2011年10月23日日曜日

福島では、子供を守ろうとすると、それをさせない人々がいるのです。Fukushima children forced to drink radioactive milk at school

被曝を恐れ牛乳を飲まない子の指導方法を藤村修官房長官が笑う

(福島県会津若松市の事)




班目春樹 枝野 細野豪志 子供を被曝させて半年 平然と国会9/28





山本太郎さんが小倉智昭さんと加藤浩次さんを問い詰める。





広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発


(広瀬氏のお話は
福島県二本松市東和町の小学校の事)




   (こちらは福島県二本松市の中学校の事
これを行政にも、学校にも届けたが
生徒達に注意すら促さない
いまだに、このままである
2011年10月24日)






      (こちらは福島県本宮市の事)
  線量のいい加減な改ざんが行われている


福島県では毎週のようにマラソンが開催されている

「三浦弥平杯伊達市梁川ロードレース大会」が10月23日、
福島県伊達市で開催された。
同大会は、伊達市出身で福島県初のオリンピックマラソン選手と
故三浦弥平氏の偉大な功績をたたえるとともに
参加者の健康増進と体力づくりを目的として開催されているもので、
今回で32回目の開催となる。

福島県小学生クロスカントリーリレー大会
[福島陸上競技協会-小学生クロスカントリーリレー大会]
6日には福島市で「福島県小学生クロスカントリーリレー大会」
13日には福島市で「東日本女子駅伝競走大会」が開催される。
女子駅伝には17都道県に
被災3県合同チーム「絆」を加えた18チームが参加を予定している。



ふくしま総文-第35回全国高等学校総合文化祭

全国高等学校総合文化祭は、高校生の文化芸術活動の祭典として昭和52年から開催されている全国大会で、【文化部のインターハイ】とも呼ばれています。 全国高等学校総合文化祭は、大会の出場者が技術と交流を深めあうだけでなく、大会の企画、運営にも高校生が主体的に活躍する、手作りの大会運営が特徴となっています。
第35回は福島県を会場として8月に開催され、
開催期間である5日間で全国から高校生が約2万人、
一般の観覧客を含めて約10万人が参加します。


開催期間

平成23年(2011年)8月3日(水曜日)~7日(日曜日)

開催会場(主会場)

福島市、郡山市、須賀川市、白河市、会津若松市、喜多方市、南相馬市、いわき市


1 全体的な主調について

人類が輝かしい未来を信じ、それを目指して進歩発展を遂げ、文化的にもすばらしい成果を獲得してきたことは間違いない。これからますます大きく成長してゆこうとする高校生たちの祭典である「全国高総文祭」の基本方針は、これまでも、そのような輝かしい未来のイメージが主調になっていたように思われる。
しかし一方、現代においては「環境問題」など、人類が進歩・発展によって不可避的に生じ、それゆえに解決の非常に難しい様々な問題が明らかになってきていることも事実である。
「文化」の問題について言えば、「グローバル化」という名のもとに、地域の人々の生活に密着した、歴史的に深い根を持つ、復元の難しい文化の多くが、ここにきて失われようとしているということもまた事実である。一方、グローバル化という現象に疑問を感じる人々の中にも、逆に「民族」や「文化」を閉鎖的な領域に囲い込み、「異文化との交流」という側面を過小評価する流れが存在する。そういう現代にあっては、文化というものをあらためて根本的にとらえ直すことが必要になっているのではないか。
人間は太古より、自らを自然の一部として、あるいは自然を他者として関わることで生を送ってきた。文化も、まさしく人間と自然との関わりの中で生み出されたものに他ならない。小林秀雄によれば、欧米語の「文化」という語は、「耕作」という語源をもつものだという。林檎の苗を植え、長い年月をかけて世話をしつつ樹を育て、その結果として果実を得ることこそが文化の名にふさわしいと彼は述べている。文化とは、それぞれの土地固有の自然の中で、人々により長い年月をかけて育てられるものである。
福島市やいわき市では梨の生産が盛んで、春には桃や林檎とともに美しい花を咲かせる。この時期農家は「花粉交配」という作業に忙しい。「交配」には、雄しべの花粉を雌しべに付着させるという意味の他に、あか梨の花粉をしろ梨の雌しべに交配するというように、異なる種類の花粉を交流させるという意味があるという。そうすると大きくておいしい梨ができるのだそうだ。一つの文化が異なる文化と交流することで大きな成果を得ることは、歴史を見ても明らかなように思われる。ヨーロッパ文明も、ヘレニズムとヘブライニズムの交流なしには存在しなかっただろう。日本文化も、大陸の異文化との交流により大きな成果を生んだと言える。

2 前文について

(1)「いにしえより自然や文化の結び目に位置するここ福島の地で」

ここで、福島を「結び目」と表現した。まずそれは自然環境的に見た「結び目」という意味である。福島沖は、黒潮と親潮の出合いの場所。二つの潮の流れは日本列島の南と北から何千キロもの旅をしてここ福島の沖で出合う。また、柚の北限が福島市の信夫山と言われるように、植生を見てもそれは言える。南から山並みを観察しつつ北上していくと、多くの照葉常緑樹は福島付近で落葉樹にとって変わる。
次に、文化についてであるが、現在、赤坂憲男氏が中心になり「東北学」と呼ばれる学問的な可能性が追求されている。そこでは「東北」は「北から南からの、歴史と文化と民族が出会う境の市場」とされている。
日本の文化を「照葉樹林文化」と規定した文化論もある。まさしく古い都は鬱蒼とした照葉樹林によって囲まれていた。「南からの」視点で捉えれば、福島はそのような照葉樹林文化圏の北端に位置していると言うことができる。
かつて、原町の金沢地区にあったという大規模な古代製鉄所は、畿内政権(大和)の蝦夷征伐の際、武器調達を担ったと言われている。福島は、畿内政権の政治的圏内の北端に位置したのである。福島を拠点として、以北の蝦夷は次々と征服されていくと歴史は教えている。この製鉄所を歌ったとされる東歌が『万葉集』にある。万葉東歌の北限もまた福島にあったことは、畿内文化圏(照葉樹林文化圏)の北限もまたそうであったということができるのではあるまいか。

(2)「多様な文化を理解し、自らを育んできた自然や文化を見つめ直す」

全国高総文祭は、日本の他の地方、さらには諸外国の文化とふれあい、その多様性を理解するとともに、自らを育むものとしての福島の自然や文化を再発見し、見つめ直す機会でもある。一口に「日本文化」と言っても、それ自体けっして単一なものではない。
それは、この列島内において、古代より、畿内を中心とする文化と、それとは異なる多様な文化との交流なしにはあり得なかったろう。
折しも今年5月、紫香楽宮跡で出土した木簡の表裏に、歌の父母と呼ばれる和歌が書かれていたことが発表された。小倉百人一首かるたの競技開始を告げる「難波津の歌」とともに書かれていたのは、采女伝説にも通じる郡山ゆかりの「安積山の歌」である。
また、二本松市上川崎地区に今も伝わる手漉きの和紙は、「陸奥国紙(みちのくにがみ)」「まゆみがみ」として、清少納言や紫式部も愛したといわれている。これらの例は、私たちの住むこの地域の生み出した独特の文化と、古代より続く中央文化圏との交流の証である。
福島県北部に位置する信達地方は絹の産地としてつとに有名である。「信夫文知摺」などからもそれはうかがわれるが、特に近世以降、信達地方は日本有数の絹の産地となった。絹の生産は古くは中国に始まり、西はシルクロードを通りヨーロッパへ、東は日本へもかなり早い時期からもたらされたとされる。また、その絹の道によってヨーロッパ文化が東洋にもたらされたことも見逃してはならない。前述の通り、異文化の接触が新しい文化を生み出す可能性については歴史に学ぶところである。日本の文化もまた、例えば古代においては、海を渡って来た漢字・漢文や人々の交流によって豊かに結実したと言うことができる。信達地方にちなんで言うならば、文化とは、異なる文化どうしが織りなすテクスチャー(織物)だということもできるだろう。これが「多様な文化を理解する」意味に他ならない。
福島以北の山々は、特に新緑や紅葉の頃は格別の美しさである。福島においても、ことに1000メートルを超える地域のブナやミズナラなどの落葉樹は美しい。福島の文化とはそのような自然が育んだ文化である。それを、照葉樹林文化に対して「ブナ樹林文化」と呼ぶ学者もある。
福島は固有の自然に囲まれ、それが育んだ固有な文化を生んだ地域であるとも言えるが、それもまた決して単一な文化ではなく、自然環境的にも政治的にも南北の関係が織りなす多様性によっている。太平洋を通じて、奥羽街道を通じて、また浜街道を通じての交流、さらにまた中通りを流れる阿武隈による交流もあろう。もうひとつは東西の交流である。西は日本海には接していないが、塩の道を通して日本海との関係が深い。福島県の会津から浜通りまでの東西の豊かな広がりが、自然においても文化においても福島に豊かな多様性をもたらしている。

(3)「それらを縒(よ)りあわせた新しい文化を生み出す糧」

「それら」とは、「多様な文化」と「自らの自然」とそれが育んだ「自らの文化」とである。「縒りあわせる」とは、多様なものをいっしょにねじり合わせるという意味である。既説したように、文化は異なる文化との出合いにより新しい文化を生み出す。全国高総文祭における多様な文化との出合いが、やがて新しい文化を創り出す糧となってほしいという願いである。また、この表現は、「糸を縒る」といわれるように、信達地方の絹にちなんである。
まとめれば、この前文に込められた思いは次のようになろう。
全国からここ福島に集う高校生が、この豊かな自然の中で、豊かな文化を享受し、また他の地域や国々の人々との交流を通じて、さらに新しい文化の担い手となっていこう。まずは自分たちを囲み、自分たちの生活や文化を養い培ってきた自然を見つめなおすこと、さらには自分たちの文化とは異なる文化をも尊重しつつ、それを担う人々と交流することによって新たなテクスチャーを織り上げ、より新しくより豊かな文化の創造を目指そう。

3 三つのキーワードについて

『継承』『交流』『創造』という三つの見出しについては、自然・伝統・文化を尊重し「継承」すること、それだけではなく、地域や国をこえて人々と出合い、異なる文化とふれ、「交流」することで、はじめて未来へと発信する魅力ある新たなる文化の「創造」が可能になる、という流れの中での三つのキーワードである。また、「継承」と「創造」は、福島県高文連創設当時からのキーワードでもある。

平成20年5月13日 第35回全国高等学校総合文化祭開催準備企画運営委員会

(放射能の事には、一言も触れられていない)





カレイドスコープさんのブログより


「お友達に放射能について聞かれたら、嘘をついて誤魔化すんだ」と生徒に強要する小学校教師
私のところには、福島県の方々からのメールが来ています。
多くはありませんが、4月頃から、コンスタントに情報をいただいています。

ほとんどが、すでに福島県から他県に避難を済ませたご家族のお母さん方です。
その人たちは、福島県のことをとても心配しています。

「そんな生易しい表現ではダメ。もっと本当の危険性を煽って、福島県の人たちが一人でも多く避難してくれるようにしてください」とか、

「福島県の人たちは放射能に対する危機意識が薄れているので、もっと現地の情報を調べて事態の深刻さを教えてあげてください」とか、

「食材には気をつけるように、というけれど、福島のスーパーには福島県産のものしか置いていないんですよ(5月頃までの話)」とか、

「福島県には本当の情報がありません。今、何が起こっているのか、意外に知らない人が多いのですよ」とか、

いろいろなことを教えてくださいます。

一方、避難せずに地元で復興に向けて頑張ろう、と決心した人たちからは、

「これから地元を復興しようというのに、福島から避難しろだなどと、いい加減なことを書くな!」というような怒気を含んだお叱りのメールや、

「福島の農産物を食わないなど、どういうヤツなんだ。我々は東京の犠牲になっているんだ、食え!」という口さがないメールや、

他人の子供も自分の子供と同じように考えられたら救いが広がる、と書いたところ、
「それなら、お前の資産をすべて福島県の人たちに分け与えて、お前の自宅に福島県から避難してきた人たちを受け入れて面倒みろ!」という勇ましいメールも来ていました。

「人に分け与えるほどの資産もないし、私の家も度重なる余震で基礎部分が損傷し、業者に結構な補修工事を頼んだほどなので、福島の人に来てもらっても、今度大きい地震が来たら命の保証はできない」とやんわり事情をご説明したのですが、とにかく、いちから十まで「補償、補償」で、いささか辟易気味でした。

福島の人たちの身になってみれば、無理からぬことでしょう。
全国の人たちは、まるで腫れ物に触るように福島の被災者の人たちに理解を示してきました。
また、福島の事情にあまり関心がない人でも、そのように少なからず努力したことがあるはずです。

しかし、震災から7ヶ月経とうとしているのに、福島はあまり変わっていません。
私の目から見ると、福島の人たちは、将来の恐ろしいことになど、まるで興味がないように見えるのです。

どう考えても、福島県では私の常識では考えられないことが起こっているのです。
どうやら福島では、今でも情報統制がされているのでは、と考えざるを得ないのです。

ここでは、いたずらに記事が長くなるのを避けるために、このことについては別にしっかした事実を提示して記事にするつもりです。
それを知っている私は、自治体の首長たちは、いったい何やってたんだ!と実は怒り心頭なのです。
福島の長たる者たちは、本当に酷いのです。

さておき、福島の異常なところは、この情報統制だけでは説明がつきません。
それは因襲と言ってもいいかもしれません。

「因襲」…。
日本では、半ばタブー視されている言葉です。
私はあえて、今回、この「因襲」という言葉を使いたいと思います。

福島の人たちは、3月14日の水素爆発(私は核爆発だと思っています)で、カオスの状態に陥ってしまいました。

以後、多くの人たちは内向きの横並び意識から外に出ようとしなくなってしまったよう見受けられるのです。
同調バイアス、同調圧力と言い換えてもいいかも知れません。

今の福島で“幅を利かせ“始めているのは、同調圧力に弱い人々です。
逆に言えば、「福島スタンダード」に忠実な人々です。

同調圧力に抵抗できない人たちが、正常な判断能力がある人たちを凌駕するほどの力を持つことができるのは、その文化的風土に「因襲」が根付きやすいという素地がある場合です。

佐藤雄平を筆頭に、山下俊一のようなマッド・サイエンティストが「新生・福島」に、新たな因襲を作ろうとしているのです。
それは「新・安全神話」です。

福島県の人たちは、時間が経てば経つほど、県民健康管理調査のカルテによって福島県外に出られなくなってしまうでしょう。

重大な健康被害が表面化するまで、「新・安全神話」が福島を支配するのです。
いや、健康被害が表面化しても、「新・安全神話」の虚構に気がつかなくなっているかも知れません。

何より、人の意見に左右されないこと、自由に思考することを命と同じくらい大切なものと考えている私にとって、今の福島の実状は、とても恐ろしいものに映るのです。

そんなことなど打ち破って、せめて、1年は福島県外に出て欲しいというのが私の願いですが、それも、1年後に再び戻ってきたときに、「自分たちだけ逃げておきながら」と周囲の人達に言われることを想像すると、心の奥深く押し込めてしまうのでしょう。

私は、今、暗澹とした気持ちになっています。

この動画は、公明党の松あきら議員が参議院予算委員会(9月29日)で、福島の小学校の教諭が、「給食に出された牛乳を飲まない子は、非国民だ」というような意味のことを言ったとか言わないとかで、憤慨している動画です。



それを聞いていた官房長官の藤村修が、せせら笑いを浮かべています。
近寄ったら加齢臭で卒倒してしまいそうな民主党のオジサン連中にも困ったものです。

ただ、松あきら議員も、何を訴えたいのか焦点が定まっていません。
どうも、いろいろな情報の上澄みをすくって、話を構成するところがあるので、松あきら議員の訴えは、あまり説得力がありません。
もっと勉強して頑張って欲しいものです。

松あきら議員が、引き合いに出した「会津若松市の妊娠中の女性弁護士さん」というのは、菅波香織さんという5児のお母さんのことです。
9月29日にめでたく第5子が誕生したらしいです。

4人のお子さん、そして自分の体内からセシウムが検出されたので小学生の自分の子供たちには、学校の給食で出される牛乳を飲まないように言ったところ、その教師に「飲まないなら福島県民ではない」と言われたというのです。

私は、下の動画を観ていました。



この動画は、私の記憶が確かなら、6月下旬にNHKの総合で放送されたものだと思います。
放送時間は4時25分になっていますが、私は、たしか7月頭にNHK教育テレビの深夜の再放送で偶然、観たのです。

なんと酷いことが福島で起こっているのかと、絶句したものです。
その後、福島から他県に避難された方々から、福島事情について、お知らせいただくようになってから、本当に、こんなことが起こっているんだ、とまたまた絶句。

菅波弁護士の発言すべてを文字起こしします。以下。
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東日本大震災により、東京電力にて原子力災害が置き、福島と周辺地域が広範にわたって放射能汚染されてしまいました。
避難区域を広げる政策が打ち出されずに、多くの子供たちは放射性物質が舞い降りてくる中、危険を知らされることなく生活させられました。

SPEEDIが公開されていれば、そして、その後、避難勧告が速やかに出されていれば被曝しなくて済んだ多くの子供たちがいます。

放射能汚染が知らされた今、自主避難をする家庭もありますが、避難勧告が出ない地域では、多くは経済的な問題、家族の問題など、さまざまな事情からそこにとどまらざるを得ないのが実状です。

現在も、チェルノプイリで人が住めないとされたほど汚染度の高い地域で子供たちが普通に生活を送っています。

政府や行政、そして現場の学校が「安全だ」、「ただちに健康への被害なし」と繰り返しメッセージを送っているからです。

文部科学省は4月19日、子供の年間被曝許容量を20ミリシーベルトとする通知を出し、教育現場は混乱しました。
不安を持つ親たちや、一部の法律家、政治家が従前の法律では年間の公衆被曝許容量が1ミリシーベルトだったこと、年間被曝が5ミリシーベルトの放射線管理区域では、児童の労働が禁じられることなどを根拠に声を上げました。

当時の内閣官房参与も、20ミリシーベルトの被曝を子供に求めることは、学問上の見地からも、自らのヒューマニズムの観点からも当然、受け入れられないとして、涙の辞任会見を開きました。

日弁連も、すぐのこの基準の撤廃を求めました。

その後、5月27日になって、文科省は学校での年間被曝につき、1ミリシーベルトを目指すとの新たな通知を出しました。

しかし、国は動かず、現場任せであり、県内の各自治体、そして福島県がようやく対応を始めましたが、除染活動や内部被曝防止のための措置は後手に回っており、今、この瞬間も避けることができるはずのさらなる被曝にさらされています。

さらに、現在、内部被曝に関しては十分な測定や議論がなされておりません。

事故直後、大量の放射性物質が流れ出したことから住民は呼気経由で相当の内部被曝をしてしまっていると考えられます。
しかしながら、特に近隣の子供たちについて深刻な内部被曝が予想されるにも関わらず、いまだ行政主導による内部被曝検査は実施されていないのです。

また、政府は食物からの内部被曝を無視できるものとしており、食物経由の内部被曝の測定や、計算すらしていません。

たとえ暫定基準値以下であっても、放射性物質が含まれた食品を摂取すれば、内部被曝をするのです。
これら内部被曝問題について、先日、民間団体がフランスの研究機関に依頼して福島の子供たちの尿の検査を行ったところ、全員からセシウムが検出されました。

この子供たちは、特に放射能に対する危険意識の高い家庭の子供たちでした。

この内部被曝が呼気由来なのか、食物由来なのか総被曝量がどれくらいなのか早急に検討しなければ、今後の適切な防護措置は取れないでしょう。

県内全域の子供たちの内部被曝量を測定した上で、権利としての避難を始め、積極的な措置を取ることが必要です。
さらに食の問題に関して、政府や行政は、ことさらに「風評被害」という文言を用いて、流通している食材があたかも放射能に汚染されていないかのようなアピールを続けています。


確かに農業等を保護する姿勢を否定はできません。
しかし、放射能に汚染されてしまった食材は、流通させることなく国が買い取るなどして、東京電力に賠償請求すべきなのです。

また、放射能汚染食材を流通させる大きな要因となっているのが、WHOや他国の基準と比較して非常に高い暫定基準値にあります。

暫定基準値は、あくまでも、従来、放射能汚染食材に関する国内法がなかったことから、暫定的な基準として運用されているに過ぎない数字です。

放射性物質の流出が止まるまで、長期化が予想される現状においては、早急に安全を確保するための立法を成すべきです。

また、現在の運用にも大きな問題があります。

局地的に汚染度の高い地域があるにもかかわらず、全品検査が行われていない実状では、検査の網を潜り抜けて、汚染度の高い食品が流通されることを否定できません。

流通している全食品が基準値以下であるとはいえないと、厚生労働省が自ら認めているのです。
さらに、検査結果には、プルトニウム等のアルファ核種が公表されておらず、検査自体もなされていないのです。

流通している食材の安全は保証されてはいません。
しかし、学校では強制的側面を持つ学校給食に福島県産の食材が使用されています。

一部の家庭では不安を感じ、子供に弁当を持たせていますが、それらの少数の子供たちがからかわれたり、いじめにあっている現状があります。

本来、給食は学校生活において友人と共有すべき楽しい時間のはずです。

この問題は、福島だけの問題ではなく、関東にまで広がっています。
そして、農水副大臣は、先日、この問題について「福島産の食材は給食に使うべきではない」と発言しているのです。

さらに教育現場では、子供たちに向き合っている教師の対応にも大きな問題が生じています。

ある教師は、保護者に「国を信じられないのなら、日本国民をやめるしかない」と発言しました。
まるで戦時中を思わせる発言です。

また、不安を煽らないようにとの主旨で教師が子供に対して、「友人に放射能についての知識を話すな。聞かれたら嘘をつけ」と指導しています。

今の福島は、そういった異常な教育がされる状況にあるのです。

一方で、個人的に放射能対策に問題を感じている教師は、国から安全教育をするよう指導されていることから、子供のためを思った行動を取ると、職務規律違反として指導を受けてしまうようです。

放射能の危険性については、住民の間に大きな温度差を生じさせています。
気をつけて生活したい人に対して「気にしすぎだ」とか、「避難するなんてバカだ」と揶揄する風潮があります。

親しかったコミュニティ内に大きな溝が生じ、いたるところで不和が生じているのです。

そして、それが子供たちの関係に反映されています。

可能な限り、放射能の危険から子供を守りたいという思いと、不安を持たずに生活をさせてあげたいという思いの双方とも、子供を思うがゆえの気持ちです。

東京電力の原発事故と、その後の行政の対応はそういった親たち、子供たちに深刻な対立を生じさせています。
今、子供たちにとって必要なのは、可能な限り被曝をさせない施策と安心して生活ができる環境の双方なのです。

ここまで。
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弁護士とはいえ、「因襲」が支配する福島で、かつ子供を5人も抱えながら、こうした告発には勇気がいったことでしょう。


福島の人達も、この教師のような人間、そして、放射能関係でイジメをするような子供がいたら、どんどんtwitterなり、自身のブログで出して欲しいのです。

いずれ、目に留まるでしょうから、そうした事情を知った人は教育委員会なり文部科学省なりに抗議するべきなのです。
もちろん、私もそうします。

福島県に必要なのは「正しい外圧」です。

菅波香織弁護士のtwitter

さて、みなさんは、何を感じましたか?

福島では、子供を守ろうとすると、それをさせない人々がいるのです。
その筆頭が教師。

このことは、別な方面からもメールでいただいていました。事実で間違いないのです。

私は、まずこれだけ、ある意味では衝撃的な訴えが、なぜ1300程度の視聴数にとどまっているのだろう、と不思議に感じています。

理由は、ほとんどの人たちがまだ深い眠りについている時間に放送されたこと。
そして、カメラのセッティングが、まるで政見放送のようで、チャンネルを合わせた人は、地方選か何だろう、と勘違いしてチャンネルを替えてしまっただろう、ということ。

さらに、再放送したのはいいけど、教育テレビで深夜。
これでは、ほとんどの人の目に触れることはないでしょう。

つまり、NHKが、こうした福島県の本当の現状について報道しようとしていないと言うことなのです。
おそらく日弁連の筋からNHKに申し出があったのでしょう。
形式的に放送枠を空けた、という「おざなり」な感じを受けます。

毎回、毎回、NHKは、もっときちんと報道しないなら受信料を徴収する資格などないよ、と。


「国を信じられないのなら、日本国民をやめるしかない」

「友人に放射能についての知識を話すな。聞かれたら嘘をつけ」

教師が、小学校の児童に、このように指導しているのです。
この教師の名前を知りたい。

「嘘をつけ」と生徒に強要する教師。

「生徒の友人に、放射能について無用心にさせるよう」に指導する教師。

ここまでいくと、福島は崩壊しています。

「子供のためを思った行動を取ると、職務規律違反として指導を受けてしまう」というのも本当のことで、ある女子高の先生が、自分が担任する生徒に「私は、結婚しても子供も産めないのかな」と言われて、思わず泣いてしまった、ということが報道されています。胸が締め付けられるようなことが、福島で起こっているのです。

ただ、あくまで何者にも左右されたくないと、常に考えている私なら、「そんなことなら教師を辞めて、早く、その女子生徒を避難させる算段を親御さんととも考えるべき」と言います。

それなら自由な立場で教育委員会、文部科学省に抗議できるでしょう。
家族を路頭に迷わせるかもしれない?

まさしく同調性バイアス!

正しいことをやろうとする人にとっては、こういう連中の中で生きていくのは、もっとも辛いことです。
ぞうぞ、外に向けて発信してください。

「因襲」の外側には、あなたを肯定し、あなたに味方したり元気付けてくれる人たちがたくさんいます。
いや、世の中のほとんどの人たちが、そうした人たちなのです。

福島で起きていることが異常すぎるのですから。






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