『チェルノブイリ
―
大惨事が人びとと環境におよぼした影響』
Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment
( the New York Academy of Sciences, 2009 ) 抄訳
汚染の生態学上の特徴(19頁):
チェルノブイリ惨事の汚染が
自然界と公衆衛生に及ぼした重要な影響は
以下の三点である。
汚染が溜まる箇所が
斑状に不均一に広がっていること、
いわゆる「ホット・パーティクル」の影響、
そして、
放射性物質が生命体に蓄積されることである。
現在まで、チェルノブイリ事故における
放射性落下物の分布が斑状に
不均一に広がっていることに対しては
殆ど注意が払われてこなかった。
殆どの汚染地図の基礎データとなる
ガンマ線空間線量調査では、
調査経路の 200~400 メートルごとの
放射能平均値が出るに過ぎないが、面積が狭く、
場所によって偏りがあり、
汚染濃度の高い「ホット・スポット」が
認識されずに終わる。
(中略)
10メートルの距離であっても、
放射性物質の濃度に
深刻な差異が生じる可能性がある。
「ホット・パーティクル」問題(21頁):
チェルノブイリによる放射能汚染を評価する際の
根本的で錯綜した問題はいわゆる
「ホット・パーティクル」
(チェルノブイリの死の灰とも呼ばれる)
の存在である。
事故による爆発の際、
さまざまな気体と
エアロゾール(微粒子の霧、ウラニウムが
分裂してできる物質である
セシウム137、
ストロンチウム90、
プルトニウムなど)
のみならず団子状となるホット・パーティクル
(ウラニウム燃料が
他の放射性物質と一緒に溶けたもの)も放出された。
事故現場近くでは
ウラニウムとプルトニウムの重たく大きな粒子が
降り注いでいる。
ハンガリー、ドイツ、フィンランド、ポーランド、
ブルガリア、その他のヨーロッパ諸国でも
地域によって平均約 15 マイクロメートルの
ホット・パーティクルが降っている。
(中略)個々のホット・パーティクルが持つ放射能は
10 キロベクレルに達した。
水、食品、空気を通して体内に吸収されると、
汚染度の低い地域に住んでいる人間にも
高線量の汚染が生じる。
1マイクロメートル以下の細かい粒子は
容易に肺を貫通し、2
0~40 マイクロメートルの大粒のものは主として
呼吸器系統の上部に残留する。
ホット・パーティクルの構成や崩壊の特徴、
それらの性質、また人間とその他の生物の健康に
与える影響の研究は乏しく、
意味をなすものとなってはいない。
結論(26~27頁):
旧ソ連邦の外に降ったチェルノブイリ事故による
放射性物質(全体の 57%に及ぶ)が
世界中の広範な地域、殊に北半球全体に、
著しい放射能汚染をもたらした。
1地球の表面に存在する自然放射能を
2%高めただけだという言明は
事実を曖昧にするものである。
この汚染で自然放射能の値を越えた地域は
広範囲であり、1986年の時点で、
チェルノブイリによる死の灰に汚染された
地域に住む6億に及ぶ子供を含む人間が
1 平方キロメートルあたり
0.1キュリー以上という危険に晒されている。
第 2章
「チェルノブイリが公衆衛生に与えた影響、
方法論上の問題点」より
影響を示す
<客観的なデータ>取得の困難性(33頁):
メルトダウン直後、旧ソ連邦は
公衆衛生に関する情報を機密とし、
1989 年5 月 23日に禁令が
解かれるまでの3 年以上この状態が続く。
こうした約3 年間、
早期に発病した白血病による死者数は不明である。
公的に機密扱いだったのは旧ソ連邦に留まらず、
フランス、英国、合州国ですら同様であった。
事故後、
フランスの公的機関である電離放射線対策中央局は
放射能を含んだ雲が
フランスを通過した事実を否定している。
1987、1988年には、
合州国農業局は輸入食品が危険な水準の
汚染を示していた事実を公表しなかった。
こうした汚染情報が一般に知らされたのは
事故後8 年経ってからである。
第 3章
「チェルノブイリ事故後に生じた
一般的な疾病、障害」より
(章の梗概、42頁)
電離放射線による健康被害には閾値は存在しない。
チェルノブイリ 4号機の爆発は
厖大な量の放射性物質をまき散らした。
自然放射能の値をわずかに超えただけであっても、
遅かれ早かれ被曝した個人やその子孫の健康に
影響し、統計に(つまり確率論的に)表れる。
チェルノブイリ事故の放射能汚染によって
最初に生じた確率論的影響のひとつが
病弊全般に出る変化なのである。
民族誌、経済、人口統計、環境の点で
類似していても、
汚染濃度の高い地域と低い地域を比較すると
必ず汚染度の高い地域で病弊、新生児の問題、
障害の割合が増加している。
この章で挙げた病弊のデータは
類似した多くの研究のごく一部に過ぎない。
ベラルーシ公衆衛生省のデータによると、
事故直前の1985年には、
「実質上健康に問題ない」
と見做される子供は90%であった。
2000年になるとその範疇と見做される
子供の割合は 20%以下となり、
最も汚染度の高いゴメリ州で
健康な子供の数は 10%を切っている。
1986 年から 1994年の間、
ベラルーシにおける
国全体の新生児死亡率は9.5%であった。
最も増加の著しかったのは
汚染度の一番高いゴメリ州で、205%にのぼったが、
主たる原因は増加した早産児の病弊であった。
(42頁)
ウクライナにおける事故後10 年間の、
子供の病弊全体の割合は6倍に増加する。
その後一度若干の減少をみたものの、
事故後15 年間では1986 年の 2.9倍である。
2
ウクライナで
1986 年から2003年の間、
集中的な社会事業と医療対策が
施されていたにも関わらず、汚染地域における
「実質上健康に問題ない」と見做される
子供の割合は3.7倍減少(27.5%から 7.2%へ)し、
「慢性的疾患」を持つ子供の割合は
1986-1987年の8.4%から
2003年の77.8%へと増加している。(45 頁)
(ウクライナ政府報告書より、46 頁)
1988年から 2002 年の間、
ウクライナの成人避難者のうち
健康である者の割合は 68%から 22%へと減少し、慢性的疾患を持つ者の割合が
32%から 77%へと増加している。
1988 年から 2003年の期間、
事故後の処理にあたったウクライナの労働者のうち、
障害を持つ者の割合は(1000人あたり 2.7人から
206人へと)76 倍に増加した。(47頁)
チェルノブイリから飛来した放射性物質による
汚染度が最も英国で高かった場所のひとつである
ウェールズにおいては、
(1500 グラム以下の)異常に低体重の出生児が
1986-1987年の期間に報告されている。(50 頁)
第 4章
「チェルノブイリ惨事の
結果として生じた加速度的な老化現象」より
ベラルーシの高度汚染地域に住む子供は
老年期特有の
さまざまな病弊(の組み合わせ)に苦しんでいる。
ウクライナの汚染地域住民の
生物学(医学上の)上の年齢は
戸籍による年齢よりも
7 歳から 9歳上回っている。
同様の現象はロシアでも観察されている。
老化現象の早期化は事故処理にあたった
労働者にみられる典型的な特徴のひとつで、
人口全体の平均よりも
10 年から15年早く病気となる。
彼らにみられる特徴的な老化現象から計算すると、
戸籍上の年齢よりも5 歳から15 歳老いている。
(55 頁)
第 5章「チェルノブイリ惨事以後の悪性ではない腫瘍等」より
この章では、汚染に晒されたひとびとにみられる悪性ではない腫瘍の病態分布と発生
の規模を扱う。チェルノブイリ事故による放射能拡散の結果としての悪影響は研究対象
となったすべての集団で観察された。脳の損傷は、事故処理にあたった労働者や汚染地
域の住民といった直接被曝した方々とその子供たちにみられる。早期白内障、歯と口の
異常、血液の、リンパ液の、心臓や肺の、胃腸の、泌尿器の、骨や皮膚の疾病は、年齢を問わ
ずひとびとを苦しめている。内分泌障害、殊に甲状腺障害は予測をはるかに超えた広が
りを示しており、甲状腺癌の症例ひとつにつき1000 例の甲状腺障害がみられ、事故後著
しく増加した。事故処理にあたった労働者の子供たち、ならびに放射性同位元素による
高濃度汚染地域で生まれた子供たちの間で遺伝子の損傷や出生時の障害がみられる。免
疫系の異常、ウイルス、バクテリア、寄生虫による病弊は高度汚染地域に広がっている。
過去 20年以上に渡り、汚染に晒された地域の病弊率は高いままである。こうした数値を
3社会的、経済的要因のみに拠るものと見做す説明に信憑性はない。チェルノブイリ惨事
によって生じた健康被害の記録はこの章で詳細に示されており、数百万のひとびとに関
わる問題なのである。(58頁)
ベラルーシにおける血液異常の発生はセシウム 137 が 1 平方キロメートルあたり 1
キュリー以上の汚染水準である地域で生まれた 1220424 人の新生児の間で他の地域よ
りもはるかに多くなっている。(58頁)
ベラルーシにおいては、地域による汚染水準と鉄分欠乏を伴った貧血の増加との相関
関係がみられる。モジレフ州の汚染地域では、1985年と較べ、白血球減少と貧血が1986
年から 1988 年の間に7倍も増加した。(59 頁)
ウクライナにおいて、放射性ヨウ素による汚染濃度が高かった時期(事故後の数ヶ
月)には、血液細胞の形態異常が、調査対象となった地域の子供たち 7200 人のうち 、
92%以上にみられた。そのうち32%が血液成分値の異常も示していた。異常のなかに含
まれるものとしては、ミトコンドリアの肥大、核膜の層状化、核周辺空間の膨張、細胞表
面の病理学的変化、細胞を構成する諸成分の濃度低下、水分量の増加がある。最後のもの
は細胞膜の損傷を示している。(60頁)
若い時に被曝した原爆の生存者では造血組織の疾病が、第二世代、第三世代において
も、対照群と比較して10倍となることが知られている。従って、チェルノブイリ事故後
数世代に渡って、被曝の結果、造血関連の疾病が生じることが予測される。(61頁)
循環器系の疾病はベラルーシ全体で、チェルノブイリ前と比較して、事故後の10年間
は 3~4 倍になっており、汚染の厳しかった地域ではさらに高い値を示している。(62
頁)
細胞の異常、染色体異常の発生率は胎内で被曝した子供たちの間で顕著に高い率とな
っている。
事故処理にあたったウクライナの労働者の子供たちには染色体の異常率が増加して
いる。(67頁)
(「遺伝子変異」部分の結論)体細胞染色体の変異、先天的奇形の原因となる変異、蛋
白質の遺伝的多型性、ミニサテライトDNAにおける変異はチェルノブイリから放出さ
れた放射性物質がもたらした遺伝的変異の一部に過ぎない。チェルノブイリによって生
じた遺伝的変異の圧倒的多数は数世代に渡って顕在化しない。その他の遺伝的変異が充
分に明らかにされるには科学的方法の発展が必要となろう。今日明らかなことは、細胞
の遺伝的構造における変化はチェルノブイリ惨事の最初の危険な兆候であったという
4ことである。放射能放出後の短い期間のうちに変化は生じ、さまざまな疾病の発生を増
加させた。
広島と長崎のようにチェルノブイリの放射能が残る期間がほんの短い間だとしても、
遺伝学の法則によれば、数世代に渡って人間に影響を与える。チェルノブイリによって
生じると予想される遺伝への悪影響のうち 10%のみが第一世代に現れる。量にして広
島と長崎で放出されたものよりも数百倍で、しかも放射性物質の種類も多いため、遺伝
学上チェルノブイリ被曝は二回の原爆投下よりはるかに危険である。
チェルノブイリ惨事が引き起こす遺伝的影響は数億の人間を巻き込むことになろう。
そうした犠牲者に含まれるのは、(a)1986年に世界中にまき散らされた半減期の短い
放射性物質に晒された者、(b)自然放射能の水準まで減ってゆくのに 300 年ほどの歳
月を要するストロンチウム 90 やセシウム 137 で汚染された地域に現在住んでおり、今
後も住み続ける者、(c)崩壊してしまうまで数千年を要するプルトニウムやアメリシ
ウムといった猛毒の放射性物質に汚染された地域に住み続ける者、(d)(チェルノブ
イリ由来の放射性物質などない地域に住むとしても)被曝した両親の子供たちとその
後 7世代の子孫である。(76~77頁)
第 6章「チェルノブイリ惨事以後の悪性腫瘍(癌)」より
国際機関による最近の予測では、1986年から 2056 年までの死に至る癌発生数は9000
から 28000 とされるが、危険因子と集団的被曝線量を明らかに過小評価している。住民
が被曝したヨウ素131 とセシウム137の放射性同位体被曝線量、汚染濃度の濃い地域と
薄い地域との癌死亡者数の比較、チェルノブイリ事故前後の癌発生水準に基けば、現実
的な数字はヨーロッパにおいては212000 から245000 人で、その他の地域では19000人
となる。高濃度のテルル132、ルテニウム103、ルテニウム106、セシウム134は事故後何
ヶ月も存在していたし、セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム、アメリシウム
は何百年もの間次々と癌を生み続けてゆく。(161頁)
1990 年から 2000年の期間、ベラルーシにおける癌発生率は40%上昇した。最大の増
加率は汚染の最も厳しかったゴメリ州(52%)で、汚染の軽かったブレスト州(33%)
やモジレフ州(32%)ではそれ以下であった。
(ベラルーシ政府報告書より)1993 年から 2003 年の期間、被曝した両親のもとに生
まれた 10 歳から 14 歳の少女における悪性・良性の新生物(癌)発生率は顕著な増加
を示した。(162頁)
スウェーデンにおいて、チェルノブイリ由来のセシウム137汚染分布が異なる数百の
行政区分を対象とした比較研究に基く広範囲な疫学調査が示すところは、全国で最も汚
5染度が高かったスウェーデン北部におけるすべての癌の発生率が明らかに増加してい
ることである。(164頁)
第 7章「チェルノブイリ惨事以後の死者数」より
クロアチアにおける死産率は 1985 年から 1990 年の期間、1986 年末と 1987 年初頭に
顕著な上昇(ピーク)が観察されている。1988 年における二度目の上昇は汚染された
牛肉の消費に拠るものかも知れない。(194頁)
英国イングランドとウェールズでは、汚染の最も濃厚だった3 郡(カンブリア、クル
ーイッド、グウィナズ)で1987 年5 月(事故後およそ 10ヶ月)に出生前後の(赤ん坊
の)死亡率に顕著な上昇がみられる。(195頁)
(死者総数算定方式の説明に続き)従って、1986年 4月から 2004 年末まででチェル
ノブイリ惨事の影響による死者総数は985000 人と見積もられる。(210頁)
ウクライナとロシア両国の汚染地域で 1990 年から 2004 年までの死者総数のうち約
4%がチェルノブイリ惨事によって引き起こされたものであることが詳細な研究から明
らかになっている。その他の国々で死者数が増加したという証拠がないといっても、放
射能の健康に対する悪影響が存在しないという証しにはならない。
この章に挙げた計算が示すものは、チェルノブイリ事故後の放射性物質降下に影響を
受けた地域に暮らした不運な数億のひとびとのうち、既に数十万が殺されている、とい
うことである。チェルノブイリの犠牲者数は今後数世代に渡って増え続ける。(211
頁)
訳:村上 東(秋田大学教育文化学部)lazycat@ipc.akita-u.ac.jp
付記(1)、本書は国際原子力機関(IAEA)と世界保健機構(WHO)が中心となって
組織した「チェルノブイリ・フォーラム」関連文書が、ロシア語などのスラヴ系言語で公
刊された文献を無視し、事故の影響を怖ろしいまでに過小評価していることへの異議申
し立てとして編集された。
付記(2)、本書は事故後無料でダウンロードできるようにウェブ上で公開されている。
また、日本語に訳す企画(完成した部分のみ公開している)が進行中で、今年中に岩波
書店よりの刊行が予告されている。詳細は以下のウェブサイトまで:
http://chernobyl25.blogspot.com/
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