「緑の資本主義」は不可能だ!

「緑の資本主義」は不可能だ!           かけはし2002.10.28号より

多国籍企業が支配した環境開発サミット

ローラン・メギニ

「持続可能な開発」をかかげて開かれたヨハネスブルグサミットは、土地なし農民をはじめ、南アフリカの多様な社会運動団体を結集した「社会運動インダバ」(SMI)の呼びかけで結集した二万人の抗議デモに包囲された(本紙10月7日号に南ア現地からのレポートを掲載)。多国籍企業も「NGO」として参加するサミットは、「緑の資本主義」が環境破壊を促進するものでしかないことを明らかにしたのである。

※「
インダバ (indaba)」というのは、アフリカのズール族の言葉で、部族代表(酋長)等による最高会議のこと。ボーイスカウトの創始者であるベーデン-パウエル卿が、ボーイスカウトの指導者の集まりを「インダバ」と呼ぶように決めたので、ボーイスカウト用語として世界中に広がった



持続可能な開発に関する国連の世界サミットが、南アフリカのヨハネスブルグ(ジョハネスバーグ)で八月二十六日から九月四日まで開催された。一九九二年のリオ会議の決定がいまだに適用されていないにもかかわらず、巨大多国籍企業と一つになった大国は、持続可能な開発を促進すると主張している。誰が本当にそんなことを信じられるだろうか。国連の楯の下に開催された大規模なサミットによって動員された莫大な善意にもかかわらず、ゲームのルールは地球を支配する大国によって指示されたものであった。
ヨハネスブルグでは、資本は王様であり、多国籍企業が至るところに顔を出していた。二百人にのぼる大企業の最高経営責任者(CEO)がツアーを組んだ。フランスの原子力企業EDFは、英国石油(ブリティッシュ・ペトロリアム)とならんで、会議センターの近くに建設された「持続開発可能村」の中で株式の売り込みをやっていた。
自分が「左派」であるのと同程度の「緑」でしかないトニー・ブレアは、イギリス代表団の中に何人かの大企業経営陣を組み込んだ。たとえば、イギリスで環境犯罪のかどで非難されている水処理企業のテームズ・ウォーターや、世界最大の鉱山トラストであり、現在オーストラリアの自然保護区カカドゥにあるウラン鉱山の権利を取得しようとしているリオ・ティントの経営者といった連中である。貧しい人びとは無視され、南アフリカの土地なし住民の会議が行った抗議行動は厳しく弾圧された。
このあり方は決してたんなる逸話ではなく、十年前の一九九二年にリオで行われた最初の地球サミット以来の変化を示すものである。リオが希望の源として提示されてきたことを思い起こそう。民主主義の勝利として鼓吹された東欧の官僚体制の崩壊と、法の支配の勝利とされた湾岸戦争の後で行われたこのサミットは、グローバル資本主義は環境を傷つけることなく繁栄できるというなにがしかの証拠となるように思われた。しかし十年後の今日、そのバランスシートは苦いものである。ちょうどチェチェンに関してプーチンの民主主義が、またイラクの抑圧された民衆にとって国際法の擁護がそうであるように。
奇妙なことだが、あらゆる人びとが、根底にある原因を理解しないままに、そのことを認識しているように見える。
こうしたことを理解するために、われわれは忘れられてしまった「帝国主義」という言葉を復活させなければならない。ソ連の崩壊は、超大国アメリカがグローバルな勢力再配置を遂行する好機となった。そこでは、現在の「テロリストに対する戦争」はごく最近のエピソードにすぎない。
この再組織化は、この二十年間におよぶ資本主義的グローバリゼーションの力学と、それに伴う規制緩和や民営化から利益を引き出したものであった。ヨーロッパはこのプロセスを防いだのではなく、それを強めてきたのである。それがもたらした結果は、地球規模での不平等の目を見張るような増大であり、この不平等を支える階層制の強化であった。このプロセスの中で、北の世界でも南の世界でも、環境への顧慮は払われはしなかった。
リオ、そしてとりわけ気候変動と生物多様性に関する条約――もっともしばしば言及された二つの例――の中でなされた誓約はどうなっているのか。それはどこでも市場によって沈没させられてしまった。科学的研究によっても、目を見張るような劇的な気象上の出来事の蓄積によっても、気候変動についての悲観的予測が立証されているにもかかわらず、一九九二年のリオ協定の適用に関する一九九七年の京都議定書は、実施されるどころかいまだに批准もされていない。
とりわけ、ブッシュ・ジュニアが引き連れた、ホワイトハウスの中に設立された石油・原子力ロビーは、石油掘削と原子力開発の続行と結びついた世界の主要な汚染当事者による議定書批准拒否に保証を与えている。オーストラリアも議定書の批准を拒否した。いずれにせよ議定書は、温室効果ガスの大気中の濃度の増大をチェックするためには全く不十分である。それを適用しても、限界をもった前進にすぎないが、今日ではそれすら問題外のように見える。
ヨハネスブルグでは、気候の問題は討論の公式主題とはならなかった。ヨーロッパは、エネルギーの一五%は再生可能な資源から作られるべきだという目標を提示した。しかしこの目標は、北でも南でもエネルギー消費が増大し続けるという展望の枠内にある。それは、化石燃料の使用がもたらすCO2 排出の増大をチェックするのには不十分である。
しかし生物多様性はサミットの議題となった。一九九二年のリオ協定は、その保持と持続可能性を促進したというにはほど遠いものであり、とりわけ遺伝子資源の商品的搾取のメカニズムを実施に移したのである。リオ協定は、生物資源収奪を阻止するために南北間の交易を規制しようとしたが、十年後の結果は確定的なものとは言えない。財政的手段と技術移転の不在の中で、生物多様性に富んだブラジル、アフリカ、インドネシアなどの熱帯雨林は猛烈に開発され続け、さらに急速なリズムで消滅し続けている。数千もの未知の野菜や動物の種も、毎年消滅している。
持続可能なプロジェクトを資金的に援助すると目されていた地球環境基金は、結局のところ嘲笑の的となった。さらに、その目的は環境保全に対応した追加的支出をまかなうことである。その結果、それはしばしば名前だけ「持続可能」というプロジェクトによって引き起こされた環境破壊の修復に資金を出すものになっている。
開発途上諸国は、その搾取の代価をめぐって、多国籍企業と取り引きする以外の選択を持たないことがしばしばである。この搾取の諸条件を改善させるためだけに行われることが多い技術移転において、主要な受益者は富裕なパートナーの側である。
ヨハネスブルグサミットからは、新しい協定は何も生まれなかった。その代わりに、カタールのドーハでのWTO会議の公約に言及した、明白な自由貿易的展望に位置づけられた行動計画が出された。アジェンダ21――リオで採択された勧告の長いリスト――の敗北の後、現在の国連のテーマは「タイプ1、タイプ2イニシアティブ」の促進である。
後者は、多国籍企業をふくむ「市民社会」を関与させる持続可能な開発行動を寄せ集めたものである。国連は、一九九九年に始まった大規模な「グローバル契約」プログラムに多国籍企業が参加するよう強く促してきた。
多国籍企業は、彼らに「緑」のラベルを与えるこうしたプロジェクトを好んでいる。そして、そのエコロジー的効果が少なくとも大いに議論の余地があると言うべき、純粋に儲けの対象である事業に共同で資金提供したり、支援することができる。
こうしてシェルはフィリピンのガス採掘に参加している。遺伝子組み替え作物などを生産する企業の連合体であるクロップライフ・インターナショナルは、殺虫剤の使用訓練プログラムに責任を負っている、などなど。
真に「持続可能」なプロジェクトに対しては、資金提供の必要性すら提起されていない。持続可能な開発は、最も汚染をまき散らす企業をふくむ大企業の南の市場への浸透を正当化するベクトルとなった。
公共セクターが参加する「タイプ1」イニシアティブは、必ずしもよりましなものではない。ここでも、直接的ないし結果的に産業的・商業的利益に有利な事業を国家が後援している。こうして国連は、コンゴの森林貯水機能保護のイニシアティブへの参加を発表したが、それにはこの地域の石油資源の利用可能性とのいかなる関連もぬきに語られている。
ヨハネスブルグは、地球を救う能力があるとされる「緑」の資本主義の偽善的な出現を刻印するものとなった。そこでなされた公約は、リオや飢餓に関するFAO(国連食糧農業機関)サミットの約束以上に守られる可能性はない。貿易の規制緩和が批判を受けず、WTO協定が環境保護よりも優先性を与えられる時、環境は破壊され続けるだろう。
(「インターナショナルビューポイント」02年10月号)



エコロジー運動と反グローバリズム運動の結合だけが希望だ!

希望はリオからはやっては来なかった。それはヨハネスブルグからはやっては来なかった。希望は、ポルトアレグレ、シアトル、ジェノバからやって来る。それは資本主義的グローバリゼーションに反対する運動とエコロジー運動との合流の拡大からやって来る。その連合は、あらゆる重大な前進にとって絶対に欠くことのできないものだ。エコロジスト運動は、ロビー活動の罠から抜け出さなければならない。この点でヨハネスブルグは痛い敗北を喫したのである。
確信に足る思想と主張だけでは不十分だ。社会的力関係を築き上げることが必要なのであり、それができるのは抑圧された人びとだけである。われわれがアマゾンの先住民について語る場合でも、エクソンに反対するナイジェリアの女性やGMO(遺伝子組み替え作物)に反対するフランスの農民について語る場合でも、社会的・エコロジー的闘争が支持され、大衆化されるべきである。
社会運動はエコロジー的緊急課題を組み込まなければならない。それは北の開発に鋭い批判を行い、もう一つの展望、もう一つの成長、もう一つの南北関係を擁護するべきである。反資本主義が、この運動の核心にならなければならない。今日のダメージは、資本主義の力学そのものの結果なのだ。したがって民営化、商品化、規制緩和を拒否することが必要なのである。
規制緩和された世界貿易は、貧しい人びとを助けるどころか、彼らを通貨的・金融的変動の暴風に委ねることになる。開発途上諸国は、自らの経済と生産を守ることができなければならず、とりわけ自らの国内市場を通して需要を充足することを追求しなければならない。彼らの開発は、「北」が取った道とは違う道を取るべきである。「北」が歩んだ道のために、いま全地球がその代価を支払っているのだ。(L・M)
(「インターナショナルビューポイント」02年10月号)

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