安達峰一郎 世界の良心


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ハーグの国際司法裁判所に掲げている安達博士の肖像画。現国際司法裁判所判事・小和田恒氏(皇太子妃・雅子様の父君)の提案により、2006年6月12日、同裁判所で除幕式が行われました。
  安達峰一郎 「正義と良心」の男
達峰一郎博士は、明治2年(1869)、羽前国高楯村(現山形県山辺町高楯)に生まれる。調べてみたかぎりどうも士族ではないようです。しかし祖父は對賢斎と称して寺子屋を開き、近隣の子弟の教育の場としていた。父親の久は、小学校の教員を勤めるなど厳格で教育熱心な人で、後に山辺町町長に就任しているから向学的雰囲気に満ちた家風であったと思われます。
 明治17年、東京の司法省法学校に応募し、志願者1千5百余人の難関を、最年少で、しかも2番の成績で合格した。
法学校の生活に慣れたある日、彼は友人に「言葉の訛」の悩みについて相談した。「寄席に行って円朝の噺を聴いてみな」と友人は助言した。「夜毎夜毎 牡丹灯籠を謹聴し訛の耳を洗い続けし」と日記にある。彼は劣等感を向上心に置き換え、自分の話に人を引きつける術を、寄席を通して会得した。
さらに(東京)帝国大学法科大学に進学した。彼は語学の勉強も熱心で、在学中に、フランス語・イタリア語・英語をマスターし、外国人教師の授業の通訳も勤めた。後世「語学の天才」とか「安達の舌は国宝だ」(新渡戸稲造氏の弁。国連での安達氏のフランス語での説得力を誉め讃えた)と賞賛された語学力は、才能もあったのであろうが、劣等感を原点としている。卒業すると、外交官試補に合格した。翌年公使館書記生となりイタリアに赴任。海外での活躍が始まった。
日露ポーツマス講和会議では、小村全権の随員として、豊富な国際法の知識をもとにロシア代表団と渡り合い、小村全権を補佐した。その後、外交官として世界各地をまわり、その卓越した語学力と高い人望によって国際舞台で頭角をあらわす。
ハーグで対独賠償会議が開催され、フランスとイギリスの意見が対立し戦争の心配までに発展したとき、困り果てた双方から調停の依頼を受けた博士は、日本流の茶席に招いて和解させ、会議を成功に導いた。
1930年、オランダ・ハーグにある国際司法裁判所裁判官に立候補した博士は、52カ国中49票という圧倒的な最高点で当選した。当時の欧州中心の国際社会でいかに世界各国から信頼され、尊敬されていたかがこの結果で分かる。翌年1月、所長に選出された博士は、各国から尊敬と信頼を得られるように、裁判官に高い品性と判決の内容に高度で広い学識を求め、その権威を高めた。
 彼は国際平和を希求して、主要国(大国)は小国により提訴されたことに対して応訴しなければならない義務を強く提唱し、また、裁判官の比率を大国5に対して小国を8とするなど、大国のパワーではなく、法律により国際関係を律するという制度づくりを目指した。
国力の大小に関わらず正しいことは正しいと、法に基づく正義を貫き通したその姿勢は「世界の良心」と讃えられ高く評価された博士の約40年にわたる国際社会での功績に対して、12カ国から第1級の勲章が感謝を持って贈られた。
フランス語で書かれた多くの国際法の文献は、今でも読まれて国際法の礎となっている。昭和9年、アムステルダムで病没。その死をオランダは国葬で見送った。軍国主義花盛りの時代にあって、すごい日本人がいたものです。

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