島村英紀 『「地球温暖化」ってなに?科学と政治の舞台裏』

島村英紀『「地球温暖化」ってなに?科学と政治の舞台裏』では、原子力発電所について、こう書いていました。
この本は2010年8月に出た本で、原稿は2010年の初夏までに書いたものです。


 
 4章4節(108頁):「地球温暖化」をめぐる国際政治と巨大産業の思惑
 2007年に米国石油地質協会が「地球温暖化は人為的な影響ではない」というそれまでの意見を撤回した。これによって、温暖化に対する人為的影響を否定する国際的・公的な学術組織はなくなったとされている。この米国石油地質協会は会員数3万以上を擁する世界最大の地質学の学会である。

しかし少なくともそれまではこの協会(学会)を支えてきた石油産業は強力な反対者のひとつで、IPCCや各国の政策を操っていた黒幕のひとつであった嫌疑が極めて強い。

たとえば2005年のニューヨークタイムスは「石油業界は2001年からホワイトハウスに環境問題担当者として要員を送り込み、その人物は、政府の各官庁が発表しようとする環境問題の文書を事前に検閲し、温暖化説を支持する論調を否定する論調に書き換え続けている」とする記事を載せた。

またほぼ同時期に英ガーディアン紙は「ブッシュ政権は、大手石油会社のエクソンモービルに、地球温暖化に対する政策としてどのようなものが望ましいか教えてほしいと要請していた」と報道した。

このほか、米国石油業界は「地球温暖化科学に関して公衆を混乱させようとする」団体に約18億円を提供したとされているし、IPCCから特定の科学者を排除させるようにブッシュ政権に要求して実現させたとも言われている。

また、原子力産業やそれを後押ししている各国の政府も、別の意味でIPCCや各国の政策を操っている黒幕である嫌疑がある。

そもそもIPCCは国内の原子力発電を推進しようとする英国などの主導で生まれたとも指摘されている。原子力産業はそのIPCCの設立前後にはピンチにあった。かつては大気汚染を理由に原子力発電を推進しようという世界的な動きがあったが、その後各地の原子力発電所の大事故や、欧州で原子力発電に反対する機運が盛り上がったことで失速していたからであった。

原子力発電はこのピンチからの起死回生を図るために、温室効果ガスの削減を理由にして推し進めようとしているのではないか、というのである。二酸化炭素による地球温暖化説は、発電時に火力発電などに比べて二酸化炭素を出さない原子力発電に、またとない追い風として利用したいという目論見であった。

そもそもIPCCが結成される直前、1989年にフランスで開かれた先進国サミット(アルシュサミット)の宣言では、議長国フランスの強い希望で「原子力発電は温室効果ガスの排出を制限する上で重要な役割を果たすことを認識する」という表現が取り入れられた。

また1990年のIPCCの第一次評価報告書では、「原子力エネルギーの利用を図った場合のシナリオが温暖化の抑制効果が高い」とあり、次の1995年のIPCC第二次評価報告書には「地球温暖化の対策オプションとして原子力エネルギーへの転換」という項目が明記された。つまりIPCCの報告書は年ごとに原子力発電を推進する表現が強まってきているのである。

その後も2007年に開かれた主要国首脳会議(ハイリゲンダムサミット)では、日米両国から温暖化対策として原発推進を明記する提案が行われ、2008年の北海道洞爺湖サミットでも「原子力エネルギー基盤整備を進める」という合意が盛り込まれている。つまり国際政治の世界では、着々と原子力発電の政策が推進されているのである。

日本でもこれらの報告を踏まえて、各電力会社で作る電力中央研究所が
1988年に「日本の温暖化対策の大きな柱は原子力発電の拡大であり、2010年に原子力による発電量、約6600~7000万キロワットを目標とする」と掲げた。しかし、日本では新たな原子力発電所への反対も根強く、さらに2007年に起きた中越沖地震で日本最大の柏崎原子力発電所が大きな被害を受けたこともあってこの目標は実現しなかった。しかし日本政府は自民党政権以来、民主党政権になっても原子力発電推進の政策をとり続けている。

さらに、原子力発電産業など個々の産業を超えた国際政治が黒幕だという指摘もある。先進国、とくに英国が、自分たちが世界を主導する地位を途上国に奪われないよう、途上国の経済発展を、温室効果ガス排出規制、つまり石油利用の規制によって縛って、途上国の台頭を防ごうとしているのだろうということである。これについては、またあとで述べる。

IPCC会議の内情を知る科学者からは、IPCCの会議は実際には温暖化問題の対策会議ではなくて、裕福な国と貧困国の争いの場になっているという批判もある。また
気候学者はIPCCのメンバーの3分の1にしか過ぎず、政治的に任命された非気候学者、非科学者がはるかに多いという指摘もある。

 日本のある雑誌に「IPCCは、いま望みうる最高の専門家集団で、そこでなされる研究成果や科学的情報は、現在入手できるもっとも包括的で信頼性の高い知見である」とあった。一般にもそう思っている人が多いかも知れない。
 しかしいままで述べてきたように、これは買いかぶりである。IPCCに限らず、IPCCに対応している日本の国内委員会にも、地球物理学者や気候学者はほんのひとにぎりしか参加しておらす、あとは専門が地球環境ではない工学系の先生や関連官庁の役人が多い。

 日本で地球温暖化を強力に喧伝している「エネルギー・資源学会」は、最近日本でも盛んになったさまざまな温暖化懐疑論のすべてに反論してPR活動を行っている。

 しかしここでも地球に関する科学者は少なく、この学会の理事や歴代の会長には大学教授だけではなく、日本原子力産業協会の理事長、電力会社や電力中央研究所の役員が顔を揃えている。

 つまり、地球が人為的な原因によって温暖化するかどうか、という科学的な議論はある意味ではすでに終わってしまって、地球温暖化問題は科学の領域ではなくなってしまっているのである。

 4章7節(120頁):二酸化炭素を「悪者」にして狙うものは?
 いままで述べてきたように、国際政治や各国の国策が、温室効果ガス、なかでも二酸化炭素のせいで地球が温暖化することを前提として走り出している。いわば、科学的な議論を乗り越えて走っているのである。

 国策は先進国と途上国では違っている。また先進国のなかでもそれぞれで違っている部分がある。

 たとえば米国は2000年の大統領選挙でブッシュが初当選し、翌年の9.11事件でアメリカ社会が保守化して政界は共和党右派の勢力がさらに強くなったブッシュ大統領と与党共和党は石油産業と軍事産業の意向を汲んで京都議定書を否定し、温暖化対策を拒否し続けた。しかし2008年に大統領が民主党のオバマになり、温暖化対策についても政策を変えはじめている

 一方日本は、戦後一貫して経済や産業重視の国策を採ってきた。いわば財界が国策を決めてきたのであった。

 そして他方で、元首相・安部晋三の祖父で1960年代に首相だった岸信介が「原子力開発は将来の日本が核武装するという選択肢を増やすためだ」と回顧録(『岸信介回顧録---保守合同と安保改定』廣済堂出版、1983年)で述べているように、原子力発電がもうひとつの国策になった(註1)

 しかし唯一の被爆国である日本には核アレルギーが強く、また事故や故障が頻発していたうえ、地震で被災して「加害者」になる可能性もある原子力発電所は政府の意図のようには増やせなかった。そこに現れた温暖化対策はまたとない追い風になったのである。

 追い風として利用しようとしているのは日本だけではない。2008年以来の世界的な経済危機を救うために、一時は将来は廃止すると決めたヨーロッパの国々で廃止の結論を見直そうという動きも出てきている。

 だが、原子力発電所が建設や使用済みの原子炉の廃炉に多大の二酸化炭素を出すことや、未来も長期にわたってツケを残す放射性廃棄物の問題があることは後に述べる。そして各国と違って日本では大地震による「原発震災」の危険も大きい。

(後略)

 6章8節(198頁):かといって原子力発電所に頼っていいのか。
 後世へのツケは  日本でも、また外国でも、原子力発電は二酸化炭素などの温室効果ガスをあまり出さない発電だと宣伝されている。いま日本には19カ所の原子力発電所に57基もの原子炉がある。

 一方ドイツでは原子力発電所6カ所に19基の原子炉があったが、なにか事故が起きれば危険が大きいことと、将来何十万年以上にもわたって放射能を出し続ける厄介な廃棄物を大量に出すことから、2020年までに全部を廃止することを決めている。それでもドイツは前に述べたように、京都議定書で決められているよりはずっと多く二酸化炭素を減らせるのだ。

 確かに完成して運転を始めてからの原子力発電所は化石燃料を燃やして電気を作る火力発電にくらべて二酸化炭素を出す量は少ないかもしれない。

 しかし、原子力発電所を作るためには膨大な量のコンクリートやさまざまな巨大な設備を製造しなければならない。また発電所を運用していくときには核燃料の生産や輸送、それに常時出ている放射性廃棄物の処分などのときには二酸化炭素が排出される。また原子力発電所に寿命が来て廃止するときにも解体や各種のゴミの処理に多くの二酸化炭素が出ていく。

 それだけではない。それ以上に原子力発電所が必らず出してしまう放射性のゴミ、いわゆる「核のゴミ」をどうするのか、という大きな問題がある。これらのゴミは減ることはなく年々増え続けている。しかも、これらのゴミはこれから何十万年、あるいはそれ以上にもわたって放射線や熱を出し続ける厄介なゴミなのである。

 このほか、原子力発電所に限らないが、蒸気を使った発電では発生した熱のすべてを発電に利用することはできない。これは熱力学第二法則によるもので、超えられない限界である。ちなみに、原子力発電での熱効率は約30%と普通の火力発電所よりはずっと低い。つまり原子力発電では発生した熱の約70%を捨てながら運転しているのである。

 このためほかの方式の発電所に比べて発電量が大きい原子力発電所では、膨大な量の温排水を海中に捨てながら運転される。この温排水が海の生態系を変えるほか、温暖化を加速して漁業に影響しているのではないかという強い嫌疑がある。また、日本以外の国にある内陸の原子力発電所では、巨大な冷却塔からの廃熱の問題もある。

 ところで核のゴミには半減期の短いものも長いものもある。「半減期」とは放射性物質特有の性質で、その期間が経過するごとに放射線の強さが半分ずつになっていく期間だ。たとえば半減期1万年の放射性物質は1万年後に放射能は半分、2万年後に4分の1になる。

 核のゴミの中には数十億年という途方もなく長い半減期を持つ高レベル放射性廃棄物もある。これらの処理のために地下深くに捨てることによって処分しようとする深地層処分が検討されている。

 しかし広大な国土を持つ米国やロシアなど以外は、多くの国で地下埋設の処分地を確保することに大きな問題を抱えている。地質的に安定した大陸ならともかく、とくに日本の場合は、これから何十万年の間にどれだけ多くの大地震や地殻変動が日本を襲うか分からない。こんな大地震が何百遍も何万遍も繰り返しても大丈夫なのかどうか、誰も分からないのである。

 日本列島を載せたプレートも動く。前に述べたように、昔は海底にあった岩が押し上げられてヒマラヤ山脈やチベット高原になったように、海底や地下にあった岩が押し上げられることはこれからもあるのだ。

 私たちよりあとの世代に厄介なつけを残すようなことをしていいものかどうか、よく考えるべきであろう。

 7章8節(230頁):もし原子力発電所が地震に遭えば
地球を汚す危険が高いものに、原子力発電所特有の重大事故がある。過去に米国のスリーマイル島原子力発電所)での原子炉冷却材の喪失の事故(1979年や、旧ソ連でのチェルノブイリ原子力発電所での炉心溶融(メルトダウン)ののち爆発した事故(1986年)があった。

これらの事故が起きると周辺環境に多大な被害を与えるだけではなく、影響が地球規模に及ぶ可能性がある。チェルノブイリ原子力発電所の事故でも、近隣の国々はもちろん、被害は遠く北欧にまで及んだ。

チェルノブイリ原子力発電所から出た強い放射能を帯びた雲は気流に乗って、最初は北に、そしてのちには南にも運ばれた。

 このため1500キロメートルも離れたスカンジナビア半島のラップランドでも強い放射能を帯びた雨が降った。ここは先住民族がトナカイを放牧して暮らし続けてきているところだ。

(右の図は本書から。気象庁気象研究所が計算した事故10日後の汚染拡大。同緯度、同縮尺の日本列島と比べると被害の甚大さがわかる)

 放射能を帯びた雨は苔に吸収された。そしてトナカイが食べ、体内に放射性物質が蓄積された。それだけではない。トナカイの肉を食べ続けていた住民の体からは15000ベクレルもの放射性セシウムの値が検出された。これは日本人の500倍の値にもなる。

 日本でも、将来、これらと同じような大事故が起きる危険性がないとは誰にも言えない。たとえば1999年6月に北陸電力志賀原子力発電所一号機で定期試験中に起きた事故は、じつはチェルノブイリ原子力発電所の事故の一歩手前まで行っていた事故だった。しかも、北陸電力と政府はこの事故を2007年まで隠し続けていたのであった。

 また日本の場合、諸外国の原子力発電所以上に恐れるべきなのは、地震によって原子力発電所の事故が引き起こされることだ。「原発震災」である。

 もし原発震災が発生した場合、狭い国土に多くの人が住んでいる日本国内だけに、放射性物質による汚染はたいへんな影響を及ぼすだろう。

 原子力発電所を持つ各電力会社や日本政府は「原子力発電所はどんな地震にも耐える」と主張してきた。

 政府が「日本にあるどの原子力発電所も地震に耐える」と言ってきた根拠は原子力発電所を作るときの設計の基準(「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」)である。これはは1978年に作られ、その後に一部改訂されたものの現在まで基本的には変わっていない。

 地震で揺れたときに建物やそれぞれの設備に加わる地震の力は地震の「加速度」に比例する。車がどんな高速で走っていても一定の速さ(速度)ならば人間は速度は感じないのに、ブレーキをかけたり急加速したときには「力」を感じて人体が前後に揺れる。これが加速度だ。建物や土木構造物を揺する力は、加速度にその構造物の重さをかけたものになる。だから加速度の大きさは地震による被害を考えるときにはとても大事なものなのである。

 原子力発電所を造るときの基準として「設計用最強地震動」として最大300~450ガル、「設計用限界地震動」として最大450~600ガルという加速度を決めている。つまりこれ以上の揺れは想定していないのである。

 静岡県の御前崎市に中部電力の浜岡原子力発電所がある。この原子力発電所は東海地震の想定震源域の中にある。世界の原子力発電所のなかでも、マグニチュード8クラスの巨大地震が起きることが予測されている震源域の中で稼働している原子力発電所はここだけである。

 たとえば中部電力のホームページには、「設計用最強地震動」の説明として「将来起こりうる最強の地震」とあり、「設計用限界地震動」の説明として「およそ現実的ではないと考えられる地震」と書いてある。

 しかし、じつは、一昔前に想定されていたよりもずっと強い揺れが最近は記録されるようになってきているのだ。

 たとえば宮城県北部地震(2003年)では2037ガル、新潟県中越地震(2004年)では震度7だった新潟県川口町で2515ガルを記録したほか、新潟県中越沖地震(2007年)でも震度6強を記録した新潟県柏崎市西山町で1019ガルにも達していたことがわかったのだ。

 それだけではなかった。岩手・宮城内陸地震(2008年、マグニチュード7.2)では、震源に近い岩手県一関市で4022ガルという、いままで日本で記録された最大の加速度を記録した。この値は重力加速度の4倍を超える。

 こうして、現在では重力の加速度(980ガル)よりも強い揺れがくることは常識になった。地震学でも、以前は全く考えられていなかった大きさである。

 これらは日本中で昔よりも地震計の数がずっと増えて、それまでは記録されたことがなかった震源の近くや、地盤がとくに弱くて地震動が増幅されてしまうところでもデータが取れるようになったためだ。つまり、いままではこのくらい揺れていても知られていなかっただけなのである。

 つまり、原子力発電所を造るときの基準である「設計用最強地震動」や「設計用限界地震動」、つまり中部電力のホームページにある「将来起こりうる最強の地震」や「およそ現実的ではないと考えられる地震」は、「将来」ではなく、すでに起きてしまっているのである。

 しかも、地震は今度、日本のどの原子力発電所を襲うのか、分かっていない。

 原子力発電所を造るときの耐震基準として想定してあった加速度をはるかに超える地震が起きることがわかったというのは恐ろしいことだ。これからは、いままで起きないと思っていた大事故が起きるかもしれないからである。

 なお、地震と原子力発電所については、もっと詳しく書いた拙著『「地震予知」はウソだらけ』(講談社文庫)を見てほしい。

 しかし政府が2003年に発表したの中央防災会議の東海地震被害想定には、原子力発電所が被害を受けることはまったく考慮されていない。同じように想定から除外された新幹線事故と同じで、想定の基準である「ある程度の確かさで予測ができる範囲」外のものというのが政府が想定に入れなかった理由なのである。しかし、もし起きれば大災害になるものをこんな理由で除外するのは非常識である。

 阪神淡路大震災前には、政府の委員会の工学者たちは新幹線の高架橋や阪神高速道路は大地震に十分耐えると言っていた。しかしこれら強固なはずの構造物はもろくも崩れてしまったのであった。今度こそは政府や、政府寄りの学者の言うことを信じてもいいのだろうか。

 8章4節(247頁):「便利で快適な」生活か「ぜいたくで無駄な」生活か
 世界では7人に1人が飢えているというのに私たち日本人の大多数はそのことを知らず、飽食ニッポンの暮らしを楽しんでいる。

 しかし、ことは食品ロスだけではない。私たちは昔よりもずっと「便利で快適な」生活、を楽しんでいる。街にも、またどこのコンビニにも夜中、眩しい照明や電飾が灯っている。車のない生活は考えられない人も多く、またそれを期待して郊外型の大型ショッピングセンターが増え、他方で駅前など旧来の商店街は”シャッター通り”になっている。

 つまり昔よりははるかにエネルギーを使った生活がごく普通になっているのだ。

 しかしこの「便利で快適な」生活は、ある意味では「ぜいたくで無駄な」生活ではないのだろうか。

 前に述べたように人間の活動に伴って温室効果ガスの排出量が増えてきているのは確かなことだ。しかし一方で、それが将来の地球温暖化を引き起こす可能性についてはまだ科学的に完全には証明されたわけではない。可能性はかなり高いと言うべきだが科学的には異論がある。

 だが、いまの人類の生活ぶりが限られた資源である化石燃料をたいへんな勢いで消費していることは確かなことだ。化石燃料には限らない。同じく限られた資源である、地球がもう一遍は作ってくれない水や鉱物資源を人間の都合のいいように気ままに使っていることも確かなことである。

 たとえば、ジュースやコーラを売っている自動販売機が日本中にある。場所によっては同じような販売機が何台も、ときには十何台も並んでいる。その数は日本全体では600万台もあって、日本は世界一自動販売機が多い国なのである。欧州の先進国でも、日本のように自動販売機が多い国はない。

 この一台一台の自動販売機は、じつは普通の家庭の1軒分並みの年間2000KWHを超える電気を消費している。これは一般家庭一軒分並みの二酸化炭素を出していることも意味している。こんなに消費電力が大きいのは、気温変化が大きい屋外でジュースやコーラなどの飲み物を冷やしたり、ときには暖めたり、また機械の照明のために大量の電気を使っているからなのだ。

 それだけではない。その自動販売機で売っているジュースやコーラが入っているアルミ缶を作るためにも、じつは多くの電気が必要なのだ。アルミ缶を作るための電力は日本だけでも60億KWHという大変なものだ。これは日本の全部の家庭、5000万世帯の12日分の使用電力料にもなる。つまりアルミ缶もたいへんな量の二酸化炭素を出して作られているものなのである。

 アルミ缶はリサイクルするからいいのだ、ということはない。リサイクルのためにもかなりの電気を必要とするのである。

 このほか、デパートやスーパーやガソリンスタンドやコンビニなど街の商業施設にあるむやみに明るい照明や、ビルの屋上にある華やかな電飾も多くの電気を使っている。たとえば東京都内ではこの10年間に家庭用の電気の使用量は20%増えたのにくらべて、商業施設やオフィス用の電気は40%も増えている。

 これらは確かに「便利で快適な」ものかも知れない。しかし地球のことを考えれば「ぜいたくで無駄な」ものなのではないのだろうか。たとえばこの自動販売機だけのために使われている日本の電力は100万KWHを超え、原子力発電所2カ所が発電している分よりも多いのである。

 これに日本の国策が輪をかけている。各地の電力会社が強く推し進めているオール電化住宅はいままでの住宅よりもはるかに多くの電気を消費する。「夜間の電気代は安いからその間に給湯器を動かしておけば経済的」というのが宣伝文句で、夜間の電力消費を増やそうと躍起なのである。

 電気代が安くなっても多くの電気を使えば、もちろん二酸化炭素はたくさん出ていく。じつはこの夜間電力の奨励は原子力発電所の発電の特性を補うための国策なのである。原子力発電所はいったん動かしてしまえば、電力需要の多い少ないに対応することがほとんどできない発電方式だ。その意味では電力の需要に臨機応変に対応できる火力発電や水力発電とは大いに違う。多くの原子力発電所を維持し、将来さらに増やそうという国策のためにオール電化住宅が宣伝されているのである。

 このほか電気自動車や最近増えているガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせたハイブリッド自動車も、謳い文句ほどには環境にやさしいものではない。その生産にも、また数年ごとに代えなければならない電池(の生産にもリサイクルに)も大量の二酸化炭素を排出する。

(後略)

【追記】(註1)山岡淳一郎『原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書、2011年9月)によれば、中曽根康弘たちの原子力予算案の提案趣旨説明で、当時の改進党の小山倉之助は下記のことを、堂々と語っている。

「……MSA(米国の対外援助統括本部)の援助に対して、米国の旧式な兵器を貸与されることを避けるためにも、新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります」

この小山の演説の前、1953年12月8日に米大統領アイゼンハワーは国連総会で「アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)」の演説を行っていた。この演説の直後、中曽根は岸と四谷の料亭で会い、国家主義的な方向性を確認し合ったという。

翌1954年3月、中曽根は、改進党の同僚議員と国会に「原子力予算案」をいきなり提出。予算案は、成立した。上の小山の発言はこの提案の趣旨説明であった。

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