2011年12月29日木曜日

マンクーゾ報告

原発無人列島さんのブログより

葬られた微量放射線の影響調査報告

福島県内のこどもたちへの放射能健康被害が心配されている。

大気中の放射線予測値が年間20ミリシーベルトまでなら、

校舎や校庭の利用を認めるという暫定方針を政府が発表したからだ。

これまでの1ミリシーベルトから一気に20倍にはねあがる。


その根拠は、科学というより、世界の権威、

ICRP(国際放射線防護委員会)への「信仰」というほかない。

文科省はこう説明する。

「一般人の線量限度は本来年1ミリシーベルトだが、

ICRPは原発事故などの緊急時には年20〜100ミリシーベルト、

事故収束後は1〜20ミリシーベルトを認めている」。

官僚にとっての判断基準は「論拠」という名の、いわば「言い訳のタネ」だが、

権威の勧告に従っていればそれを満たすということだろう。

筆者は4月7日のメルマガで「許容放射線量の虚構」と題して、

ICRPの勧告なるものに根本的な疑問を呈した。

ICRPが許容放射線量の根拠にしているのは、

広島、長崎の被爆者の健康被害データと、

原爆投下時の放射線量の暫定的な推定値である。

いま、福島が直面しているような

「微量放射線」の影響を調査した結果にもとづくものではない。

筆者の知る限り、微量放射線が人体に与える影響についての調査結果を

人類にもたらしたのは1977年の「マンクーゾ報告」をおいてほかにない。

ところが、この「マンクーゾ報告」は、

「スロー・デス」(時間をかけてやってくる死)という不気味な言葉を残したまま、

米政府の手で抹殺された。

米・ワシントン州のハンフォード原子力施設労働者の健康被害を

追跡したそのレポートの結論が、

ICRPの放射線許容の甘さを証明する内容だったからである。

米政府・エネルギー省に

「ペルソナ・ノン・グラータ」(危険人物)の烙印を押された

マンクーゾ博士から直接、話を聞いた日本のジャーナリストは

おそらく内橋克人氏だけではないだろうか。

筆者は昭和61年に刊行された

内橋氏の「原発への警鐘」で「マンクーゾ報告」の存在を知った。

福島第一原発の事故後、

復刻版「日本の原発、どこで間違えたのか」が発刊されているので、

興味ある方は読んでいただきたい。

ここでは手もとにある「原発への警鐘」をもとに、

マンクーゾ報告の内容と、ICRPの勧告を根拠に

日本政府が採っている放射能対策の落差について、

筆者なりの整理をしてみたい。
「被曝の危険性につて 
米政府当局はいつも次のような言い方をしています。

差し迫った危険はない」
マンクーゾ博士は内橋氏にそう語ったという。

「ただちに影響はない」という枝野官房長官とそっくりの言い回しだ。

ここに大いなる欺瞞、ごまかしがあることは、多くの国民が気づいている。

ただちに危険はなくとも、遠い将来、影響が出てくるのではないか。

そう、疑っている。

被曝には大きく分けて二種類ある。

原爆の被爆者のように一度に大量の放射能を浴びるケースがひとつ、

そしてもう一つが日常的に微量の放射線を浴び続ける場合だ。

広島、長崎の被爆者については、

原爆傷害調査委員会(ABCC)が、

白血病やガンなどの健康被害を追跡調査したデータがある。

ところが、原爆投下時にどれだけの放射線量があったのかが定かでないため、

放射線量と人体への影響についての相関関係を解明しきれていない。

ネバダなど過去の核実験の測定値にもとづいて、

広島、長崎の放射線量を推定した値を、広島、長崎で集めた発病データに

あてはめて、人体が放射線でこうむる影響を計算した結果が、

ICRPの許容放射能の数値のもとになっている。

つまり、ICRPが各国政府への勧告の基準とする微量放射線の影響評価も、

広島、長崎の健康被害データと放射線推定値から

導き出されているということだ。

これに対して、ハンフォード原子力施設を対象とした

マンクーゾ博士の調査報告は、日常的に微量の放射線を浴び続けた場合、

人体がどういう影響を受けるのかについての

世界初の研究データといえるものであった。

下記は「原発への警鐘」に記されたマンクーゾ報告の要点である。
1944年〜72年に至る29年間に、

ハンフォード原子力施設で働いた労働者2万4939人のうち、

調査時点での死亡者3520名。

そのうち白血病を含むガンによる死者670名。

全米白人のガン死亡率より6%以上も高かった。


ガンで死亡した労働者が生前、職場で浴びた外部放射線量は

平均1.38ラド、

ガン以外の死者の平均線量は0.99ラドだった。

ガンによる死者のほうが生前、40%多く放射線を浴びていたことになる。

倍加線量(ガンの発生率を通常の2倍にする放射線量のこと)はガン全体で12.2ラド、肺がんで6.1ラド、骨髄ガンで0.8ラド、などと推定される。
放射線の単位であるラド、レム、シーベルト、グレイ、ベクレルは

それぞれ定義が異なり、単純に換算できないが、

ここでは便宜的に、1ラド=0.01グレイ=0.01シーベルトとする。

ガンで死亡した労働者の浴びた外部放射線量1.38ラドというと、

0.0138シーベルト、すなわち13.8ミリシーベルトである。

もちろん年間の被曝量ということであろう。

そしてマンクーゾ報告はこう結論づける。
「人間の生命を大事にするというのなら、

原子力発電所の内部で働く作業従事者の被曝線量は

年間0.1レム(1ミリシーベルト)以下に抑えるべきである」
わが国では、ICRPの勧告をもとに年間の放射線許容量として、

一般人の場合で1ミリシーベルト、

放射線業務従事者なら50ミリシーベルトという数字を採用してきた。

マンクーゾ報告の結論からすると、

50ミリシーベルトというのは、とんでもなく高い数字である。

しかし、

原発で働く人の許容放射線量を1ミリシーベルト以下にしようと思えば、

作業効率やコスト面などで難しく、現実の問題として、

原発そのものを否定することにつながりかねない。

当然、当時の米国の国策にそぐわず、原発関係者や学者らから

「科学的信憑性に欠ける」などと一斉攻撃を浴びて、

マンクーゾ報告は米政府の手で抹殺され、

学界の深い闇の底に葬られたのである。

ICRPの起源は1928年にさかのぼる。

レントゲンによるX線の発見で、

放射線が医療現場で使われるようになったため、

医師や技師の健康を守る必要が生まれ、研究者が世界から集まった。

現在、ストックホルムに事務局がある。

この組織が、放射線から人を守るという純粋な精神をしだいに失い、

行政や原子力産業サイドに傾斜する姿勢に変質していったことは、

しばしば指摘されてきた。

たしかにその勧告は1958年を境に、許容量を高くする、

つまり規制を緩める方向に転じている。

そもそも同じ人体に対し、一般人は1ミリシーベルト、

原発作業員はその50倍でOKというのは、いかにも便宜的である。

福島のこどもたちに、

年間20ミリシーベルトまでは絶対大丈夫だと言い切れる根拠が、

ICRPの勧告以外にあるのならぜひ政府に示していただきたい。

文科省の鈴木寛副大臣は「100ミリシーベルト未満では、

ガンなどのリスク増加は認められない」と述べたと報道されているが、

それならば、その根拠となる調査研究データを即刻、

明らかにすべきではないか。

マンクーゾ博士はこう警告したという。
「原子力産業はクリーンでもなければ、安全でもありません。

それは殺人産業といっていいでしょう」
福島第一原発の事故が日本人、

いや世界人類に突きつけているこの警告をわれわれは今、

どう受けとめるべきだろうか。国がエネルギー政策の転換を

真剣に考えねばならないのは当然のことであろう。

そして将来、スロー・デスを引き起こさないよう、

国は細心の放射能管理政策を実行せねばならない。

いまここに見えていないからこそ、その脅威に対し、

しっかりとした見識をもって判断すべきである。

決してその時々の弥縫策で済ませてはならない。

  新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


放射線被ばくはスロー・デス│マンクーゾ博士

放射線被ばくは、スロー・デス(穏やかな死)と結論づけたトーマス・F・マンクーゾ医学博士による『マンクーゾ報告』
マンクーゾ報告は1977年末に発表され、ICRP(国際放射線防護委員会)を含め原子力推進者に衝撃と恐怖を与えました。

そのマンクーゾ報告は、その後アメリカ国内でもいわゆる揉み消しの憂き目にあってしまうのですが、その揉み潰し、隠蔽に現在の日本政府、電力会社、電事連、御用学者、有象無象の原子力推進団体等々のスタンスが重なっているように見えます。

マンクーゾ報告以前にあった、ある『仮定』を今の日本の原子力推進体制は無邪気に信じ込み、それを国策という名目から学校教育という手段を使って信じ込ませようとしてきました。

放射線被ばくの影響は、実際のところデータも少なく諸説あるのが実態です。

ここでは私たちが原子力推進の体制側(権力側)によって、信じ込まされているものが何かから冷静に見つめなおす必要があることを指摘しています。

以下は、経済評論家の内橋克人氏の著書日本の原発、どこで間違えたのかからポイントを抽出したものです。

T65Dと呼ばれる原子力安全アピールの『仮定』

T65Dとは"Tantative 65 Dose"の略で、1965年に作られた暫定値、という意味です。

世界中の全ての原発が、まさにこの『仮定』のうえに建設され運転しているとご理解ください。

ICRP勧告も、このT65Dという『仮定』の上に成り立っています。

アメリカのオークリッジ国立研究所が1966年に「広島・長崎原爆投下時における放射線量」の「推定値」を発表しました。
これがT65Dと呼ばれており、ネバダでの核実験はじめ過去の核実験をもとにした推定値です。

広島・長崎の原爆投下による放射線量はいまだもって定かではなく、推定でもってしか測ることができません。
そこで推定値となるT65Dと、原爆被災者の白血病やガンの発病率をつきあわせることによって、人間はどれくらいの放射線を浴びるとどうなるか・・という基礎データをまとめていきました。

現在よく知られている、○○シーベルト以上は全員死亡とか、△△シーベルトではリンパ球が減少、といった説もオークリッジ研究所の発表した基礎データがもとになっています。
ICRP勧告も同様に、この基礎データがもとになっています。

しかし、です。

その後、軍事機密であった原爆データの一部が解禁されると、研究機関によってT65Dを覆すようなデータが次々と発表されるようになりました。

アメリカのローレンス・リバモア研究所からは、広島原爆での中性子線量はT65Dの実は1/10以下、長崎原爆では1/6以下ではないかと。これは何を示すかというと、T65Dよりはるかに少ない放射線量であれだけの影響を人体に与える、ということです。

つまり、T65Dから導き出された許容量は間違っていて、見直す必要があるのではないか、といったデータが次々飛び出てきたわけです。
そのとどめを討ったのが、疫学的調査の面から膨大な衝撃的データをまとめた『マンクーゾ報告』だったのです。

放射線障害

原発労働者の14%ガン死『マンクーゾ報告』

マンクーゾ報告とは、微量放射線が人体にどのような影響を与えるかを世界で初めて疫学的に明らかにしたものでした。

彼の調査はもともとアメリカの原子力委員会の委託で実施され、権力や圧力に拠らないソーシャル・セキュリティ・システムという客観的データを分析するアプローチでしたので、世界に対して非常に強い説得力を発揮しました。

彼は、アメリカのハンフォード原子力施設で働いた労働者24,939名(1944年から1972年までの29年間にわたるデータ)を分析し、ガンや白血病による死者、骨髄、肺、咽頭に与える影響度など克明に調べ上げていったわけです。

その結果、原発労働者は一般労働者よりもガンになる危険性が10倍も20倍も高い、ということを科学的事実として提起しました。

しかしです・・・また、しかし、です。

この報告が実は結果的にスポンサーであり、原子力推進母体である原子力委員会の怒りを買ってしまったわけです。

さらにマンクーゾ博士はあろうことか、米政府エネルギー省によってただちに『ペルソナ・ノン・グラータ』という烙印を押されました。

ペルソナ・ノン・グラータとは、危険人物のことです。

このため、一切の研究結果と研究費を剥奪されてしまいました。

こういった扱いを考えると、日本の原子力ムラが原子力反対者にとってきた排撃する姿勢と共通するように思えます。

マンクーゾ博士はこのように述べています。

『放射線被ばく(レディエーション・エクスポージャー)は、時間をかけて徐々に影響が現れてきます。交通事故では内臓破裂や骨を折ったりで原因と結果がすぐわかります。被ばくの場合は、20年も30年も結果が出るまで時間がかかります。交通事故と違って目に見えませんが、目に見えないからといって、何も起こらないわけではないのです』

さらに、

『原子力産業というのは、クリーンでも安全でもありません。殺人産業といってもいいでしょう。ゆっくりと徐々に人の身体を蝕んでいきます。』

マンクーゾ博士の結論はこうです・・・・

「人間の生命を大事にするというのなら、原子力発電所の内部で働く作業従事者の被曝線量は年間0.1レム(1ミリシーベルト)以下に抑えるべきである」

年間1ミリシーベルトという許容量は、ずいぶん前から科学的根拠をもとに主張されてきたわけです。

年間20ミリシーベルト~安全委と文科省の愚”に示すように20ミリシーベルトという値がいかに無謀なものかを私たちはよくよく考えてみるべきではないでしょうか。

マンクーゾ報告 (内橋克人著『日本の原発、どこで間違えたのか』より)




以前に高木仁三郎さんの『科学は変わる-巨大科学への批判-』

(1979年に東洋経済新報社の東経選書として発行され、

その後1987年に社会思想社から現代教養文庫として発行。

残念ながら現在は古書店で入手するしかない)から、

「マンクーゾ報告」のことを紹介した。


 4月に発行された内橋克人さんの『日本の原発、どこで間違えたのか』

(朝日新聞出版発行、

1986年に講談社文庫から発行された『原発への警鐘』の復刻本)にも、

当のマンクーゾ教授へのインタビューなどを含め紹介されている。

「第三章 人工放射能の恐怖『放射能はスロー・デスを招く』」より引用。


ハンフォード原子力施設は兵器製造のための消費燃料から

プルトニウムを処理する、という作業が中心になっていて、

アメリカ原子力兵器産業にとっては重大な意味をもっている。

 長崎原爆と同型の原爆のためのプルトニウムを製造したり、

廃棄物処理が行われているのだ。

 教授の調査は、そこを舞台に実施された。

「私は1944年以来の残されているハンフォード労働者(男女とも)の

ファイル(ソシャル・セキュリティ・ナンバーによる記録)を、

苦労しながらふるい分けて、被曝の状態と健康に与える有害な影響の間の、

ありとあらゆる連関について調べあげました。

調査の結果、重大な事実が出てきたんです・・・・・・」

 1944~72年に至る29年間に同センターで働いた労働者2万4939名。

うち死者3520名。うちガン(白血病を含む)による死者670名

(全労働者の2.7パーセント、全死者の19パーセント)。

ガンによる死亡者の66パーセントまでが

バッジ・リーディングと呼ばれる作業(放射線被曝量が多い)に

従事した人々であった。

 (中 略)

 結果を発表したマンクーゾ教授は、米政府エネルギー省の手によって、

ただちに「ペルソナ・ノン・グラータ」の烙印を押された。

 ペルソナ・ノン・グラータ、すなわち「危険人物」にほかならない。


 

(1977年に発表された「マンクーゾ報告」の内容については、

4月8日のブログをご覧いただくとして、この報告、

そしてマンクーゾ教授自身のその後について、

本書はご本人へのインタビューも交えて明らかにしている。)

発表直後に調査費停止

「被曝はスロー・デス(時間をかけてやってくる死)、を招くのです。

死は徐々に、二十年も三十年もかけて、ゆっくりとやってきます。

原子力産業はクリーンでもなければ、安全でもありません。

それは殺人産業といっていいでしょう」

 ピッツバーグ市内のホテルでインタビューが行われた翌朝、

トーマス・F・マンクーゾ教授は、

再びピッツバーグ大学の大学院ビルにある自らの研究室に

インタビュアーを招いた。

 大学院ビル七階のマンクーゾ研究室は、

同室を含めて五部屋つづきのうちの一室。

1962年以来、同大学の公衆衛生大学院職業衛生調査担当教授

(リサーチ・プロフェッサー・オブ・オキュペイショナル・ヘルス)をつとめ、

NCDA賞受賞(国立ガン研究所が優秀な研究者に贈る)など、

世界的に名を知られた科学者の研究拠点としては、

室内に人のざわめきも感じられず、

あまりに質素に過ぎる印象は否定できなかった。

 謎はすぐに氷解した。

 政府および原子力委員会

(AEC、1975年にNRC=原子力規制委員会と

ERDA=エネルギー研究開発庁に分割)の委託として開始された

その調査活動が、結果において

当のスポンサーたちの意図を裏切る内容のものとなった。

にもかかわらず、あえて調査データを公表したマンクーゾ教授は、

結局、米政府エネルギー省(EOD、77年にERDAが改組され設置)の手によって

「ペルソナ・ノン・グラータ」(危険人物)の烙印を押されてしまったからだ。


 調査費予算の支給は打ち切られ、苦労の末、築き上げてた調査データは

オークリッジ国立研究所に移管されてしまった。


 (「マンクーゾ報告」については、原子力村からは当然のこと、

他の科学者からも統計手法などについて批判がないことはない。

そのことについて、京大原子炉実験所の今中哲二助手(当時)への

インタビューが紹介されている。)


 「放射線は人間の身体に対してどんな影響を与えるのか、

人体への確率的影響をみるための最も基礎的なデータといいますと、

もう当然のことながら、広島・長崎で被曝した生存者の方々が、

その後どのような率でガンや白血病に冒されていったのか、

その発生率と被爆線量との相関関係を追跡調査したデータのほかありません。

が、このいわゆる原爆データを使って、

原子力発電所などにおけるリスクを評価しようとしますと、

たちまち問題が出てくるわけです。

いったいお原爆のような高線量域でのデータを、

そのまま低線量域んじ外挿して果たしてあてはまるのだろうか、

という疑問ですよ」

 その点、マンクーゾ教授が調査に駆使した

ハンフォード原子力施設でのデータは、

「直接、低線量域での被曝データなので、きわめて有意義なものです。

原発での作業従事者のリスト評価には、

過去のどんなデータより優れていると私は思いますね」

 だが、と彼は、マンクーゾ・データが内包している“欠陥”についても、

次のように指摘することを忘れなかった。

「ただ、純粋に科学的な立場から、

マンクーゾ教授の行った疫学調査を詳しく検討してみますと、

データ処理の方法にやや欠陥がみられることも確かです」

 数式のとり方、数字の扱い方に問題があり、数値の合わない部分が、

じっさいに見られると今中氏はいう・

「いいかえますと、マンクーゾ教授の姿勢は高く評価できるし、

原子力に関係する一科学者として私自身、

マンクーゾ・データを支持する立場ははっきりしているのですが、

科学的な面で彼のデータを全面的に信頼するというわけにはいかない。

この点がまた、マンクーゾ教授に対するあげ足取り的な批判を許す

大きな原因となっていることも事実ですね」


 また一方で、彼らはマンクーゾ報告に対して出された批判を逐一、

吟味するという作業もやってのけた。

「マンクーゾ報告はデータそのものの信頼性が低い」

「生存者をデータに含めて、死亡率を検定するという手法を用いると、

相関性は認められない」 そういった批判であった。


 今中氏らによる検証の結果、

前者の「データの信頼性」うんぬんというのは

「批判のための批判という色合いが強くて、いわばアラ探しのやり方」

といえるという。

 また後者のように「調査の方法」に対して出された批判も、

「分析方法が違えば有意性の判定結果が違ってきても、

それでただちにどちらが誤りといえるわけではない」と彼は診断を下した。


 以下、専門的な話が今中氏の口を通して詳細に展開された。

そのすべてを報告するわけにはいかないのが残念である。

 ここではマンクーゾ報告に対する今中氏の総括で、

ひとまず締めくくっておくことにする。

「要するにマンクーゾ論文というのは、

ハンフォードという現実に存在する原子力施設のデータから、

放射線とガンとの相関関係を見出したところに大きな意味があるわけですよ。

科学的な結論をいいますと、マンクーゾ・データには少なからぬ欠陥がることは確かではありますが、しかし、私自身が検討したところでは、

マンクーゾ・データに対して加えられたこの種の批判が成立するほどの

根拠もない。

マンクーゾ報告は多くの欠陥はあるものの、

放射線とガンとの相関性は示されている、というのが私の結論です」


 マンクーゾ報告を無視したり、敵視したりすることは、

原発から出る放射線のリスクを正確に知ろうとして払われている

真剣かつ科学的なおびただしい努力に対して、

逆行する姿勢を示すもの、ということになるのではあるまいか。



フクシマ以降の日本のマスコミに、

「マンクーゾ報告」のことは、ほとんど登場しない。

私は原子力村からの直接的な“指導”があるか、

あるいはメディア側の自主規制、

もしくは、取り上げようとして御用学者に意見を聞いて

「あの報告は信頼性がない」の一言でボツにしているような気がしている。

 まったく欠陥などない調査や統計というのは皆無ではなかろうか。

今中さんが指摘するように、“アラ探し”をするように問題的に着目して、

調査結果の持つ大きな意義まで無視するのは、

数少ない内部被曝に関する実証的データを無駄にすることになる。

 九州電力のヤラセ・メールのように、原子力推進派は、

自分達の有利な方向に進めるために手段を選ばない。

まさか露見するとは思っていなかったので、確信犯的にやったのだ。

そして、逆に自分達に不利になる情報は極力隠蔽しようとする。

 原発が、こういった言論統制的な社会を招くことも大きな問題である。

やはり、人の体にも心にも害を与える原発は、いらない。














 

Nihonnogenpatsu_Uchihasi.jpg 内橋克人著『日本の原発、どこで間違えたのか』

 

 ハンフォード原子力施設は兵器製造のための消費燃料からプルトニウムを処理する、という作業が中心になっていて、アメリカ原子力兵器産業にとっては重大な意味をもっている。
 長崎原爆と同型の原爆のためのプルトニウムを製造したり、廃棄物処理が行われているのだ。
 教授の調査は、そこを舞台に実施された。
「私は1944年以来の残されているハンフォード労働者(男女とも)のファイル(ソシャル・セキュリティ・ナンバーによる記録)を、苦労しながらふるい分けて、被曝の状態と健康に与える有害な影響の間の、ありとあらゆる連関について調べあげました。調査の結果、重大な事実が出てきたんです・・・・・・」
 1944~72年に至る29年間に同センターで働いた労働者2万4939名。うち死者3520名。うちガン(白血病を含む)による死者670名(全労働者の2.7パーセント、全死者の19パーセント)。ガンによる死亡者の66パーセントまでがバッジ・リーディングと呼ばれる作業(放射線被曝量が多い)に従事した人々であった。
 (中 略)
 結果を発表したマンクーゾ教授は、米政府エネルギー省の手によって、ただちに「ペルソナ・ノン・グラータ」の烙印を押された。
 ペルソナ・ノン・グラータ、すなわち「危険人物」にほかならない。


 1977年に発表された「マンクーゾ報告」の内容については、4月8日のブログをご覧いただくとして、この報告、そしてマンクーゾ教授自身のその後について、本書はご本人へのインタビューも交えて明らかにしている。

発表直後に調査費停止
「被曝はスロー・デス(時間をかけてやってくる死)、を招くのです。死は徐々に、二十年も三十年もかけて、ゆっくりとやってきます。原子力産業はクリーンでもなければ、安全でもありません。それは殺人産業といっていいでしょう」
 ピッツバーグ市内のホテルでインタビューが行われた翌朝、トーマス・F・マンクーゾ教授は、再びピッツバーグ大学の大学院ビルにある自らの研究室にインタビュアーを招いた。
 大学院ビル七階のマンクーゾ研究室は、同室を含めて五部屋つづきのうちの一室。1962年以来、同大学の公衆衛生大学院職業衛生調査担当教授(リサーチ・プロフェッサー・オブ・オキュペイショナル・ヘルス)をつとめ、NCDA賞受賞(国立ガン研究所が優秀な研究者に贈る)など、世界的に名を知られた科学者の研究拠点としては、室内に人のざわめきも感じられず、あまりに質素に過ぎる印象は否定できなかった。
 謎はすぐに氷解した。
 政府および原子力委員会(AEC、1975年にNRC=原子力規制委員会とERDA=エネルギー研究開発庁に分割)の委託として開始されたその調査活動が、結果において当のスポンサーたちの意図を裏切る内容のものとなった。にもかかわらず、あえて調査データを公表したマンクーゾ教授は、結局、米政府エネルギー省(EOD、77年にERDAが改組され設置)の手によって「ペルソナ・ノン・グラータ」(危険人物)の烙印を押されてしまったからだ。
 調査費予算の支給は打ち切られ、苦労の末、築き上げてた調査データはオークリッジ国立研究所に移管されてしまった。

 「マンクーゾ報告」については、原子力村からは当然のこと、他の科学者からも統計手法などについて批判がないことはない。そのことについて、京大原子炉実験所の今中哲二助手(当時)へのインタビューが紹介されている。

 「放射線は人間の身体に対してどんな影響を与えるのか、人体への確率的影響をみるための最も基礎的なデータといいますと、もう当然のことながら、広島・長崎で被曝した生存者の方々が、その後どのような率でガンや白血病に冒されていったのか、その発生率と被爆線量との相関関係を追跡調査したデータのほかありません。が、このいわゆる原爆データを使って、原子力発電所などにおけるリスクを評価しようとしますと、たちまち問題が出てくるわけです。いったいお原爆のような高線量域でのデータを、そのまま低線量域んじ外挿して果たしてあてはまるのだろうか、という疑問ですよ」
 その点、マンクーゾ教授が調査に駆使したハンフォード原子力施設でのデータは、
「直接、低線量域での被曝データなので、きわめて有意義なものです。原発での作業従事者のリスト評価には、過去のどんなデータより優れていると私は思いますね」
 だが、と彼は、マンクーゾ・データが内包している“欠陥”についても、次のように指摘することを忘れなかった。
「ただ、純粋に科学的な立場から、マンクーゾ教授の行った疫学調査を詳しく検討してみますと、データ処理の方法にやや欠陥がみられることも確かです」
 数式のとり方、数字の扱い方に問題があり、数値の合わない部分が、じっさいに見られると今中氏はいう・
「いいかえますと、マンクーゾ教授の姿勢は高く評価できるし、原子力に関係する一科学者として私自身、マンクーゾ・データを支持する立場ははっきりしているのですが、科学的な面で彼のデータを全面的に信頼するというわけにはいかない。この点がまた、マンクーゾ教授に対するあげ足取り的な批判を許す大きな原因となっていることも事実ですね」
 また一方で、彼らはマンクーゾ報告に対して出された批判を逐一、吟味するという作業もやってのけた。
「マンクーゾ報告はデータそのものの信頼性が低い」
「生存者をデータに含めて、死亡率を検定するという手法を用いると、相関性は認められない」
 そういった批判であった。
 今中氏らによる検証の結果、前者の「データの信頼性」うんぬんというのは「批判のための批判という色合いが強くて、いわばアラ探しのやり方」といえるという。
 また後者のように「調査の方法」に対して出された批判も、「分析方法が違えば有意性の判定結果が違ってきても、それでただちにどちらが誤りといえるわけではない」と彼は診断を下した。
 以下、専門的な話が今中氏の口を通して詳細に展開された。そのすべてを報告するわけにはいかないのが残念である。
 ここではマンクーゾ報告に対する今中氏の総括で、ひとまず締めくくっておくことにする。
「要するにマンクーゾ論文というのは、ハンフォードという現実に存在する原子力施設のデータから、放射線とガンとの相関関係を見出したところに大きな意味があるわけですよ。科学的な結論をいいますと、マンクーゾ・データには少なからぬ欠陥がることは確かではありますが、しかし、私自身が検討したところでは、マンクーゾ・データに対して加えられたこの種の批判が成立するほどの根拠もない。マンクーゾ報告は多くの欠陥はあるものの、放射線とガンとの相関性は示されている、というのが私の結論です」
 マンクーゾ報告を無視したり、敵視したりすることは、原発から出る放射線のリスクを正確に知ろうとして払われている真剣かつ科学的なおびただしい努力に対して、逆行する姿勢を示すもの、ということになるのではあるまいか。


 フクシマ以降の日本のマスコミに、「マンクーゾ報告」のことは、ほとんど登場しない。私は原子力村からの直接的な“指導”があるか、あるいはメディア側の自主規制、もしくは、取り上げようとして御用学者に意見を聞いて「あの報告は信頼性がない」の一言でボツにしているような気がしている。

 まったく欠陥などない調査や統計というのは皆無ではなかろうか。今中さんが指摘するように、“アラ探し”をするように問題的に着目して、調査結果の持つ大きな意義まで無視するのは、数少ない内部被曝に関する実証的データを無駄にすることになる。

 九州電力のヤラセ・メールのように、原子力推進派は、自分達の有利な方向に進めるために手段を選ばない。まさか露見するとは思っていなかったので、確信犯的にやったのだ。そして、逆に自分達に不利になる情報は極力隠蔽しようとする。

 原発が、こういった言論統制的な社会を招くことも大きな問題である。やはり、人の体にも心にも害を与える原発は、いらない。






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