2012年1月22日日曜日

小出氏講演:「原爆・原発と憲法9条」 7月23日




7月23日(土)小出裕章氏 講演 「原爆・原発と憲法9条」 (131:38)http://www.ustream.tv/recorded/16185189
※少々音声が小さいのと、途切れるところがあります。

【以下、時間のない方のために、内容を起こしています。ご参考まで】


<00:02:45->
(堅田9条の会/岡本副代表)
(一部略)最近頭から離れないことがある。何かというとやはり3.11の件、一体何が起こったのか、よくわからない。なぜ起こったのか、これもよくわからない。
 今、日本で、或いは世界で何が問われているのか?どうしたらいいのか、何をしたらいいのか、よくわからない。これを粘り強く考え、なんとか生きていきたいと思っている。
 最近朝日新聞を読んだら、このような記事が出ていた。
『私は3月15日、イタリアのある大学で広島・長崎の被爆者たちが、被曝体験の話を終えるや否や、記者が取り囲んで聞かれた。
「原爆の被害に遭った日本が、なぜあれほどの原発を持っているのか?」
それに対して、広島で被爆された82歳の方は、言葉が詰まった。その場は「ノーコメント」とされたが、後に次のように話していらっしゃる。
「国が資源に乏しい日本には原発が必要だというのをただ漠然と信じていた。」
 長崎の被爆者は、
「原発の安全神話など疑ったことがなかった」』
原子力を戦争に使う「核兵器」は否定するけれども、平和利用としての原子力は受け入れる。こう使い分けながら日本の社会は戦後を歩いてきたのではないか。その背後には一体何があったのか、ということもよくわからない。これを掴みたい。
 「騙された国民にも責任がある。」そういうことを言う人がいる。私たちが責任を果たすために何をどう学んだらいいのか?この3.11から。考え抜かなければいけない。いい加減なところで「もうやめよう」というのは、やはり許されないのではないか。
 日本の敗戦後、映画監督に伊丹万作さんという方がいた。「戦争責任者」というエッセーを書いていらっしゃる。その中に、次のような言葉がある。
『「騙されていた」と平気で言える国民なら、恐らくこれから何度も騙されるだろう。現在でも既に別のことで騙され続けているのではないか』この予言どおり、その後に日本は動いたような気がする。
 日本はA級戦犯だった岸信介が総理大臣になった。それから絶対君主であった天皇が??になった。その戦争の責任問題があいまいに流されている。それは厳然たる事実。
 そういうことで、現在の日本はあいまいなまま大事な問題を置いてきたのではないか?それでいいはずはない。
 ヨーロッパでは、特に1980年代、国民、市民が論議をして、国の大事な問題を論議してきた。ドイツは、市民の熟議の中で脱原発を決めた。だから日本も、民主主義は不十分だが、やはり市民が政治家に任せていられない、国家に任せてはいられない。やっぱり市民が発言していかなければいけない。市民が十分に話あって、自分の意見の反対の人とも話し合う、そういう対話、論議をしていく文化を日本でも築いていかなければいけない。(でなければ)
『日本の民主主義に未来は無い』
くらいに思っている。
 今日の集まりがそれに向けての一歩になるよう祈念して、挨拶とかえさせていただく。ありがとうございます。

<00:09:30->
【原爆・原発と憲法9条】講演開始(小出氏)
今日はありがとうございます。
この会場に私がいて、皆さんがお集まりいただいた、それは多分3月11日に福島原発の事故がきっかけになっていると思うが、今日は福島原発については、一切話をしないつもりです。
今日はタイトルにあるとおり、原爆・原発と憲法9条というタイトルを与えられたので、そのことに限って話を聞いてもらおうと思う。

これは皆さんご存知だと思う。つい何十年か前まで世界は悲惨な戦争をずっと続けていた。ナチスドイツという国がユダヤ人を中心に何百万人も虐殺したという歴史がある。その場所のひとつ、ビルケナウ強制収容所。
1 ビルケナウ強制収容所

ナチスはここにたくさんの人を収容したが、その戦争のことを戦後のドイツはずっと背負って自分たちがやったことを問い続けている。
2 荒れ野の40年

そして、荒れ野の40年という有名な演説を1985年くらいだと思うが、当時のヴァイツゼッカー大統領がドイツの国会で演説をした。それで端的にいうと、彼が何を言いたかったかというと、「歴史に目を閉ざしてはいけない。自分たちがやってきた過去をしっかりと見つめておかないと、現在をまた間違える、未来のことをまた間違える」ということを彼が言った。
3 ヴァイツゼッガー演説

ヴぁいつぜっかー後の東京写真
これは東京。一面焼け野原になっているが、東京は1945年3月10日に東京大空襲という空前絶後の空襲を受けた。344機のB29という当時の最大の爆撃機が東京上空に飛来し、雨あられと爆弾を落としていった。344機って皆さん想像できるでしょうか?例えば1機のB29 が滑走路を飛び出して飛んだ。一分後にそれを追いかけるように飛んだ。そういうふうにやっても、なんと6時間かかる。というとてつもない数のB29が飛来して焼き尽くされてこんな姿になった。

私は実は東京生まれ、東京育ち。これは東京の下町の航空写真。
東京の航空写真

ネットの地図だとこういう感じ。私の家はここにあった。上野と浅草の真ん中当たりに私は生まれ育った。
ネットの地図

東京大空襲

これが東京大空襲を受ける前の市街地で、密集して人々が生きていた。東京大空襲のあとどうなったかというと、こうなった。
東京大空襲後


私は戦後に生まれたので、この大空襲の時は居なかったが、東京の市街地の40%が焼き尽くされた。ここは、人が住んでいたところ、それがこんなふうになってしまって、こういう姿で人々が殺されていった。
遺体の写真

黒焦げになっているが、こちら(右)が恐らく母親で、こちら(左)が子供。空襲が始まってもちろんみんな逃げようとした。この母親も赤ん坊を抱いてきっと逃げようとしたが、こんなふうになってしまった。
こういう人が積み重なった、焼け死んだのは10人ではない。100人でもない。1000人でもない。1万人でもない。10万人という数の人がこういうふうに、こういう姿で焼き殺された。それでも日本は戦争をやめなかった。天皇を守らなければいけない、国体を守らなければいけないと戦争を続けた。
一方、米国のほうは、なんとかして日本をやっつけなければいけないとして、原爆を作ろうとしていた。
4 トリニティ

これは人類初の原爆が爆発した時の写真。
これはトリニティと右下に書いてあるが、「三位一体」というキリスト教の方ならなじみが深いかもしれません。そういうトリニティという名前のついた原爆が1945年7月16日の朝、米国のアナマホルドというところで爆発した。何でその日に爆発したのかというと、その日は日本に勧告会議をするためのポツダム会談が開かれる、その日にあわせて米国はやった。「俺たちは勝った、これでこの世界は俺たちのものだ」ということをこれで知った。しばらくして米国は日本に原爆を落とすということをした。
広島のきのこ雲

これが広島に落とされた原爆のきのこ雲。この下には広島の町がある。
5 広島の町並み

何のへんてつもない、日本家屋が立ち並び、路面電車が走っていて、人々がここで生活をしている。東京もそうだったが、広島の町もそうだった。この左の上のほうにドームが見えるが、これが原爆ドーム。このドームの600mのところで(音声不良)
6 広島原爆投下前

広島の町はこんな感じだった。人家が密集して建っている。ここに原爆が落とされて、広島のまちはこんなふうになった。
7 広島原発投下後

遠くの方に山が見えるが、これは??島という海の上にある島。そこまでが見えてしまうというくらい町自体が全てなくなってしまった。
8 この世の地獄

これは、爆弾を受けて逃げ惑う人々の姿。みゆき橋というところで、爆心地からすこし離れたところ。その為に即死はしなかった。幸か不幸か。生き延びて逃げ惑ってここに人々が集まってきた。でも、この人たちも被曝をしているから、多分かなりの方はごく短期間に亡くなっていると思うし、生き延びた方も被爆者というレッテルを貼られて、一生背負って生きなければいけなかった。

3日後に、今度は長崎に原爆が落とされた。これが長崎の原爆のきのこ雲。
9 長崎のきのこ雲

10 長崎原爆投下前

長崎の町もこんなふうに家が密集していた。
11 長崎原爆投下後

こんなふうになった。
12 被害

人々はやはりこのように爆撃を受けて、真っ黒焦げになった人がここに。生き延びた人もこんな姿。ここに母親と赤ん坊が写っているが、これは次男。長男は爆弾を受けて死んだ。次男を抱えて母親がいるが、この次男も短期間で亡くなってしまった。母親だけはかなりの間生き延びて、確か数年前に亡くなっている。

13 比較 ここに赤い四角を書いた。これは何かというと、東京大空襲で344機のB29が落とした爆弾の総量がこれだけ。1685トン。戦争を経験された方もいらっしゃると思う。当時は1トン爆弾という爆弾が落とされると、町ひとつが無くなる恐れがあるという爆弾。それに換算すると、1600発、1700発落とされたわけだから、東京の下町がなくなってしまうくらいの量だった。では、広島はどれくらいのだったかというと16キロトン。1万6千トン。東京一面を焼け野原にした東京大空襲のなんと10倍という爆発力を持ったものが原爆だった。長崎の原爆はどうだったかというと、もっと大きかった。21キロトン。たった一発で。東京に飛んできたのは344機。広島・長崎に飛んできたのは、2機とか3機。落とした爆弾は一発でこんなことになった。

ここで皆さんに一つ質問がある。
1kg灯油を買ってきたとします。もう一方で火薬を買ってくる。多分買えないと思うが、買ってきたとする。それを両方1kgずつ買ってきて、両方に火をつけてみる。どっちがどれだけエネルギーを出すでしょうか?
時間がもったいないので、答えを言います。

灯油は、1kg燃やすと1万キロカロリーの熱が出る。では、火薬はどのくらい出るかというと、1000キロカロリー。灯油の10分の1しか火薬はエネルギーがでない。
14 灯油と火薬の燃焼エネルギー

皆さんは火薬というとものすごいエネルギーが(音声不良)、たった10分の1しかエネルギーが出ない。
なんでそういうことになっているかというと、ものが燃えるという性質もあるし、原爆というものの本質的な性質が隠されている。
ものが燃えるには酸素が必要。ものと酸素が結びついて、燃える。酸素が無ければものは燃えない。例えばコップの中のろうそくに火をつければ燃えるが、ガラスをかぶせてしまえば、コップの中にある酸素が無くなればそれで終わり。灰、二酸化炭素とか熱が出てくる。これが燃えるということ。
でも火薬というのは、酸素が無ければ燃えないということでは困る。火をつけたら、全部燃えてくれないと爆発にならないので、酸素なんか無くたって燃えるというものを探し続けて、ようやく見つけ出したのが火薬。その時には、1kgあたり灯油の10分の1しか出ない。非常に効率の悪いものしか見つけることが出来なかった。
15 ものが燃えるには酸素が必要

火薬は酸素を必要とせず燃えるが、その性質を獲得するために、発生するエネルギーが大幅に少なくなってしまった。こういうこと。

では、原爆に使ったウランの核分裂についてはどうか。
16 核分裂の秘密①

ウランは広島に落とされた原爆、(音声不良)、原子核というものがあるが、それに中性子がある。中性子は酸素を必要としない。これがぶつかると、この原子核が核分裂をする。
16 核分裂の秘密②

そして、このときに中性子が飛び出していく。この時に重要なことは、はじめにぶつかったのは1個だが、分裂後は2個から3個に増えている。
16 核分裂の秘密③

つまり一番最初に「火(=中性子をぶつける)」さえつけてしまえば、火種は山ほど出てくる。これを次のウランまたはプルトニウムの原子核にぶつければ、次々と核分裂していくわけだから、あっという間に全てが燃えてしまう、つまり爆弾になれる。
核分裂反応というのは、はじめから爆弾の原理。火をつけさえすれば、一気に爆発する、そういう性質を持ったもの。
原子力の平和利用はいいものだと言う人たちの言葉で、核分裂反応が原爆という形で利用されたのが不幸だという表現をする人がいるが、そうではない。不幸でもなんでもない。核分裂反応がもっている性質が一番ちゃんと開花して爆弾になっている。核反応が爆弾向きだということを皆さんに覚えておいてほしい。
これは、左側が広島に落とされた原爆=リトルボーイ。右側が長崎の原爆。今見ていただいたように、広島に落とされた原爆はウランだったし、長崎に落とされたのはプルトニウム。
17 広島と長崎の原爆
今私は一言でウランと言ったが、ウランは地球上どこにでもある。私の体の中にも、皆さんの身体の中にもある。
実はウランには2種類の組成がある。
この中の核分裂をする、燃えるウランというのは235番という番号がついているが、全体の0.7%しかない。99.3%は燃えないウラン、核分裂しないウラン。原爆にもならなければ、原子力発電の燃料にもならない役立たず。つまり、折角ウランを地底から取ってきても、役に立つ成分は0.7%しかない。これに火をつけようとしたら、火がつくか?というとなかなかつかない。
18 天然ウランの組成


例えば皆さんアルコールは買える。薬局に行けばほとんど純度100%のアルコールが買える。皆さん簡単にそれを燃やすことができる。でもアルコールにどんどん水を加えていって、50%くらいにアルコール濃度を下げるとする。火がつけられるでしょうか?例えばジン、ウォッカ、ブランデーを燃やすことができるますか?皆さん。
燃やせます。私は酒が好きで、何度も実験をしたことがあるが、角砂糖にブランデーでもアルコールをしみこませて、角砂糖の角のところにマッチでもライターでも火をつけると、青白くボーっと燃える。でも、またそれに水をどんどん加えていって日本酒くらいにしてしまう。アルコール濃度15%くらいにしてしまったら、多分どうやっても火はつかない。もっと水を入れてビールにしてしまう。アルコール濃度5%なんていったら、決してどんなことをしても火はつかない。このグラフの0.7%では火はつかない。原爆にできない。
「さて困った、どうしようか?」と考えた。「しょうがない原爆を作るためだったら、取ってきたウランの中で0.7%しかない燃えるウランをなんとかして集めよう」ということを考えた。しかし、燃えるウランも燃えないウランも同じ元素なので、化学的、ケミカルで分けることはできない。とてつもなく難しいのであって、この235という番号と238という番号は、重さをあらわしているが、ほんのわずかしか重さの違いがない。その重さの違いを捉えて同位体分離という特殊なことをして、この二つを分離し、そうしてようやく広島原発を作った。
19 ウラン濃縮はオークリッジ

こんなところ。ちょっと写真が見にくいが、米国国内に秘密都市を作った。たくさんの科学者・労働者をこの中に閉じ込めて、秘密を守りながら情報が外に漏れないようにしながら原爆を作った。
20 オークリッジの設備

こんな巨大な工場。
そしてようやく広島原爆を作り上げたが、作り上げた時の爆発力は16キロトン。先ほど聞いていただいたとおり。では、この原爆を作るために燃えるウランを集めるという作業のために、どれだけのエネルギーが必要だったかというと、50キロトン分のエネルギーが必要だった。
これは大変控えめに私が計算した。同位体分離という作業をするためだけにどれだけ必要だったかを、大変控えめに計算して出した。秘密都市を作るためのエネルギーも何も(音声不良)、エネルギーも計算しない。ただあの工場を動かすために必要なエネルギーだけを計算してもこれだけ。50キロトンのエネルギーを投入して
爆発させたら16キロトンしか出ないわけだから、まことに馬鹿げたことをやった。でも、たった一発の爆弾で一つの町を壊滅させることができる爆弾。だから「軍事的には大変価値がある。」としてエネルギー的な損得勘定はもういいとして、米国はこの原爆を作った。その後もたくさん作り続けているということになった。
でも、「やはりこれは大変だな」ということで別のことを米国は考え出した。どんなことを考えたかというと、長崎の原爆を作ろうとした。つまりプルトニウムという物質で原爆を作ろうとした。しかし、プルトニウムという物質はこの世界には一つも無い、1gもない、そういう物質。
そこで、これは人工的に作るしかない。どうやって作るかというとこうやって作る。
まず燃えるウランはどうやって反応するかというと、燃えるウランに中性子がぶつかると、核分裂という反応が起こり、核分裂生成物という死の灰と膨大なエネルギーとさっき聞いていただいた2-3個の中性子が出てくる。これが燃えるウランの反応。
では、役立たずだといった燃えないウラン、238番については、一体どうなるのか。こうなる。中性子がぶつかると、核分裂はしないが、補核という反応をしてウラン239という原子核になる。このウラン239は放射能を持っていて、ベータ線を出しながらプツニウム239という放射能に変わる。このプツニウム239も放射線を持っていてベータ線を出しながらプルトニウム239に変わる。
22 プルトニウムの製造

役立たずだと思っていたウラン239に中性子をぶつけてやりさえすれば、プルトニウム239というものが自然に出来てくるということを物理学者が見つけた。それを米軍に教えて、米軍は
「それならウランの中に0.7%しかない燃えるウランで原爆を作るよりは、99.3%を占めている燃えないウランをプルトニウムに変えて原爆にしたほうがよさそうだ。」ということに気がついた。
23 プルトニウム生産はハンフォード

その為に米国はハンフォードという大変な僻地にやはり秘密都市を作った。たくさんの原子炉をここに作った。原子炉を動かすと燃えるウランが核分裂してたくさんの中性子が出てくるわけだが、その中性子を燃えないウランにぶつけてやれば、自然にプルトニウムが出来ていく。その原理を利用しようとした。そして出来てきたプルトニウムを再処理という方法で処理して、長崎の原爆を作った。
24 ハンフォードの再処理工場

これが再処理工場。今、青森県の六ヶ所村に日本が作ろうとしているのも、この工場。そのことも、大変重要な問題で聞いてもらいたいが、それを聞いてもらおうとすると、今日の講演1回分くらい(音声不良)。秘密都市を作って原子炉を作ったり再処理工場を作ったりして長崎原爆を作った。
結局米軍の(音声不良)マンハッタン計画というのは、そこで何をやったかというと、こういうことをやった。
25 米国の原爆製造(マンハッタン計画)

まずウランを掘ってきた。掘ってきたウランの中から燃えるウランだけを集めるという作業を私たちは「濃縮」といっている。そして、濃縮ウラン。燃えるウランの塊を作って、広島原爆を作った。
もう一方では、これは大変だということで、原子炉を作ってプルトニウムを作り出し、それを再処理工場で取り出す。それで長崎原爆を作り出す。
こうやって二つの流れをやって、米国は原爆を山ほど作りだす力を得た。つまり、重要(音声不良)ウランを集めるという作業。それと燃えないウランをプルトニウムに変換する原子炉。そして変換したプルトニウムを(音声不良)。原爆を作るにはこの3つの技術を手に入れるということが必要になった。
話が余談になるが、濃縮という作業をして、濃縮ウランができるが燃えない成分も残っている。それを劣化ウランと呼んでいる。こちらのほうでは、原子炉を動かして、燃えないウランを燃やした後、減損ウランと私たちが呼んでいる、やはり燃えるウランの少なくなった役立たずのウランが残る。これが現在、米国が劣化ウラン弾としてイラクやアフガニスタンで人々を殺すために使っている爆弾。
25 米国の原爆製造(マンハッタン計画)②劣化ウラン

この話を聞いていただこうとすると、また1回分の講演が必要になる。(音声不良)
<00:37:00-> 
こうして原爆というものを作り上げるためには、とてつもないエネルギーが必要だということを知った。
私自身もそうだった。東京の下町に住んでいて、東京でたくさんの原爆展というのが行われていた。それを中学・高校時代に見に行った。それで、「原爆というのはとてつもないものだな、こんなにエネルギーを出すものがあるのか」とびっくりした。でも、その驚いて恐ろしいと思ったことは、私の心の中で逆転した。
「これだけのエネルギーを出すものであれば、これを平和的に利用したら人類のためになるのではないか?」
という風に思って、私は原子力の平和利用のために自分の人生をかけようと思ってしまった人間。
日本で原子力が始まった頃、どのように夢が描かれていたかというと、こういうふう。
26 原子力にかけた幻の夢前半

私は、このとおりに思った。多分、今日の会場にいらっしゃる方も、今でもこう思ってらっしゃるかもしれない。化石燃料はいずれ無くなってしまうから、将来のために原子力(音声不良)と私は思ったし、多くの日本人も未だに思っているだろう。でもこれが全くの間違いだった。それを今から聞いていただこうと思う。
これは新聞の記事だが、後半もあるので見ていただく。
26 原子力にかけた幻の夢後半

こんな具合。この後半は全部間違えていると皆さん歴然と分かっていただけると思う。電気料金は世界一高い。原子力発電所は火力発電所より小さいなんてことはなくて、お化けのような工場になった。もちろん都会なんかに建てることはできない。過疎地に押し付けた。ビルディングの地下なんかに原子力は絶対にできない、そういうものだった。

<00:40:30->
(音声不良)「石炭などの資源が今後地球上から次第に無くなっていく」その石油がどれくらいで無くなってしまうかということを今から皆さんに見ていただこうと思う。
石油はあと何年もつのだろう?石油可採年数推定値の変遷とあるが、1920年から2010年まで。それぞれの年に石油があと何年もつかと考えたのが石油可採年数推定値として、縦軸にとった。一番上でも60年。
私は1930年からの石油可採推定値からこのグラフに書こうとしているが、1930年は今から81年前。でも、これ(縦軸の)一番上でも60年しかない。この時に60年もつと思っていたとしても、実際には石油は一滴もなくなっているはず。

では、この1930年の時に本当に石油があと何年でなくなると考えたかというと、18年。(音声不良)今でも石油はたくさんある。間違えていたが、この年はどういう年かというと、前年の1929年に世界大恐慌(音声不良)労働者が首を切られて巷にあふれるというそういう時代。大変だった。これからは自分の国をなんとか強国にする努力をしなければいけないし、そのためには、石油や石炭というエネルギー資源の確保もしなければいけないということになった。
日本はどうしたかというと、非常に単純な選択をした。日本国内にはエネルギー資源が少ないので、
「そうなったら大陸の資源を押さえればいい」
満州に侵略を始めた。これから日本は15年戦争という大変な時代に入っていく。日本だけではなくて、アジア諸国の人々、何千万人もの人を苦難の底に落とすという歴史を始めた。
長い戦争を続けて10年経った。1940年になったら、石油はあと何年になったか。10年前の1930年には18年しかないと言ったのだから、10年後の1940年には、あと8年しかないということにならなければおかしい。では、実際どうだったかというと、まだ23年ある。もうこれで歴然と間違えていたと反省しなければいけないのだが、でもこの時は、こういう時代だった。日本という国は中国へも侵略戦争を始めていた。世界中から忌み嫌われていた。
例えば石油に関していえば、ABCD包囲網という経済制裁を受けた。A=アメリカ、B=ブリテン=イギリス、C=中国、D=Dutch=オランダ。オランダというのは(音声不良)、そういう国々が、「日本には石油をやらない」という制裁を発動した。
(音声不良)できないということで、どうしたかというと、これも非常に単純な選択をした。
「こうなったら南方の石油を押さえるしかない」
太平洋戦争。
そしてまた長い戦争が続いて、さっき見ていただいたように1945年になって、原爆を落とされて、遂に日本は敗北する。
それでも世界では戦争が続いている。
1940年から10年経って1950年、この年に石油があと何年あるか考えた。するとまだ20年あると言った。この時はまだ朝鮮戦争という大変悲惨な戦争が行われていて、世界中がどうやってエネルギーを確保するか血眼になっていた時代。それで「後20年で石油が無くなってまう、大変だ」とやはり皆が言い続けた。
(音声不良)1960年代。この頃は私が中学時代の頃。石油があと35年で無くなると私はずっと脅かされて、「もうしょうがない。原子力だ」と思った。しかし1964年には東京オリンピックで大量のエネルギーを使って、東京をコンクリートジャングルに改良するということをやった。そんな時に、あと34年、35年といっていた。
その後、まだ何年経っても30年といい続けてきた。
オイルショックというのがあった。一回目もあったし、2回目もあった。それでもまだ石油は約30年あるといい続けた。その後もずっと石油は30年、35年あると言いつづけた。
その後どうなったかというと、なんと石油はもっとあると言った。(1990年頃)ソ連が崩壊したり、米国が攻撃を受けたり(9.11)したが、現在の石油の可採推定量値で一番新しいのは、「あと50年ある」
27 石油はあと何年もつのだろう?

化石燃料がいずれなくなってしまうなんて、本当ですか?
私は、この図を作りながらこう思った。
石油が20年で無くなるという時代が20年続いた。
石油が30年で無くなると脅かされた時代が30年間続いた。
今、石油が50年で無くなると言われている。この時代が50年続く。1990年からそういい始めている。もう既に20年間そう言い続けている。あと30年間言い続ければ、私の予言が当たる。当たると思う。2040年まで「石油はあと50年で無くなる」といい続ける。
皆さん、その後なんて言うと思いますか?
そこで私は冗談を一つ言いたくなる。2040年になったら、「石油はあと100年だ」と言い出す。その時代が100年続く。そんな冗談を言いたくなるほどに、ようするに「インチキ」だった。化石燃料が無くなってしまう、石油が無くなってしまうというのはインチキだった。
「そんな宣伝に惑わされて、国の運命を決めるような選択をしてはいけない。私のように自分の人生を掛けるような選択をしてはいけない。」
この図を描きながらずっとそんなことを思っていた。何と愚かな選択を自分はしたのかと。でも多くの日本人は、未だに化石燃料がなくなるので原子力が必要だと思っている。そして、皆さんはこの表を見ながら、まだ私に意義を唱えようとする。
「そんなこと言ったって、いずれ無くなる。どうするの?やっぱり原子力必要なんじゃない?」
<00:48:00->
その為に私は、もう一つ資料を用意した。
地下にある資源はどれだけある?
化石燃料はもちろんなくなる。地球が46億年かけて地下に蓄えてきた資源。それを人間が湯水のように使おうとすれば、いずれなくなるのは当たり前。しかし原子力の燃料であるウランだって、地下に埋まっている資源。それを掘ってきて使えば、いずれ無くなる。問題はどっちの資源がどれだけ多いか、それだけのこと。
では、一体どうなっているかというと、一番多い資源は石炭。四角で書いている。ただしこれは究極埋蔵量で、地球にとにかく存在しているということが分かっている資源。でも地下から掘ってくるということは、エネルギーが必要なので、金勘定をして金儲けにならないと思えば、全ての石炭を掘れるわけではない。今だって北海道にたくさん石炭はあるが、結局、金儲けにならないとして、北海道の炭鉱は全て閉鎖されてしまった。
では、実際に金儲けになる石炭はどれくらいあるかというと、確認埋蔵量は(音声不良)だんだん大きくなってきたわけだし、(音声不良)。ではこの(青の)四角の大きさがどういう意味かというと、いまここに小さな四角を出した。これが、今現在世界で一年間で使っているエネルギーの総量(世界の年間総エネルギー消費)。数字で書くと0.4。石炭の究極埋蔵量は310。確認埋蔵量は25.9。つまり、今の確認埋蔵量だけ、今の技術力で金儲けになる石炭だけに限っても、現在の世界60年、70年間を満たせるだけある。究極埋蔵量使えるとしたら、800年分ある。
28 地価に眠る資源はどれだけある?

次の資源は天然ガス。私はこの図を30年くらい前から書き始めたが、当時は天然ガスなんていうものは資源として認められていなかった。ほんの小さな四角でしかなかったが、最近天然ガスが大変便利だといって、たくさん使われるようになって、ガス電開発が進められて、今や石炭に次ぐ資源だと認められるようになってきた。この四角は多分石炭と同じくらい大きくなると、私は思っている。つまり天然ガスだけで、人類何百年間のエネルギーを供給できるだろう。
そのほかに石油であるとか、オイルシェール・タールサンドとか。今のところオイルシェール・タールサンドは金儲けにならないので使っていないが、これからどんどん使う時代が来る。
これはすべて化石燃料。この化石燃料が無くなってしまうから、原子力が人類の生存のためには不可欠だと宣伝がなされ、私はそれを信じた。
では、原子力の資源であるウランはどれだけあるかというと、これだけしかない。
28 地価に眠る資源はどれだけある?②ウランまでの比較

石油に比べて数分の1、石炭に比べたら数十分の1しかない。まことに馬鹿げた資源だった。こんなものにもともと未来をかけること事態、間違えていた、そういうもの。
ただし、私がそういうと原子力を進めようとする人たちは、(音声不良:ここは残念・・・)とされるウランの資源量をここに書いた」と私はいう。「現在の原子力発電で利用できるものは、そのくらいしかないので、そうしたのだ」というと、原子力を推進しようとしている人たちは、「ほら見ろ。おまえの言っていることは間違いだ」という。
「原爆を考えろ。広島の原爆は確かに燃えるウランでできていた。長崎の原爆はプルトニウムで出来ていた。プルトニウムは、燃えないウランを変換するとプルトニウムになる。燃えないウランは全体の99.3%も占めているのだから、それを効率的にプルトニウムに変えてやれば、原子力の資源になる。」と言い出した。そして、彼らの描いた理想どおりになると、このウランの量は約60倍になると彼らは言っている。60倍になったところで、ようやく石炭に並ぶくらい。「原子力が未来のエネルギー源になるということは決してない。無いけれども、石炭に匹敵するくらいの資源にはなるだろう。だからやる価値がある」と言っている。
<00:53:10->
その為に彼らが何をやろうとしているか。
まずウランを取ってくる。それを濃縮する。マンハッタン計画で広島原爆を作るために濃縮して、原子炉で燃えるように加工してそれを原子力発電所で燃やすということをやっている。これは、広島原爆を作ったのと同じことをやっている。広島原爆で核分裂反応を起こした反応を原子力発電所で今やっている。でも、これをいくらやったところで、原子力はエネルギー資源にならない。今聞いていただいたとおり。
そこで、原子力を推進しようとしている人たちは、プルトニウムを作り出すと言っている。どうやって作るかというと、こうやる。ウランを取ってきて、プルトニウム燃料加工といきなりプルトニウムになっているが、ちょっと今は無視してください。(音声不良)加工したプルトニウム以上のプルトニウムを新たに作ろうと(音声不良)高速増殖炉(音声不良)、そこでもう一度高速増殖炉用の燃料に再処理をして、プルトニウムをまた加工する。これを核燃料サイクルという。最後にやはり核燃料の廃棄物、ごみが出てくるので、核のごみはいずれ処分しなければならない。
でも、私はこちらにプルトニウムと書いたが、プルトニウムは全然地上にはない。では、どうやってこのプルトニウムを始めに取り出すかというと、こういうことを彼らはやっている。普通の原子力発電所でも、燃えるウランを燃やしている限りプルトニウムが出来ている。効率は悪いが出来ている。その出来ているプルトニウムを再処理工場で処理してここに回す。はじめにこれを渡してやれば、後は自前でこのサイクル(核燃料サイクル)を回す。
29 ウラン採掘~各サイクル~廃棄

だから原子力は無限の資源になる。こういう内容。
<00:55:30->
そのための高速増殖炉というのは、日本のどこにあるか。
琵琶湖の北のほうに敦賀という町がある。そして敦賀半島の最北端にもんじゅという原子炉がある。
30 もんじゅの立地

これを高速増殖炉の原型炉と私たちは呼んでいるが、こんな姿。
31 もんじゅの写真

1995年にここで原子炉を動かそうとした途端に事故になり、止まってしまったもの。大変この原子炉は作ることが難しい。(音声不良)世界中がウランは貧弱だということをはじめから知っていて、どうしてもプルトニウムを作り出さなければ原子力の資源にならないということを、実はみんな知っていた。皆さんには一言もそんなことを言わなかったと思う。そのために世界中が高速増殖炉(音声不良)、一部は関西電力の原子力発電所から来ているわけで、皆さんは原子力発電といえば、今世界で動いているような発電所をイメージするかもしれないが、世界で一番初めに電気を起こした原子炉は、高速増殖炉。それほど一番初めから世界中は高速増殖炉を作ろうとしていた。1940年代から既に作り始めた。バッテンをつけてあるのは、既に駄目になった原子炉。
32 高速増殖炉各国の失敗ぐらふ

はじめはもちろん米国が始めたが、イギリスがやり、旧ソ連がやったり、(音声不良)全てがつぶれてしまった。日本ももんじゅというのを動かそうとしているが、またつぶれてしまって、昨年の?月頃また事故が起こってしまって、世界中でつぶれている、とてつもなく難しいもの。
特に日本の高速増殖炉というのは、本当に馬鹿げた歴史をたどってきた。
今私が何を書こうとしているのかというと、高速増殖炉計画はどうやって破綻してきたかというのを書こうとおもう。まず棒グラフ。
横に並んでいるのは、1960年から2010年まで。これは、日本の原子力開発利用長期計画という計画に則って進められる。その計画が(音声不良)、高速増殖炉実用化見通しの年度というのがあって、高速増殖炉がいつできるのか(音声不良)。原子力利用長期計画で一番初めに高速増殖炉について触れられたのが、1967年の第3回の時。その時には、高速増殖炉は、1980年代全般に実用化すると書いた。実用化というのは、高速増殖炉が日本中にいくつも建って、電気を起こしているというのが実用化。80年代前半、もう今から30年くらい前に実用化しているという見通しを立てた。まことに馬鹿げている。実現できなかった。すぐにこれが間違いだということには気がついた。原子力委員会というところが作っているんだが、彼らは次の長期計画で見通しの年度を書き換えた。
何年に書き換えたかというと、1990年前後に実用化すると書き換えた。でももちろんできていない。
それで彼らは、また年度を書き換えた。高速増殖炉は2000年前後に実用化する。これももちろんできていない。
また次の長期計画になって、また彼らは書き換えた。2010年に実用化する。これだってできていない。影も形も無い。
それでまた次の長期計画で彼らは書き換えた。2020年代にする。これはもう実用化ではなくなった。「技術開発の目処を立てる」というような表現で2020年代。
これも難しそうだということで、次の長期計画では、2030年代に技術開発の目処を立てると言った。
これもできそうにないので、2000年の長期計画では、また改定が加えられた。この改定のとき私はなんて書き換えるかのまず予測を立てた。彼らは、2050年に技術開発の目処を立てると書き換えるだろうと予測をたてた。遂に2000年の長期計画では、遂に彼らは数字を示すことすらできなくなってしまった。そこで私はしょうがないからバッテンをつけた。
では、その次にどうしたかというと、2005年になってそれまで原子力開発利用長期計画と呼んでいたのを、原子力政策大綱という何とも??時代的なものに書き換えて、そこで見通しを出した。その見通しは、2050年にとにかく1機目の高速増殖炉を動かしたい。そういう記述になった。
33 原子力はエネルギー源として意味が無い

だから、私はここに青い帯を書いたが、この青は、初めの頃は実用化、途中からは技術開発の目処、最後は一機目を作りたいということで、中身が違うが、とにかく原子力委員会が言っている、示した年度をここに書いた。
それを一つの線で結ぶとこうなる。
この横軸は1メモリ10年。縦軸も1メモリ10年。この線は何を意味しているかというと、『10年実際の時間が経つと、夢が20年先に逃げる
34 十年経つと二十年先に逃げる夢

10年経つと20年先に逃げる夢には、永遠に到達できない。
こんな馬鹿げたことを日本の原子力委員会という原子力の中枢にいた人たちが、次々と書き換えて、既に1兆円というお金をこの開発に費やしている。誰も責任を取らない。本当に酷い世界だと私は思う。

<01:02:30->
誰も責任を取らない原子力村
日本はもんじゅだけでもすでに1兆円のお金を捨てた。
つい何年か前に、小室哲也という音楽プロデューサーが6億円の詐欺をしたという事件があった。そのときの報道で知ったのだが、現在の裁判の相場でいうと、1億円の詐欺をすると1年の実刑を喰らう。だから小室哲也は6年の実刑を喰らうはずだったが、お金を出してくれた人がいたので、彼は助かって実刑にはならなかった。

では、1兆円の詐欺をしたら、何年の実刑か?
「1万年」
原子力を進めてきた人たち、原子力委員会の委員、あるいは国の官僚、そういう人たちに私は責任を取らせたいと思う。一体何人それに(音声不良)関わった人がいるのか分からないが、例えば100人居たとすれば、一人100年の実刑。もうどうしようもないほどの犯罪を彼らは犯してきた。でも誰も責任を取らない。
これは先ほど見ていただいた図だが、これはできない。
35 プルトニウムサイクルの破綻

では、できないからこれで終わりでいいかというと、日本は普通の原子力発電所で取り出したプルトニウム、これ実はウラン燃料再処理と書いたのは、今日本では六ヶ所村に作っているが、これまでは無かったので、イギリスとフランスの再処理工場に送ってプルトニウムを取り出してもらってきた。それは高速増殖炉で使うという名目のもとに取り出してもらっていた。一体どれだけ取り出したかというと、これだけ。
36 日本のプルトニウム保有量

1993年から2005年くらいまでのデータ。イギリスとフランスで取り出して、既に日本に戻ってきたのが、この青い部分。イギリスとフランスで(音声不良)全体で約45トン。既に日本という国は、日の丸がついた(音声不良)。それで、長崎が他の原爆をいくつ作れるかというと、80メガトンできる。メガはわかりますか?メガは100万倍。長崎原爆が21キロトン。つまりこれは長崎原爆が4000発作れる。それだけの量のプルトニウムを、既に日本という国は懐に入れてしまった。そういう国。
そうすると、高速増殖炉で使うといってプルトニウムを使うと言ったけれども、これを使うことができない。そんなことを世界が許すはずがない。
皆さんは、日本という国は、世界から信用されていると思っているかもしれないが、そんなことはない。世界は、日本という国は大変怪しい国だと思っている。何十年か前までは、アジアで何千万人もの人たちを殺した。その国が、長崎原爆4000発分も作れるプルトニウムを持っている。そんなことは到底許せないという。
そのため日本は使い道の無いプルトニウムというものを持たないという国際公約をさせられた。そしたらどうするかというと、しょうがないから、現在、熱中性子炉=サーマルリアクターという炉があるが、そこで燃やしてしまうという、プルトニウムをプルサーマルリアクターで燃やしてしまう。
37 プルサーマルサイクル

これを聞いてもらおうとすると、また一回分かかってしまう。今日はやめにする。
<01:06:30->
そして、現在福島で原子力発電事故が起こっている。
38 福島原発事故 今進行中

このことも今日は聞いてもらうことが出来ないが、4つある原子炉の既に3つまでが爆発してしまい、2号機だけは形はあるが、中身は原子炉の溶け落ちている、大変悲惨なことになっている。
こんな原子力を何で進めるのか? あきらめないで、未だに日本は原子力発電を続けようと言っているし、高速増殖炉だってやり続けると言っている。なんでこんな馬鹿げたことをいつまでもやり続けるのか?というと、そこには究極的な理由がある。1兆円もの金をどぶに捨てて、10年経ったら20年夢が先に逃げるという高速増殖炉を作る、そのことをどうしても諦めきれない本当の理由。
それは何かというと『核兵器』 私は先ほど、普通の原子力発電所で稼動時もそのなかでプルトニウムが出来ていて、それをイギリスとフランスに送って再処理してもらって、日本がプルトニウムを懐に入れていると言った。
そのプルトニウムがどういう組成かというのは、この一番上の帯。いろいろな色で振り分けてあるが、ウランに燃えるウランと燃えないウランがあるように、プルトニウムにも燃えるプルトニウムと燃えないプルトニウムがある。普通の原子力発電所で出来てくるプルトニウムは、赤い色と黄色い色の部分を持っている、つまり約7割しか核分裂をしない。残りの3割は核分裂をしない役立たずのプルトニウム。
39 プルトニウムの組成 用途別

でも、もし原爆を作ろうとすると、燃えるプルトニウムが90%、或いは93%くらいはほしいというのが常識。このプルトニウムでも原爆は出来ると実験で確かめられているが、やはり高性能の原爆は作りにくい。
そこで日本は、これで4000発は確かに作れるが、「これではやっぱり嫌だ。もっと高性能な原爆を作りたい。」
どうするかというと、高速増殖炉というものを動かすと、そこのブランケットというところ=炉心を取り巻く部分に燃えないウランを入れていくと、プルトニウムに変わっていくという構造の原子炉、そこにはなんと98%の燃えるプルトニウム、超優秀な原爆材料が出来てくる。そういう道具。
高速増殖炉が実用化する。つまり日本中に出来て、発電するかどうかなんて彼らにはどうでもいい。とにかく1基でも2基でも高速増殖炉を動かして、核分裂性のプルトニウム98%という途方も無い、超優秀な核兵器材料を手に入れたいと彼らは思っている。だから、高速増殖炉を諦めないでやっていこうとしているということ。

40 Nuclear weapon核兵器 このNuclear Weapon訳してください。
簡単ですね?核兵器






41 Nuclear Power Plant原子力発電所 では、これは何ですか?
これを正しく訳せば、核発電所だと私は思っているが、原子力発電所と訳す。






42 Nuclear 軍事・平和 同じNuclearという単語をあるときは「核」と訳しあるときは「原子力」と訳す。核と訳すときは軍事利用、原子力と訳すときには平和利用。なんかそれって違うものというふうに日本ではずっと宣伝が為されてきて、ほとんどの人はこの宣伝に騙されてきた。





43 Nuclear Development核開発 ではこれはなんですか?Nuclear Development。核開発。
正しく訳せば核開発。
例えばイランという国は、今ウラン濃縮工場を稼動させようとしている。核開発をしている。大変イランという国は悪い国だから、制裁をしなければいけないと米国がいって、日本は尻馬にのってそういっている。




43 Nuclear Development核開発原子力開発追加 では日本は、ウランを濃縮していないのか?プルトニウムを得るためにウラン濃縮している。巨大なウラン濃縮工場を日本は持っているわけで、そういうときは、なんというかというと、原子力開発。
皆さん、マスコミの報道を注意して聞いてみてください。
イランがやるときは核開発。日本がやるときは原子力開発。それを皆さんちゃんと信じ込まされてきて、「日本が原子力をやることはいいことだ」と言う。


日本は平和国家で、原子力も平和利用3原則があるから大丈夫だと思っているかもしれないが、日本政府の公式見解はこう。
44 日本政府の公式見解

ちょっとめんどくさい書き方になっているが、原子力だって持っていいとはっきり言っている。これが日本政府の公式見解。何度も何度も国会でこの答弁を繰り返している。
こういうことは、私は昔から知っていた。ちゃんと政府の公式文書に書いてある。
45 我が国の外交政策大綱

NPT=核拡散防止条約
つまり、当面は政策的には持たないが、いつでも作れる能力だけは持ってかなければいけない。ちゃんと政府はこういうふうに考えてきた。
もっと露骨なのはこれ。
46 外務省幹部の談話

(音声不良)ずっとこれに従ってプルトニウムを懐に入れ、ロケットもちゃんと開発してきた。(音声不良)技術的なポテンシャルをずっと日本は歴史的に計画しながら一歩一歩それを実現してきた、そういう国。
皆さんが知っている憲法9条にこう書いてある。
47 憲法第9条

ものすごい明確な文章。これをどうやって解釈できるかなんて、解釈の余地もない。軍隊なんて持たない。戦争も一切しないと書いてある。
これは先ほど聞いていただいた満州の戦争の時に、兵隊を満州に送り込むとき、国民がこんなふうに見送った。
48 戦時中の東京駅1931

これは何でしょう。これはイラクに日本の自衛隊が出て行くときに、それを送った国民がこうやって来ている。
49 イラクに向かう自衛隊を送る2004

全く歴史を学んでいない。<01:16:00->
日本が平和国家で、軍隊を持っていないなんて誰がどういう面をして言えるのかと私は思う。
世界の軍事費がどうかというのをここに書いた。2008年度。
50 世界の軍事費トップ10 2008

もちろん最大の軍事国家は、米国。圧倒的。後に続くのは中国。これが国連の常任理事国。現在の世界を支配する、何でも使って世界を支配する国連常任理事国の5カ国が、軍事費でも(音声不良)。それに続いてドイツ、日本、イタリア。先の戦争で負けた3カ国。他にもあるけれども、世界ではどうやって相手を軍事力で内倒すかという、それによって自分の国が強くなるとしているし、日本という国はその10指に入るほど巨大な軍事国家になってしまった。

今日、この会場は教会。
教会という組織が世界の平和の中でどういう役割を果たしてきたかということは、この会場にクリスチャンの方もいらっしゃると思うので、よく考えてほしいと思う。もちろん戦争に反対してきた方もたくさん居ただろうし、一方では加担してきたクリスチャンの方も居たんだろうと私は思う。
今から聞いてもらうのは、ドイツ福音主義教会のマルチン・ニーメラーという牧師の言葉。ニーメラーは先の戦争の時に初めは(音声不良)戦争に加担していた一人。それでも途中で(音声不良)の活動を始めた。そしてニーメラーはナチスに捕らえられて強制収容所に入れられ、危うく死ぬところだったが、戦争が終わる時にようやく救出されて生き延びた、そういう人です。
そのニーメラーがこう残している。
パートナーと一緒に自分が居たナチスの強制収用所に行った。
51 マルチンニーメラー①

52 マルチンニーメラー②

53 マルチンニーメラー③
37年からは彼自身が捕らわれていた。 だから彼にはアリバイがあって何もできなかったということ。
人が焼き殺されている時に、ニーメラーはまだ自由な人間としてドイツにいた。そういうことをどこまで知っていたかは別にしても、でもその国に自由な人間として彼は生きていた。
54 マルチンニーメラー④

こういう手記をニーメラーが書いている。
55 マルチンニーメラ⑤

やはり歴史というものは、ちゃんと見つめて現在そして未来につなげていかなければいけないと思う。原子力として起きている問題も、そのとおりだと思う。私は今、ここに全く自由な人間として立っている。警察から拘束をされているわけでもない。刑務所にいれられているわけでもありません。その私が足を踏んでいる場所では、原子力というものが進められていて、今日は聞いていただけなかったが、大変な悲劇が今、福島で進行している。そんな悲劇をものともしないで、日本が原子力を進めるということは、要するに核兵器を持ちたい、そのことなんだと私は思っている。それを思いながら、それに何の抵抗もしないまま生きるということをすると、私はニーメラーが後悔したように、いずれ私自身も後悔しなければいけないと思うので、なんとか原子力の真の姿を皆さんに伝えることで、なんとか原子力を止めたいと願うのです。ただ、私一人が願っても全く無力であることは歴史が示しているし、残念ながら福島のことすら防ぐこともできなかった。
なんとか皆さんお一人お一人の力を借りて、原子力を廃絶に追い込みたいです。
今日はありがとうございました。
<01:24:30->
休憩後質問
すいませんが、省略します。
【以上】

この作業をしているとき、自分の無知さに腹が立ってしょうがありませんでした。
小出先生の言葉は重い。
受け止めるので精一杯だなんて言っていられません。

やるべきことがあるのなら、その方法を考えて行動していかないと。
Bochibochiも言います。

皆さんの力が必要です。
お願いします。どうかこの国を一緒に変えていきましょう。
失礼します。

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