『...この感情は、地球が、結局はそのうえに住むあらゆる人々のものである、ということなのです。したがって、どんな人間も、またどんな人間のグループも、地球のどの部分にせよ、それを生存不能の場に化する権利をもっていません。同じ論旨によって、どんなひとにも、どんなグループにも地球の食物をだめにしたり、地球の空気をよごす権利はないのです。』 ー(ベン・シャーンの言葉。展覧会図録より引用)
20120122 第五福竜丸を描いたベン・シャーン 投稿者 PMG5
この展覧会は終了しました。
出品作品リスト 「第五福竜丸事件展」、同時開催「大川美術館所蔵作品によるベン・シャーンの世界展」
会期中イベント:連続トーク
連続トークは多くの方にご参加いただき、終了いたしました。
ありがとうございました。
■3月5日(土)出演:アーサー・ビナード(詩人)、大石又七(元第五福竜丸乗組員)
朝日新聞掲載記事 (リンク切れはご容赦ください)
■3月26日(土)出演:安田和也(第五福竜丸平和協会事務局長)、竹峰誠一郎(三重大学研究員)
朗読『ロンゲラップの海』(石川逸子詩、好村俊子朗読)
ありがとうございました。
■3月5日(土)出演:アーサー・ビナード(詩人)、大石又七(元第五福竜丸乗組員)
朝日新聞掲載記事 (リンク切れはご容赦ください)
■3月26日(土)出演:安田和也(第五福竜丸平和協会事務局長)、竹峰誠一郎(三重大学研究員)
朗読『ロンゲラップの海』(石川逸子詩、好村俊子朗読)
1954年3月1日、ビキニ環礁で米国の水爆実験が行われました。
1954年3月1日、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、米国の水爆実験が行われました。
近くで操業していた遠洋マグロ漁船・第五福竜丸の乗組員23名は、巨大なキノコ雲を目撃、 放射能を含む死の灰を浴びました。
静岡県焼津に帰港した彼らはすぐに病院に運ばれましたが、無線長の久保山愛吉は「原水爆による犠牲者は、 私で最後にして欲しい」と遺言を残して9月23日に亡くなりました。
この事件は当時大きな注目を集め、東京・杉並から全国に広がった署名運動など、人びとの反核への関心を高めました。
近くで操業していた遠洋マグロ漁船・第五福竜丸の乗組員23名は、巨大なキノコ雲を目撃、 放射能を含む死の灰を浴びました。
静岡県焼津に帰港した彼らはすぐに病院に運ばれましたが、無線長の久保山愛吉は「原水爆による犠牲者は、 私で最後にして欲しい」と遺言を残して9月23日に亡くなりました。
この事件は当時大きな注目を集め、東京・杉並から全国に広がった署名運動など、人びとの反核への関心を高めました。
原爆の図 《焼津》と《署名》
すでに「原爆の図」全国巡回を行っていた丸木位里・赤松俊子(丸木俊)夫妻は、翌55年に事件を主題にした 原爆の図第9部《焼津》を発表。
さらに56年には第10部《署名》を発表して、広島の原爆体験を表象していた「原爆の図」に、 同時代の問題を反映させるという試みを行いました。
さらに56年には第10部《署名》を発表して、広島の原爆体験を表象していた「原爆の図」に、 同時代の問題を反映させるという試みを行いました。
ベン・シャーン “ラッキードラゴン・シリーズ”
リトアニアで生まれ、移民として渡ったアメリカで20世紀を代表する画家となったベン・シャーンは、 57年から58年にかけて月刊誌『ハーパーズ』で物理学者ラルフ・ラップの第五福竜丸に関するルポルタージュに挿絵をつけ、 絵画連作“ラッキードラゴン・シリーズ”に発展させました。
本展では、丸木夫妻の共同制作《焼津》、《署名》に加え、ベン・シャーンの“ラッキードラゴン・シリーズ”の 水彩・素描20点を紹介。第五福竜丸展示館の協力を得て、 事件の経緯から現在にいたるまでの状況を展示パネルで解説します。
本展では、丸木夫妻の共同制作《焼津》、《署名》に加え、ベン・シャーンの“ラッキードラゴン・シリーズ”の 水彩・素描20点を紹介。第五福竜丸展示館の協力を得て、 事件の経緯から現在にいたるまでの状況を展示パネルで解説します。
また、群馬県桐生市の大川美術館にご協力いただき、 「大川美術館所蔵作品によるベン・シャーンの世界展」を同時開催いたします。
この機会にぜひご覧ください。
この機会にぜひご覧ください。
出品作品リスト
丸木位里・丸木俊共同制作 | |||
---|---|---|---|
原爆の図 第9部《焼津》 | 1955年 | 原爆の図丸木美術館所蔵 | |
原爆の図 第10部《署名》 | 1956年 | 原爆の図丸木美術館所蔵 | |
ベン・シャーン Lucky Dragonシリーズ | |||
日本の新聞を読む男 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
父と子 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
科学者 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
ニュース報告 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
網元、日本の男 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
出港 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
出港 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
彼の妻―久保山夫人 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
彼の墓 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
写真家と被写体 | 1957年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
鳩No.3 | 1961年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
鳩No.5 | 1961年 | 丸沼芸術の森所蔵 | |
病院で | 1957年 | 第五福竜丸展示館所蔵 | |
死んだ彼 | 1957年 | 第五福竜丸展示館所蔵 | |
写真家 | 1957年 | 第五福竜丸展示館所蔵 | |
出航 | 1957年 | 第五福竜丸展示館所蔵 | |
彼らの道具 | 1957年 | 第五福竜丸展示館所蔵 | |
船主 | 1957年 | 第五福竜丸展示館所蔵 | |
降下物 | 1957年 | 第五福竜丸展示館所蔵 | |
珊瑚礁の怪物 | 1957年 | 丸の内ギャラリー所蔵 | |
なぜ? | 1961年 | 大川美術館所蔵 | |
ポスター | |||
STOP H BOMB TESTS | ベン・シャーン作 | 1960年 | 個人蔵 |
第1回原水爆禁止世界大会 | 丸木俊作 | 1955年 | 第五福竜丸展示館蔵 |
第4回原水爆禁止世界大会 | 丸木俊作 | 1958年 | 第五福竜丸展示館蔵 |
※その他、解説パネルや実物資料などを展示 |
同時開催「大川美術館所蔵作品によるベン・シャーンの世界展」出品作品
バスケットボールをする人 | 1940-42年 | 大川美術館所蔵 | |
農夫 | 1941年 | 大川美術館所蔵 | |
無干渉主義 | 1947年 | 大川美術館所蔵 | |
三人の道化師 | 1950年代 | 大川美術館所蔵 | |
芸術トリオ | 1954年 | 大川美術館所蔵 | |
ジグムント・フロイト | 1956年 | 大川美術館所蔵 | |
三輪車 | 1968年 | 大川美術館所蔵 | |
版画集『レヴァナとわが悲しみの聖母』より3点 | 1931年 | 大川美術館所蔵 | |
リルケ『マルテの手記』より9点 | 1968年 | 大川美術館所蔵 |
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