日本人の皆々様への心からのお願いです

@北海道からSTOP原発さんのblogより
日本人の皆々様への心からのお願いです

このファイルをインターネット上にアップするかどうか、正直なところ、本当に悩み、苦しみました。
僕自身が、我が子の未来をどう拓くのか…子供たち自身が自らの未来をどう切り拓いてゆくのか…
そのことをずっと考えていました。

23年前、泊原発、そして幌延の高レベル放射性廃棄物問題で北海道が沸騰していた時期、
僕は大学4年生で、若いなりにこの問題と向き合い、自分なりに必死に考えて、行動していました。
泊、幌延、六ヶ所、女川、福島、東海、大飯、美浜、もんじゅ、島根…
これらの現地にも足を運んで、この「原子力」という無機物の怪物を見つめ、
(いつか、すべてをやめさせたい)
そう願ってきた一人です。

けれども、2011年3月11日の大震災の直後、23年前から憂いていた日が…ついにやってきてしまいました。

僕が真っ先にしたのは、我が子4人の下の双子たちに、
「申し訳なかった…原発を止めることができなかった…」との謝罪です。

フクシマの1号機、3号機の爆発映像を呆然と見つめ、恐ろしいほどの虚脱感に襲われました。
けれども、ぼぉっとしている猶予などありませんでした。
原発事故というものは、フクシマと北海道との距離など、目と鼻の先同然ですから。

情報は錯綜していましたが、
ニュースの断片と23年前に学んだ知識から推測して、これはチェルノブイリ事故以上の被害になると確信し、
とにかく第一波のヨウ素131から子供らを守るため、
友人らと1~2ヶ月は篭城できるだけの想定をして準備をしました。(篭城までは実行しませんでしたが)
常に風向きを警戒し、雨には絶対当たるなと伝え…

しかし、思いもよらぬところから双子らが被曝し、床に伏しました。
このサイトで詳細をお伝えしているとおり、
汚染車両による被曝が原因であることは、ほとんど疑う余地もありません。

この一連のことについて、一人の親として、一人の人間として、どう行動するのか、本当に悩みました。

第一にはもちろん、双子たちがこの被曝症状からいかに早く、そしてどこまで回復させてあげられるのか…ということが最優先でした。

友人のH氏が、車両の部分部分が高い線量であることに気付き、
第一報をくれたのは8/30、すでに19時近かったとおもいます。
(この知らせが1日遅かったら、と思うとぞっとします…)
すぐに真っ暗になった道を車で走って、現場に行き、高線量を線量計で確認。
即とってかえして、頻繁に体調を崩していた双子らを確認し、
すぐに自然療法仲間、ほうぼうに連絡をとって、最も効果的と思われる方法を探しました。

翌日は自営業の配達の日で、どうしても穴を空けるわけにいかず、
配達しながらも、さらに連絡を取り合って、治療法(放射性物質の排泄方法)を考えました。

子供らには、汚染車両に乗らないこと、
そして妻には、すぐに祖父母にこのことを連絡するように指示して、
翌々日には札幌のバンキー(吸い玉=プハンのようなもの)の指導所に症状の重いY君を連れて行きました。

双子は5、6、7月とほぼ同時に熱も出さずに倦怠感と無気力で数日寝込むことが続き、
8月半ばには、Y君の痙攣が始まりました。
さらに9月には歩行困難も合併しましたが、痙攣は少しずつ改善していきました。

Y君の歩行障害は12月現在も続いています。
K君の右ふくらはぎ付近の筋肉の疼痛と萎縮も、まだあります。
しかし、汚染車両に乗らなくなって、手当てを始めてからは、
ひどい倦怠感で寝込むようなことは、ほぼなくなりました。

お医者さんには、12月現在まで、3回診察を受けていますが、
治療法はなく、経過観察のみといわれています。

※この子らに毎日のように行っているさまざまな自然療法の手当てについては、別に書こうと思っています。



この問題は、我が子だけの問題ではなく、
まだまだ数万、あるいは数十万の汚染車両が日本中を走っている可能性があり、
一刻も早く対処しなければ、次々と被害に遭う子供たちが増えてしまいます。
双子たちは、被曝(おそらくは吸い込んだ)によって、
倦怠感、無気力、痙攣、歩行障害、筋肉の痛み、筋肉萎縮などの症状になりましたが、
必ずしもみんなが同じ症状になるとは限りません。
体内に入った放射性物質が、どこに蓄積し、どこが弱り、感染症などとの合併で、どんな症状を起こすのか、
通常は予測不能であり、多種多様の疾患につながると思います。
そして、汚染に対しての事実認識をしないと、
今、あなたに何か症状があっても、
あるいはお子さんに何か症状があっても、
病院にかけこみ、風邪などの適当な診断(というより、普通はこう診断する、というような)を受けて、
マニュアルどおりの投薬をされます。
それが、放射能のせいなのかどうか、個々に判別するのは極めて困難で、
1年、5年、10年、20年と、統計学的な数値が明らかになってきたときに、
そうなのかもしれませんね、と言われるのです。

ですが・・・我が子を単なる統計学的な数値のひとりにしたいですか??


…悩みました…
この事実を暴露するということは、双子たちの未来に「差別」という障害が立ちはだかる可能性があるからです。

それでも敢えて、このように公開に踏み切ったのは、
被曝の恐怖におびえ、そして差別におびえ、ひっそりと息を殺して、生きていく未来を
この子らが望んでいるはずがないと、この子らの笑顔を見て、確信するからです。


このサイトに来て、この文を読んでいる方々に、ぜひ、お願いしたいことがあります。

あなたの持っている車、
あなたのご自宅の庭、
あなたの生活空間のどこか、

なんとかして、汚染状況をしっかり把握してください。
空間線量だけでは、絶対にいけません!

なぜなら、0,2~0,3μSv/hくらいであっても、
その付近には、数千、数万ベクレルの汚染が存在する可能性があるからです。
だから、国は汚染度合いも、除染のことも、避難の区分けも、
空間線量でしか言わないのです。

ですから、しっかりと汚染を調べて、数値を記録して、証拠を残してください。
でないと、全てをウヤムヤにされます。


僕たちが調べた車も、鉄板などの比較的容易に洗車ができる部分は、
0,1前後しかありませんでしたが、
パッキンなどの部分では、0,2~0,5、
ワイパー根元の吸気口付近では1~2μSv/hを計測し、
その一部の土埃をぬぐいとっただけで、数千ベクレルの放射能を検出しているのです。

この車1台の、総汚染量は、数十万~百万ベクレルに達するのではないかと推測しています。

このような場所に子供を近づけてはいけません。
適当に廃車にしたり、捨てたりすることもいけません。
すでにこの車は、放射性廃棄物です。

この車と同じようなレベルの放射性の瓦礫を、
全国の自治体に受け入れさせようとする動きがあります。
これも、絶対に阻止しないといけません。

すでに、北は岩手から、南は関東全域を含め、静岡、長野、新潟あたりまで、
法的な意味での「放射線管理区域」を超えているのは、土壌汚染の実測値によって明らかになってきています。
(文科省の航空モニタリングの数値は、土壌実測値と比較してあまりにも低い)

汚染地から、一人でも多くの方が避難されることを願っています。
そして、汚染されている物は絶対に持ち出さないことです。

そのことを…この子らが証明してくれているじゃないですか。。。。

この子らの痛みを、絶対に無駄にしたくありません。


もう一度言います。

ちゃんと、目を背けずに、汚染を確認してください。
そして、自分を、我が子を、友人を汚染から守ってあげてください。

除染など危険なだけで、今は意味がありません。

まずは避難してください。
あるいは避難を助けてあげてください。

原発反対とか、新しい自然エネルギーとか、
そういうことも後回しにして、
まずは、事実認識、そして避難、それだけでいいのです。

それだけで、原発など、勝手に止まります。
自然エネルギーの開発も、勝手に進んでいくはずです。

今、我が子を守らないで、いつ守るのですか??

この国は、国民を守ってくれません。

守れるのは、あなた自身だけです。

私自身だけです。

裁判など後回しにします。
みなさんに早くお伝えしたくて、ここに書きました。
心よりお願いします。。。


                        2011.12.20 kazu


双子の診断書
Y君の診断書

K君の診断書 



正直なところ、よくここまで認めてくださったと、神経内科・担当医に感謝しています。
放射能による健康への影響は、よく「何万人に1人」「何千人に1人」などという言い方をします。
しかし、そのような統計学的表現は、被害を受けた人にとって、何の意味もありません。

たとえ解剖しても、断定的な診断が難しいのはチェルノブイリが証明してくれています。

ベラルーシの女医、スモルニコワ医師は、
「子供は20Bq/kgの土壌汚染だとまだ安全。子供は50Bq/kgから危険がはじまる。大人は200Bq/kgから危険です。」
と、自らの臨床現場の体験とデータから、明確に語ってくれています。

その数字と比べても、この車両汚染は、何万倍もの濃度です。。。



放射能汚染車両による双子の外部および内部被曝経緯

(中学1年生=K君は兄、Y君は弟=13才)
 


年月日
時系列の出来事(詳細は各リンク参照)
2011.3.11
東日本大震災
2011.3.12

福島第一原発1号機爆発
川内村に住む双子の祖父母が、避難者に対して川内村で炊き出し
2011.3.13
同様に双子の祖父母が川内村で炊き出し
2011.3.14

福島第一原発3号機爆発
双子の祖父母が川内村脱出
フォレスターで燃料を買出しに走るも購入できず、ガス欠で自宅放置
ミニカで郡山避難所へ
2011.3.15~17
双子の祖父母が郡山市の避難所で過ごす
2011.3.17
双子の祖母父が、ミニカは郡山市の避難所付近に残し、

新幹線で横浜の息子(実子=長男)夫婦宅に入る
2011.3.29
双子の祖母父が、郡山市にミニカを取りにもどったあと、

北海道(実子=長女居住地近隣)に移住。

このころから双子が送迎などで祖父母のミニカに何度も乗車する
5月
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む
6月
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む
7月半ば
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む
2011.7.28
7.30
双子の祖父母が身の回り品およびフォレスターを取りに、川内村に一時帰宅。
28日北海道発→29日に川内村の自宅着。
車両1台(フォレスター)とその他の身の回り品を当麻に持ち帰る。
この際、とくに放射能防御は何もしていない。

フォレスターは原発爆発から4ヶ月半、野外に放置されていた。

双子はフォレスターにもこのころから何度か乗車する
2011.8.4
双子のK君Y君が、再び同時に倦怠感と体調不良で寝込む
8月上旬
Y君が寝込み始める。K君はやや回復。
2011.8.15
病院で双子が診察を受ける(吐き気・頭痛・倦怠感・寝汗・無気力)

血液検査は異常なし
2011.8.18
K君の右足ふくらはぎ疼痛が始まる
Y君の痙攣が始まる
2011.8.30
ミニカのラジエター付近で友人のH氏が最大0,9μSv/hを計測(結果的にこの発見が双子の最悪の事態を回避するきっかけになる)
すぐに自宅に戻り、Y君の頭部LET(快療法)で異常に気付く
2011.9.1
札幌にてプハン(バンキー)治療

以後、毎日バンキーや快療法に基づく手当てを自宅にて双子に実施。
9月中旬
Y君の歩行障害が始まる
10月下旬
Y君の痙攣は、外見的にはわからない程度まで回復
(胸に手のひらで触れると若干感じる程度)
2011.11.6
旭川トヨペットと汚染車の部品交換の直接話し合い(断られる)
旭川ホンダと汚染車の部品交換の直接話し合い(断られる)
2011.11.7
旭川スズキは電話で「放射能汚染のある車は…」と断られる
ミニカの外部線量の再測定を行う
2011.11.9
北海道内の病院にて神経内科を受診
双子とも、神経に関する触診・運動系テストでは異常無し
しかし、痙攣や歩行困難、筋肉の疼痛や萎縮など、
双子にほぼ同時に起きた経緯などから
「放射線による可能性がある」と医師が認め、診断書を書くことを了承
2011.11.18
旭川三菱が部品取り外し作業を受け入れてくださり、ミニカの部品回収
このとき、ワイパー下部(フロントデッキガーニッシュ内部)に詰まった土埃から最大で2,6μSv/hを計測(DP802i
11月下旬
Y君の痙攣は外見的にはわからない程度まで回復
(胸に手を触れても第三者にはわからないが、本人においてはまだ微細な痙攣感覚あり)
2011.12.1
土埃をSOEKS-01再計測し、3,03μSv/hを計測。

アルミ板でβ線遮蔽を行っても、
0,62μSv/hを計測。

※この土埃はわずか数グラム(耳かき数杯程度)
2011.12.6
道民放射能測定所のベクレルモニターLB200にて、
土埃(耳かき数杯程度=数グラム)を測定。
1万数千ベクレルを確認 →横浜の同位体研究所に同検体を測定依頼

2011.12.14

同位体研究所による、上記数グラムの「土埃」の測定結果は以下のとおり。
セシウム137=3,587Bq、セシウム134=2907Bq

セシウム合算6,494Bq
 → 数グラム=5gの土埃と仮定すると、×200倍で

濃度=約130万ベクレル/kg

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