(中)放射能と暮らし
東京電力・福島第一原子力発電所の事故では、大量の放射性物質が大気圏や海域に放出され、私たちの生活にも大きな影を落としている。政府や東電の発表では、「今のところ」「直ちに」影響はない――が繰り返されるが、実際のところ放射線の影響はどうなのか。放射性物質の総量、健康影響、生活の工夫など、暮らしの視点で放射性物質を考えよう。
福島事故の汚染度は…スリーマイルを超える
福島第一原発事故で、これまで大気中に放出された放射性物質の量はどのくらいか。汚染の全体像を、これまでの事故などと比較してみよう。
被災した福島、宮城両県を除く各都道府県の観測所では、3月18日から、放射性物質セシウム137の降下量を24時間ごとに観測し続けている。セシウム137は世界的な放射能汚染の指標だ。
調査の結果、4月5日朝までの18日間の降下総量は、茨城県ひたちなか市で1平方メートル当たり2万6399ベクレルに達し、東京・新宿区でも6615ベクレルとなっている。事故後、初めての雨となった3月21日から22日には雨と共に大量に降下し、汚染は関東を中心に1都13県に広がっている。
私たちは、放射能汚染とは無縁の暮らしを続けてきたと感じがちだが、「核の時代」と呼ばれた20世紀には、放射性物質を世界中にまき散らした歴史がある。
日本で放射性物質の調査が始まったのは1957年に遡る。その3年前、米国の大気圏核実験で、マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)し、半年後に船員が亡くなった問題がきっかけだった。当時は、冷戦の真っただ中。米国や旧ソ連などが核実験を繰り返し、62年には178回以上行われ、プルトニウムなど大量の放射性物質を大気圏に拡散した。大阪市では63年5月、688ベクレルのセシウム137を検出。全国的には今以上に切実な事態だった可能性もある。
一方、最悪の放射能汚染を招いたのが、86年4月、旧ソ連・ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故だ。広島型原爆の約400倍という約7トンの放射性物質が北半球全域に飛散。金沢市で5月の降下量は計318ベクレルを記録した。
原発の周囲30キロは148万ベクレル以上のすさまじい汚染で、住民は強制移住させられた。地域的には、ドイツなど7万ベクレル以上を検出した地点も散在している。旧ソ連のベラルーシやモルドバ、オーストリア、フィンランドなどでは、国土全体の平均降下量が1万ベクレルを超えた。今回のひたちなか市などの地域では、米・スリーマイル島原発事故(79年)を超え、チェルノブイリ事故後の欧州並みといえそうだ。
4月以降、関東各地の降下量は低減しており、1日あたりの量では60年代初期と同レベルに落ち着いている。専門家は「健康には問題のないレベル」と指摘しているが、福島第一原発では高濃度汚染水が海に漏れ出し、海洋生物への被害拡大が危惧されている。
リスクは…平時:年1ミリ・シーベルト以下 非常時:基準変更も
放射線の健康影響には、「平時」と「非常時」の二つの基準がある。私たち市民の目安は、極力安全サイドに立った「平時の基準」だ。
各国の専門家でつくる国際放射線防護委員会(ICRP)では、一般住民が1年に浴びて良い人工の放射線量を1ミリ・シーベルト以下と設定している。原爆被爆者の健康調査などから、被曝量が100ミリ・シーベルト以上になるとがん発症が増える可能性があるとのデータに基づき、「80歳まで放射線を浴び続けたとしても、80ミリ・シーベルト以下に抑えられる」量と考えたのだ。
一方、原子力発電所の事故などを想定した災害時の基準もある。日本の原子力安全委員会は、この10倍にあたる10ミリ・シーベルト以上を「屋内退避が必要」な線量としている。
さらにICRPは2007年、「非常時には、一般住民の限度の目安を年20~100ミリ・シーベルトまで引き上げてもよい」と勧告。チェルノブイリ原発事故などの経験を踏まえ、危機を回避するための作業が続く間の一時的措置として示したものだ。
佐々木康人・日本アイソトープ協会常務理事は、「年20ミリ・シーベルトの放射線量を浴びても、吐き気や火傷などの身体的影響は出ない。発がんのリスクが上がるとされるが、避難しないですむなどのメリットがある場合、限度を引き上げる選択肢がある」という。
年間線量限度の非常時に対応した値への移行は、原子力安全委員会が、汚染の規模や地域ごとの線量を基に判断し、政府に伝えて決定される。
一方、日本では原子力従事者の被曝総量を5年間で100ミリ・シーベルト以下と設定していたが、政府は今回の事故後、これを250ミリ・シーベルトに引き上げている。さらにICRPでは、緊急時には救急隊員などの被曝総量は500~1000ミリ・シーベルト以内に抑えられればよいと勧告している。
ベクレルとシーベルト |
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1ベクレルは放射性物質の原子核が毎秒1個崩壊して、放射線を出す能力。シーベルトは、放射線を受けた際に体が受ける影響の度合いを示す。ベクレルの数値を、核種や被曝形態などを考慮した一定の計算式に基づいてシーベルトに換算する。 |
お金に例えると…100円以下は被害小さく
「平時」は年間1ミリ・シーベルトとされる被曝量だが、事故などの際には、本当に健康影響が心配される線量の判断が求められる。その理解を助ける放射線の“換算表”がある。
原子力安全研究協会研究参与の岩崎民子さんが、主婦向けの勉強会用に考え出したもので、「お財布の中の1円玉を1ミリ・シーベルトと数えてください」という。10ミリ・シーベルトは10円玉、100ミリ・シーベルトなら100円玉に置きかえる。
被曝総量が500円になると、一時的にリンパ球細胞が減少するなどの影響があり、千円札(1000ミリ・シーベルト)では、頭痛やめまいなどの症状も起きる。
同じ線量でも被曝時間が短いほど影響が大きく、JCO臨界事故(1999年・茨城県)など、1万ミリ・シーベルトを一瞬に浴びると、死亡など深刻な事態になる。一方、100円玉(100ミリ・シーベルト)以下では、健康被害はないと見られている。
岩崎さんは「1円(1ミリ・シーベルト)以下の世界(マイクロ・シーベルト)では、健康の心配は全くありません」と話している。
食品 どう対策…「水洗い+ゆでる」野菜 4~8割除染
汚染された食品の放射性物質の量は、調理や加工で減らせる場合がある。
放射線医学総合研究所の内田滋夫さん(環境放射生態学)によると、1950年代の大気圏核実験と、1986年のチェルノブイリ事故以降、欧米を中心に、食品からの除去の研究が進んだ。
農産物の汚染経路は、〈1〉大気中の放射性物質が表面に付く〈2〉土壌に降り積もった放射性物質が根を通じて吸収される――の2通りある。いま見つかっているのは、〈1〉の表面汚染だ。
内田さんらが国内外の研究成果をまとめたところ、葉もの野菜の表面についた放射性ヨウ素、放射性セシウムとも、水洗いをすると10~30%程度は落ちることがわかっている。葉の裏表、茎にも付くため、水を入れたボウルやたらいの中で、野菜を振るように洗うと良い。水洗いの後で、さらにゆでて、そのゆで汁を捨てると、40~80%は除去できる。
ブロッコリーなどの花蕾(からい)類や、根から吸収した野菜の場合はどうか。除去率のデータは少ないが、内田さんは「ゆでて、ゆで汁を捨てればある程度の低減が見込める」と話す。放射性物質はゆで汁に溶け出ると考えられるためで、熱で減るわけではない。
牛乳は、乳製品への加工で放射性物質の量を減らせる。環境科学技術研究所特別顧問の大桃洋一郎さん(環境放射生態学)は「加工過程で、放射性ヨウ素、セシウムは液体の乳清部分に残る。バターやチーズにはほとんど移行しない」と話す。そもそも放射性ヨウ素は8日間で放射線を出す力が半分に減るため、乳製品の加工・貯蔵過程で少なくなる。加工法の違いで、牛乳から乳製品への放射性物質の移行率を下げる研究もある。
水道水の放射性ヨウ素汚染に活性炭を使う試みがあるが、「効果は薄い」とみる専門家が多い。イオン交換樹脂で除去できたとする実験もあるが、内田さんは「放射性ヨウ素を確実に取り除ける家庭用浄水器があるかどうかは、これから検証する必要がある」と話す。
放射性物質がどの程度、食品に移行するかは、食品の種類や環境中の濃度、天候などによっても異なる。海産物も含め、食品への汚染を長期にわたり監視し続ける態勢が必要だ。
(2011年4月7日 読売新聞)
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