2012年1月24日火曜日

被害者からカネを取る前に

山崎元のマルチスコープ


被害者からカネを取る前に

 マイケル・サンデル教授のベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』の冒頭には、ハリケーン・チャーリーで被災したオーランドで、生活に必要な物資やサービスに高い値を付けて売ることが、倫理的に許されるか否か、という印象的なケースがあった。この問題とは性質が異なるが、福島第一原発の事故をめぐる東京電力の問題に関しても、サンデル教授の意見を聞いてみたいところだが、教授がくれたアドバイスは、「私のアドバイスは、思慮深く、丁寧な議論をすること」というあっさりしたものだった(asahi.comより)。
 この問題については、日本国民が自分たちで考えなければならないようだ。
 数日前に、福島第一原発事故に伴う東京電力の賠償に関わるスキームの政府案が報道された。賠償の範囲も金額も発表されないうちに、支援の仕組みが発表される順番自体が相当に不思議だが、その内容も随分奇妙なものだった。
 賠償を支援する新組織(本稿では仮に「原発賠償機構」と呼ぶ)を作って、ここに政府から交付国債、他の電力会社からは将来の原発事故に備える名目での保険料的な負担金などのお金を集め、さらに政府保証付きで金融機関からの融資も行う形とするようだ。要は、東電を倒産させない仕組みだ。
 事故の被害者に対する賠償は東京電力が行う。この賠償金の最終的な負担者が誰になるのかは、報道されている仕組み図を睨んでいても分かりづらいが、東京電力は、この機構の負担金を、将来の収益から原発賠償機構が支援の際に保有する優先株の配当などの形で返済することとなるようだ。これでは足りない損失が発生した場合、東電も含む電力会社が納める保険料が充当され、さらに足りない場合、あるいは政府が贈与を決意した場合に納税者の負担になる。
 本件の利害関係は非常に錯綜しているが、たとえば首都圏の住民(東電管内の電力ユーザー)から見ると、停電のリスクや節電運動に不自由な思いをし、食品や水に不安を覚えるような被害を東電から受けながら、結局、将来の電力料金を通じた負担で、自分たちが東電の不始末の経済的尻ぬぐいをさせられることを意味するのではないか。

東京電力救済案の本当の意図


 東北地方沿岸部に多くいらっしゃる、大きな被害を受けた「被災者」の方々のことを思うとことさらに口にはしにくいが、不便や、不安によるストレス、食品や水のコスト高などを通じて、首都圏住民は今回の件の「被害者」でもある。しかし、地域独占企業である東京電力を官民で救済する今回のスキームでは、この被害者が実質的なコスト負担者になる可能性が大きい。
 一方で、首都圏住民は自分たちの電力消費のために、危険な施設を福島県等の他地域に押しつけていた面もあり、形が電力料金であれ税金であれ、最終的に賠償コストの一部を負担することになっても文句を言えない精神的負い目はあるかも知れない。
 しかし、負担には程度(金額)と順番の問題がある。政府が決めた負担方法に簡単に納得する前に、議論を深めておくことについては、サンデル先生も賛成して下さるだろう。

負担の順序を考える

 そもそも、原発事故における東京電力の賠償責任範囲が、同社の負担能力を超えるものになるのかどうかについて議論があって然るべきだ。
 とはいえ、賠償額の見積もりは難しい
原因は「想定外の天災」であって同社の責任範囲は限定的だ
と考える向き(今や少数かも知れないが)から、
直接の被災者や地域への補償だけでなく
風評被害や電力制約によるビジネス的損失まで含めると
東電の賠償責任範囲は数十兆円に及ぶ可能性もあるという向きまで、
考え方には幅があるだろう。
但し、被害は現在も拡大中で、損害額自体が流動的だ。
 しかし、
政府が現時点で東電救済のスキームを発表するということの
状況的な意味を考えると、政府として、
損害の範囲が東電の負担能力を超える公算が大きいという
認識を持っていることと、
政府の意思としては、
賠償の責任を東電に負わせようとしているということの
二点は「かなり確からしい」と判断することが妥当ではないか。
そして、認可事業である東京電力が、
訴訟などで政府と対立するということは、
理屈上あり得ないことではないが、現実的にはないだろう。
 当面、
賠償額は東京電力の負担力を超える公算が大きいという前提で
考えよう。
 仮に、電力会社ではないごく普通の事業会社(仮にA社)があって、
このA社が何らかの不始末をしでかして、
賠償額が巨額になった場合に何が起こるか。

東京電力救済案の本当の意図


 直接的には、
A社が持っている現金や換金できる資産から賠償金が支払われる。
この部分は、先ず株主が負担するが自己資本の範囲を超えると、
次にこの会社にお金を貸している形の金融機関(銀行など)、
社債を発行していれば社債の保有者が負担せざるを得ない。
金融機関や社債保有者が負担する段階の前の、
おそらく債務超過がはっきりしたあたりで、
会社更生法の申請による会社の倒産など何らかの法的整理が
行われるのが普通だ。
この段階では、金融機関と社債の保有者は被災者と並ぶ
「債権者」として賠償金の負担を分担することになるはずだ。
どのくらいの額になるかはそうなってみないと分からないが、
負担の順番はそうなる。
 尚、東京電力の場合、5兆円近い社債を発行しており、
東電債がどうなるかは資本市場にも大きな影響を与えるが、
社債は一般担保付きなので、金融機関よりは立場が強い
(負担順序が後になる)ものと推察される。
 A社のケースに戻るが、
A社がもたらした損害が莫大で、
A社の全ての資産を使っても賠償しきれなかった場合、
仮に、A社の業務が何らかの行政的な監督下にあった場合、
被害者は国の監督責任を問うて国を訴える可能性がある。
国を相手の訴訟はなかなか勝ちにくいが、
国に責任があると認定された場合、
国は残りの賠償額を負担することになり、
これはつまり全国の納税者一般の負担ということになる。
 今回の東電のケースを考えると、
仮に、東電が賠償しきれない要賠償額が生じた場合、
国の不手際や管理責任が認定される公算は小さくないだろう。
場合によっては、そもそもの賠償責任者が
東電と並んで国という順序になる可能性もなしとない。
 東京電力が「普通の会社」だと考えると、
賠償の実質的な負担者は、
一に株主、二に金融機関、三に社債保有者、四に国、
といった順序になろうか。
 しかし、ここで面倒なのは、東京電力の場合、
地域のインフラとして不可欠な事業を担う独占会社なので、
会社が存続すれば、電力料金を上げるという選択肢がある
(行政も認めるだろう)。
 こうなると、金融機関や社債保有者はおろか、
株主以前の実質的な賠償負担者が
東電の顧客になってしまう可能性すらある。

東京電力救済案の本当の意図


東電の曖昧な存続の意味は?

 東京電力が
会社として現在の延長線上で減資も上場廃止もせずに存続すると、
株主はしばらく損をしているが、
やがて東電が賠償負担から解放された時には
利益が出るようになるだろうし、配当も復活するだろう。
時間を掛けると損失を相当程度回復できる可能性がある。
 では、金融機関や社債の保有者の責任はどう考えるべきか。
さすがに、彼らは、
原発の事故に対して管理上の責任を負う立場ではなかろう。
しかし、彼らは、
彼らのリスク判断で原発事業をも営む東京電力に対して資金を出して、
ローンの金利なり、社債のクーポンなりを受け取って「儲けて」いた。
たとえば東電債の利回りは、
同様のキャッシュフローの国債の利回りよりも少し高かった。
これはリスク負担の対価のはずだ。
銀行の融資にも同様の性格がある。
彼らは、ビジネスとして東電に融資していたはずだ。
お金を貸した会社が倒産した場合の損失を彼らが負担することには、
十分な正当性がある。
金融界が顧客に対してよく使う言葉で表現すると、
彼らの「自己責任」だ。
 ところで、
原発賠償機構に一種の保険料のような形で
資金を拠出する他地域の電力会社の立場はどうなるか。
事故が起きてから保険を作るというのは、
保険の基本を外れる暴挙であり、
他社に本当に負担が生じるなら、
少なくとも他の電力会社の株主は怒らなければならないし、
経営者も株主の手前、易々とこのスキームに乗ることはできない。
最悪の場合、株主代表訴訟の被告になりかねない。
 しかし、事実上国策による資金拠出であり、
また、当面それが何らかの費用になるとしても、
現在の電力行政と電力業界の業界地図を守るためのコストなら、
十分負担する意味があると他電力会社の経営者、
ひいては株主が思っても不思議ではない。
加えて、時間はかかるとしても、
東京電力が原発賠償機構に実質的な返済を行う形になるとすれば、
今回のスキームに於ける
他電力会社の実質的な負担は大きなものにはならない。

 それでは、
「東電の顧客」と「国(つまり納税者一般)」の
どちらが先に賠償責任を負うべきか。
この順番決定は、なかなか難しい。
 先に述べたように、
首都圏住民は、事故が起こる前の原発の受益者でもあった。
しかし、東電のユーザーが東電の経営や原発の運営について
監視する権限を持っていた訳ではない。
原発事故に連なる管理の責任に応じて賠償を負担すべきだと考えると、
国の責任が先に来るのではないか
(尚、原発事故に関して東電と国は一種の保険契約を結んでいるが、
この部分の最大2400億円程度の支出は
別途先に行われる公算が大きい)。
 そもそも総資産(純資産や時価総額ではない)が
10兆円以上ある東京電力の賠償能力を超える負担が
発生すること自体が「大変なこと」だが、
原発事故の被害者に安心してもらうためにも、
この問題については、
考え得る限り先の可能性まで考えておかなければならない。

『原発賠償機構』の意味

 最終的には、
個々の問題に対する責任の認定や、
契約関係・法的権利などが絡むが、
大まかな原則論として、
賠償の負担者の順番は、
東京電力の株主→東電に融資している金融機関
→東電の社債保有者→国(=納税者一般)→東電の(将来の)顧客

という順序になるように思われる。
 但し、この中では、国の責任の認定によっては、
国の順位が繰り上がる可能性がある。
 以上が、素朴な「あるべき論」だ。
 原則論を離れて、将来を予想することは愉快ではないが、
現実的には、おそらく、
何らかの株主責任(減資等による損失負担)を前倒しで問うと共に、
東電のリストラ計画を加える程度の
「軽度のけじめ」を加える程度の修正を行って、
今回のスキームに近い形が出来上がるのではないだろうか。
 金融機関も社債保有者も保護されて、
国は責任問題の前面には出ずに済む。
いかにもありそうな構図ではないか。
 この場合、「原発賠償機構」の役割は何か。
一言で言うと
(東電の)金融機関、社債保有者、国の負担を、
東電の顧客負担にすり替えるための、
時間と、曖昧さを作るための仕組み
」ということになるだろう。
 サンデル先生のいう通り、日本国民は、もっと議論した方がいい。

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