チェルノブイリの子どもたちの作文集「わたしたちの涙でゆきだるまが溶けた」

放射能防御プロジェクト 木下黄太さんのブログから


チェルノブイリの子どもたちの作文集「わたしたちの涙でゆきだるまが溶けた」

2011-10-18 02:38:46 | 福島第一原発
「わたしたちの涙でゆきだるまが溶けた こどもたちのチェルノブイリ」 梓書院 チェルノブイリ支援運動九州編。チェルノブイリ事故後の子どもたちの作文集です。この作文集を愛読していた女性からぜひ紹介してほしいとメールが届きました。昔の出版物で版元にも残部は多く残っていないそうですが、ぜひ読んでほしい内容です。このメールをくれた女性が、自分のブログで、転載していくそうです。この作文集より二つ、話を紹介します。
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 私は昔これに関わるボランティアをして、奇形児の話があまりに衝撃的で今も心に残っています。
 チェルノブイリ支援運動九州さんから、在庫も少ないのできちんと出先をきちんと表記してくれれば
ブログに載せてかまわないと承諾を得ました。福島の子どもに早く逃げて欲しいので、資料として50人分転載していこうと思っています。 良かったらみてください。 
 福島や汚染のひどい場所の子どもは、何としてでも避難してほしいです。
福島は美しいところです。そして福島の子どもはとても可愛いです。
 だから、これからのことを考えるだけで、涙が出てきます。 
 私が一番気になったのは5キュリーの汚染で甲状腺の病気になっているところです。

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「心に秘めた願望」  エブゲーニ・ペトラシェービッチ(男) 

               中等部10年生 カリンコビッチ地区

この森には何でもあった。草原は僕を引き寄せ、友達と長い時間を過ごした。
森はキノコの王国だった。
しかし今は、すべて過去のものとなってしまった。
僕たちの村、ミノフビッチでの放射能の測定値は5キュリーに達した。
昔とはまったく違う村になってしまった。


チェルブイリは僕たちから、平穏、未来への希望、幸福への確信をすべて奪い取ってしまい、今はただ恐ろしい悪夢の時代になってしまった。
僕は学生で、よく勉強している。僕や友達が熱望することは、将来、新聞、ラジオ、テレビが報道している禁止事項がすべてなくなってしまうことである。
大祖国戦争のとき、ベラルーシ国民は多大ば犠牲を払った。
4人に1人が死んだ。
残忍なチェルノブイリは、何万人もの人々の命を奪い取去り、何万人の子どもを病院や診療所にたたきこんだ。
テレビで親たちが最後の望みをかけて、骨髄移植のために息子や娘を国外につれていく費用を協力してほしいと訴える様子は見るに堪えなかった。
血液のがん。これは治療の困難な現代の病気である。

罪深いチェルノブイリはとうとう僕にも甲状腺の病気をもたらしてしまった。今後どうなっていくのか、予測はできない。
最近、僕はアリョーシャ・クリーガのチェルノブイリに関する本を読んだ。
彼はブラーギン地区病院の監査委員のメンバーとして従事した時のことを書いている。
その本のあるページに記載してあった診療登録されたカルテのデータは、心の痛みなしには読むことができなかった。
エレナ・D 1985年生まれ 線量 396レム
アンドレイ・G 1985年生まれ 線量 788レム
女の子や男の子が百名以上も、甲状腺の被ばく線量の数字とともに並んでいる。
なんと恐ろしいことだ。
戦争があったわけでない。爆弾が落とされたわけでない。
地雷が落とされたわけでない。
だが、子どもたちが死んでいく。
これが戦争でなくてなんであろう。災難は音もなく、裏切りもののように忍び寄ってくる。
僕たちは何のために生きているのだろうか。
森の中に入るのは禁止。草原で遊ぶのは禁止。
魚釣りも禁止。しかし、生きることは許可する。人間の命はなにものにもまさり尊いと言いながら、農民の子どもが自分の血でのどを詰まらせている。
ナローブリャの男の子が授業中に気絶する。
ブラーギンでは先生が女の子の出血を止められないでいる。
なぜ、こういうことに目を向けるのであろうか。
この不幸なこどもたちを救うためには何ができるだろうか。

チェルノブイリの苦痛。この問題は永遠の課題になってしまった。
僕たちはみな、チェルノブイリによって刻印を押された無実の囚人である。このような生徒はベラルーシに50万人いる。
僕たちはストロンチウムに汚染されたリンゴを食べ、セシウム入りの牛乳を飲み、致死量の放射能に汚染された土の上を歩き、そこで遊んでいる。
チェルノブイリの悲劇はわれわれの健康、魂、運命を損ない続けている。
僕はこんなことが起こるのは嫌だ。僕たちはみんな将来によりよい希望を持って生き、遊び、楽しみたいのだ。
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暗い夜になる前に 」マリア・ゴルフビッチ(女13歳)
              ソコビッチ中等学校7年生 ソリゴルスク地区

チェルノブイリが私の小さな村を荒らしたとき、私はたったの5歳だった。
不幸は私の家も避けはしなかった。
兄のミーシャは、今もなお無慈悲に人々をなぎたおし続けている恐ろしい病気、ガンで死んだ。

医者は放射能のせいだと言った。

ミーシャは、20回目の春を迎える一週間前に死んだのだ

今では、ガンがチェルノブイリ事故の影響であることを疑う人はいない。
なぜ、私の兄に恐ろしい白羽の矢がたったのか。
なぜ、今死んでいく何千人もの人々に白羽の矢がたったのか。

兄は死ぬ前に、もう歩けなかった。
兄は私にこう頼んだ。

「僕のそばに座って、マーシェンカ、美男子になるように髪をすいてくれないか」と。私は黙ってうなずいた。

兄は暗い、生気のない目でただ私を見つめるだけだった。

そして、私は一人祈りつづけた。

命の灯りを
消さないで 瞳さん
暗い夜になるまえに

家族みんなつらかった。
私と母はミーシャをがっかりさせないように、こっそり泣いた。
こうやってチェルノブイリはわが家に侵入し、壁にかかる遺影として永久に住み着いてしまった。

時は進む。人々は以前人生の出来事を思い出すとき「戦争前、戦争後」と
言っていたが、今では「チェルノブイリの前、チェルノブイリの後」と
言っている。それは悲しい歴史の区切り目となってしまったのである。


チェルノブイリの悲劇は、私たち皆に慈悲、思いやり、良心を要求している。

なぜなら、それがないところには不幸が住みついてしまうからである。
でも今わがやには不幸がいすわっている。それは出ていこうとはしない。

何年たっても何世紀たっても
この痛みは私たちから去らない
それはあまりに大きく果てしなく
どうしても鎮められない
それは負の遺産として
何世紀も 私たちの子々孫々に残るだろう
そして彼らの心に居すわって
永遠に平静を奪うだろう
地球上の一人ひとりが
このおそろしい年
おそろしい日を覚えていますように
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「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」
梓書院 チェルノブイリ支援運動九州より


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         http://www.cher9.to/hon_03.html

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