配布されなかった安定ヨウ素剤―福島原発事故後の混乱で 2011年 9月 29日 23:49 JST


 【東京】東京電力福島第1原子力発電所の3月11日の事故による放射線のリスクを最小限に抑えることができた可能性のある錠剤が数千人の地域住民に配布されていなかったことが、政府の関連文書で明らかになった。
 今回の開示で、東日本大震災後の混乱した日々に政府が緊急処置を怠ったことがまた裏付けられた格好だ。
The Yomiuri Shimbun/Associated Press
三春町の避難所に用意された安定ヨウ素剤(3月20日)
 世界中の原発周辺地域の大半と同様に、福島第1原発周辺地域にも十分な安定ヨウ素剤の備えがあった。これは比較的安全な薬剤で、甲状腺癌の予防に効果がある。甲状腺癌は大きな原発事故の場合、最も一般的かつ深刻な影響と考えられている。
 政府の防災マニュアルでは、原発の周辺地域はこうした薬剤の服用に関し、政府の指示を待つことが規定されている。原発の安全性に関する国内の一部の専門家らは錠剤の即座の服用を勧めたが、政府は3月11日の事故から5日目まで錠剤の配布、服用を命じなかったことが今回の関係文書で明らかになった。
 その時までには、10万人近い避難住民の大半はさらに安全な場所に避難しており、福島第1原発からの放射線の放出量も当初のピーク時から減少していた。
 放射性ヨウ素が甲状腺に侵入するのを防ぐ安定ヨウ素剤は放射線にさらされる直前、もしくは被曝後2時間以内に服用するのが最も効果的だという。放射線が放出されてから何日も経って服用してもほとんど効果がない。
 複数の政府および地方自治体の当局者らと助言者らは、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、東日本大震災の様々な面の責任を負う異なる政府機関の間でコミュニケーションの行き違いが続いたことを指摘した。
 指示の遅延については、事故直後の政府の突然の動向の変化にも言及されている。その時、地方自治体の当局者らは個人が安定ヨウ素剤や汚染除去による安全措置を受けられる放射線の基準を大幅に引き上げた。
 福島第1原発から30キロ余りの距離にある川内村の村役場の井出寿一総務課長は、「そんなものを飲まなければいけないなんて、殆んど誰も知らなかった。16日に役場に届いたときには、もうみんな避難した後だった」と語った。
福島原発周辺地域での安定ヨウ素剤の配布状況
 井出課長は、川内村の3000人の住民用の安定ヨウ素剤の入った箱はいまだに、住民が後にした村役場にあると話す。
 福島原発周辺の町にはこうした薬剤の備えがあり、双葉町と富岡町の2つの町は、政府の指示を待たずに住民にこうした薬剤を配布した。また、福島原発からやや離れたいわき市と三春町も独自の判断で住民に錠剤を配布した。いわき市の住民は政府の指示を待つよう言い渡されたが、三春町の住民は渡された錠剤を服用し、その後、県から回収するよう注意を受けたという。
 国内の放射線の専門家らは、福島県の住民のその後のテスト結果で、薬剤なしでも甲状腺の病気を引き起こすほどの著しいリスクにつながるほどの放射線量を被曝した住民はほとんどいないことが示唆されたとしている。
 しかし、2つの政府系機関――原子力安全委員会と原子力安全・保安院――の当局者らは、特に子供に効果の高いと考えられている薬剤がなぜ地域住民に与えられなかったのか互いに問い正している。
 原子力安全・保安院の関係者は、同院がこのケースについて調査を行っていることを明らかにした。
 国際医療福祉大学クリニック院長で原子力安全委員会の緊急技術助言組織のメンバーである鈴木元氏は、「我々のような専門家にとって、一番防御しなくてはいけないのは、小児甲状腺ガンのリスクだということは明らかだった」と述べた。さらに、「肝心な住民は安定ヨウ素剤を当然飲んでいるはずだと思っていた」と続けた。
 鈴木氏は、8月にやっと分かった時には、まさか、という感じだったと話す。
 一方、原子力安全・保安院はこうしたメモは送られてこなかったと主張している。
 原子力安全・保安院の松岡建志・原子力防災課長は、この行方が分からなくなったメモについて、同院は引き続き調査していると言及。同課長は、「ERC(緊急時対応センター)で混乱があり、それが理由で伝わらないことがあったなら、それは申し訳なく思う」とし、「当時は、まずは避難だという考え方でみんなで動いていた」と述べた。
 安定ヨウ素剤の配布の責任者だった福島県の職員らは、当時の菅直人首相率いる政府の災害対策本部からの指示を待ち続けたと語った。
 放射線の危険性から地域住民を保護するための措置を政府がいかに怠っていたかの例は他にも表面化している。
 地方自治体の関係者らの一部は、放射線量の測定システムのデータが開示されなかったことが、放射線量の高い地域への住民避難などにつながったと非難している。
 また、放射線の危険の兆候があったにもかかわらず、当初の避難区域外の住民への政府による避難勧告に数週間かかったことを非難する向きもある。政府はさらに、牛肉をはじめとする食品が安全だと宣言し、その後、放射性セシウムが基準値を超える牛肉が販売されていたことが判明し、非難を浴びた。
 原子力安全委員会は最近、ウェブサイトに、検査で特定水準の被曝が確認される場合には、40歳以下の福島県の住民に安定ヨウ素剤が与えられるべきだと主張する3月13日付の文書を掲載した。同委員会はこの文書は、事故の最悪の日となったと考えられている同月15日以前の13日午前10時46分に、原子力安全・保安院に送付されたと主張している。3月15日には原子炉2基の爆発で福島県内の多くの町に放射性プルーム(飛散した微細な放射性物質が大気に乗って煙のように流れていく現象)が広がった。
 震災後の政府当局者間のやり取りの大半と同様、この文書は東京の災害本部に電子メールではなく、ファクスで送付された。原子力安全委員会の都筑英明・管理環境課長によると、災害本部内の原子力安全委員会の担当者がこのコピーを原子力安全・保安院の担当者に手渡した。都筑課長はインタビューで、「その後どのような判断で、どのようになったのかは、我々の知るところではない」と語った。
 原子力安全・保安院の松岡課長は、同院は同院の職員がこのメモを受け取ったかどうか確認できないとし、これに関して調査が続いていると語った。
 原子力安全・保安院は3月16日に福島原発から20キロ以内の町の住民に対し、安定ヨウ素剤の摂取に関する説明を示した。こうした町に避難勧告が出された4日近く後のことだ。
 状況に詳しい関係者らは、安定ヨウ素剤の配布基準の突然の変更がこの遅延につながった一因であった可能性があると指摘している。今回の災害前に作成された公式の防災マニュアルによると、1万3000cpm(cpm=1分当たりの放射線計測回数:カウント・パー・ミニット)の水準が示された場合には、シャワーや衣服の着替えなどの除染および安定ヨウ素剤の配布が必要とされていた。
 3月14日には福島県はこの基準値を10万cpmに引き上げた。レベルが引き上げられると、1万3000~10万cpmを示した住民には衣服の表面を拭うためにウェットティッシュが配られた。錠剤は与えられなかった。
 3月に1万3000cpm以上を記録した住民は約1000人となり、10万cpmを上回ったのは102人だった。
 先の原子力安全委員会の緊急技術助言組織のメンバー、鈴木氏は、「スクリーニングレベルを上げたいと言ってきたときに、かなりの汚染のレベルだということをすぐに感じた」と言及。「ロジスティクスが間に合わないほど対象者が沢山いるということを暗に言っていた。水も着替えも、人員も間に合わないという状況だった」と語った。
 長崎大学の教授で事故後、福島県でアドバイザーを務めた松田尚樹氏は、3月14日の地域住民のスクリーニングの日以降に行われた浜通りから帰着したスクリーニング部隊との会議を思い出す。同部隊はサーベイメーターの針が振り切れた、と報告した。松田教授は大学のウェブサイトに掲載したエッセイで、「それまでの1万3000cpmではまったく立ち行かないことを示していた」と記した。「避難所の住民の不安を煽らないために、アラーム音は消すこと、タイベックスーツやマスクもなるべく着用しないことなどが申し合わされた」という。
 原子力安全委員会はもともとスクリーニング基準の引き上げには慎重だった。同委員会は3月14日、福島県に対し1万3000cpmに据え置くよう助言する声明を発表し、その根拠として国際原子力機関(IAEA)が勧告する安定ヨウ素剤配布の基準値を挙げた。一方、世界保健機関(WHO)が子供に対する投与の基準として推奨しているのはその10分の1だ。
 福島県が新基準を数日間使用した後、原子力安全委員会は3月20日に態度を緩め、同委員会は声明で、10万cpmは、緊急事態の初期における国際原子力機関(IAEA)のスクリーニング基準に照らして容認できるとした。
 政府による3月16日の安定ヨウ素剤の配布に先立ち、双葉町と富岡町を除く近隣の町々は住民に同錠剤の服用を指示しなかった。その後福島県内で最も汚染がひどいと確認された浪江町もその1つだった。
 結局、政府による3月16日の指示後、福島県は福島原発から50キロ範囲内に位置する市町村全体の90万人の住民に行きわたる安定ヨウ素剤の錠剤と粉末剤を配布した。その大半は未使用のままだ。

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