都民資産600億円減でも「天下りは社会に有意義」
東電:官僚天下り50人以上 ゆがむ原発行政(1)
東電関係者によると、天下り官僚の肩書は
キャリアOBなら「顧問」、
ノンキャリア出身者なら「嘱託」。
報酬は「霞が関での最終ポスト時代を下回らないのが暗黙のルール」
(経産省OB)だ。
キャリアOBなら「顧問」、
ノンキャリア出身者なら「嘱託」。
報酬は「霞が関での最終ポスト時代を下回らないのが暗黙のルール」
(経産省OB)だ。
東電は
「国交省や警察庁OBに電源立地対策で知見を発揮してもらうなど、
経営に役立っている」と説明。
しかし、財務や外務官僚OBの場合
「本命の再就職先が決まるまでの腰掛けで東電に入り、
給料だけ払うケースも多い」(東電関係者)。
「国交省や警察庁OBに電源立地対策で知見を発揮してもらうなど、
経営に役立っている」と説明。
しかし、財務や外務官僚OBの場合
「本命の再就職先が決まるまでの腰掛けで東電に入り、
給料だけ払うケースも多い」(東電関係者)。
◇「世話になれば無言の圧力」
天下りを通じた当局と電力会社のもたれ合いの弊害は
原発行政にも影を落とした。
1979年の米スリーマイル島の原発事故などを教訓に、
欧米当局は、原発事業者に地震など災害対策や炉心溶融など
過酷事故への実効ある対応策を厳しく義務付けた。
しかし、日本では事実上、電力会社任せとなり、
津波で全電源が喪失した福島原発のようなずさんな対応が取られた。
原発行政にも影を落とした。
1979年の米スリーマイル島の原発事故などを教訓に、
欧米当局は、原発事業者に地震など災害対策や炉心溶融など
過酷事故への実効ある対応策を厳しく義務付けた。
しかし、日本では事実上、電力会社任せとなり、
津波で全電源が喪失した福島原発のようなずさんな対応が取られた。
元原子力安全・保安院長は
「欧米並みの規制を導入すべきだとの意見もあったが、
コスト負担に反発する電力会社に押し切られた」と説明。
元原発検査官は
「上司のキャリア(官僚)が退官後、電力会社に世話になっていれば、
無言の圧力がかかるのは当然」と話す。【三沢耕平、野原大輔】
「欧米並みの規制を導入すべきだとの意見もあったが、
コスト負担に反発する電力会社に押し切られた」と説明。
元原発検査官は
「上司のキャリア(官僚)が退官後、電力会社に世話になっていれば、
無言の圧力がかかるのは当然」と話す。【三沢耕平、野原大輔】
東電天下り51人 経産相が調査指示
2011.9.27 07:15
東京電力は26日、同社に在籍する天下り役人が8月末現在で
51人に上ることを明らかにした。
これに対し枝野幸男経済産業相は同日の衆院予算委員会で
「調べられる範囲で最大限調べたい」と述べた。
51人に上ることを明らかにした。
これに対し枝野幸男経済産業相は同日の衆院予算委員会で
「調べられる範囲で最大限調べたい」と述べた。
東電によると、
電力業界を所管する経済産業省からの天下り役人はいないが、
政府側との「密接な関係」が批判されそうだ。
公務員OBの内訳は、
経営に対するアドバイスをする「顧問」が計3人で、
国交省出身が2人、警察庁1人だった。
実務を担う「嘱託」は計48人で、
地方警察官出身が31人、
海上保安庁7人、
地方自治体5人、
林野庁2人、
気象庁2人、
消防庁1人だった。
経営に対するアドバイスをする「顧問」が計3人で、
国交省出身が2人、警察庁1人だった。
実務を担う「嘱託」は計48人で、
地方警察官出身が31人、
海上保安庁7人、
地方自治体5人、
林野庁2人、
気象庁2人、
消防庁1人だった。
東電の山崎雅男副社長は衆院予算委で
「電気事業上、いろいろな仕事がある」と説明した。
「電気事業上、いろいろな仕事がある」と説明した。
福島第1原発事故後に批判が強まり、退任している。
「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染 | ||
04:31 05/27 2011 | ||
1992年に原発容認の判決をくだし、
その後東芝監査役に天下った元最高裁判事の味村治氏(故人)。
写真上は最高裁、下は東芝本社。
その後東芝監査役に天下った元最高裁判事の味村治氏(故人)。
写真上は最高裁、下は東芝本社。
原発メーカー「東芝」監査役に天下っていたのは元最高裁判事味村治氏(みむら=おさむ・故人)だ。経歴は次のとおりである。
1924(大正13)年中国東北部生まれ。東京帝国大法学部を卒業して司法試験に合格。戦後1期目の司法修習を終えて検事となり、東京高検検事長・内閣法制局長官をへて1990年、最高裁判事となる。ときの総理大臣は海部俊樹だった。94年、70歳で最高裁判事を定年退官した後は弁護士となる。「勲一等旭日大授章」という最高位の勲章を受け取り、98年、東芝の社外監査役に就いた。監査役は約2年間で、その後2003年7月に死去した。
味村氏が天下った「東芝」(本社・東京都港区、佐々木則夫社長)は、日立製作所、三菱重工、三菱電機などと並ぶ国内有数の原発メーカーだ。沸騰水型軽水炉(BWR)の開発元・米国ゼネラル=エレクトリック社(GE)とも縁が深い。
東芝は沸騰水型原発を開発したアメリカのゼネラル=エレクトリック社(GE)と
明治時代から協力関係にあった。上はGE創業者のエジソン
東芝の社史や広報資料によれば、東芝がまだ「芝浦製作所」と「東京電気」にわかれていた明治時代から、資本や技術面でGE社とは協力関係にあった。日米開戦で両者の関係はいったん切れるが、戦後再び手を結ぶ。朝鮮戦争や自衛隊創設に伴って戦闘機のレーダーなどを作るようになり、高度成長の波にも乗って東芝は会社を大きくしていく。
原発事業への本格的な参入は1960年代以降。GEとともに東電をはじめ多数の原発建設にかかわりはじめる。今回事故を起こした東電福島第一原発の工事も行った。最近では2006年に加圧水型軽水炉(PWR)を開発した米国ウエスチングハウス社(WH)を子会社化し、国内だけでなく海外の原発プラント受注にも積極的に取り組んでいる。
国内原発産業のトップランナー・東芝。そこに天下った最高裁判事・味村治氏。彼が下した「原発裁判」の判決とは、どんなものだったのだろうか。
◇「伊方」「福島第二」の二大原発訴訟
問題の判決は2つある。「四国電力伊方1号炉訴訟」と「東京電力福島第二原発1号炉訴訟」。いずれも、国が出した建設許可に対し、予定地周辺の住民が「大事故の危険が高く、安全審査などの手続きに違法性がある」として許可の取り消しを求めたものだ。
問題の判決は2つある。「四国電力伊方1号炉訴訟」と「東京電力福島第二原発1号炉訴訟」。いずれも、国が出した建設許可に対し、予定地周辺の住民が「大事故の危険が高く、安全審査などの手続きに違法性がある」として許可の取り消しを求めたものだ。
裁判はそれぞれ松山地裁と福島地裁で
東芝には過去60年の間に高給官僚や大学幹部ら20人が
役員として天下っていた。
現職取締役の外務省OB・平林博氏(左)と東大元総長の佐々木毅氏(右)
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