕著に発現する場合でない限り、一世代では証明できない性格のものである。「影響があること」は証明可能だが、「影響がないこと」を証明することは極めて難しく、不安が長期化することは避け難い。そうした心理的不安を取り除こうと思えば、健康診断や保健カウンセリングに十全を尽くすしかない。なぜ、被災地における特別保健管理体制の構築を「直ちに」政策化しないのか、筆者は放射線影響学的な知見を踏まえつつ被災者の心のありように沿った対応が速やかに計画され、実施されることを求めたい。
1)「原発事故による放射能災害と子どもたちの生活-放射線被ばくをどうやって少なくしましょうか?-」
2)「福島原発事故が教えてくれるもの」
3)「原発事故対応の科学性を問う」
2)と3)は一部内容が重複していますが、合わせて、1)のサマリーの詳述になっています。重要と思うところに下線を引いてあります。福島をはじめ、日本中の人たちがどうやって被ばくを最小限に留めるかのヒントがたくさん詰まっていますので是非お読みください。
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1)
「原発事故による放射能災害と子どもたちの生活」─放射線被曝をどうやって少なくしましょうか?─
安斎育郎(安斎科学・平和事務所 所長)
1 放射線は被曝しないにこしたことはない
(1) 放射線被曝と人
① 身体的影響(確定的影響・確率的影響)、②遺伝的影響、③心理的影響、④社会的影響
② 確率的影響=癌当たりくじ型影響→当選確率は?=100ミリシーベルトで癌が0.5%増)
(2)放射線を出すものを取り除く─これ基本
(3)放射線防護の原則
①外部被曝から防ぐには?─遮蔽、距離、時間
②内部被曝から防ぐには?─体の中に取り込まない(ヨウ素剤)、取り込んだら排出する(下剤)
(4)被曝はどうやって測るか?
①外部被曝(線量計率測定器〈サーベイメーター〉、積算線量計〈安斎先生がいま着用してる〉)
②内部被曝(ホールボディモニター、バイオアッセイ〈おしっこ、うんち、つば、鼻腔スメアなど〉)
2 外部被曝から身を守るには?
(1) 放射線源を取り除く─放射能をばらまかない、庭の表層土を除去する、体や髪の汚染を防ぐ
(2) 放射線を遮蔽する─線源と人間の間に遮蔽物を置く(金属板。土嚢)
(3) 線源からの距離をかせぐ─なるべく汚染物から遠くへ
(4) 放射線を浴びる時間を短くする─時間短縮は最後の手段
3 内部被曝から身を守るには?
(1) 3つの汚染ルート(経口、経気、経皮)
(2) 経口摂取を防ぐ(汚染食品や汚染水に注意する、皮膚を覆うなど、食品を煮炊きする)
(3) 経気道摂取を防ぐ(マスクの着用、汚染砂の舞い上がりを減らす)
(4) 経皮吸収を防ぐ(皮膚を覆う、傷をつくらない)
(5) 食品汚染の実態をこまめに公表し、規制を徹底し、調理による除染効果を含めて知らせること。
4 どれくらい被曝する?
(1)外部被曝:安斎先生が福島入りして、どれだけ浴びた?→メーターを見よう。
(2)内部被曝:500ベクレル/キログラムで汚染したホウレンソウを200グラム食べたら被曝は?
→0.001ミリシーベルト程度(天然放射性核種カリウム40による被曝=0.2ミリシーベルト程度)
5 能書きも大事だが、何よりも実効的な対策を
(1) この間の政府の動きで感じたこと(同心円の避難指示、後手後手の事故対応、汚染放置の議論)
(2) えっ、“100億円のSPEEDI(スピーディ)よりも、100円ショップのコンパス”が使われた?
(3) 起こってしまったことの解釈はひとまずおいて、被曝を減らす努力を実践しよう
(4) そして、東北地方で「ガン検診・心のケアを含めた手厚い健康管理プログラム」の実践を
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2)
福島原発事故が教えてくれるもの
安斎育郎(安斎科学・平和事務所 所長)
原発被災地へ行く
2011年4月16日、私は放射線測定器を携えて、福島の原発被災地に向かいました。1970年代から原発問題に一緒に取り組んできた現地の人々と会い、空間線量率を測定し、汚染地帯の表層土を採取するためです。放射線防護学を専門とする私は、この未曾有の大事故によってもたらされた被災の実態を自らの目で見、試料を採取しておきたいと願っていました。しかし、事故後のマスコミ攻勢の中で時間が見出せず、やっと71歳の誕生日にいわき市にたどり着くことができました。評論家の江川紹子さんが、取材のために同行しました。
放射線のレベルは、いわき市内では0.45マイクロシーベルト/時程度でしたが、富岡町・大熊町・浪江町と原発近傍に近づくにつれて高い値を示し、最大50マイクロシーベルト/時にも達しました。東京都の普段の自然放射線のレベルが0.07マイクロシーベルト/時程度ですから、およそ700倍にも当たります。
黄色い菜の花が群生し、枝ぶりのよい桜が満開の時期を迎え、野生の辛夷の花が美しく咲いていました。私自身も1944年から数年間、縁故疎開で福島県二本松に住んでいたことがあります。福島は父母の故郷なのです。本当に、金子みすゞさんの詩の一節にある「見えないものでもあるんだよ」というフレーズそのままに、地表を覆う「見えない何者か」が測定器の針を大きく振らせます。もしも放射性物質に赤い色が着いていたら、森も畑も野も道も、時おり出会う見捨てられたイヌも、何事もなかったように草を食むウシも、みんなみんな真っ赤に違いない─そう思いながら、「透明な恐怖」の中に沈む日本の故郷の原風景を後にしました。
放射線と放射能の基礎知識
私たちの身の回りのものは、いや、私たち自身の体を含めて、みな「原子」と呼ばれる粒子で成り立っています。原子は、その中心にある「原子核」と外側の「電子」から成り、原子核は「陽子」と「中性子」という2種類の粒子から成ります。電子はマイナスの、陽子はプラスの電気を帯び、中性子はその名のごとく電気的に中性です。陽子と中性子は、まとめて「核子」(原子核を構成する粒子)と呼ばれます。
原子核にある陽子数と、原子核の外を回る電子数は等しく、アルミニウムなら13、鉄なら26、金なら80、ウランなら92などと、原子ごとに決まっています。だから、陽子数(=電子数)のことを「原子番号」といいます。
質量(目方)でいうと、中性子は陽子よりもほんの少しだけ重いですがほとんど同じで、電子はそれに比べると1800分の1以下の軽さです。だから、原子の重さの大部分は、陽子と中性子から成る原子核に集まっており、陽子数+中性子数(つまり、核子数)のことを「質量数」といいます。原子の質量をよく代表しているからです。
原子番号が同じでも(つまり、同じ種類の原子でも)、原子核の中に含まれている中性子の数はいろいろなので、原子番号が同じなのに質量数が違う原子がいろいろあります。福島原発事故の経緯の中で「ヨウ素131」という核種が問題になりましたが、ヨウ素原子の原子核には陽子が53個含まれているので。原子番号は「53」と決まっていますが、中性子数は55個から91個のものまでいろいろあります(陽子数と中性子数を足した「質量数」で言えば、88~144までいろいろあることになります)。だから、原子番号53と言っただけではどのヨウ素原子か決まらないので、質量数を付け加えて「ヨウ素131」(陽子数53個+中性子数78個=質量数131)のように言い表します。
普通は、鉄原子はいつまでたっても鉄原子であり続けるし、酸素原子がいつの間にか窒素原子に変わってしまうこともありません。しかし、中にはヨウ素131のように、放っておくと勝手にベータ線という放射線を出してキセノン131という別の種類の原子に変わってしまう原子もあります。このように、「放っておくと勝手に放射線を出して別の種類の原子に変わってしまう」性質のことを「放射性」といい、それを「能力」に見立てて「放射能」ということもあります。つまり、ヨウ素131は「放射性である」とか、「放射能をもつ」とか言い表します。一般に、放射能をもった物質からは「放射線」が出てきますが、この放射線を体に受けると細胞が傷つけられていろいろな影響があり得るので、原発から大量の放射性物質が環境中にばらまかれるような事態はとても心配です。
原子力発電の原理と放射能
普通の原子に中性子をぶつけても、その原子の核がパカッと2つに割れるなどということはありません。ところが、ウラン235の原子に中性子をぶつけると「原子核分裂反応」というのが起こり、2つに割れ、強烈なエネルギーを出します。このとき、ウラン原子核の中に入っていた中性子が2つ、3つこぼれ落ちるので、これがまわりにウラン235原子に当たって核分裂反応が起これば、次々と反応が持続し、エネルギーを連続的に発生させることができます。これを「核分裂連鎖反応」といい、人類が最初にこの反応を利用したのが原爆です。
でも、原爆のように一度に核分裂連鎖反応を起こすのではなく、制御しながらじわじわと連鎖反応を起こせば、安定的にエネルギーを取り出せるのではないか─これを実現しようと試みたのが「核分裂連鎖反応炉」(原子炉)であり、そのエネルギーで水を加熱して水蒸気を発生させ、その水蒸気でタービン発電機を回すのが「原子力発電所(原発)」に外なりません。石油や石炭に比べると、ごくわずかのウランから大量のエネルギーを取り出せるので、「第3の火」として注目されました。しかも、石油や石炭の燃焼時のように「2酸化炭素」(CO2)を出さないので、地球温暖化防止にも役立つと宣伝され、いよいよ「原子力ルネサンス」の時代が来たと言われていました。ルネサンスというのは「再生」という意味で、とかく評判がイマイチだった原子力が地球環境問題の中で見直され、再評価されたという意味が込められています。
ところが、ウランの核分裂反応には、危険な牙が潜んでいます。ウラン235が中性子の作用でパカッと割れた結果できた破片(核分裂破片)が放射能を帯びているのです。「放射性核分裂生成物」といいます。原発を稼動させてウランの核分裂を持続的に起こせば起こすほど、ウランの核燃料の中には放射性核分裂生成物が大量にたまってきます。これが事故で原発の外に漏れ出すようなことになると大変です。福島原発事故の場合、確かに最初のマグニチュード9.0の巨大地震の揺れを感知して、原発の中には、核分裂の仲立ちをしている中性子を効率的に吸収するホウ素やカドミウムなどを含んだ「制御棒」というのが自動的に挿入され、核分裂連鎖反応は止まりました。
しかし、原発はそれだけでは安心できないのです。
核燃料の中に蓄積されている莫大な量の放射性核分裂生成物が出す強烈な放射線の発熱のため、放っておくと核燃料が溶融する恐れがあります。溶融するとドロドロに溶けた燃料が原子炉容器やそれを収めている格納容器を溶かし、そこに、過熱した核燃料の被覆管と水の反応や、水の放射線分解で発生した大量の水素ガスが爆発したりすると、とてつもない量の放射能が施設外に放出されてきます。だから、何が何でも核燃料を冷却し続けなければなりません。その場合、核燃料が原子炉の中にあろうが、原子炉外の使用済み核燃料貯蔵プールにあろうが、事情は変わりません。
福島の原発事故では、第1原発内の6つの原子炉のうち、1・2・3号機では原子炉の中で、3・4号機では貯蔵プールで、地震と津波による電源喪失のために核燃料を冷却し続けることができなくなりました。核燃料は破損・溶融し、閉じ込められていた放射能が核燃料の外に漏れ出しましたが、悪いことに、水素爆発で原子炉建屋や格納容器が損傷されたりしたため、大量の放射性物質が外部環境に放出されました。
放射能の拡散と人々の被曝
政府は地震が起きた当日、原発から3キロ以内を避難・避難指示を出すとともに、3~10キロに屋内退避を指示し、翌12日には避難指示を20キロ圏内まで拡大しました。2日後の3月14日、通商産業省の原子力安全・保安院は20キロ以内の住民への屋内退避を呼びかけ、翌日には20~30キロ圏内に屋内退避を指示しました。10日後には20~30キロ圏内の市町村に対し、住民に自主避難を勧めるよう要請し、28日には20キロ圏内への立ち入り規制を続けることを決めました。そして、4月1日、20キロ圏外の地域にも「計画的避難区域」を定め、1か月以内を目安に対するよう促しました。私は、4月16日、1970年代から福島への原発設置に反対する活動を一緒にやっていた人々の要請に応えるためでもありましたが、この時期に汚染土壌を採取することにも重要性を感じていました。しかし、4月22日、葛尾村・浪江町・飯舘村の全域と川俣町・南相馬市の一部は「計画的避難区域」に、また、広野町・楢葉町・川内村の全域と田村市と南相馬市の一部は「緊急時退避準備区域」にそれぞれ指定され、現地に立ち入ることは基本的に禁止されてしまいました。私は放射線や放射能分野の専門学会が緊急調査団を派遣するなどして、実態の解明や今後の放射線被曝の最小化のためのデータを調査することを期待しています。
ところで、政府の避難指示などが、当初、原発を中心に同心円を描くように行なわれたことを訝しく思っていました。もちろん、放射性物質はどちらの方向にも均等に広がるものではなく、事故時の風向に大きく左右されます。また、いつどの地域に放射能が降下するかは風速や降雨量や地形に大きく影響されます。環境中での放射性物質の動きはとても複雑ですから正確に予測するのは大変ですが、専門家は「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」という呼び名のコンピュータ・プログラムを開発し、25年ほど前から運用されてきました。文部科学省は、福島原発事故後の3月12日2時48分、1号機の格納容器圧力の上昇を踏まえて、万一放射能が放出された場合に備えて24時間後までの拡散を予測し、18時過ぎには水素爆発の事実を踏まえた計算も行なっていました。また、原子力安全・保安院(経済産業省)も11日の夜から15日にかけて42件の計算を試みていたということですが、それにもかかわらず、住民への退避指示は「同心円」で行われたのです。私が4月に調査した範囲でも、放射線のレベルは原発の北西側で相対的に高い値を示し、明らかに同心円的な拡散とは似ても似つかぬ分布でした。計画段階でならいざ知らず、いったんある場所、ある季節に事故が起これば、地形的・気象的特性を踏まえた上でより現実的かつ合理的な退避アリアの勧告がなされる必要があるでしょう。福島原発事故の場合は、この季節には北西の風が山と山に挟まれた谷筋を通って放射能を運び、浪江町・飯舘村・川俣町に高い濃度の放射性降下物を降らせましたが、その後もやや高い放射線レベルを観測した福島市はその延長線上にありました。この「帯状高汚染地帯」は30キロを越えてもなお広がっており、単に原発を起点とする同心円では判断できないことを教えています。「100億円を投じたSPEEDIが、100円ショップのコンパスに負けた」と揶揄される出来事でした。
ただし、放射線のレベルが相対的に高いこれらの地域に、日々新たに原発から高濃度の放射性物質が降り注いでいるということではなく、事故直後に起きた爆発によって周囲にばらまかれた放射性物質が地表面に降り積もり、そこからガンマ線が放出され続けていることが主要な原因です。逆にいえば、放射能を含む表層土を削り取れば、放射線のレベルをそれなりに減少させることができますので、「毎時3.8マイクロシーベルト」を判断の目安に校庭などの使用制限をするかどうかなどと議論している間に、小学校・幼稚園・保育園などのグラウンドの表層土を削り取ることが有効であるに相違ありません。放射線から身を守る第一の方法は、放射線源を除去することです。同心円や汚染基準値といった紋切り型の杓子定規な発想ではなく、いま、誰が、どのような方法で具体的に守られるべきなのかを指示・勧告すべきでしょう。取り除いた表層土は、学校の裏庭など、普段あまり人が立ち入らない場所に掘った穴に埋め、ビニール・シートで覆って簡単な柵を施し、立ち入りを制限すればいいでしょう。対策は、何よりも、人々の不要な被曝を避けるという観点から、現実的で実行可能な方法を遅滞なく実践するということを眼目にすべきです。
放射線源をできるだけ除去した後、放射線から身を守る方法は「①遮蔽する、②距離をとる、③時間を制限する」の3つです。①②③は重要性の順序でもあり、その基本は、体にやって来る放射線をできるだけ少なくすることに外なりません。グラウンドに面した教室の壁面は、当面、ロッカーを置いたり、砂嚢を積んだりして遮蔽効果を高めることもできます。放射線の減弱の程度は、汚染した地面からの距離によっても違うので、1階・2階・3階の教室ごとに放射線量率には差があるでしょう。相対的に放射線レベルが高い地域では、教室ごとの放射線のレベルを把握して、使用頻度などを配慮することも意味があるでしょう。そうした手立てをとらずに、いきなりグラウンド使用の時間制限だけが示唆されるというのは、放射線防護学的には大いに疑問です。
危機はなお収まらない
ところで、冷却系統を失った結果として過熱していった核燃料は、とにかく原子炉内のものも貯蔵プールのものも強制的に冷し続けなければなりません。3,4号炉のプールには自衛隊やレスキュー隊が水をかけましたし、原子炉には最初は海水、後には真水を注入しました。最先端の発電技術であるはずの原子力発電の冷却系喪失事故では、こうなるのが宿命です。「原子力いざというとき原始的」という川柳で揶揄する向きもいましたが、とにかく「冷す」ことしかありません。しかし、厄介なことに、冷そうとして水を入れると、それが原子炉外の格納容器やタービン建屋や、はては外部のトレンチから海にまで漏れていくという事態を生じました。そして、とうとう、漏れ出した水を別の場所に移送させないと事態収拾のための作業もままならず、新たな冷却水の注入もできないと判断した東京電力は、ついに諸方面との事前の合意形成もないままに、あたふたと「低レベル廃棄物建屋」の汚染水を大量に海に放出したり、メガフロートを静岡県から移動させたりして、そこに高レベル汚染水を移そうと悪戦苦闘してきました。汚染水が漏れ出している事態は、深刻な状況にないはずの6号機についても見られました。「核燃料は冷さなければならないし、冷そうとして冷却水を入れれば漏れる」という状況がある以上、このままでは高レベル汚染水の移送先が窮屈になるのは時間の問題です。どうしても「自己完結型の冷却システム」を構築しなければならないでしょう。つまり、漏れ出した水の熱を大気や海水に逃がし、可能な方法でできるだけ放射能を除去した後、再び冷却水として利用する方法です。
火力発電所の火災事故などと原発事故の決定的な違いは、物が燃焼して熱を発している場合には、水をかけたりすることによって温度を発火点以下に下げたり、可燃物が酸素と接触しないようにすることによって、燃焼という発熱反応そのものをなくすことが可能なのですが、原発事故の発熱体は使用済みの核燃料に含まれる放射性物質で、この発熱自体は水をかけようが何をしようが収まりません。核燃料の内部に蓄積されている放射性物質は、それぞれのペースで放射線を出し続け、それが熱源となって燃料自体を加熱します。酸素と反応しているわけではなく、核物質自身がもつ核特性に由来するものですから、出てきた熱を奪い去って燃料が溶けないようにするのが精一杯で、発熱そのものを止めるわけにはいかないのです。もちろん放射能は時間とともに減衰していきますから、何百年・何千年と経つうちに発熱量が減ってきますが、とにかく事故直後は膨大な放射能が核燃料の中に蓄えられているために、ひたすら冷却し続けないと核燃料が崩壊熱で溶融し、内部の放射性物質が大量に環境中に放出される自体を招きかねません。したがって、現在周囲の放射線のレベルは落ち着いているように見えながら、原子炉施設本体での危機的状況はなお一向に去っていないので、世界中の知恵と技術を総動員して冷し続けなければなりません。
3月30日、日本の原子力開発を先頭だって進めてきた16人の人々が、政府に「緊急建言」を発しました。原子力安全委員長や日本原子力学会会長や放射線影響研究所理事長などを務めてこられた錚々たる人々です。その建言には、以下のような下りがあります。
「私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」
最後の部分は不気味でさえあります。この「建言」は最後に、「事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取組みが必須である。私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである」と結んでいます。この国の原子力開発を主導してきた人々でさえ、政府が科学者・技術者の総力を結集する体制が出来ていないと感じる危うさが、この原発事故の危機を象徴しています。私たちは引き続き「隠すな、ウソつくな、意図的に過小評価するな」「最悪に備えて、最善を尽くせ」の声を上げ続けることが不可欠です。
喉元過ぎても、熱さ忘れるな
福島原発事故では、まだ、「熱さが喉元を過ぎて」はいません。もし、幸いにも熱さが喉元を過ぎる見通しがついたとしても、私たちはそれで「熱さ自身を忘れること」があってはならないでしょう。
日本は、しばしば、「地震の巣窟の上にある」とたとえられてきましたが、その国のエネルギー生産を原子力発電のような巨大な潜在的危険性を秘めた技術に依存し続けていいのかどうか、国家百年の計に照らして国民的な論議を興すことが不可欠です。自然エネルギーのより有効な利用は推奨されるべきものですが、電力の3分の1を原子力発電に依存するまでに肥大化してしまった事態を、どのようにしてより安全な発電方式に転換していくのかは、5年や10年で実現できるものではないでしょう。原子力発電をphase outさせる(=段階的になくす)計画を進めつつ、他の発電方式に切り替えるための技術開発や法制度改革を実行しながら、私たち自身のエネルギー消費生活のあり方にも省察を加えなければならないでしょう。地球環境問題が顕在化する中で「環境に優しいエネルギー消費生活のあり方」が問われてきましたが、原発社会から脱却するとすれば一時的に火力発電への依存度が高まる可能性もあるでしょう。それが場当たり的にならないように、まさに国家百年の計として計画的なエネルギー生産と消費のあり方が国民的な合意形成を踏まえて追求されなければなりません。それを可能にするのは、「喉元過ぎても、熱さを忘れない」主権者としての私たちの自覚と責任意識と実行力に他ならないと思います。
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※平和学入門(担当:安斎育郎)参考資料
3)
原発事故対応の科学性を問う安斎育郎(安斎科学・平和事務所所長/立命館大学・名誉教授)
東電福島第一原発は、東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波によって、核燃料の崩壊熱を除去する冷却用電源を喪失し、1~4号機が次々と深刻な状態に陥った。国際原子力事象尺度で「レベル7」に分類されたこの人類史的な原子力災害は、なお収束を見ていない。筆者は、事故直後から、当事者に「隠すな、ウソつくな、意図的に過小評価するな」の原則を守り、「最悪に備えて最善を尽くす」ことを求めたが、放射線防護学を専門とする立場から、政府の事故対応には気になることがいくつかあった。
第1は、同心円状の退避指示である。原発の計画段階ならいざ知らず、特定の場所で特定の季節に事故が起きたら、地形や気象の条件を反映した放射能拡散予測に見合った対策が必要である。そのような場合のためにこそ、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)が開発されてきたはずだった。実際、文部科学省は、福島原発事故後の3月12日2時48分には、1号機の格納容器圧力の上昇を踏まえて、放射能が放出された場合の24時間後までの拡散を予測していたし、同日18時4分には水素爆発を受けた計算も試みていた。また、経済産業省の原子力安全・保安院も11日の夜から15日にかけて42件の計算を試みていたという。しかし、住民への退避指示は「同心円」で行われた。事故直後のことだから情報の確度も不十分で、予測には曖昧さが伴われることは当然だが、同心円よりははるかに現実的に相違ない。事実、観測された放射線のレベルも同心円とは程遠い不均等性を示しており、それはその後公表されたSPEEDIの評価結果にも反映されていた。筆者も、4月16日、いわき市から浪江町までの80㎞余りを調査したが、原発から北西方向に当たる飯舘村の近くでは、この季節の気象条件や地形を反映して、30㎞同心円の周縁部にもかかわらず、毎時50マイクロシーベルトという異常に高い放射線レベルを観察した(東京の平常時〈毎時0.07マイクロシーベルト程度〉の約700倍)。その後、放射線レベルが高い地域として計画的避難区域に指定された川俣町や、学校での屋外活動の制限が話題となった福島市などは、この方向の延長線上にある。同心円による形式的な退避指示は、退避する必要があった同心円外の人々を不要な危険にさらし、退避することを要しなかった地域に風評被害をもたらしたりする。100億円余を投じて開発されたとされる科学研究の成果が、原発事故の危機管理にあたって現実的・合理的な退避指示に十分活かされなかったとすれば、極めて遺憾なことと言わなければならない。
第2は、なぜ屋外活動の制限基準などを論議している間に、2~3cmの汚染表層土を除去するといった実質的な被曝低減策を実施しなかったのかという点である。放射線防護学的観点からすれば、被曝低減のためには「放射線源を取り除く」ことが第一である。この場合、「削った表層土の処分法が定まっていない」といった言い訳は理由にならない。表層土を剥離する校庭の一隅(あるいは裏庭など人の立ち入りの少ない場所)に穴を掘り、そこに汚染土を封じ込めて表面にビニール・シートを被せ、簡易な囲いを施すなどして立ち入りを制限すればいい。もちろん、穴の部分の表層土も一時的に脇にのけておいて、穴を掘った後に深部に埋め戻せばいい。表層数cmよりも深部から掘り出した土はほとんど汚染していないので、校庭など、表層を削り取った後の表層土として利用することも可能だろう。梅雨期を迎えて放射能が深部に浸み込む前に削り取ることは、意味のあることである。あるいは、暫くは庭を雑草で覆うことさえも意味があろう。放射線粉塵の舞い上がり効果を抑えることができるし、やがては植物自身が放射性物質を取り込むので、それを刈り取って処分することによる除染効果も期待できる。
外部被曝から身を守る上での防護原則は「遮蔽する、距離をとる、時間を制限する」の3原則だが、おそらく学校でも汚染源からの距離や施設の構造に応じて、同じ施設内でも場所によって放射線レベルにはかなりの違いがあるに相違ない。例えば、窓際にロッカーや砂嚢などを置くことによって、汚染源からの放射線をいくらかでも遮蔽し、子どもたちが受ける線量を多少なりとも下げることが可能かもしれない。被曝低減のための措置をとることを勧めることなく、いきなり「被曝時間の制限」を示唆することはいかにもお座なりの印象を受ける。もしもこうした措置を保護者を含む関係者の参画型で実施できれば、問題への関心を深め、状況を改善するための主体性を育む点でも意味なしとはしない。
また、食品の放射能汚染に関しては、基準を定めて出荷停止などの措置をとるだけでなく、市場に出回ったものについても調理過程での除染効果などを含めて広報すべきだろう。例えば、「公益法人 原子力環境整備促進・資金管理センター」は、“環境パラメーターシリーズ4”として『食品の調理・加工による放射性核種の除去率』という技術刊行物を出しているが、そこには野菜・穀類・肉・魚などについての除染効果に関する研究成果が紹介されている。具体的に消費生活者がとることのできる措置を提示することも、たとえその効果が限定的なものであったにしても、安全・安心に向けて関心を喚起し、可能な措置は自らとるという主体性を培うためにも意味があると思われる。
以上、いくつかの事例を挙げたように、事故後に政府がとってきた措置の多くは、放射線防護学的にみて科学性や実践性に欠けるものだったとの印象を免れない。できるだけ早く実行することに意味があったことを適切に提起・実行しなかったという点では、すでに遅きに失した面があるが、現時点で実行することも意味を失ってはいないだろう。
なお、原発事故による放射線の危険を感じている人々にとっては、被曝や汚染の程度を理解し、健康上の問題の有無を納得ずくで把握できることが安心への重要な要素である。相対的に高い放射線レベルが続くと懸念されている施設については、関係者が自ら放射線のレベルを把握できる措置(測定器の供与、あるいは、当該施設関係者立会いの下での定期的な測定サービスの実施など)をとることが必要だろう。給食のための食材や水の放射能汚染が心配される場合には、当該施設関係者(保育や教育に携わるスタッフや保護者)も参画して監視計画を立て、情報公開を保証してチェックすることが期待される。行政も震災被害の只中にある状況下では、大学や研究機関が技術や知識を積極的に提供することも検討されてよい。
その上で、乳幼児を含む地域生活者がどれだけの体内汚染を余儀なくされたかを把握することも安心への道だが、体内汚染を測定することは外部被曝の場合ほど容易ではない。体表面に付着した放射性物質は、避難所などで実施されたような放射線測定器(サーベイ・メーター)による簡易な検査によってある程度チェックできるが、体内に取り込まれた放射性物質から体外に出てくる放射線を測定することによって体内汚染をチェックする全身放射能計測装置(ホール・ボディ・モニター)は一般に非常に高価で、設置台数も極めて少ない。他の方法はバイオアッセイ(生体試料分析)と呼ばれるもので、尿や糞や唾液などを採取してその放射能を測定する方法である。汚染した粉塵を吸入した可能性がある場合には、鼻腔をソフト・ティッシュなどで拭き取って分析する「鼻腔スメア」のような簡便な検査もあるが、定量的な分析は容易ではない。また、尿や糞を採取することにも抵抗感があるし、専門機関による分析に日時を要する上、排泄量から体内汚染量を推定するのにも大きな不確定性が伴われる。したがって、いずれの方法をとるにしても全数調査は不可能で、地域生活者の中から乳幼児や妊娠可能年齢の女性を含む何人かを選んで検査するいわゆる「サンプリング調査」にならざるを得ないが、筆者はそのような制約された条件の下でもこれを実施し、体内汚染の実態が公表されることが好ましいと考えている。
そして、最終的なステップは健康状態の把握であり、心理的ストレスやがん検診を含む健康診断や保健相談が、とりわけ被災地の住民や被災地から避難した人々については従前以上に丁寧になされるべきであろう。放射線の影響については、身体的・遺伝的影響に加えて、心理的影響が軽視されるべきではない。かつて、肺結核に関する医師の誤診がもとで1か月に40枚のレントゲン撮影を受けた男性が、それが原因で白血病になったと妄想し、当該医師にガソリンをかけて焼き殺す事件があった。福島原発事故の経過の中でも、枝野幸男官房長官の「直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない」という説明が多くの人々の不安要因となり、「直ちに」ではないが「いずれは」という疑念を抱かせた。白血病やがんのような確率的影響は、余程顕著に発現する場合でない限り、一世代では証明できない性格のものである。「影響があること」は証明可能だが、「影響がないこと」を証明することは極めて難しく、不安が長期化することは避け難い。そうした心理的不安を取り除こうと思えば、健康診断や保健カウンセリングに十全を尽くすしかない。なぜ、被災地における特別保健管理体制の構築を「直ちに」政策化しないのか、筆者は放射線影響学的な知見を踏まえつつ被災者の心のありように沿った対応が速やかに計画され、実施されることを求めたい。
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