あえて、松本市長/医師・菅谷昭 氏を特集


情報を開示し子供と妊産婦を守れ

松本市長
菅谷 昭 氏


聞き手 編集局長 島田一


――今や日本国民は何を信じればいいのかわからない状態だ。チェルノブイリ原発事故の医療支援活動を5年半にわたり従事されたご経験からいかにお考えか…。

菅谷 もはや、国、東電、安全保安院の3つとも信じられないというのが一般論だ。日本国民は、自国の政府が信じられないという一番不幸な状態にある。また、そういった大変な状況にあるということを、政治家たちの多くが認識していないということも、さらに日本国民を不幸にしている。そんな中で民主党だの自民党だのといがみ合っている日本という国は、国際レベルで馬鹿にされても仕方がない。残念だが、海外からの日本の評価は本当に落ちてしまっている。国家の使命とは、国民の命を守り、国を守ることだ。確かに産業経済も大事かもしれないが、国民の命があってこそ、その上に産業経済があり、金融があり、国際的な立場がある。私は今のような状況を見ていると本当に残念で、寂しくて仕方が無い。

――次から次に後出しで悪いニュースが発表されている。このような政府の対応の仕方については…。

菅谷 非常にまずい。それは、誰も原発事故を身近に経験したことがないために、何もわからないからだ。私は、チェルノブイリで経験してきたことをもとに、事故発生時から「最悪の事態を想定して対策を考えておくべきだ」と主張してきた。しかし結局、今回の事故で政府や東電は何ひとつ対応出来ていなかった。すべて経験がないからだ。そもそも、自然災害と原子力災害が全く違うものだという認識も、今の日本人には少ないと思う。被災者には大変お気の毒だが、地震や津波の瓦礫だけであれば、みんなで力を合わせて片付ければ、そこは必ず復興して住めるようになる。阪神淡路大震災の時も、日本人の皆が頑張って、その能力や財力を集中したことで現在の兵庫県のように見事に復興した。しかし、放射能災害では汚染された場所に再び定住することは基本的に難しい。実際にチェルノブイリ原発事故が起きた周辺30キロゾーンは、25年たった今でも強制避難区域が解除されていない。それだけ土壌汚染が酷いということだ。

――避難区域にしても、徐々に拡大させるような方法ではなく、まずは50キロ圏外に避難させて、その後、安全を確認しながら範囲を狭めていくような方法をとるべきだった…。

菅谷 私は事故当初からマスコミなどの取材に対して、最低30キロ圏外に避難するように言ってきた。そして、最悪の事態を想定して、放射性ヨウ素による内部被曝から子供を守るために、無機の安定したヨウ素剤を飲ませるという放射性物質のブロック策を提言していた。しかし、内部被曝がどういうものなのかも知らず、中央政府には、松本という地方から発せられた声はまったく届かなかったのだろう。暫くたってから、そういった提言が当たっているということで報道関係等から呼び出しがかかるようになったが、放射性物質が体内に入ってしまってからヨウ素剤を内服したところで、もう遅い。一旦、体内に入った放射性物質は身体の中にとどまって被曝し続ける。そういった意味でも、日本は本当に不幸な国だ。

――内部被曝の問題は、今一番の心配事だ。特にこれからの日本を担う子供たちのことを考えると、放射能被曝基準をもっと慎重に議論する必要がある…。

菅谷 基本的にICRP(国際放射線防護委員会)では、一般の人の年間許容被曝量を、内部被曝と外部被曝を合わせて1ミリシーベルトと定めている。20ミリシーベルトというのは、放射線に携わる人たちが非常事態に陥ったときの許容量だ。「非常時」と「居住する」という状況では訳が違う。もともと原発推進派だった小佐古東大教授も、20ミリシーベルトを小学生などの基準に認めることは出来ないとして内閣官房参与の辞表を出したが、あの時、彼の口から「自分の子供だったら」という言葉が出た。それが本当の人間のあるべき姿だと思う。私は外科医なので、手術をする場合は必ず、「患者が自分の子供だったら、妻だったらどうするか」と考え、当事者意識を持つようにしている。

――食品の安全性については…。

菅谷 原発大国日本において、これまで食品における放射性物質の基準値がなかったというのは驚くべきことだ。今回の事故があって初めて厚生労働省は、ICRP(国際放射線防護委員会)とWHO(世界保健機構)とIAEA(国際原子力機関)が決めている値を参考にして、日本独自の暫定規制値を定めたのだが、私はその時の食品安全委員会への諮問に呼ばれて参加した。委員会のメンバーは、基本的には学者ばかりで実体験のない人たちだ。私はそこで、「規制値は出来るだけ厳しくした方が良い」と提言した。もちろん、私も自治体のトップという立場から、生産者の立場も理解しており、何でもかんでも厳しくしてしまうのが良いわけではないということも理解している。ただ、今回の場合、子供たちのためを思うならば、厳しくしておかなくてはならない。大人については、基準値以下であれば仕方が無いとして口にするものでも、せめて、子供や妊産婦はきちんと守ってあげなければならない。しかし、会議では「甲状腺がんは性質が良いから命には関り無い」と、平然と言う学者もいて愕然とした。私はチェルノブイリで、小さい子供が癌の手術を受けて、毎日切ない思いを抱えているお母さんたちを実際に見ているから分かる。こういった思いを抱える人たちを、これ以上出したくないから、規制値も厳しく設定すべきだと思う。しかし、そういった光景を目の当たりにしたことの無い人たちには、癌に侵された子供や、その母親がどれだけつらいものなのか、どれほど切ないものなのか、わからないから、放射線の専門家という立場で意見を述べ、それをもとに規制値が決まっていく。日本ではこういった実体験を持たない人たちが、政府の諮問委員会に入って色々な物事を決めていってしまうということを初めて知り、驚いた。国民の本当の立場など考えていない。それはとても恐ろしいことだと痛感した。私は、食品に関しては、汚染されているということが分かっているのであれば、乳幼児や学童、妊産婦はできる限り口にしない方が良いと思う。被曝許容量にしても、学者によって20ミリシーベルトで大丈夫と言う人もいれば、駄目だと言う人がいるが、それは結局、放射線被曝に関して将来のことがよく分かっていないからであり、そうであれば、厳しい基準を適用するのが当然だと思う。「あまり厳しいことを言うとパニックになってしまう」と考えて緩い基準を推奨し、「でも、30年後のことは私にはわかりません」というようなことは、無責任ということに尽きる

――チェルノブイリ事故では、政府が情報を隠蔽してしまったことが一番の問題だった…。

菅谷 当時、旧ソビエト連邦の中で一番大きな祭事だったメーデー直前の4月26日にチェルノブイリ事故は起きた。それは国民に知らされること無く、子供たちは学校のグラウンドで、国をあげての一大イベントのために一生懸命リハーサルに励んでいた。その結果、被曝した子供達が癌に侵された。放射性物質に汚染された地域と知りながら、今もその場所に住み続ける人ももちろんいるが、そこに住む子供たちは、免疫力の低下で感染にかかりやすく、貧血の症状も出ている。また、そういった母親たちから新たに生まれる子供たちも、子宮内胎児発育遅延で、低出生体重児や未熟児となる確率が高くなっており、早産も多いという。こういった現実を、日本の人たちは知らない。政府や東電、安全保安院は、時間をかけて小出しに情報を公開していけば国民の気持ちが収まると考えているのかもしれないが、とんでもない。それは、放射能の怖さを知らなすぎる行為だ。今、現実に日本で汚染された地域に住んでいる人たちは放射線を浴び続けている。それは、チェルノブイリとまったく同じ状況だ。先日ようやく発表されたメルトダウンという最悪の事態についても、放出された核種が何で、どの時点で、どの程度放出したのか、汚染状況がまったく国民にオープンにされていない。測れないといっているが、そういうことを言っている事自体、本当に日本は不幸な国だと思ってしまう。きちんと数値を把握して汚染マップを細かく出さなければ、日本国民は納得しない。二度とチェルノブイリのようなことをしてはいけない。情報はきちんとディスクローズし、とりわけ子供と妊産婦を守らなければならない。

――福島の子供たちは、皆疎開させるべきだ…。

菅谷 松本市では、市営住宅や教員住宅を利用して学童を持つ避難家族の受け入れを行っている。こういったことは、政府が考えなくてはならないことだ。先日発表された米国のデータをみると、福島県が広範に汚染されていて、それはかつて私が住んでいたチェルノブイリの汚染地の値よりも高いものだ。正確に内部被曝検査をするには高度な設備が必要で、大人数を一気に行うことはとても難しいが、せめて子供たちには長期にわたり定期的な健康診断を行う必要があるのではないか。

――現在、汚染された地域にいる人たちが自分の身を守るには…。

菅谷 放射能災害から自分の身を守るには、とにかく逃げるしかない。本当に心配するのであれば海外へ、日本国内であれば西の方へ。それも難しければ、比較的汚染の少ない場所に住むしかない。放射性物質は大気中に浮遊し、風によって飛んでいく。そして、雨が降ることで地表に落ちる。チェルノブイリでは、原発から300キロ離れたところまで放射性物質が運ばれて汚染地になったところもある。日本でも、神奈川県のお茶の葉や長野市の汚泥からセシウムが検出されたことを考えると、放射性物質はあらゆるところに飛んでいると考えられて当然だ。そういった国民の不安を少しでも解消するために、地域毎にセンサーを設置して放射線量を明確にしたり、食品に安全表示を義務付けたりする必要がある。こういったことに対して、国はもっと迅速に動くべきなのに、まったく国民の気持ちが分かっていない。この政府の危機意識の無さは、経験が無いからなのだろうか。日本の政治を動かしている方々が党派を超えて、今の福島の状況をもっと自分のこととして捉え、「自分の子供だったら、自分の孫だったらどうするか」という思いで、すべてのことに、政治屋ではなく、真の政治家として真正面から取り組んでもらいたいと、つくづく思う。(了)



デタラメ検査と偽装表示で全国に&#228







2011年8月6日 18:06 中鬼と大鬼のふたりごとさん作成

※東日本に集中する日本の主食米の生産:農林水産省のサイトより




  • いいかげんちゃんとしよう日本


「放射能偉い、差別しない、逃げられない」と歌う人がいる。放射能はあらゆるものに入り込む。水、茶、牛乳、野菜、きのこ、海藻、
魚、牛、豚、卵、そして麦と米。原発が日本のすばらしい食を台無しにしてしまった。外食前にいちいち産地情報をぐぐる。妊婦からはセシウム母乳、子供からはセシウム尿。スーパーには放射能に汚染された疑いのある食品があふれ、産地表示もあてにならない。この悪夢を当たり前の日常にしてはいけない。現実に目を背けて集団逃避していてはいけない。今私たちが最も必要としているもの、そしてこの国が最もやろうとしてこなかったことは、きちんとした食品検査と誠実な表示だ


原発災害被害の主役は、飲食品を通した長期低線量内部被曝である。空間線量や外部被曝は作業員や福島の一部の方々以外にとっては主な脅威ではない。呼吸による被曝はマスクで防護できるが、食べ物は表面を洗ったところで中に入っている放射能は排除するすべがない。だから犠牲を最小にするには、食品検査にできる限りの資源をつぎこみ、汚染された飲食品の流通を徹底的に除去しつつ、産地や放射能濃度を正確に表示するルールが必要だ。


一番大事なことに注目しよう。今日本にどれだけの検査機器があり、どれだけの人員が担っているのか、そして1日どのくらいの数の食品検体が検査されているのか。史上最悪の原発災害で日本中が放射能まみれになっているのに、ほとんど311前の検査体制のままだ。機材と人員が絶対的に不足しているため、検査できるサンプル数が少なすぎて、ほとんどの放射能汚染食品は全国に流通している。検出された汚染食品など氷山の一角に過ぎない。千葉県柏市内の通学路から5万ベクレル/kg(342万ベクレル/m2:チェルノブイリで言えば強制移住のさらに上の立入禁止ゾーンのレベル)が検出されたように、同じ地域でも全く異なる値が出るのだから農作物もわずかな検体を調べただけで安全だとは絶対に言えない。「検出されていない=安全」ではないということを理解し、家族や友達に伝えよう。現状の検査体制から考えれば「検出されていない=計測していない」と考える方が適切だ。


本気でまともな食品検査をするには、それ相応の財源が必要だ。この経済大国で、電力会社や原発にかかわってきた大企業がそれぞれ兆円規模の内部留保をもち、毎年5000億円もの原発関連予算という無駄もある中で、必要な食品検査ができないとはどういうことか。やれないのではなく、やろうとしていないということだ。事故から5ヶ月が経っても政府や国会はいまだに命を守る施策に冷淡だ。やらせやスパイ業務に資源を浪費し、脱原発世論をかわすための茶番劇に時間を浪費し、食の安全に責任があるはずの厚生労働省・農林水産省・消費者庁は食の安全を奪うことに熱心だ。政府・業界・経済界・マスコミ・御用学者がそろいにそろって、賠償金を抑制して反原発世論を押さえ込むために、根拠もなく「風評被害」を騒ぎ立て、汚染情報を隠し、ゆるすぎる暫定基準をつくり、被害の我慢値でしかない基準値を安全な値だと人々に勘違いさせ、産地を偽装し、絶望的に少ないサンプルを週1回程度しか検査しない、といった圧政を続けてきた。人々は手に取った食品が本当のところ放射能に汚染されているのかどうかを知ることができず、だまされ知らないうちに内部被曝を蓄積させている。染色体の長期的破壊を強いることはれっきとした傷害・殺人である。放射能だけでなく、それを大衆に食わせようとシステムを操作しているパワーエリートたちと闘わないといけない。


私たちは原子炉のメルトダウンをどうすることもできないが、民主主義のメルトダウンを食い止めることはできる。2020年代に後悔しないため、子供達やあなた自身を守るために、食品検査の機材と人員を大幅に増やし、正確に検出値や産地を表示しろ、と意見を書こう!






  • 「流通している食品は大丈夫」は嘘

政府のどの資料にもだいたい書いてある言い回しだが、代表として食品安全委員会「放射性物質と食品に関するQ&A(6月13日更新)」より。



Q:流通している食品は大丈夫なのですか?
A:「暫定規制値」を上回る食品については、食品衛生法により、販売等を行ってはならない旨、規制されています。また「暫定規制値」を超える食品が地域的な広がりをもって見つかった場合は、当該地域の食品について「出荷制限」や「摂取制限」が指示される仕組みになっています。
Q:食品衛生法に基づく暫定規制値を超える食品を摂取してしまった場合に、健康への悪影響は生じるのですか?
A:食品衛生法に基づく暫定規制値を超えた食品は、出荷停止の扱いとなり、市場に出回らないようになっています
※下線は大鬼


ニュアンスとしては大丈夫と思わせるような口ぶりだが、決してそう書いてあるわけではないことに注意しよう。「暫定基準」がそもそもデタラメだという点および放射能に安全な値などないという点は当ブログでは何度も書いてきたのでここでは置いておくとして、もう一つ肝心なことが抜け落ちている。すべての前提が「見つかった場合」であり、見つける能力については一切触れていないということだ。汚染食品を見つける能力、つまり検査体制が貧弱であれば、どんな規制・制限を設定したところで汚染食品は必ず流通する






  • ベラルーシは1日3万以上の食品サンプルを検査、日本では最も検査体制が充実している茨城県でも1週間10サンプルが限度


NHKスペシャル「広がる放射能汚染」第2回(2011年7月3日)より要約(36:00あたりから)
※は大鬼のコメント


全国でも検査態勢が充実している茨城県。4台の装置を24時間体制で使い、農産物を検査できるのは週に平均10サンプル程度。現在の体制では新たな品目に対応するのは難しい。


茨城県農林水産部・中野一正次長「本当は全品検査やりたいっていうのがあるんですけども、正直いってキャパシティの問題もあってそれはできない」


浮き彫りになった食品検査の限界、国はこの問題をどう考えているのでしょうか。


厚生労働副大臣・大塚耕平「全品検査できるわけじゃないんですね、サンプリングですから。まあそういうふうに考えると、規制値を超えたものが全く流通していないということを残念ながら我々も確信できる状況ではありません」


※いや、聞きたいのは、政府がサンプル数を増やすための最大限の努力をしているのか、していないならなぜなのか、なんだが。


チェルノブイリ原発から50km、ベラルーシ共和国南部のストレリチェボ村。ベラルーシ政府による手厚い放射線対策のもとおよそ900人が暮らしています。事故直後、放射線量は年間20ミリシーベルトを越え、政府は土壌を入れ替えたが、25年経っても、年間1.8ミリシーベルト、1ミリを切っていません。


村に住む、シャランコさん一家、妻マルタさん25歳。近所の農家からもらった野菜と牛乳をもって、ストレリチェボ小学校へ行き、「放射線の検査をおねがいします」。ベラルーシ政府は汚染地域にあるほぼすべての学校に放射線の測定器を配置、物理の教師に訓練を受けさせ、無料で検査をする態勢をつくりました。「25.72ベクレル、安全基準値の4分の1です。」


さらに市場に出回る食品についても検査体制の充実が図られてきました。今では全国500を超える施設で牛乳や肉類・野菜など、1日平均3万を越えるサンプルが検査されています。


マルタさんの息子「きのこやベリーは避けて、検査された牛乳や肉を食べています。安全に暮らす方法があるから、ここで住んでいけるんです」


※日本との差は歴然。日本の保健所のような機関が担っているのか、どれだけの機材、人員を動かしているのか、もう少し詳しく知りたい。検査された食品しか食べません!日本でも早くそう言えるようになりたい。


こうした対策が可能になった背景には、国の強いリーダーシップがありました。国家チェルノブイリ対策委員会、その国家プログラムに当てられる資金は国の予算の2割に昇ります。


委員会のリシューク副局長「地域の人たちが働いて健康に生活するという当たり前のことを可能にするだけでも、あらゆる労力と資源を集中しなくてはなりません。」


※日本の予算なら1割使わなくてもベラルーシ以上のことができるはずだが・・


最大の課題は子供の健康、体内にある放射性物質を測る特殊な装置を町や村の診療所に設置し、すべての子供の検査を定期的におこなっています。検査だけでなく治療も将来にわたって無料です。マルタさん「子供の健康は親の力だけでは守ることができません。ありがたい制度です。」


※国が守ってくれないなら自分で守るしかないっていう悲痛な言葉を耳にすることがあるけど、やっぱり食品の汚染から逃れるのはちゃんとした体制をつくらないと難しいと思う。だから簡単にあきらめずに求めていきましょう。


国営解体企業社長「放射線との戦いには、忍耐と努力、そして財源が必要です。25年が経っても重い荷を背負い続けなければならないのです。」


総力を挙げて放射能汚染と闘うという強い意志、今の日本政府から感じられないものが見えてきました。






  • 国内の食品放射能検査機関と検査頻度について

ベラルーシでは500の機関が毎日3万検体の食品を検査し、加えて各学校で持込検査ができるとのことだが、日本で食品検査をしている機関はどのくらいあるのか。大鬼にはまとまった資料を見つけることができなかったが、多少のヒントは得た。農林水産省のHPには、輸出食品の放射能検査ができる機関として25機関あげられている。厚生労働省の資料には測定機器を備えた主な試験研究機関として39機関あげられているが、食品放射能検査が可能な厚生労働省の関係機関としてはわずか6機関しか書かれていないジェトロのHPによると、検査対象が「全般」(すべてが食品検査を行っているわけではない)なら35機関、「食品」なら13機関あるという。さらに県・市の衛生研究所(または衛生センター)といった名前の機関が人口の多い自治体を中心に全国合計で79機関あり、その一部がかなりの検査を担っているようだ。民間企業でも食品検査を受託できると宣伝しているものがいくつか見つかった。正確には分からないが、現在国内で機能している食品検査機関は全部あわせても100機関にもならないのではないかと思う(どなたか正確な数をご存じの方がいれば教えて下さい)。



消費者庁によれば、検査を依頼する側(自治体など)の検査頻度は基本的に週1回程度という。神奈川県でいえば、3月21日から8月4日までの135日間で合計で250検体を検査、週平均13検体程度だ。135日間で神奈川県民が買った食品の総個数は見当もつかない。もちろん生産者サイドでの出荷前のサンプル検査や、中にはメーカー・店舗独自に検査をしているところ(東都生協など)もあるが、全体からすればほとんど検査していないと言えるようなサンプルの少なさだ






  • まるで“底の抜けたザル”:基準値も検査も絶望的


週刊朝日「終わりなき放射能汚染:じわじわ広がる土壌・海水汚染 食品安全検査は機材も人も足りずにお手上げ」(2011年6月10日号)より抜粋 ----------


自治体から検査の委託を受ける民間検査機関の担当者はこう話す。「ほとんどの農作物が検査を受けずに市場に出ている。まるで“底の抜けたザル”です」


原因は圧倒的な検査機器と専門スタッフの不足だ。


厚労省が検査への使用を薦めている「ゲルマニウム半導体核種分析装置」は冷戦時代、核の脅威に備え、当時の科学技術庁が各都道府県に購入を指導したが、とても現在の需要に追いつく台数ではないという。


1台約1500万円と高価にもかかわらず、震災後は平時の5倍以上の購入申し込みがあり、「納期まで少なくとも4カ月待ち」(販売代理店)という状況になっているのだ。


魚介類の放射能検査の中心的存在である「水産総合研究センター」(横浜市)には、事故後、自治体や漁協から検査依頼が殺到している。同センターは分析装置を6台保有しており、約10人の専門スタッフがフル稼働で検査にあたっているが、前処理を含め、一つの検査に3-4時間かかるため、1日に4検査が限度だという。しかも、「魚は足が速いため、検査結果が出る前に、同じ場所でとれた魚は消費市場に流れている」(漁協関係者)というのが実態だというから恐ろしい。


分析装置を2台所有する埼玉県の担当者も、ホウレンソウなど数種類を週に1度、検査するので手いっぱいだと嘆く。「水道水の検査を優先しているので、農産物は民間検査機関に依頼している。だが、民間機関もすでにキャパをオーバーしていて、これ以上、品目や検体数を増やすことはできません」。


厚労省が定めた「暫定基準値」そのものが問題だと指摘する研究者もいる。美作大学大学院の山口英昌教授(食環境科学)はこう憤る。


「セシウムの基準値で上限とされた500ベクレルという数字は、野菜などを1年間摂取し続けても、セシウムの総被曝線量が5ミリシーベルトを超えないという根拠に基づいて算出されている。しかし、一般人の年間被曝量の上限は1ミリシーベルトに過ぎない。なぜ突然『5倍浴びても大丈夫』となるのか」「セシウム137の半減期は30年。チェルノブイリ原発事故から23年が経過した2009年にスウェーデンから日本に輸入されたキノコが基準値を超えていたため、輸入禁止になったこともある。数十年単位で考えなければなりません


琉球大学の矢ケ崎克馬・名誉教授(物性物理学)も言う。「『基準内であれば食べてもいい』というのはまったくの詭弁。国家によるダマシです。少量であっても放射線が遺伝子を傷つけることは間違いない」---------






  • 厚労省に問い合わせてみた


厚生労働省のデマ冊子『妊娠中の方、小さなお子さんをもつお母さんの放射線へのご心配にお答えします』に対し、5月に以下の質問をしてみた(厚労省質問フォームより送信)。


【大鬼の質問】


1ページ:「考えられません」「を考えた基準」の科学的根拠を教えて下さい。BEIR・2005年報告への反論があれば証拠を提示下さい。


2ページ:水道水について暫定基準はWHO基準よりもゆるいですが、科学的にこの基準で大丈夫と言える根拠を示して下さい。


3ページ:「わずかな値です」の放射線量とはガンマ線空間線量のみですね。吸い込んだ場合の体内被曝についてはどう考えますか。また雨について「心配しすぎる」具体例を示してください。


4ページ:赤ちゃんに対する暫定基準値が絶対に安全といえる科学的根拠を示して下さい。また「検査が行われ」ているのは流通する食品全体のうち何%ですか


最後に、放射能を同意なしに摂取させて被ばく量すら測らせないことは、憲法で定められた基本的人権を侵害する行為です。私たちは体内被曝を監視・防止するため、第一に体内被ばく量検診(ホールボディカウンタ車とアルファ線・ベータ線核種を測る排泄物検査)を全国で実施すること、第二にすべての食品・飲料に核種ごとのベクレル表示を義務づけることを求めていますが、実施を検討していただけるか、否の場合はその理由を答えて下さい。


------------------------------
【厚労省の回答1】


食品中の放射性物質に関する暫定規制値につきましては、原子力安全委員会が、国際放射線防護委員会(ICRP)定めた、飲食物摂取制限に関する指標を食品衛生法上の暫定規制値としています。この暫定規制値の基となった原子力安全委員会の指標値は、1年に許容できる線量及び成人、幼児、乳児(赤ちゃん)のそれぞれについて放射能の影響の度合いと我が国の食品摂取量等を基に数値を算出し、その中から最も厳しい値を指標値として設定しています。このため、乳児にも配慮されたものと考えております


厚生労働省医薬食品局食品安全部基準審査課


【厚労省の回答2】


メールは関係部署へ送付しておりますが、「最後に」以下の「第一に・・・」及び「第二に・・・」は当省においてお答えすることは困難ですので、ご了承願います。「第一に・・・」の部分は文部科学省、「第二に・・・」の部分は消費者庁が所管と思われますので、一度そちらへご質問いただけないでしょうか。大変申し訳ございませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。


厚生労働省大臣官房総務課行政相談室
--------------------------


BEIR-VIIまで明記して厚労省の「科学的」見解を問いただしたのに、原子力安全委員会がそう決めたからというだけで、根拠がない。サンプル数については完全スルー。


回答2について、大鬼はあくまで厚労省が人々の命と健康に関する中心的な責任を担うべきものと考える。厚生労働省健康局の所轄事務は「保健所等を通じた地域保健の向上」。地域保健法には、国の責任として「地域保健対策に係る人材の養成及び資質の向上に努めるとともに、市町村及び都道府県に対し、前二項の責務が十分に果たされるように必要な技術的及び財政的援助を与えること」(第3条)とある。さらに第4条でははっきりと厚生労働大臣の責任として、「保健所及び市町村保健センターの整備及び運営に関する基本的事項」や「地域保健対策に係る人材の確保及び資質の向上」を含む地域保健の「基本指針」を「遅延なく」定めることと書かれている。保健所の日常的業務の所管は地方公共団体だが、基本指針と人事に厚労省は責任をもっている。第6条と7条には、保健所の役割として、地域保健の向上、とくに「食品衛生」(6条3項)・「衛生上の試験及び検査」(6条13項)・「その他の疾病の予防」(6条12項)が定められている。厚労省は食品検査や体内被ばく測定などの放射能対策を推進する方針を打ち出し、全国の保健所で放射能検査が実施できるように機材・人員を確保すべきだ。311前のように特殊な限られた数しかない機関が放射能検査を担うのでなく、全国的な国家プロジェクトとして食品検査を位置づけるべき時だ。なお食品検査にかかるコストは原発災害がなければ本来必要なかったものであるから、原発関連産業が相当の負担をするのが道理であり、原発で潤ってきた企業には懲罰的な課税を実施すべきだ。


ちなみに『食品と放射能Q&A』というデタラメ冊子(市場に出回っているものは基本的に安全との主張)を出している消費者庁にも同様な質問をしたが、回答は一切なかった。






  • 産地偽装にご用心


全品検査どころか食品の1%も検査がされない現状では、次善の策として産地も判断材料にするしかない。風評被害なるものがあるとすれば、それは貧弱な食品検査体制によって多くの人が産地で判断することを強いられることで、結果的に安全かもしれない食品まで売れなくなる、ということだ。含有放射能がゼロであることが証明されない限り、消費者側が文句を言われる筋合いはない。疑わしいものを危ないと見なすのは、利益より命を守らなければならない生活者にとって極めて真っ当な判断だ。


ただ「福島産」でなければ安心といった思い込みには注意が必要だ。福島以外でもホットスポットは多くの県に存在している。土壌汚染の分布から考えれば、例えば千葉県北部産の方が福島県西部産よりも汚染されている可能性も十分ある。


もっと困ったことに産地情報そのものが信頼できないブレンドして産地を特定せず「国産」として売るだとか、別の場所に移動して処理し「他県産」として売るといった、実質的には産地偽装と言えるようなことが行われている(もちろん関係者は偽装ではないと言い張るだろうが)。産地は誰もがだまされないような形で正直に全部表示することを法的に義務づけるべきだ


水産物の産地表示は、JAS法で表示義務はあるものの、「水域名又は地域名(主たる養殖場が属する都道府県名をいう。)を記載。水域名の記載が困難な場合は水揚港名又は水揚港が属する都道府県名を記載することができる。」とされている。つまり例えば福島県に近い水域で撮れても千葉県で水揚げすれば「千葉県産」ということになる。では「困難な場合」とはどういう場合なのか。よく分からない。とにかくこの規定を知ってから大鬼は、国産の魚介類の産地表示に全く意味を見いだせなくなった


肉類の産地にも落とし穴がある。「スケープビーフ」とまで言われ汚染食品の代表格となったセシウム牛問題で明らかになったことは、汚染地域のわらが流通すれば、牛の産地がどこであれセシウム牛になるということと、セシウム牛自体が福島から他県に売買されて移動している、ということだ。牛の場合、個体識別ができるためその気になれば移動履歴をトレースできるとのことだが、ほとんどの人はお店で表示されている産地だけを見て購入しているのでパッケージに表示されなければあまり意味がない。エサが何県産だったのかも通常は知ることができない。


さらに悪いことに、個体識別もできない豚も汚染地域から全国に散っていた


女性自身(2011年8月9日号)「福島避難区域の豚1万頭は『他県産』に化けて全国の食卓へ」より抜粋 ------


7月15日、熊本県が豚から初めて放射性セシウムを検出したと発表した。牛肉だけでなく、豚肉までセシウムに汚染されたものが全国各地に流通していることが明らかになったのだ。


地元紙記者は「今回、解体された豚は、福島県川俣町で飼育されたものなのです」と語るが、福島県の養豚組合の担当者は「牛と違い豚には個体識別番号はありませんので、出荷地が生産地になってしまいます」と説明する。つまり、移送された豚は「福島県産」とはならず、食肉として出荷された地域からの「他県産」となってしまうということだ。


前出の養豚組合の担当者は「これまで緊急時避難準備区域と計画的避難区域から約1万頭が県外へと移動しています。出荷されたのは、主に長野県や群馬県、新潟県、熊本県など。いずれも避難先の県産として出荷されています」と明かす。


政府や県はこの事実を知った上で、豚の県外移動を認めている。食卓を守るために消費者が頼るのは産地表示。だが、「○○県産」だから大丈夫、というような判断は信用できなくなっているということなのだ。
(抜粋おわり)-----------


読売によると、この記事の「『熊本産』豚肉からセシウム検出」という見出し(ネット版にはない)に対して、熊本県が「事実と異なる」として抗議し、女性自身は8月16日号で「正しくは『福島県で飼育された豚から移送先の熊本県でセシウム検出』です」と「訂正」したという。税金を使ってスパイ行為をしているエネ庁からのたれ込みでもあったのだろうか。この手の報道だけは熱心な読売も含め、いかにも業界利益優先の原発容認派らしいナンセンスな揚げ足取りだ。何がどう事実と異なるのか?熊本県が抗議したのは熊本産豚からセシウムが出たという誤解を招くとのことだが、記事には「熊本産豚」ではなく「『熊本産』豚」と書いてあった。そこが重要である。日本語で言葉を「」に入れると"いわゆる"とか"本来そう表現すべきでないが"といった含意を伴うという常識を理解できていて、1回でも本文を読めば、福島県産の豚が熊本に移動していずれ「熊本産」として出荷される(そのような豚が全国で1万頭もいた)ことがこの記事のポイントであることは誰にでも分かる。産地表示が信頼できないということを正しく追求した記事だと思う。






  • 結論:海外産を食う!


検査もろくにしない、産地は偽装する、これでは国産の食べ物を食べるなと言われているようだ。食品放射能汚染は今後何十年も続く。情報をもたない人たちや諦めた人たちは食べ続けるのだろうが、放射能は摂取すればするほどリスクが増え、安全なしきい値も存在しない。日本の食べ物が大好きな大鬼としてこれだけは言いたくなかったが、残念ながら現状では輸入食品で代替できるものはそうした方が無難だと言わざるを得ない。早く日本の食べ物を安心して食べられるように、声を上げよう!






  • とはいえ・・・


食べないわけにはいかないものもあるので、個別の食品や産地の情報を追っていくしかないわけだが、情報が毎日山のように出てくるので大鬼は正直お手上げ状態。そういう時は人に助けてもらう。がんばって情報をまとめてくれている人達に感謝。勝手に紹介しておく。


子供を守ろう Save Child:食品放射能関連ニュースまとめ
木下黄太さんのブログ:いろんな人がメーカーに問い合わせた情報をシェアできる
OK Food:様々な商品・工場の産地などのまとめ
atmc:食品放射能の検出情報、しばらくメンテ中だがいつか復活してもらいたい






<食に関する週刊誌の気になる記事>


週刊現代


2011年8月6日号
牛肉だけじゃない:新聞・テレビがパニックを恐れて報道を自粛する「いま福島県で起きていること」
ICRPの健康基準なんか、信用してはいけない


2011年7月30日号
わが子のオシッコからセシウムが出て
あなたの食卓にセシウム汚染牛肉


週刊朝日


2011年8月12日号
セシウム汚染「どのブランド牛なら安心?」産地の対策徹底調査
甘辛ジャーナル/セシウム牛肉問題の「責任者」を名指しするべきでは?


2011年8月5日号
「おたくの肉は大丈夫?」セシウム全国へ、百貨店、料理店などを直撃


AERA


2011年8月1日号
宮城産として仕入れた、給食から見つかった汚染牛肉


2011年7月25日号
検査せずに千頭を出荷セシウム牛肉を見逃した農水省の罪


2011年7月18日増大号 
魚で進む「放射能濃縮」汚染された海で何が起こっているのか
ユッケの5倍怖いレバ刺し「肉食女子」はどうする


サンデー毎日


2011年8月14日号、
イオン、ファミリーマート、三越伊勢丹:全国30社放射能対策、「独自検査なし」は23社
その水は安全ですか?


2011年8月7日号
終わりなき食汚染:「セシウム米」が実る秋


2011年7月31日号
それでも危ないひき肉、モツ、タン
乳業トップ3社直撃「原乳の原産地、放射能対策は?」
セシウム牛、牛乳 安全の「想定外」


2011年7月24日号
「放射能」と闘うニッポンの母


2011年7月17日号
ついに福島の子どもの尿からセシウム
内部被曝に克つ「食の防衛 食の安全工程表一挙公開!


週刊金曜日


2011年7月29日号
地獄への入り口はすでに開いた:9月頃が大変なことになる (水口憲哉)
水産庁のモニタリングデータから:水産物の汚染度を読み解く (中地重晴)
ストロンチウム魚への不安 (片岡伸行)
今、知っておきたい産地表示の落とし穴:アバウトすぎる魚の表示 (垣田達哉)


2011年06月10日号
内部被曝をどう防ぐ?「基準値以下だから大丈夫」はウソ! (矢ヶ崎克馬)
妊娠中の人 授乳中の人 幼児がいる人:親が気をつけるべきことは? (崎山比早子)






関連記事


つぶやき(4)東京でも母乳から放射性セシウム、東京の空気中にアメリシウム・ストロンチウム、「生態濃縮しない」は水産庁のねつ造だった、魚のセシウム濃度は前代未聞のレベル
3月分放射能で原発200km圏内の22万人が10年以内に、42万人が50年以内に犠牲となる:トンデル・ECRRリスクモデルによる警告的予測
『原子力が答えではない』要点翻訳(2) 鼻血・下痢・発疹は被曝症状、スリーマイルでも隠ぺいされたα線・β線核種、IAEAとWHOの癒着で世界はおかしくなった


あえて、松本市長/医師・菅谷昭 氏を特集








【記者】
東京電力福島第1原子力発電所の事故に起因する、放射能汚染というのが、ほうれん草であるとかクキナであるとかそういったものを出荷停止というような確か報道だったと思いますけれども、そういったようなことも現実的におきてきて、市長が以前お話になっていた土壌汚染というのが現実的なものとなってきたのですが、実際にですね、果たして内部被爆というようなことも市長おっしゃってたのですけれども。
そういったものをですね、はたして食べても安全なのかどうなのかというところが少し心配になってくるのですけれども、市長のチェルノブイリで医療支援活動された経験から、その辺のご見解をもう一度伺えればいいなと思ったのですが。

【市長】
はい、それでは今の記者のご質問ですけれど、私ずっと常々というか最初からこの件に関しては、報道の皆さんにも場合によっては社が違う場合かもしれませんけれども、私の言葉として表現されているのは、とにかく核の事故という、放射線の事故というのは最初からある意味では最悪の事態を想定したかたちで先手、先手として手を打っていく事が大事じゃないかといことは、私が5年半の経験をもとに日本に帰ってきてからそう思っておりました。

しかしそういう中でまさかこういう状況になると思っておりませんでした。

それは私、皆様のご質問に対しては、一つは20キロの避難ですけれど、できれば30キロまで広げたほうがいいのではないのかなということを申し上げ、あわせて予防的に無機のいわゆるヨード剤を投与しておいたほうがいいんではないのかなということも申し上げましたし、場合によっては避難ではないのですけれど、やはり50キロ位、チェルノブイリの場合だと30キロゾーンは人が住めないわけですけれど、チェルノブイリと同じにしてはいけないのですけれど、そしてできれば50キロ位までの範囲っていうのは注意したほうがいいのではないかなと。それくらいやはりいわゆる大気汚染が広がるよということを申し上げたとこでございます。

それからまた特に乳幼児とか妊産婦に対してはヨード剤の予防投与ということは、これはまさに内部被爆の問題なんですよということを申し上げきたんですね。
どうしても政府を含めて皆さん方は外部被爆のことだけを取り上げているので、そうではなくて皆さん3つの点に注意してください。

一つはマスクをしてください。なぜマスクをするかというと、汚染されていて、これに浮遊している放射性の降下物が鼻から気道ですね、気管をとおして肺に入ってそれが吸収されて血液の中入って体に蓄積されるということですね。
それから二つ目は肌は露出してはいけないということ。これは皮膚からですよね。いわゆる吸収されて体の中に入ちゃいけない。
もう一つは口から入るっていうこと、この三つなんですね。
ですから経気道的、経皮、皮膚ですね、それからもう一つは経口的なんですよ。この三つが経路になっているんです。
ですからできるだけここに取り込まないようにってことを言っているのです。






 取り込まれたらどうなるかっていうと、その放射性物質が放射性ヨードであり、セシウムであり、ストロンチウムであり、プルトニウムであって、それらが入ると大変なことになりますよ。
これは今じゃなくって5年、10年、30年セシュウムとかストロンチウムの半減期が30年ですから、放射性ヨードの半減期は1週間ですけれども、そういうようにですね、取り込まないようにって言っているにもかかわらず、今回のようにですねほうれん草ならほうれん草に、今度はシーベルトからベクレルってキュリーです。
皆さん良く知っているキュリー夫人のキュリーです。いわゆる放射能の強さを表すのですけれども、今回のほうれん草の場合でも日本の基準で2000ベクレル/キロですよね。/リッタ―という事でいうと倍になっていて、そういうなかでもってそれを要するに食べてもいいかって言われたら、語弊がありますが、できるだけ口にしないほうがいいだろうっていうのは、これは現地行った者としては、本当に言いたいのは子ども達やあるいは妊産婦、胎児の命を守るという意味でいったら5年とか10年、チェルノブイリでもって甲状腺がんの子どもが増えたのが5年後なんですよね。
5年後から出てきているんですよね急激に。そしてその事故前の時の子どもの発症率というのは100万人に1人か2人でこれはチェルノブイリのとこも同じなんですよ。
それが汚染地になるとそれが100倍になったり、ひどい時には130倍ですね、ゴメリ市なんか。

だから将来のことを考えれば、これは本当に申し訳ないけれど、作っている方々に。しかしこれはそんな事を言っても色々ありますけれど、風評ではなくて事実として、これはやはり押さえておかなければいけないと私は思って、パニックでなくて国民も冷静に聞いてくれて、そして今の時期は食も少しひかえてもらうということ、そのためにも早くに放射性ヨードをやらないと、もう入ってしまったら終わりなのです。

私はですから前から予防適応しておいた方がいいですよって、みんな今政府においては後手後手ですよね。
避難している人たちも放射性ヨードっていうけれど、もう避難しているわけですから、避難中に被爆して入ってしまえばいくら後でやっても遅いのです。
そういう事がちっともわかっていないってことが、きわめて残念だってことを申し上げたいですね。


ですから原発のあそこの今の状況は、是非ともこれは国をあげ、それから海外の力を借りてあそこをとにかく消火する。
外に放射性物質を出さないってことは最大限やってほしいのだけれど、私はもう一つもう一番最悪であった土壌汚染ということは、これまさに環境汚染。水も汚染ですしそれから食物も汚染、これ出てしまったんですね。 
ですから次は経路汚染、経口的になるからだから取り込まないようにするってことは当たり前のことなんですけれど、それが抜けちゃっていることで「安心、安心」って放射線1回浴びることは、そんな問題ではないですよね。

 あれは外部被爆なんですよね。皆さんだって検査された時にエックス線浴びるわけですよね。それは1回だけですよね。そうじゃないんです。入ったものは沈着して抜けない、そして今やこれからのことは、いわゆる放射能沈着という表現しますけれども、放射線降下物、フォールアウトですから、今舞っているのが下に降りますから、落ちると土壌が汚染されます。

当然土壌とそれから水だって汚染されます。一方で葉物ですよね。葉っぱの上にやはり降下するわけじゃないですか放射性物質が。で、それを牛や羊が食べるわけじゃないですか。そうするとそれが放射性物質が今度はお乳の中にでるわけですよね。
そのお乳を人間が飲むわけですよ。これがいわゆる食物連鎖というわけですよね。
またその土壌の中に落ちたというようになると、そういう食べた牛やヤギが糞とかおしっこを出します。ここに放射性物質が溜まりますから、それがまた地面、土壌を汚染するこれ悪循環、これ食物連鎖やってるわけです。

また汚染された土壌からは今度はセシウムのような物がですね。今度は葉物じゃなくてようするに根菜類ですかね。根からまた吸収されますから、特にセシウムなどは消化管からほとんどが吸収されるってこともわかっているわけですから、それから放射線なら甲状腺に集まってしまうわけですから、ですからそういうことが事実としてとらえてですね、やはり報道していくのは国からもいかないと、単に「冷静に行動してください」とか、なんと言いますかね数的なもので被爆がこうでじゃなくて5年、10年日本でやはり、だからもし将来ですね、わかりませんけれど悪性の新生物が日本で増えてきたような状況の時にはいったい誰が責任とるんでしょうかね。


 だからそういう意味で今言ったように、できるだけ放射性物質を体に取り込まないような注意をお互いにしていったほうがいいのではないかな、というようなことであります。
そういう意味でも今後全国でも食品に対しては多分汚染の状況をチェックしてくださいという言葉がいろいろ出てくる思います。

心配ないものは本当に食べていいです。私自身は汚染地でジャガイモを食べたり人参食べたり玉ねぎ食べたりやってきていますけれども、できれば大人はまだいいですけれども、これから生まれてくる子どもや、あるいは小さい子供というのはそういうことの無いようなことをしてあげなければいけない。


 そこで放射能の許容レベルは、先ほど記者が言われたように、これは許容レベルというのはあるんですけれども。
例えば事故の時にポーランドでは、事故から4日目なんですけれども、国の命令ですよね。
それで乳牛に新鮮な牧草を与えることを全国的に禁止しているんですよね。
それから100ベクレル/リッターということは100ベクレル/キログラム以上の汚染ミルクを子どもやあるいはまた妊娠、授乳中の子どもが飲むことを禁止しているとか、4歳以下の子供は原則として粉ミルクを飲ませる。
この時は急きょ粉ミルク不足の分はオランダから緊急輸入をしている。
それから子どもや妊娠、授乳中の女性はできるだけ新鮮な葉菜類、葉物は摂取を控えるように指示している。こういうふうに対策をとったんですね。

ですから今回の場合に、これが1000ベクレルですから、ほうれん草なんか4000ベクレルですから、そういう意味では、やはり残念だけれども、特に生産者は本当に気の毒ですけれども、子どもたちの命、将来のことを考えれば、この場は政府が最大限に保証してあげるということで、しばらく汚染の状況が安全のところまで行くまでは、それはミルクもそうですね。

これは1987年ということで、1986年が原発の年ですけれど、1987年ヨーロッパの食品の放射能の限度というか安全許容量を出しているのが、有名なネイチャーという雑誌に出ているんですけれども、これは乳製品だと、これはバターとかミルクとかチーズとかアイスクリームとかはセシウムは1000なんですね。ヨウ素が500なんです。ストロンチウムが500、プルトニュウムが20ベクレル/キロです。
乳製品以外の食品というものがありまして、これはそれ以外のものですね。これがセシウムが1250、ヨウ素が3000、ストロンチウムが3000、プルトニウムが80。
それから飲料水がセシウムが800、ヨウ素が400、ストロンチウムが400、プルトニウムが10ということで。
また家畜の飼料は、セシウムが2500と、このように一応基準は設けてあります。

多分これに準じて日本の場合もこうやってあるんだろうと思いますが、きちっとしたものは無いんですけれどね。
各国違います。しかし大体この一つの基準というのはあるわけで、どれがいい、どれが悪いんじゃなくて、ご承知の通りチェルノブイリだってあそこの30キロゾーンでなくて100キロ以上離れたところで、ホットスポットって言いまして、ある場合には雨の状況で、日本は雪ですけれど、それによってはフォールアウトが、ある所に集中的にポンポンと点状に落ちる。だからそういう所で生産されたものというのは当然汚染されるわけです。

そういう意味で今回私も意外だったのは、茨城の方で高濃度って何故かって、これは当然大気汚染であちこちに汚染された大気があるわけですから、その中に雨が降って雨の粒の中に、私が前に言ったように「雨とか雪は注意した方がいいですよ」と言ったら、雪が降ってしまいましたけれど、そういうのはやはり放射性降下物も含まれて落ちるわけですから。

 そういう所、残念ですけれど、そういう所の場合は可能性はあるということを、一応私は、皆さんをパニックではなくて「こういう事実がありますよ」ということを知っておいてもらった上でもって冷静に対応してもらうって、こういう表現をしていかないと、ただ単にエックス線で当てて1回でこうだとか、そういう外部被曝のことを言われるので、これは私は、もしかしたら菅総理大臣が自ら国民に向かって「こうなんだ」って、とにかく子ども達や、あるいは妊産婦を含め胎児たちの命を守るんだと、将来のことを考えて、ということを言わないと、私はいけないと思っております。

これは誤解なきように、皆さん方ある言葉だけを出されますから誤解されて、私いつも言われてしまうんですけれど、そうではなくて、もし心配だったら全部出してください。
そうでなかったら出さないでください。それくらいの私は皆さんに今、私自身がチェルノブイリで経験したことをお話ししているわけですから、決して政府を批判ではないんですけれど、事実としてとらえてほしい、しかも国民の皆さんは落ち着いてくださいと、こういう事があるけれども、安心なものは食べていいですからということで私は申し上げております。

 私自身も5年も汚染地で向こうの人と同じものを食べてきたわけです。
だから、実際に言えるのは甲状腺のがんに関して放射性ヨウ素がこんなに高いのに、昨日の長野県の、今日の報道を見ていますと、その4000ベクレルじゃないですけれども「ほうれん草を洗わないで500グラム食べても安全だ」というそういう県からもしメッセージを出しているようでしたら、報道を見た限りですけれど、これが事実であれば大変な事を言っているなということで、やはり相談にのる人も慎重な答をしていかないと、安心安全と言っても新聞の社説によっては、安心安全冷静ということは、もっと具体的に出してもらわないと私わかりませんよというのは、私はあの通りだと思うんです。


内部被曝の問題は一切出してないし、食物連鎖の話も一切出してないです。
しかも5年10年先のこと出してないですね。
私はそういうことも出していかないと、国民がうんと不安に思うから、敢えて今日は申しあげたところでございます。
是非とも報道の皆さんも、ある意味では刺激的なタイトルで出す。それはやめてください。私は事実を申し上げただけでございます。
皆さん、全部出してください。出さないから、そこだけ取っちゃうから読んだ市民が非常に不安になるから、今日お願いしたいのは書けないんだったら出さないでほしいということ、皆さんの中でご理解いただきたいとこのように思っております。以上です。

















 菅谷(すげのや)昭先生  元 信州大学医学部第二外科助教授
    1999年8月1日 午後二時~ 新潟県柏崎市ワークプラザ大会議室にて 
              主催 プルサーマルを考える医師歯科医師の会 プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワーク
                             講演録作成 (有)ユメディア

(紹介)
 講師の菅谷昭先生のご略歴をご紹介申し上げます。
 菅谷昭先生は昭和18年(1943年)11月22日長野県更埴市にお生れになりました。1968年、昭和43年信州大学医学部をご卒業になられました。1968年4月から3年間、東京の聖ロカ国際病院にて研修されております。そして1971年に信州大学医学部第二外科にご入局されております。76年から78年まで2年位でしょうか、カナダのトロント大学の内科に留学されまして、甲状腺疾患の研究に携わっておられました。1982年、信州大学の第二外科の講師に就かれました。講師になられて4年目、1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起こっております。
 1991年3月から松本市のNGOグループによるチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に参加されまして、放射能汚染地域における小児甲状腺の検診を始めとし、ベラルーシ現地に7回もお行きになられまして、現在支援活動を継続されております。1993年には第二外科の助教授に就かれました。その2年後95年12月に第二外科を退職されております。これはベラルーシにおける現地の支援活動を行いたいという先生の強い意志によって国家公務員助教授という地位をなげうって、96年1月からベラルーシ共和国にお渡りになりまして、ミンスクの国立甲状腺ガンセンターで医療支援活動に携わっておられます。この7月からは高濃度汚染地域であります、ゴメリの方に移られて今後医療支援活動をされるということだそうです。
 一昨年NHKのドキュメンタリー番組で放射能汚染地域で子供たちの甲状腺ガンの医療支援活動をまったくの無償で行われている菅谷先生のことが報じられておりました。ご覧になられた方も大勢いらっしゃることと思います。今日その菅谷先生に柏崎に来ていただき、放射能汚染地域の様子を直接お伺いする機会をもてましたことは、本当に有り難いことと思っております。
 最後までご静聴頂きたいと宜しくお願い申し上げます。
(菅谷)
 皆さんこんにちわ。菅谷でございます。只今過分なご紹介、恐縮致しております。今日は市民ネットの皆様のお招きで、柏崎でお話させてもらう機会を与えられましたこと大変光栄に存じております。
 私は、大変話が下手なものでして、学術的な話をする場合は、これは当り前ですけども大変楽なんですけれども、このように一般の方々にお話するというのは苦手でございまして、今日も私に羽入先生にミンスクと柏崎でのファックスの中にですね、とにかく話は脱線していいからお前の好きなこと話せ、と言われましたものですから、話の途中で時々自分の思っていることとか、あるいはまた感じたことなどをお話させてもらいまして、フォーマルでなくて今日はリラックスさせてもらいますので、皆さんもどうぞリラックスして聞いて頂きたいと思います。雰囲気が固くなりますと私も緊張してきますと、途中で頭が老化してますからですね、途中で忘れてしまうと、ありますから、皆さんがリラクッスしてもらうと私も非常に楽でございますから、よろしくお願い致します。
 最初に私、申し上げておきたいことはですね、今日は私は汚染地であるベラルーシ共和国での子供の甲状腺の病気に関してお話します、主として。その後は、どうぞ皆さん方でご判断頂きたいと思います。私自身は思っていることございますけれども、現地の様子をお話しますから、その後は皆さんでお考え頂きたいと思います。それから中間で質問等受けるということをお聞きしておりますので、なんでもいいですから、お聞き願って、私が現地でわかる範囲のことはお答えしたいと思います。
 そして最初にお話しておきたいことは、私がどうしてチェルノブイリと関わったかということでございます。
 私は信州の生れで、信州の大学を卒業しまして、卒業するときに月並みでございますけども、どういう医者になるかということ考えましたときに、私としましてはですね、患者さんから「ああ、あの医者に診てもらってよかったな」とそういう医者になりたかったんです。そういうことで、私は東京に出まして臨床研修を受けまして、そういうなかでもって自分が医者として、医療従事者として、どのように生きて行くべきかということを多少考えて、それから、東京を去りまして、また松本、母校に戻りまして、外科の教室に入りました。それからが悪くなったんですね。ああゆう白い巨塔のなかにいますと人間てのは大変恐ろしいもんで、私もそういうかたちでもって医局の生活しているうちに、初心を忘れてはいないんですけれども、いつもやっぱり大学の中での生活の方におわれまして、自分の研究あるいはまた学会の発表、あるいは論文を書くこと、そして若い人の指導ということでおわれまして、ずーっとおわれましてね、そして海外の生活もありまして、ある意味では大変ハッピーでした。ほんとハッピーだと思います。皆さん方の税金で自分が学ばせてもらって、なおかつ大学の医療機関で自分の専門とする領域を深めるということは大変ハッピーでございました。
 ところが40ですね、超えて半ば前ですか、海外の発表など終りますと飛行機に乗りますよね、そういう中で私が、帰りの飛行機の中で、この飛行機が落ちたら必ず死ぬなと思いました。要するに自分の死を考えたんですね。そのときに僕は本当に良かったのかなっていうふうに思いました。このまま死んで良かったのかなと、良かったなっていう気持ちで死ねるかなと思ったときに、ぼくは本当に最初の頃に思っていた医療従事者の道を歩んでいるかと思いましたら、もう答は簡単でした。Noでした。これじゃいけない、とそう思いまして、私としてはそれじゃあどうしたらいいのかなと考えました。そういう中で私はこれほど、それほどなにかしたわけじゃないんですけれども、大変恵まれた環境の中で勉強させてもらった、そしてその自分の専門とする領域を、私外科医でございますけれども技術とかあるいはまた専門領域の知識が活かすような場所がないかなと、せめてものできることでしたから、そういうことで私は大学病院の生活しながら1991年でございますけれども、1月、私大学に行くまえにですね、朝のテレビを観てましたら、ちょうど91年ですから原発後の5年目ですかね、実はベラルーシの共和国では大変原発の事故による子供たちの障害がひどくて、なんとかして日本の皆さんに助けて欲しいというSOSが来てました。そういうなかでいくつかのグループが立ち上がったはずです。その一つが長野県の松本市に事務局を置くところのグループでした。その方がですね代表でもって朝出てました。NHKの場合ってのは上に時間が出ますよね、ですから内容を観なくても時間観ながら我々動いているはずなんですけれども、そういう中で私が、変な話なんですれどもトイレから出てきてですねズボンにバンドを締めながら観てたら、チェルノブイリのことやってて、あれ確かチェルノブイリの事故はあったけどもその後どうなったかぜんぜんわかりませんでした。そのとき私は、これは子供の甲状腺の病気増えるなというのが、私が甲状腺の専門をしてましたものですから、放射性ヨードにやられてしまうだろうなと思いまして、観てましたら、その事務局が松本市にあるということで私は大学行きましてすぐ電話を入れまして、もし私が甲状腺専門医ですからお役に立つことがあれば皆さん方のグループに参加しましょうって言いましたら、実は彼等は現地の視察のときは白血病が多いだろうと、皆さん方ご存知の通り長崎広島の場合には原爆を落とされてから5年位から急激に白血病が増えておりますけども、ですから核災害の一番の被害として最初に白血病が出るだろうということで松本のグループも白血病に対してですねどうしたらいいかということで出掛けたら、現地では甲状腺の病気をなんとかしてくれというふうに言われて、彼等は予定が狂っちゃってこれは困った甲状腺専門医をなんとかお願いしようということを帰りの飛行機の中で相談してたんですね。そこへ私が間髪を入れずに甲状腺専門医ということでもって電話したら向こうは向こうで渡りに船で。これが出会いでした。
 ですから私はチルノブイリがしたくて行ったんじゃなくてですね、自分の人生を別の方向に変えようと思ったときに偶然巡り合ったわけでございます。そして私は1991年の3月に初めてNGOのグループと一緒に現地へですね、医療専門家として視察に行ったのが最初でございます。それからは私が現地で長期滞在するまでの間に7回ほど現地へ渡りまして、そしていろいろやってきまして最終的には96年から向こうに長期滞在ということになったわけです。その辺のことはこれからスライドで見ていただきながらお話していきたいと思いますけれども、スライドお願いします。
 ご存知の通り先程羽入先生からのご紹介もありましたように、1986年の4月26日に、当時は旧ソ連邦ですけども現在独立しまして、ウクライナ共和国、そしてベラルーシ共和国の国境沿いで、しかもウクライナ側にあるところのチェルノブイリの原子力発電所の4号機が史上最悪の爆発事故を起こしたわけでございます。この辺は皆さんよくご存知だと思いますけども、そしてその放射性降下物です死の灰によるところの汚染は北半球全体やられましたよね。日本もそれなりに汚染されているはずですけれども、ただし高濃度で汚染されたのは主としてですね、ウクライナ共和国とベラルーシ共和国とロシアの西方ですね。この部分がかなり高濃度でやられて、さらに後ほどお話しますけどもポーランドも当然のことながら、この風向きの関係でベラルーシの隣ですけれども、ここも汚染されておりまして、勿論その意味ではもうすこし北へいきますとですね、バルト三国からさらにスウェーデンですよねノルウエー、北欧もやられておりますけれども、ですから事故が起こった当時、最初の情報っていうのはストックホルムから出たと思いますけれども、まあそういうことでですね、この史上最大、あるいは最悪の事故が起こったことによって北半球全体が汚染されてしまった、と言うわけでございます。次お願いします。
 もう一度地理的に確認させてもらいますけども、これが白ロシアと言いますけれども、ベラルーシ共和国でございます。その南にウクライナ共和国、そしてウクライナに属する国境沿いこれがチェルノブイリでございます。それからこちらがロシアの共和国で、モスクワがここにございます。そして私は、これまでミンスクっていうベラルーシ共和国の首都のミンスクで甲状腺ガンセンターに行きまして活動してまいりました。面積としましてはベラルーシは日本の半分ほど。人口は一千万少し、日本の10分の1のになるわけであります。それからこれがポーランドでございます。スウエーデン、ここがずうっと最初にやっぱり汚染されて、放射能がこちらに出まして、ここから情報が入り、その後は世界全体にいろんなことが情報が発信されたわけであります。次お願いします。
 そして先程申し上げましたように、1991年の3月に私が初めて現地に渡りまして、そこで本当に甲状腺の病気が増えているかどうかを、やはりきちんと自分の目というんですかね、きちんと検査をして、検証して、感情的にただ甲状腺の病気が増えてるんであっては市民運動としてはなかなか賛同を得られないということで、私はやはりこれはきちんとデータを出してですね、自分の手で。そしてやはりそれが甲状腺の病気が増えているとなればこれは皆さん方にも賛同を得られるということで、NGOのグループの方と相談しまして2年に渡って、現地で私の医局の先生方もお願いしてですね、小児の系統的な甲状腺検証を行いまして、これは触診、あるいは超音波の機械だけは持っていきまして、あるいはまた現地で血液また尿、おしっこの採取しまして、すべての検査をしてまいりました。このときにはベラルーシ共和国の中で高度に汚染されている地域とそれからそれに近隣して風の関係で丁度うまくですね、コールドスポットといってはいけませんですけれども汚染をまぬがれたところがございますから、そこの両地区でもって子供たち健診しまして、結果としましてやはり汚染地域では子供の甲状腺にしこりがある、増えているということがわかりました。その結果として私はそれでは本格的に取り組んでですね、私の知識なりあるいはまた技術を少しは活かされるだろうと思いまして、この運動に対して本格的に取り組みを開始したわけでございます。次お願いします。
 このように甲状腺の病気が増えていることがわかりましたもんですから、その反面ですね、現地では甲状腺の病気に対して、特に小児の甲状腺ガンですけども、それに対して、手術が行われているということで、本当に手術が行われているかどうかということも確認するために検診の後、現在私がおります、おりましたになりますけども、ミンスクの国立甲状腺ガンセンターを訪れまして、そこでセンター長のデミチク教授、この方はミンスク医科大学の腫瘍学講座の教授でございますが、変任されてですね、そのセンター長にお会いしまして、本当に子供たちの甲状腺のガンの手術が、あるいはまた甲状腺の腫瘍の手術を行っているのですかと聞きましたら、もちろんだともということで、すぐ別室に子供たちを呼んでくれたのがこの写真でございまして、おわかりになりますね、こういうチビちゃんがここに白いガーゼございますよね、これみんなガーゼですね、首かくしてますけども、こういう子たちが手術を受けていると、これを見ましてやっぱり本当にびっくりしました。私も長年甲状腺の専門医として、外科医としてやってきましたが、子供の甲状腺ガン、あるいは子供の甲状腺腫瘍というのはほとんどしたことがございません。ですからこういう子供が一度にこれだけ集まると本当ビックリしました。確かにやっぱりそうすると甲状腺の病気が増えているということがわかりました。その時に最後に記念ということで私と医局員二人ですね、この写真はナージャの村の本橋さんですけども、一緒に彼も行ったもんですから写真撮ろうよということで、記念だねということであの本橋さんが「はい、チーズ」を三回やったんですけども、笑うのは私共三人だけで、子供たちが決して笑ってくれなかったんですけども、確かに笑えるわけないんですけども、今となっては私も大変反省してるんですけども、これは私にとって非常に記念に残る写真でございますが、このように子供たちがガンの手術、あるいはまた良性の腫瘍の手術を受けてることがわかったわけでございます。次お願いします。
 その時に別の子供を呼んできてもらいますと、この少年の場合にはガンの手術して、耳の下からこういうすごい傷ですね、手術を受けているわけですけども。かつて20年、30年前の場合は日本で私共の教室の先代、先々代の教授などはこういう傷の手術をしてました。当時はこういう方が手術をやりやすい。患者さんの人権、あるいはクオリティーオブライフということは考えずにやっておりました。特にドクターサイドの一方的な考えでもって手術してたはずです。しかし現在はそうではなくてむしろ手術を受けた患者さんが受けた後で本当にハッピーな気持ちで生活できるということを考えてこういう傷はつけません。次お願いします。
 この少年の場合には病気が進行していたのか、あるいは技術的な問題かわりませんけども、 残念なことに声を出すところの声帯の神経を支配してる神経の両方をだめになってしまったということで、この子の場合にはもう声は出ません。もちろん声帯が閉じちゃいますから、動きませんから、息が出来ませんから、声帯の下に穴を開けて気管に穴を開けるんですね、そしてこの気管チューブでもって一生生きていかなければならないというような、本当に胸にかけた十字架が悲しいんですけども、こういう状況を見せつけられまして、私はなんて言ったらいいんですかね、医療の普遍性っていうんでしょうかね。どこの国にいても、あるいはいつの時代においても同じ、外科の場合は手術ですよね、あるいはまた他の、医療を受けられるのが普通ではないかと考えてしまいまして、日本でだったら子供たちがとてもいい手術を受けられて、あの国では受けられないというのはやっぱりおかしな話だなあと、これはだれもが思うと思うんですけども、私としてはこれはなんとかしなければいけないなあというふうに、だんだんだんだんその思いが強くなってまいりまして、ここのへんにきますと私はこういうことをするときに時々あなたは宗教的なバックグラウンドがあるんですかとか、あるいは哲学的な何か思想があるんですかと聞かれますけれども、私はまったくの普通の人間でむしろ常識のない人間でございまして、ある意味では本当に反省しなきゃいけないような生活をしてまいりましたんですが、ですからこういうとこを見ますとぼくは高邁な思想とかあるいはまた自分を支えられるのはなにか、バックボーンがなくたって普通の人だって誰でもこれはなんとかしなければと思うだろうし、しかもこの子供たちというのは原発の事故によって、本当に大人の身勝手さっていうんですかね、豊かさを求める科学の粋を映したああゆうものが爆発事故を起こしちゃって、その結果としてなんの本当に罪も、まったく何も知らされない子供たちがこういう状況で手術を受けるということを考えますと、余計私としては日本でもって勉強させてもらったそういうものが少しでも活きる場があればということで、いろいろ考えました結果としてですね、20数年に渡る大学の生活をあっさり辞めまして、そして次お願いします。
 これ96年なんですけども、95年の暮れに辞めまして、翌年の1月にベラルーシ共和国に渡りまして、たまに行っていろいろすることは簡単ですけどもそれでは本当のやっぱりヘルプになりませんもんですから私はやはりしばらくこの現地で長期滞在をしないとダメだと思いまして、1月に渡りました。1月というのは本当にあの国は寒いですね。マイナス20度からマイナス30度の中、私があえて別の人生の旅を歩むということで最初に安易な道を選んでしまうとこれはたいしたことないということで、私はあえて極寒の一番寒い時期を選んで、そしてベラルーシに旅立ちました。あいにく成田も本当久し振りに雪が降ったんですね。その時はびっくりしました。ベラルーシのベラっていうのは白いっていう意味ですから、まあ白い国ということで私も白い雪にさよならを告げまして、あの国に渡ったわけでございます。次お願いします。
 こちら右がセンター長のデミチク教授であります。それから左が息子さんで、現在お父さんの後を継いで腫瘍学講座の主任になっておりますけども、彼は基本的には肺外科が専門で日本に私と大学におりますときに彼が二ヶ月ほど研修に来ております。こういうように人間関係をちゃんと築いておきましたもんですから、それが私が現地に渡っても言葉の障害ありますけども、その後ある意味では私が考えたような形での支援活動がなされるようになったわけであります。海外での医療支援活動する場合っていうのは、やっぱりまずその国の人たちとの信頼を得る、あるいは又お互いの心が分かるような状況を作っておかないと大変難しいんではないかと思っておりますが、私は幸か不孝か幸の方ですけれども、そのような意味では大変ハッピーな状況で支援活動が続けられてきたわけでございます。次お願いします。
 この辺で96年ですか、かなり前の事ですけども、私が働いております、国立甲状腺ガンセンターの医療現場の話、特に手術場含めてお話しますけども、まあ手術場入りますと、一番びっくりしますのが、この透き通ったガラス窓から外が全部見えてしまう、中で手術をしていると。まあちょっと今日本では考えられない状況ですけども、あとで理由がわかったんですけども、それからまた透き通った窓ガラスを外してここは冷房がないもんですから、網のネット張っております。だから外の空気が出入りしてですね、この道路の病院の中庭の向こう側も車が走ったりしてここは丁度いい場所なんですけども、ダウンタウンですけども、ですから外の空気が出入りして、そういう状況の中でもって子供たちが手術を受けているということは大変びっくりしたわけであります。次お願いします。
 今度はこの手術場の中ではですね、手術台あるいはまたこの電気メスですが、これみんなこの病院自身がスターリンの時代ですから50年以上前できたんですけども、こういう医療器械も全部ですね手術器具もその当時のものなんとか使ってるんですけども、ベット、手術中に降りてきてしまうんですね。ダウンしちゃうもんですから10分ごとにペダルを踏んで上げなきゃいけないとか、電気メスの場合にはですね、手袋はめてんですけども小さい穴が空いている。そっからですね電流が流れてやけどするとか、あるいはここは附属病院ですから医学部の学生が臨床実習でくるんですけどもこれを見るとわかります通り、これも外の衣服のまんまジーパンで入ってきましてそしてただ足袋だけ、あとはこういう格好で、手術場というのは滅菌とか無菌が一番大事なんですけども、そういうこともほとんど考慮されない。学生用のこういうガウンが買えないということもあるんですけども。あるいはまたこの手術場の電気が非常に照明が暗くて手術がやりずらいんですけども、こういうものすべてが買えないんですね。ぼくなんか手術で目が見えなくなってしまうと奥の手術する場合でもなんとか成らないかと見上げるんですけどもすべてがニエットでございます。次お願いします。
 手術を受けたこの子の場合には見てもらってわかりますように、甲状腺ガンの手術の再発二回目ということで耳の下からこういうすごい傷で手術を受けております。そして傷の真ん中からですね、ドレーンといいまして縫った後全部閉じますと中にどうしてもやっぱり滲出液と血液がたまりますからそれを外に出すということで今度ゴムの管をつけて、そしてさらにこの中にたまったものをゴム球で陰圧でもって引き出すということをしているわけです。ここまではよかったんですけども。次お願います。
 そのゴム球がですね本当に窓ぎわに無造作に置かれて消毒もなにもしてないんですね。確かになんていいましょうか陰圧で引きますから、こちらの汚いのが中に入ることはないということはわかるんですが、しかし傷の中とですねこれがゴム管を通して繋がっているときにやっぱりですね考えてしまう。なんとかしてあげたい。あの子供たちですよね、自然発生に起こる問題、病気ならまあしょうがないですけども、特にこの放射性の誘発の甲状腺ガンのような子供たちの場合だったらせめてですね、せめて医療環境の良いところで手術を受けさせてあげたいなというのが、誰もそう思うでしょう。まあこういう状況ですね。次お願いします。
 この甲状腺ガンの子見ていただきますと、この傷の真ん中からドレーンが出てて、これがゴム球ですよね、こういう傷真ん中から出しますとこれあと治ったあとやっぱりどうしてもここが肉が盛り上がって汚くて、この会場の中にお嬢さんをお持ちの方もいらっしゃるでしょうし、お孫さんもいらっしゃるかも知れませんけども、ご自分の子供がもしこういう手術を受けたときに、あるいは傷がここでもって汚くなった場合に、一生どのようにしてこう生活していくかっていうのをご想像いただければと思います。次お願いします。
 またこれ手術場の中でございますけども、こちらの右端に手術場があるんですけども、ここは待ち合い室です。手術を受ける患者さんというのはですね、これもびっくりしたんですけども、普通日本の場合だったら手術する場合は必ず病棟で前投薬という注射を打ったあとで車のついた担架でもって手術室に運ばれてくるんですけども、ここでは手術を受ける患者さんが自分で歩いてきてですね、ご飯食べないで朝は、ここに座っておりましてですね、名前を呼ばれるとそこで初めて衣服を脱いで自分で歩いてベットに上がって、麻酔がかかるという状況で、非常に効率的なんですけれども、一方でちょっと考えられないんですけど、それをあの小さい子供たちが、いやあ強いなあと思いましたけれども、手術に対する不安はいっぱいあるんですけども、なおかつですね一人でですね看護婦さんにつれられてこの病室から中入って座っててですね、カチューシャとかナターシャとか呼ばれると自分でもってここでもって衣服をとって、そして一人で歩いてベットへ上がってそれから点滴受けて麻酔がかかると。本当に強いなあと思う反面それ以上私は言葉がでなかったんですけども、そういう状況でありました。次お願いします。
 病室にきますとこのようにですね、今日は甲状腺ガンのお話を主体にしますけども、このような子供から、もうちょっと大きいですよね14、5歳から、思春期のこういう少年あるいは少女たちがですね、2週間ごとにやっぱり入れ代わり立ち代わり甲状腺の手術のためにガンセンターに来るわけであります。この国の内規としましてですね、子供のガンはすべてミンスクの首都の甲状腺ガンセンターで行いなさいという司令があるもんですから、全国からここに子供が集まってきてこの一ヶ所でやりますから、裏をかえしますと非常にデーターがしっかりするわけであります。次お願いします。
 私は外科医でございますから、当然手術をします。しかし、日本ではできますけども、他の国では基本的にはライセンスがありませんからできないわけです。ですから私は向こうに渡るときも自分が手術するとは決して考えておりませんでした。若いドクターの指導、あるいは一緒になって相談しながらやってけばいいと思ってましたが、幸か不幸か私自身のキャリアを見てくれまして、デミチク教授が一カ月後から手術をしてほしいと、あるいはまた指導してほしいと言われたものですから、私は厚生大臣の特別な了解のもとで向こうのですよ、外科治療に参加するようになりまして、現在に至っているわけであります。まあ私は彼等と一緒に手術をやりながら、さあ一体私はどっから手をつけてどのようにしていったらいいのかなと考えておりました。ただ私は現地へ渡るときにはですねもう50を超えていましたから、自分の能力っていうのを充分わかっておりました。たいしたこと出来るわけではありませんから、じゃあぼくはどうするか、とにかくあせってもしょうがないし、それから自分がなにかしようなんて気負ってもしょうがないですし。ですから地道にしかもですね、決して無理しちゃいけないということで、自分が出来る範囲でというそういうモットーを持って出掛けていきました。ですから私は本当淡々としておりまして、出来る範囲でやればいいんだなあということでしたから、あせりもありませんでしたから、そのなかでじゃあぼくはどうするかということで、これからお話するのは多少このような医療援助しましたよということをお話します。次お願いします。
 まず最初にですね私自身がやっぱり自分が外科医で手洗いしますから、この手洗いのブラシをさっそくお願いしました。と申しますのはですね、このブラシはタワシなんですよね、ものすごい痛いんですよ、固くて。これ一日四回手術するとこれ四回洗ったらね本当皮膚がすごい状況になっちゃいまして、ですからせめてブラシだけはということで日本にお願いしまして、NGOのグループがブラシを送ってくれたんですけども、彼等は全部替えないんです、半分しか替えないんです。でどうしてかったらですね日本からの支援が途絶えるとですね、まだ使えるこれを捨ててしまったらあと国からなんにも予算がないから、だから替えないんだと。このブラシが擦り切れるまで使ってそれから、次のまた日本からのを使う。そんなこと言ってたらぼくの皮膚が擦り切れちゃうことだったんですけれども、次お願いします。
 まあそいうことで私は早速また日本のグループにお願いしまして、もっと送って下さいということで、今後日本でも定期的に送るよということで、ブラシを送りましたところ、替えてくれました。一番日本で安いやつですけども、こういうまず支援をしてもらいました。次お願いします。
 次は手袋ですね。ゴム手袋というのものもこれもサイズがございまして、私は大体7号というのを使うんですけども、むこうは7号の手袋が無くて8号という手袋だととても大きくて外科医だったらわかるんでしょうけども、もう8号の手袋使ってたらとても手術できないし、それからこれ一回で捨てるんですけども、あの国では、何回も使うんです。ですから小さい穴が開いてますと、先程言いましたような古い電気メスだと電流が流れてやけどしたりするもんですから、ゴム手袋をお願いしました。次お願いします。
 これは絆創膏ですけども、こういう絆創膏もですね、4年前までは国でまだ裕福でしたから、病院の備品として絆創膏買ってくれたんですけども、今はお金がないもんですから、結果として手術を受ける患者さん、大人も子供もその人たちが自分で絆創膏を買ってきて、それを持って手術室に入ってそれを使うということで、これもやはりびっくりしまして、安いもんですから、私はこういうものも日本にお願いしました。でこういうことを日本の皆さんにお願いしたんですけども、今そういうところから現地でこういうものを購入するネットが出来てまいりまして、現地で買いますとですね、非常に簡単ですし、なんていいましょうか、機械なんかでもそうですけども、現地で買った方がですね、アフターケアもいいですし、いろんなことでベラルーシの場合だったら、今非常に不況ですけども、外貨、ドルも落ちますから、一石二鳥ということで、そういうネットが出来てまいりました。次お願いします。
 これはドレーンであります。先程言いましたね、首の真ん中です。細いやつですね。これも全部滅菌されたやつですけども、当初日本から貰いましたが、けっこう大きな荷物になるもんですから、今はこれをドイツからの輸入、フランスから輸入したものを現地で購入するところまでなってきました。次お願いします。
 それから医療器具の中でも特に手術器具ですね。ハサミとかですね、ピンセットとかですね、それからメス、それから鉗子ですね。こういうものもですね。本当は日本だったら完全に廃棄されるようなものが、現在使われておりまして、ハサミなんか何回チョキチョキやっても糸が切れないとかですね、あるいは鉗子でつまんでもボトンと落ちてしまうとかですね、そういうものを使わざるをえないし、ドクターたちも苦笑いしてしょうがないんだよって言ってますけども、我慢強いですよね、あの国の人たちは。まあしかしこういう状況の中で、子供たちが手術受けるときに器具が悪くてですね、危険な状況も起こるもんですから、やはりこういうものも現地でですね購入しまして、私が現場におりますから必要な分を必要なときに必要に応じて、供給しておりますけれども、次お願いします。
 それからこういうですね、手術の後のですね、患者さんの管理室において、脈拍とか体温とかあるいは血圧、脈拍、呼吸数とかそういうものを調べるモニターがありますけれども、こういうものがないもんですから、現地で購入してそして、会社の方が説明して、こういことでもって現地で購入し調達しますとアフターケアとかあるいはまた現地でこういうものを買いますと、ドルが落ちますから、そういう意味でも一石二鳥で経済効果があるということで、そういうことでも漸く、今後の道が開けたという感じであります。次お願いします。
 変わった点と申しますと、私が先程ですね、外の景色が丸見えだと言いましたよね。こういうことを私が日本に帰ってきますとあちこちでお呼びいただいてお話するんです、そうすると会場にKGBの方がいらっしゃるようでして彼等はあるとき突然、ブラインドを作るようになったんですね。でこのブラインドを作ってくれたものですから、ああ良かったなと思って中が見えなくなって良かったなと思ったんですけども、なかなか降ろさないんですよね、せっかく作っても。よく考えましたらですね、この国の人達はやっぱり電力を非常に節電しようとしてるんですね。とてもいいことだと思うんです。ですから、手術場に電気があってもなかなか点けてくれないんです、天井にあっても。その分だけ太陽光線を外から入れて、できるだけ電気を使わないということをしております。こういうことはたまにぽっと行って私が先程言いましたようにこれはプライベートの問題、人権の問題って言いますけども、今彼等にとってはそれよりも電気をできるだけ使わないようにしようと、いう方向いるもんですから、こういう状況なんです。まあそういう意味では将来はプライベートの問題を含めて変わるでしょうけれども、少なくとも現段階では彼等は出来るだけ電気をですね、節電していこうと、そういう意味ではですね、やっぱり原発を考える場合でも私自身日本でもう少し生活スタイル、ライフスタイルを変える方向も平行していかないと多くの方々の賛同を得られないんではないかという気もいたしております。次お願いします。
 手術儀式、いろんな問題では傷をどうするかとか、あるいはまたリンパ腺のとる範囲をどうするかとか、甲状腺の切断をどうするかというようなことをいろいろ若いドクターと話をしながらですね、将来の問題として考えております。この国はいくら旧ソ連邦が崩壊して、共産主義なくなってもまだまだ古い体制が残っておりまして、特に病院の古い先生方っていうのは相変わらずヒエラルキーの形で自分の権限を渡しませんし、デモクラシーがございませんから若いドクターはなかなかいろんなこと話が出来ないのも現実でございます。ですから私はすぐ変えることは無理である、しかし将来は彼等があの国を背負うわけですから、その時のために今私は、彼等を応援しております。私が向こうに渡っておりますのは、あくまでも彼等が自立すると、自分の国の問題は自分たちで解決するとそういう事実事情に対して、少しでもお手伝い出来ればと考えております。いつも申し上げるんです。ですけど私は決してボランティアだなんてぜんぜん思ってません。本当は私ボランティアなんて考えてませんし、今だってそうです。ですから私は自分の日本で学ばしてもらった技術と知識がどっかで活きればということですから、これはチェルノブイリでなくて、日本の中でもいいですし、またアフリカでもいいでしょうし、あるいはアジアでもいいですけども、偶然私はチェルノブイリにぶつかったということでございますから、私の初期の目的が終れば、これは当然私はまた日本に帰って来るつもりでおります。次お願いします。
 見ていただきますとわかりますが、この少女はこういう傷ですね。先程言いましたように耳の下からのこういう傷でもって手術を受けております。繰り返しますけども、この中にお嬢さんお持ちの方はこういう傷の自分の娘に対して将来どう思うでしょうかね。次お願いします。
 私昨年帰ってまいりましたときに、九州で講演を頼まれて九州を回ったんです。その時にですね、実はリュデミラ・クラインカンさんという女性、22歳の大学院の学生ですけども、彼女と一緒に回って、というのは彼女がですね、15歳の時に甲状腺の手術を受けていました。術前診断は甲状腺ガンということで、先程のような傷でもって手術を受けております。結果的には良性だったんですね。そういう意味では私はあえて手術しなくても良かったんじゃないかなというふうに思っておりますが、その彼女がこの手術を受けたことによってですね、自分は将来どういう人間になろうかということで彼女は臨床心理士あるいはまたさらにもう少し高度な研究者として現在、大学院で学んでおりますけども、その彼女がですね15歳の手術を受けたときのその回想を講演で述べましたけれども、そしてもう一つ手術の傷跡からくる容姿の問題に耐えなければなりません。包帯を取って、多分2、3日後でしょうね、傷を見たときの絶望感と、なぜこんな傷をつけられる必要があるのと。時間の経過とともにいずれこの傷は目立たなくなるよという医師の説明にも、素直にうなずくことはできませんでした。多感な少女時代に友達とのつきあいの中でひとつのハンディがあることは事実です。確かにそうでしょうね。私はこの彼女の言葉を聞いて、今までもこうと私こういう彼女に知らなかったものですから、これを聞いて確かにこの問題は大きいんだなということがとわかりまして、そんな意味では私も向かい合ったときあの傷は何とかしたいなと思ってまして、彼女のこれを聞かせてもらってますます、そうだね、これはなんとかしかければいけないなというふうに思ったわけです。次お願いします。
 そこで手術のときにはできるだけシワに沿ってですね、ま、これは日本では普通にやられてるんですが、シワに沿ってやったほうが後々は目立たなくなるということを考えまして、ドレーンも脇から出してあげるとこれが自然に消えてきますからね、はい次お願いします。
 あるいは又、この少年のようにですね進行の甲状腺ガンの場合に耳の下にリンパ腺が転移しておりまして、この場合でもですね、本当は先程のように耳の下からこう切り上げた方が外科医としては非常にやりやすいんです、手術が。視野も良くなってですね。しかし手術の後のずーと続く患者さんにとってはどうでしょうか。ということで現在はああいう傷をつけなくなっております。そこで私はこの手術のときに二重のカラー線でやらせてもらって、初めてだということで、若い先生方もこれからこうして、しかし今やると上から叱られるから出来ないと言ってました。私の場合はある意味では特別で許可してもらったんですけども、それから又ドレーンは脇から出して細いドレーンで滅菌したものを使う。やっとここまできましたね。はい次お願いします。
 それからまた、もう一つの問題はですね、甲状腺の手術を受けたときに現在みんな子供たちはとってしまうもんですから、そうしますとホルモンがなくなってしまいますから、甲状腺ホルモンというのは大変大事なホルモンで、ないと死にますから、ということで、現在は甲状腺ホルモンの製剤が出来ております。これは非常に安いんですけれども、日本ではどこでもいつもフリーに手に入るんですけども、残念ながらあの国はですね、ミンスクでは首都ですからあそこでは手に入るんですけども、他の所では、要するにゴメリとかですね、他の地区ではなかなか手に入らなくてですね、子供たちはけっこうあちらから紹介されてるんですけども、薬が手に入らないとどうするかと言いますと、一日三錠飲むところを二錠にするとか一錠半にして減らして飲むわけですね。ですけども結局それが長く続きますと甲状腺機能が低下して具合が悪くなってしまうということで、私はミンスクでですね、薬を購入してこれをまたお願いしてゴメリの方に運んでもらったりしておりますけども、これも日本だったら簡単に手に入るもので、今回の帰国の間に薬屋さんとお願いしてなんとか手に入らないか考えておるところでありますけども、これは本当大事な問題で今後ですね、もっとあの国が良くなってくれればいいんでしょうけれども、現段階ではこういう薬が手に入らないというのが大きな問題であります。はい次お願いします。
 今迄の所は私自身に関連しますが、それ以外に日本には本当にいい方が、素晴らしい方がいますね。私は恥ずかしいんですけども、こういう活動に参加してから自分が今までどんな生活してたかなあと反省ばかりなんですけども、この活動に参加することによっていろんな方々と日本でお目にかかりまして、こんな素晴らしい、こんな日本をもっている方がいるんだって、日本大丈夫だって勇気づけられているんですけども、いろんな方々が話しますと、後で手縫いのものとか、あるいはまた他のプレゼントを送ってくれましてですね、それを今手術の前とかあるいは後の人たちにですね、婦長さんからがんばりなさい、日本の皆んなが応援してますよ、と言うことでもってプレゼントを与えて、もらっておるところであります。次お願いします。
 この辺でちょっと科学的な医学的なデータを示しますが、ベラルーシ共和国は先程言いましたように、日本の面積の半分位なんですけども、6つの州に分かれております。チェルノブイリがここにありますね、国境沿いに、ゴメリ州、ブレスト州、国境沿いのここが、後でお見せしますけれども汚染されて、これが真ん中ミンスク州で、その州都がミンスク市であります。それから北の方が比較的汚染が少ないというところであります。次お願いします。
 ここでですね、チェルノブイリの事故の前後でベラルーシ共和国における甲状腺ガンの数を出してあります。1974年~1985年の事故前、86年からですから、事故前の12年間で、何人大人子供です。事故後の同じ年数12年でもって何人かを出してます。そうしますと子供見てもらいますと、子供は事故前が12年が8例だったのが事故後が600例と非常に増えてますね。大人の方は3~4倍近くになってます。言いたいことは、子供が明らかに非常にガンが増えているということがわかります。これはベラルーシ全体でございます。次お願いします。
 甲状腺のガンができるというのは、理論的には放射性ヨードが、体に取り込まれてそこから出るところの放射線によって遺伝子に傷がついてガンが出来るんであろうと考えるわけです。放射性ヨードというのは、もっと言いますと、無機のヨードです。ワカメとか昆布とかいったところにありますけれども、ああゆう海のもの。ヨードはですね、甲状腺ホルモンの合成の場合の素材になるわけです。一番元になるわけです。今回の場合は結局その放射性ヨードが大量に取り込まれただろうということで推測するんですけども、その汚染マップで5月10日のやつでございますけれども。こういうマップがあったんですよね、最初の時から、それが事故後10周年のときに初めて公にされたんですけども、そういう意味では、やはりどんな場合でも情報の公開をきちんとしないといけないなと思うんですけども、これ見てもらいますとですね、ここにちょうどここに真っ赤なここが一番高汚染になりますけれども、チェルノブイリですね。このゴメリ州がかなり高度に汚染されてますよね。それからブレスト州ですね、それからモギリョフ州。この辺が高度に汚染された地域であって、現在も住んではいけない地域が当然ありますけども。それから風向きによってはホットスポットといってミンスクの中でも私ここにいるときにここでもやっぱり汚染地、基本的にいいますとほとんど全部完全に汚染されてますけどね、濃度の程度はありますけども、でも特にひどいのが、ゴメリとブレストですね。ここがかなりやられておると。次お願いします。
 これを見てもらいますと、子供の甲状腺ガン、先程言いましたように86年から98年に600例ですけども、ありますね。この子供たちが先程言いましたように全てが、ミンスクの甲状腺ガンセンターで手術を受けなきゃいけないもんですから、どこから紹介されたかを見たのがこのマップであります。そうするとここにチェルノブイリありますよね、ゴメリ州とブレスト州、とくにゴメリ値が半分近くですね。わかりますよね。ですから四人のうち三人がこの高汚染地域から紹介されてミンスクで手術を受ける。しかしたいへんなんですよ。ここをこう行くときに。300Kmか400km、この場合は500Kmありますかね。ここを子供たちがみんな来るんですよね、お母さん、お父さんにつれられて、夜行列車で、しかも日本のような素晴らしい列車じゃなくて立ち通しで来ることもあるということです。お金がかかりますからね、ですからそういう意味でいったら、大変今の経済不況がすべてチェルノブイリの子供たちの不幸せになっているのも事実でございます。次お願いします。
 今おわかりいただきましたように、高濃度の汚染地域からの子供が75%位占めてる。特に一番は高濃度のたくさんの半数近くいるところのゴメリ州ですね。ここもまたいくつかのブロックになって村になってますけれども、これを見てこのブロックから何人来てるかというふうにみましたのがこのマップなんですけども、ここにチェルノブイリありますよね。当然ここが一番高度に汚染されてるわけですよね。じゃあここが一番多いかっていうとそうではなくて、ゴメリ州がここが一番多いんですね。ここが一番多いです。どうしてかっていうことで聞きましたら、これも情報公開と関連ありますけども、大変残念なことは、旧ソ連邦のときっていうのは一番大事な行事っていうのはメーデーでございます。5月1日。で事故が4月26日ですね。ですから、全部ふせられましたよね。情報がなかった。子供たちはそういう黒い雨の降る中でメーデーのパレードを練習させられた。これはもう大人の勝手以外何ものでもないですけれども、そういう中でもって汚染されてしまった。ゴメリにあちこちからみんな呼び寄せられて、パレードの練習をしたということで、まあこの時に参加したお母さんがですね、今、あの当時はメーデーは人命に先行するんですよ、と言われたのが、今でも私の頭の中に残っております。次お願いします。
 次はですねこの表は、簡単なんですけども、普通子供の定義というのは、14歳まで子供としております。15歳超えますと大人に入れております。この場合は18歳までですね、手術受けた少年少女、1012例のうち事故当時、彼等は何才だったかを見たのがこの図です。見ていただきますと、事故当時、ガンの手術を受けた子供の5歳までですね、半分なんですよね。特にそれでもすごいのは1歳未満のがかなり高いですよね。正常の、普通の甲状腺の中に放射性ヨードが取り込まれますと、小さければ小さいほど甲状腺がやられるっていうことは認められているんです。それは私自身それを専門としてやってますと、そういうことははっきりしているものですから、そういうことは聞いてたんですけども、今回こういった具体的な事実を見ますと本当に小さければ小さいほど最初に甲状腺をやられてガンができてるということで、ある意味ではですね、私が学問的に学んだことが証明されているという状況であります。ですから事故が起こった場合には最初に小さいチビちゃんほど、早く初期対策をするってことが、大事じゃないかと思っております。次お願いします。
 次にこの図は事故の後じゃあその後ガンはどうなってるのって言われます。放射性ヨードっていうのは、半減期がだいたい8日間位ですから、そうすると大体放射性ヨードの影響っていうのは6ヶ月位で無くなってしまうんです。だからそれ以後は、少なくても甲状腺ガンは理論的にはあまりでないわけです。これ見てますと、事故の後ですね、甲状腺ガンになっているのは5人、ようするに1%だけなんです。ですから、あれだけ手術した子供たちの99%が全部事故の前にあるいは事故の時に生まれているということがわかりまして、事故後はほとんどガンが出てないということが分かるわけです。まあそういうことを言いますと、やはり事故当時のときに初期対策っということが、考えられるわけであります。次お願いします。
 こういうデータをですね、デミチク教授が出しましたら、世界に向けて、そしたらIAEAっていう国際原子力機関ですね、日本の偉い先生がトップを占めてやった調査委員会を、いやいや甲状腺ガンなんて増えてないよ。多分ベラルーシの国自身が子供のガンが多いんだよとそういうことが言われまして、あのデータを信用してくれなかったわけですよね。そこでまあ、デミチク先生は、それではじゃあもっと頻度として人口、例えば10万人の大人に対して1年間にガンがどの位出るかということを出したら、非常に客観的になります。そこでですね、ベラルーシ共和国における黄色いラインですけども、人口10万人の子供について1年間に何人の甲状腺ガンが出るかということを調べたわけです。世界的には10万人の子供に年間0.1、日本もそうですが、0.1か0.2位です。そこで黄色いライン見て下さい。そうしますと、86年事故当時ですね0.1なんですよね。だから世界水準と同じなわけですよ。要するにに100万人の子供に1人か2人で非常に稀なんです。小児の甲状腺ガンっていうのは。だから事故前っていうのは、ほとんど世界水準なわけです。それが、だんだん、だんだんに増えていきまして、95年には4.0ということで、10万人に4.0ですけども、要するに0.1のものが4.0に40倍になったということです。これはもう異常ですよね。これはベラルーシ共和国全体を平均した場合こうなんです。次お願いします。
 そこでですね、先程言いましたようにゴメリ一番汚染された地域、次がブレスト州です。それから北のビテプスク州っていうのが一番少ないと、じゃあそれで換算して人口10万でどうか見たのがこのグラフですけれども、紫のやつこれがゴメリ州ですけれども、おわかりの通りですね、91年から見ますと11.3とかあるいはちょっと下がってまた95年は12.0っていう形で100倍ですよね100倍以上になっているということですね、子供のガンの発生が。それからブレスト州でも60~70倍。ところが汚染が非常に軽度であったビテプスクはほとんど変わりないと。このデータを示すことによって初めて10周年のときにWHOもIAEAもチェルノブイリの事故によって明らかに因果関係があるのは小児の甲状腺ガンであるっていうことを結論付けたわけであります。それ以外のですね、一番には白血病とか他の病気に関してはまだまだ結論出すのが時期尚早であるということでこれが今後やっぱりフォローしていかなきゃいけないと思っておりますが、現段階では白血病も思ったほど増えておりません。ですからそういう意味では広島長崎の場合の被曝とチェルノブイリの場合とはちょっと様子が異なるんでしょうね。少なくとも甲状腺ガンに関しては非常に早い時期にたくさん出てしまったということでまあこの辺は後ほどスピーキレーションとか想像は、まあ推測はお話したいと思いますけれども、いずれにしましても、人口10万人の子供に対してで割り出しますと明らかに異常に子供のガンが増えてしまったということであります。次お願いします。
 もう一度ですね、子供とそれから甲状腺のガンのことについてですけれども、事故前後におけるヤングジェネレーションの甲状腺ガンで、子供は先程言いましたように8例、事故前8例がその後12年間で600例、ティーンエイジャーの15歳から18歳はどうかといいますと、前が13例が132ということで10倍ですね。やっぱり増えてますよね。それからさらに29歳というと4倍位ですか、大人の場合、こっから大人になりますから、大人全体では3.5倍位増えていますが、さらに内訳見ますと、この年齢ですね、ティーンエイジャーから青年層この辺が今増えてきているという状況であります。次お願いします。
 そろそろ前半終りますけれども、チェルノブイリの事故の後の子供の甲状腺ガンの推移がどうなっているかですけれども先程言いましたように、だんだん増えていますよね、すーっと増えてます。95年には1年間に91例のガンの手術をセンターで行って、それからだんだん減ってきたんです。96年84例、97年が66例、昨年98年が46例、今年は私が帰ってくるまでだいたい10例ちょっとですかね、ですから単純計算でいきますと、半年で10例ですから、倍しますと20数例ってことで昨年に比べてやっぱり20名位減っていって、来年さらに4、5名になって2001年には、子供のガンというのは無くなるということで、大変嬉しいんですけれども、しかし先程から言いましたようにほとんどの子が事故前に生まれているわけですから、2001年っていうのはチェルノブイリの事故の後15周年になりますから、15っていうのはもう大人になりますよね。事故前に生まれた子供っていうのは全てが今度大人になるわけです。そうしますとこれから増えてくるのが、15歳を超えたティーンエイジャーであろうと、それが先程言いました黄色い表で15~18歳が10倍が増えてきております。次お願いします。
 これは大人の方ですけれども大人は、子供は95年から下がってきました、大人は逆に増えてますね。こののが多分今後ヤングジェネレーションが増えてくるだろうと、まあ小さければ小さいほど放射性ヨードの影響を受けやすいということで、そういうことが早い時期に出てしまって、当時そうですね例えば、事故の時に15歳の子というのは現在28歳になるわけですね、13年経ちますから。だから15歳の子っていうのは1歳の子よりも放射性ヨードの影響が少ないわけですから、遅くなって出て来ている可能性もある。確かにそういう意味ではティーンエイジャーのガンが増えています。しかし予想された程増えていないというのも事実でございます。これで終りですかね。ということでですね、前半の方はこれで終りなんですけれども、現段階ではですね、子供の甲状腺ガンっていうのは、減りつつありますけれども、今後はですね、どちらかと言いますと若年齢の方々、若年齢というのは15歳以上のその辺が増えてきて、これに対してどう対応するかということになるわけでございます。

(質問)
 先程甲状腺を全部取っちゃうと、一生そのホルモンって言うんでしょうか、その薬を飲み続けなければならないわけなんですけども、そういうのっていうのは、保険というんでしょうかね、医療体制というか、そういうのはいかがなもんでしょうか。
(回答)
 これまで子供の甲状腺の手術をした場合、特にガンですけども、その子供たちは証明書がございまして、あなたはチェルノブイリの事故によってガンになったから、一生面倒見てあげますよ、っていうことで証明書があったんです。だからそれを見せると検査を含めて薬も全部ただだったんです。ところが、あの国が経済不況になったもんですから、そういうところに手が回らなくなったものですから、もう今は切りはじめたもんですから、薬は自分で買わなくちゃいけないんですね、お金。保険ないですからね。あの国は元々国営でございまして、医療も今国営なんです。ですから病院にいる人全部ただなんです。だからただだからあなた方は文句言えないという形になっちゃう。だからあの傷で手術したってお前ただでやってもらってんじゃないかって、なるわけですよね。だからいろいろ言ってもらっちゃ困ると。お分かりになりますか。要するに医療側が非常に強い訳ですよね。ただでみんな医療受けてるんじゃないかと、だからドクターサイドは非常にやっぱりそういう意味で言ったら、しょうがないですね、I dont know.と言いますから。そういう体制なんです、今。薬に関してはですから、あれは気の毒ですね、もう一生飲まなくちゃいけませんから、あれを買わなくちゃいけないわけです、薬を。先程言いましたようになかなか手に入らないわけですよね。しかもミンスクよりもゴメリとかブレスト州の方が患者さん多いわけですよね。あそこでは手に入らないわけですよ。薬屋さんに売ってないんですよ。あの国は甲状腺ホルモンの薬をほとんど作ってませんから、農業国ですから、輸入しなきゃならないんです、薬全部。ミンスク、東京にしかないんです。末端の所ではないんですよね。だから大変な問題になっちゃいまして、そういう末端の地域にあるお母さんたちのNGOのグループがありますから、そこと私はやっとネットワークが出来たものですから、そこに薬を支援している。という状況でございまして、日本からの支援グループなんかも今後そういうふうな形でいきたいと言っておりますけども。ただでなんとかして、あれないと死んじゃいますからね。甲状腺ホルモンないと、死にますからね。日本ではホルモン剤非常に安いですけれども、向こうではそう安くないですから、彼等の月収から考えますと、しかも子供ですからね、お父さんお母さん稼いだ金で買わなくちゃいけないから、家計にかなり響くわけですよね。その辺はまた後半でお見せしますけど、大変な状況であるということ。
(司会)
 じゃあスライドの準備できましたので、後半の方宜しくお願いします。

(菅谷)
 これは有名なダビンチのモナリザでございますけども、実は先程言いましたように、どうしてあのベラルーシで子供達にあんなにたくさんの甲状腺ガンがしかも早い時期に起こってしまったかっていうことの推測でございますが、実はベラルーシ共和国というのは、海が周りありませんですですね。ですからヨード、非常に不足しているんですね。海藻類食べてませんし、さしみとか美味しい魚、柏崎では食べられますけれども、そういうものがないもんですから、甲状腺はですね、機能としてホルモンを作らなくちゃいけませんよね、そうしますととにかくその素材のヨードを欲しい欲しいっていつも言っているわけです。その時に事故が起こって、空から放射性のヨードが舞い降りてきて、ところが甲状腺っていうのはこれは放射性ヨードこれは無機の心配なヨードと見分け出来ませんから、同じようにこれもホルモンの素材になると思いまして大量に取り込んでしまったんですね。それからヨード不足のところに放射性ヨードが死の灰として舞い降りてきましたから、子供たちの甲状腺は喜んでそれを取り込んだその結果として、あれだけたくさんのしかも早い時期に甲状腺ガンが起こってしまったということが、推測されるわけであります。次お願いします。
 そういう中でですね、実は先程お見せしました、ベラルーシの西隣がポーランドでございまして、ポーランドの国がそのチェルノブイリの事故の時にとった初期対策っていうのが大変素晴らしいことをしてくれたんですね。これは私達日本でもたくさん原発ありますけれども万が一の時のそういう対策としてはぜひともやっぱり参考にすべきと思うんですけれども、ポーランドの政府はですね、チェルノブイリの原発事故が86年の4月ですけれども起こりまして、その時の翌日の夜はじめて大気の放射能汚染を確認しまして、特にベラルーシの国境沿いでは高度に汚染されましてその大気汚染につきまして分析しますとその80%が先程から申し上げてる、放射性ヨードであることがわかった、最初に揮発性の放射性ヨードが出ちゃったんですね、28日の午前10時までにポーランド全土で大気、土壌、水の汚染を確認しまして、その時点でポーランド政府は、24時間の非常事態体制を発布、これは国で国家で24時間非常時体制をしきまして、28日の夕刻には初めてタス通信がチェルノブイリ原発で事故が起こった、これは非常に小さく報道されたのですね、状況はわからないわけですね、政府は緊急対策委員会を設置しまして、その時にもう既に国立の放射線予防センターでは18例の子供の甲状腺被ばく量をチェックしております。しかしモスクワからの信頼できる情報が全く無い訳ですから、そこで政府はですね最悪の事態を想定して初期予防対策を検討、ここらへんがたいしたものですよね、最悪の事態を想定したんですね、次御願いします。
 29日、事故より4日目なんですけども、もう遅いんですけどもね、本当は。正午に厚生省は中央薬剤協会に無機の、無機のヨードカリですね、ヨードの溶液剤の準備を指示しまして、その午後3時には薬剤の配布を指示しまて、すべての病院、保健所、学校、幼稚園等を通して入手できる。これ良かったらしいですね、みんなボランティアとしてものすごい迅速にこれをやったんですね、協力して。そして実はこういうことは世界で初めて起こったんですから、無機のヨードをどれだけ投与していいかっていうことも、実は我々専門家でもわからないんですね。で彼等はいろいろな資料をもとに専門家と相談して生まれたばかりの子供は15ミリ、5歳までの小児は50ミリ、6歳から大人までは70ミリと決めてですね、その中で投与して特に妊娠授乳中の女性には強制的ですけども内服するよう指示しまして、5月の2日までには一千万人の子ってことで、ポーランド小児人口の90%以上と700万人の成人が内服しました。一回投与ですね。その後大気汚染の状況が改善したので、再投与はしておりません。それから、ヨード剤っていうのは、即時性のショックを起こしたりすることがあってアレルギー反応が強い子供さんあるいは大人もいるもんですから、それに対する副作用がどうかということでしたのが、結局重篤な副作用はなくてアレルギー性の皮膚反応ですよね、かゆいものができたり、そういうことがあったんですけれども、あとは重篤な副作用はなかったということでございます。こういうことでですね、ポーランド政府の緊急対策としてヨード、無機のヨードをですね、事故4日目ですけども、子供を中心に投与した。これは本当良かったですよ。それから次お願いします。
 もう一つですね、対策として、これも本当、その被害の放射線に対する汚染予防対策ですけれども、5月の15日までは、乳牛に新鮮な牧草を与えることを全国的に禁止するっていうことで、結局この牧草の中に放射性のヨードが舞い降りてますからそれを食べた乳牛のお乳の中に放射性ヨードが含まれるから、そういう意味でもって牧草を与えることを禁止したってことですね。それから1000ベクレル/リットル以上の汚染ミルクを子供や妊娠授乳中の女性が飲むことを禁止。事故当時国境沿いのポーランドでも数億ベクレル/リットルのミルクがあったそうですから、かなりポーランドでも汚染されたわけですね。こういう中でもって子供はもちろんのこと、授乳中の場合でもお母さんが汚染ミルクを飲みますと、お乳から口から子供にいくわけですから、そういう意味で禁止して。4歳以下の子供には乳牛のお乳がなくて粉ミルクを飲ませると、まずいですけどもねでも粉ミルクを飲ませて、これも良かったですね、子供や妊娠授乳中新鮮な葉菜類、葉物の野菜を採らないように。こういうことを初期に対策したもんですから、もちろん4日目ですけども、遅れてるんですけれども、結果としては現在ポーランドでは小児の甲状腺ガンが増えてないということで、初期にきちんと対策すれば甲状腺のガンに関しては対策がなされると発生しませんけれども、もちろんそれ以外のセシウム、ストロンチウムそういうものに関しては、まったく別の問題でありまして、ひとつ事故が起きた場合には、そこに住めないわけですから全部退去ですからこの場合はあくまでも、子供の甲状腺のガンの発生に関してはこういう対策をしたら防げるということであります。まあ、原発のあるような近くのところでは、こういうことしてもしょうがいないでしょうし、逃げるしかないと思います。基本的にはこれはあくまでも離れた地域の問題でして、当地のような場合はどのような対策を立てるのでしょうか、皆さんお考え下さい。次お願いします。
 現地ではこういうようなベラルーシでは輸入して、ワカメ、昆布なんかをビン詰め売ってますけれども、食べてみましたけれどもあんまりおいしくないですね、私。ですから日本ではちょっと水こうやってすぐ食べられるようなワカメとか、その他海苔とかいろんなありますよね。ああゆうものを今後医療支援の中でもって、あの国へ、なんか援助できればと思って考えておりまして、検討してみたいと思っておりますけども。次お願いします。
 ここまでが私が、甲状腺ガンセンターで日々医療支援活動してるんですけれども、まあ2年半過ぎますと、私自身も少し余裕ができまして、もう一つやるべきこと何があるんだろうということで、やっておりますのがですね、実は、汚染地、主としてゴメリですけれども、そこに行きましてそして甲状腺の検診、それからゴメリからたくさん手術に紹介されますから、その子供たちの巡回診察、巡回診療ということで、彼等が元気でいるかな、学校はどうかな、悩みはあるかなと、あるいはまた両親たちが薬の問題、あるいは将来の問題どうかなということで、私がお手伝いできることがあれば、という思いでですね、月曜日から金曜日までは、病院にいますけども、金曜日の夕方友人の現地のドクターと一緒に、彼の車にポータブルの超音波の機械とか、あるいはまた日本の皆さんからいただいたプレセントまた、医療支援物資を積み込んで、350kmの道をとばして、日本のようなすばらしい高速じゃないんですけども、5時間か6時間かけて行きまして、次お願いします。
 翌日土日、近くの診療所でもって急遽、急ごしらえのベットの上で、こういうように超音波検診をしたりとか、あるいはまた触診をしたりしております。私共が考えておりますのは、これから増えていくであろうところの、ティーンエイジャーですね、15歳以上のあるいはまた20代の方々のチェックがメインですが、次お願いします。
 連れてくるのがですね、みんなこういうチビちゃんなんですよね。もうこの子たちは事故後、5年10年経って生まれたわけですから、本当は心配ないんですけども、親たちは、自分たちの子供それだけが心配なんですね。あたりまえですよね。どこの国でも、次を背負う子供たちに対して親の気持ちは同じであって我々日本人もそういう方向で考えていかなくちゃいけないんじゃないかと私は思っております。子供というのは人類の財産ですから、そういう立場から今後いろんな形で考えていかなくちゃいけないのかなと、痛感しておりますけれども、いずれにしましても、こういうチビちゃんがもう連日来るんですね、土日になると。本当は必要ないんだよって、言いたいんですけれども、やっぱりお母さん満足しませんから、全部超音波の検査してあげるわけですけれども。次お願いします。
 また手術した子供の家に行きまして、こういうポータブルの超音波で検査して、そしてそういう中でもっていろんな相談を受けたりしています。大変喜んでもらっております。じゃないと彼等はミンスクに術後の検診でこなきゃいけない、大変なんですから、こちらから出掛けていけば大変喜んでくれております。次、お願いします。
 このぼくが手術受けてるんですけれども、これが家族でございます。彼が夏にお母さんと一緒にミンスクの、ゴメリの田舎に住んでますから、センターに行く時にですね、一泊しなきゃいけないんですよね。電車で5、6時間かかりますから。そうするとやっぱり検診の日で見てもらって、その前の日にいかなくちゃいけませんから、そうするとその費用が、電車賃を含めると、このお父さんの月給の3分の2使っちゃうんです。だからお母さんも行きたいけども、家計が大変な状況で行けないんですよということを話してくれまして、少年も薬じゃあ飲んでる?、大丈夫?ということで、私としては今回は検診で診るからということで、今後も大変ですよ。先程のご質問ありましたけども、経済状況が非常に逼迫してますから、地方では。次お願いします。
 そんなことで私が検診に行く前に連絡しておきますと、お母さんは前の日から待っててくれまして、こんな大きなパンを焼いてくれて、ウオッカも用意してくれてまして一杯飲んでけってお父さん、けども、僕らの方では土日でまた日曜の夜300kmまた戻らなきゃいけませんし、患者さんいますから、いやいやって言うと、もってけっていって、本当このパンそれでも1週間もちましたですけれども、本当にやさしいんですよ。日本人と同じですね。日本人より我慢強いですけども、みんな耐えてるんですよね。経済不況の中で、しかも自分たちの子供がガンであってしょうがないんですけれども、次お願いします。
 彼女が先程お見せしたすごい傷の子ですけども、父さんと母さんですけども、お家伺いますと、大変喜んでくれまして、チビがいるとお母さんもニコニコしてくれるんですけれども、この子のエピソードとしてはですね、お父さんのお母さん、要するにこの子のおばあちゃんの家にちょうど4月26日の前ですけども、あの地方がちょうど春、とてもいい季節なんですけれども、じゃがいもの植え付けのシーズンでありまして、おばあちゃんが息子に手伝いに来てよといって、彼がチビ1歳半のときですけども、つれていってですね、そこでジャガイモの植え付けをしまして、お父さんはコルフォーズのトップしてますから帰って来て、このチビちゃんはアリョーナはおばあちゃんとこで3週間いたんですね。その間のときに事故が起きちゃってですね、それもぜんぜん知らないわけですよね。彼女は結局その後ですね、チェルノブイリの事故による甲状腺の検査の時にひっかかって、あの傷の手術を受けてしまったんですけども、後でおばあちゃんのところは高汚染地で、全部埋められてしまったんですよね。おばあちゃんの村なくなったんですけども、そういう中に何も知らない1歳半の少女があの春先の一番いい季節、長い冬が終わって、そこで何も知らずに遊んでいて、そういう中でもって放射性ヨードが体に入ってしまった、ゆうわけであります。次お願いします。
 このアリョーナを遊びに行かせてしまうと両親の顔つきがガラっと変わっちゃいます。わかりますよね、笑顔がなくなっちゃって、自分たちの問題じゃなくて、あの子を将来どうしたらいいのかということで、薬も飲んでるし、それからまた将来結婚できるかとか、子供生めるかとか、彼等のところも汚染されてるんですよね、軽度ですけども。モギリョフ州。自分たちがミンスクに移住したいとか、お金があったら日本に行きたいんですよなんて位まで、言ってくれるんですけれども。このように一つ事故が起きるとこういう状況が生まれるというわけであります。次お願いします。
 この二人も、両方共ですね、ゴメリ州から紹介されて術前診断は、甲状腺ガンでした。この子は残念ですけども甲状腺ガンでした。この子は手術中に良性っていうことで、とてもよかったんですね。退院の時にお土産渡しているところです。次お願いします。
 翌日お母さん迎えにきたけど、お母さんはこの子がガンであって将来が心配で、なおかつ今お父さんと離婚したもんですから、この子をどうやって育てていくか、ということでゴメリにいますけれども、次お願いします。
 逆にこちらの左側の良性に変わったお母さんは、わかりますよね、手術はしたけども、ガンでなかったって喜んでいますけども、まあしかしどっちにしても、大変なことでありますね。次お願いします。
 この姉妹は両方ともガンでした。同じ日に甲状腺ガンの手術を受けております。同じように退院の日にですね、挨拶に来てくれたものですから、お土産を渡して、次お願いします。
 お姉ちゃんにですね、自分の帰るところを指し示してっていうことで、汚染地図で見ますとですね、ここがミンスクであります。首都ですね。ここで今手術を受けて、ここにいるわけです。彼等は明日はここのゴメリ州の色のついた汚染地へまた戻って、ここがチェルノブイリですね。せっかく手術してもまた結局ここに戻って生活するんですね。この子たちは結局は汚染地で結婚してそしてそこで子供を産んで一生を終えて、この汚染地で生きていかなきゃいけないと、こういうのが現実であります。次お願いします。
 私が昨年の10月に往診っていうか、現地の診療ってことで、ゴメリのお宅に伺った時に、これが先程の姉妹です。1年半後ですけども、変わりましたけどもね。元気でした。そしたら別の子がいたんです。何かなと思ったら、この二人のいとこだと言うんです。こちらこの人が、この女性がこの二人のお母さんで、彼女のお母さんがこちらで、この二人が姉妹だということで、いとこだと、それで聞いてみたら、この子が二人よりも一年前にやはり甲状腺ガンの手術したということで、せっかく来るからってことで近くにいたもんで集まってくれて、やっぱりこの子もすごい傷で手術を受けていましたけれども、どっちにしましても、今こうなんですけども、大変ですよね。もうじき結婚の時期になって、お父さんお母さん達は、胸の痛みというかね、心の苦しみといったら大変なものでしょうし、もちろんこの子がうすうす気づきはじめて自分がガンであるということ、この二人はまだ知りませんけれども、今度帰ってくるときにですね、この子が結婚するということで、お母さんと挨拶に来てくれましたけれども、ま、私としては結婚して子供作ってもらってそれで問題ないと思いますけれども、ただ、将来この子がまたどっかで再発するとか、また子供になにか起こるとか、薬を飲まないといけませんし、妊娠中にはいろんなことが起こるかもしれませんし、そういう意味ではなんとも僕は言えないですけれども、せめてご主人になる人にですね、どういう事態が起ころうとも家庭だけは維持してほしいなとそういう思いでいっぱいでございます。次お願いします。
 これから私が巡回診療で、私もこの年でもって土日8時になるともう体がだんだん、だんだんに消耗してきたもんですから、少しペースダウンをしようということで、ミンスクにおるときは毎週ってわけにはいきませんから、2週とか3週にいっぺんであとはセンターの仕事をしております。こういう支援活動の中で大事なことというのは私は医療支援と同時に私はもう一つ教育支援ということが大事だなということで、あの国を背負う若いドクター、これ医学部の学生ですけれども、あるいは若いドクター達への教育をしていかなくちゃいけないだろう、というのはあの国ではなかなか国際的な情報が手に入らない。あるいはまた雑誌を買うお金もない、ドクターには。医学部もだいぶ苦学してますけれどもそういう意味で私は、日本での使ったいろんなビデオテープ資料のビデオテープとか、ビデオデッキを買ってここに置くとか、こういうような教育支援っていうこともさせてもらっております。次お願いします。
 こちらは病院のヤングドクターですけども、病院には図書室なんかなんにも無いんですね。ですから彼等は仕事だけしてあとはもう勉強したければ、市の中心に非常にすばらしい医学図書館があるんですけども、そこまでは行けないし、月給が30ドルで3600円ですからね、月給が。とても生活に追われてそんなことできませんから、せめてということで私のアパートを開放しまして、そして私自身が日本で今までいろいろと利用させてもらったようなスライド等をもって、私の家で勉強会を、小さいですけれどもね、たいしたことないんですけども、そういう場をみんながもしやりたかったらどうぞということで、開放してやっております。次お願いします。
 またこういうドクターに対する定期的な勉強会の時には、甲状腺学の話をしてほしいということで、そういう時には、本当はもう私はこういう状況からおさらばするつもりでいたもんですから、したくないんですけども、それでも、甲状腺の話をしてくれないかというものですから、やっておるところです。こういうような形で教育支援ということもさせてもらっております。次お願いします。
 これまでは甲状腺の話でしたが、もう一つは今日のパンフでも現地での子供たちはどうかということで、これは国立のミンスクにあります、小児の腎センターです。事故後より小児の出血性腎炎が非常に増えているということで、羽入先生もいらっしゃいますんですが、どうも子供の非常に難性の腎炎で汚染地からかなり来てるということで、場合によってはですね、ああゆう汚染物質食べますから、最終的な排泄としてはおしっこか便ですけども、そういう腎臓とか膀胱とかああゆうところにも、なにかやっぱり放射性物質に影響があるのかもわかりませんけども、そのへんはまだ、研究されてないんですけれども、このセンターに行きましてやっぱりわかりますよね、飲んでますけれども、こういう子供たちもいてくれましてですね、そこに行きまして、何か困ったことがあるかということでもって見せてもらいまして、そういう中でもってとにかく、超音波が欲しい、それから腎臓のバイオプシといいましてちょっと一部を採るようなそういうことができないと困っちゃうということで、今回私自身のささやかな基金ですが、そこから、超音波の機械と腎臓の生検の機械を購入しまして、今日お渡しましたニューズレターにもありますけれども、そういうような支援もさせてもらって、まあこういうことが今後増えてくるんでしょうけども国ではこういうことはあんまりオープンにしてほしくないこともありまして、これもやっぱり情報の非公開になるんですけども、こういう状況。次お願いします。
 自分たちの書いた絵をくれました後、日本のおみやげもらってさよならって、こういう子たちがいっぱい入院してるんですよね。そして同じようにミンスクの小児腎センターですから、この中には汚染地からやっぱり来るんですね。そうしますと汚染地のお母さんたちお父さんたちは、共稼ぎでないとやっていけないわけですね。そうすると見舞いに来れない、子供たちはひとりで耐えてる。こういう状況でもありまして、最近はですね今度は、ゴメリとかモギリョフとか、ああいうところに、こういう子供たちを戻してあげて、お母さんお父さん来れませんからみんな耐えてる、その中でもって検査もできないということで今回そんな事でもって、多少の支援もさせてもらっております。これが他にもいろいろあるんですけどもあるいは子供たちは汚染地では食べる物ですね、やっぱりどうしても食物連鎖で入りますから、偏食になりますよね。野菜食べないために血液がやっぱり貧血含めてやっぱりいろんなことが出て来ると、これも現在そういう状況にあります。次お願いします。
 これが私が住んでおりました、首都のミンスクであります。大変きれいな、人口2万人以上で3年半の滞在におきまして、私が初期の目的としていることがほぼ達成しましたもんですから、ミンスクにいましても、なかなか汚染地の耳に入らなかったかったんですね。それは大統領令で普通の人はもうチェルノブイリの事故の話をしちゃいけないという大統領令が出たんですね。そういうことをやっぱりしたのは、政府の命令以外は命令じゃなくて、流す情報以外はあなた方は口を出すなという状況なんで、ですから逆に言うとやっぱりそういうこといろんな情報でありますとですね、今の経済不況のあの国としましてはチェルノブイリのことをどんどん、どんどん削ろうと、予算をカットしようとしているわけですから、一般の人達にとってみてはチェルノブイリは語ってくれるなということで、私のところにでもですね、病院ではあまりチェルノブイリの話が出なくなってますから、私のすることも終ったし、残りの一年半はですね、私はあの高汚染地に渡ろうと決めまして、今回帰国の前に引っ越しまして、今度はゴメリの州立の州央センターで働くことにしました。もちろんミンスクのガンセンターでは、私が去るときに、お前はセンターにいるのが不満なのかとか、もっとやってもらうことがいっぱいあるけどもと言ったんですけれども、ぼくは、もう大体のことは終っているんだし、あとは君達の問題で、時が来なければそれは解決出来ないことがあるし、僕としては残りの1年半というのは高汚染地に行ってもう一度ゼロからやり直しということで、渡ったわけであります。次お願いします。
 見てくださいこれ10万円札ですよ。こんなに10万円札。皆さん欲しいでしょうね、これね。これどんなかなあと思います。千円位ですよね。ですから、現在私が帰ってるうちに、100万円札できまして、私のポケットいつも300万入っているんですよね、普段。それで今1ドルが、40万ですから、100万円持ってても、2ドルとちょっとしかないんですよね。200いくらですか、だから300万入ってても千円ならないんですよ。はい次お願いします。
 じゃこういう経済不況の状況です。ミンスクには今、移住者用の汚染地からの移住者用のアパートがたくさん立っておりまして、ここに若夫婦や子供たちが来てまして、おじいちゃんおばあちゃんたちはですね、こっちに移ってまた戻っちゃうんですね、汚染地へ。住めるところは。それはあたりまえだと思うんですね。おじいちゃんおばあちゃんたちは、事故がなかったらあの天の恵みと地の恵みでもって、一生そこでもって生きていけたわけですよね。それがこの事故によって、命につながるふるさと、あるいは心につながる、血につながるふるさとを捨てろっても捨てれないと思うんですよ。ですからおじいちゃんおばあちゃんは元に戻って、若夫婦、子供でここにいるわけですよね。ところが、今お見せしましたようにインフレのものすごい経済不況で移住してきた人たちだって、ミンスクにいる人でも仕事が、日本も大変なようですけれども、仕事がないのに、移住してきた人でももっと厳しいわけですよ。ですから、給料うんと低いわけですよね。そうすると食べるものどうするか一番大事な。それは汚染地にいるおじいちゃんおばあちゃんが作ってくれた、じゃがいもであり、キャベツであり、トマトであり、きゅうりでありって、それを週末にもらいにいくんですよ。ですから住んでるのはミンスクにいますけども、結局食べてるものは、おじいちゃんおばあちゃんで作ってくれた汚染地のものを食べているということで、どうですか、解決にならないですよね。それを結局子供たちが食べざるを得ないですよね。そういう状況でもあります。次お願いします。
 これがゴメリ州です。本当にいいですよね。こういうとこは見えませんし、匂いませんから、汚染されてると思いませんけれども、こういうところで人々は生活して、そして一生をまっとうするっていうか、ハッピーな状況で一生を送るわけですけども、それが突然ストップされているっていう状況であります。次お願いします。
 高汚染地ですね。ここではやっぱり住んじゃいけないと言われても、おじいちゃんおばあちゃんたちは、いやいや俺達はもういいよと、ここで生活して時々パンを売りに来るから、巡回のパンを買ったりとか、それからここでもってにわとりを飼って、そしてたまご食べたり、豚を飼ってその肉を食べたり、さっき言ったようなじゃがいとか自分に必要なお野菜を作って食べて、自給自足ですよね。やってるわけです。生きてはいけるんですけども、そっから取れる物は、もうおわかり頂けると思いますけども、汚染地で取れたものであります。まあこういう状況が今も続き、これからも多分ずっと続くでしょうね。次お願いします。
 汚染地でしかも強制退去された学校はこのままですよね。教材がみんな散らばってますけども、学校はこういう。ですから驚かすわけではないですけども、一つ事故が起こった時にはそういう近辺の地域はみんなこういう状況になって、誰も住めなくなるというわけであります。次お願いします。
 こういう悲しい話ばかりしてるといけませんから、最後に少し夢のあるお話させてもらいます。私は、現地で3年半になりますけれども、向こうにいますとですね、チェルノブイリに関する報道は、ちょっとおかしんじゃないかと、日本における。ただ悲しい、切ない、要するに可哀想だ、可哀想だという形でもって、いつも日本の方が上でむこうの現地の子供たちが下にいるっていう感じでいるもんですから、いやそんなことないんだ、あの子供たち確かに、非常に苦しみ悲しみを背負っているけども、一生懸命生きてるんですよね。そしてその笑顔をいつもつくり、そしてむしろ彼等のほうが遥かに日本の子供たちより生き生きしてます。それはなぜかなあと考える。答えは出ませんけれども、多分ひょっとしたら、彼等はああゆう汚染の中で生きて行かなくちゃいけないと、しかしだからこそ精一杯生きようと、そして命を大切にしていこうっていうそういう思いがあるから日々手術を受けた子供、いつもニコニコして、じっと悲しみに耐えているってそういうようなことがありましてですね、遥かに日本の子供たちより心が豊かなんです。そこで私はですね、そういう意味でいくならば一度日本の子供たちと交流の場を持たせて、その後子供同士の交流を作りながらお互いを支え合うそういう気運が生まれないかと考えておりまして、昨年の夏に私のところにある女性が子供を連れて、検診にきまして、それを聞きましたところその後であなたはどこのだれですかと聞きましたら、彼女が実は私は汚染地に住んでおりましてゴメリ州で、事故の後で子供たちが明るく強く生きてもらうために少年少女の子供アンサンブル。音楽舞踊団を結成したということで、ああそうですかっていうことで、そういうコンサートをヨーロッパにも行ったし、行っているんですよということで、その時に私が日本に来る気はありませんかったら、是非行きたいと、日本っていうのは夢の国だと、もう皆んなも行きたいと言っていると、そこで私は昨年夏に帰国しまして、そして私が呼ばれた弘前市とか青森市とかあるいは長野県内の小学校、中学校とかそういうところで、実はこういう話があるんだけれども、子供の交流を中心にして、決してチャリティーではないと、子供同士同じ目の高さでもって、語りあってそして今後お互い支え合うようなそういうチャンスを作れるようなコンサートを開きたいけどどうですかと言ったら、市民グループの方々が是非やりたいということで、昨年夏以降、私FAXのやりとりしながら、この夏にその公演が行われてですね、大変好評っていうは自分でもおかしいんですけども、お互いの交流ができる素晴らしい会が生まれたわけでございます。残念なことにもし柏崎で本当はこの講演会が昨年やってましたら、多分僕は今日こんなに沢山いやっしゃいますから、子供の交流公演ができたらですね、できるはず、これだけ皆さんいたら素晴らしい公演ができたと思うんですけども、いつかビデオでお見せしますけども、日本の各地区でもって素晴らしい公演が出来まして、この公演がきっかけになりまして、次のお願いします。
 同時に私は、これが子供たちなんですけども、見ていただくと本当に、汚染地に子供たち、先程の地図ありましたけれども、黄色い所に住んでいる子供たち、一生ここで生きて行くんですけども、本当見てもらったらわかりますけれども、子供らしい素直な表情してますし、生きてますね、この子供たちの交流がスタートしたわけです。次お願いします。
 私そこでもって、検診頼まれたもんですから行ったときの写真です。と同時に今度は子供同士いよいよ文通が始まりまして、英語でやってますけども、もう私の役目は終ったんですけれども、ここまで持っていけば後は子供同士でもって今度はお互いに文通しながら。私はもう一つチェルノブイリを考える時にですね、ここにいらっしゃる大人の方が一生懸命チェルノブイリ考えますけれども、しかしどうでしょうか子供たち、若者たちがどこまで考えていますか。これからやっぱりこういう運動を展開していくときにやっぱり次の世代へ移行しなくちゃいけないときにですね、どういう形でやったらいいのかと、なかなか若者たちに原発のことを考えてもらうの難しいと、そういう中で私もうお隣じゃなくて、あの現地に住んでる子供たちと日本の子供たちと交流させることによって、ナターシャちゃんはユーザちゃんは、あるいはエレナちゃんは、ああそうかあそこで生きてるのかと、そこは原発か、汚染地かということで、事故によって汚染されたあそこかっていうことで初めて原発っていうものはどういうものかっていうのを考えさせる、そういうきっかけを、自分たちで考えさせる、そういう場を大人たちは考えてあげる必要があるんじゃないでしょうか。私はそう思いまして、今回こういう橋渡しだけさせてもらって、後は彼等の問題で、今後これが大きく広がっていけばいいと思いますけれども。昨日も新潟でも子供たちを保養で受け入れたご家族がありまして、その後交流はどうですかというとやっぱり立ち消えなんですよね、それでは意味がなくて、私としては、それからどんどん広げていかなくてはいけないと、その為には大人がもうひとはだ脱がなくちゃいけないと。私も今までお見せしましたように月曜日から金曜日は病院で働いて、土日は300km離れた遠隔地行ってああゆう検診したり、子供のところ訪ねていって、それ以外にこういうことしてるとか、今回添乗員やりましたんですけども、19人の子供たちをつれて大変だなあと思いましたけれども、自分の健康が許す限りやっておりますけれども、一応私としては、そういう橋渡しを確かに忙しいけども、その中でもってもし子供たちに対しての何か出来たらぜひやってもらいたいと思っております。次お願いします。
 そろそろ最後ですけども、これはゴメリの汚染地です。今日こちらに来るとき、柏崎来るときにですね、特急に乗って本当素晴らしい新潟の穀倉地帯ですよね、おいしいお米が出来て、おいしいお酒が飲めるんですけども。ここ汚染されてるんですよね、するともし、へんな話ですが、あれは汚染されたら全部廃墟ですよね、誰もいなくなるんですよね。100年位住めないでしょうし、そういうことはやっぱり我々はそろそろ考えていかないと、それは自分の問題じゃなくて次の世代、あるいは次の世代のところまで考えて、もう一度やっぱり日本人っていうのは、自分たちの国のことを考える必要があるんでしょうね。もちろん皆さん今日お集まりの方考えていらっしゃるんですけども、継続していくべきでしょうね。次お願いします。
 ゴメリのりんごの花です。岸恵子さんがベラルーシのりんごっていうエッセイ書いてますけれども、本当にきれいですよね。汚染地にも春が来ると、忘れずに自然はこういう美しい咲かせてくれます。次お願いします。
 同じように非汚染地ですけども、汚染の国日本でも素晴らしい桜が咲きます。古き先人たちが日本の美しい自然を残してくれました。私たち今の大人たちはそれを次の子供たちに、きれいな日本、あるいはまた素晴らしい日本を残していく義務があるんではないでしょうか。私はこんなこと言える柄ではないんですけども、日本を去ってあの国にいて初めて、核の汚染っていうのは大変なことをしてしまうんだということを、毎日感じております。今日お見せしたスライド一部ですけども、皆さんが感じてもらえば私は本望でございます。次お願いします。
 これが最後ですけれども、ゴルバチョフさんがですね、NHKの番組で言われたときの言葉として、私は私でもって今の支援活動して医療活動しているときの思いですけども、この言葉は皆さんにも共感を得るんじゃないかと。「人々の意識を変えていくことが、重要なのです。人間の意識の変化は一度に起こるものではありません。受け入れる人もあれば、受け入れない人もいると、ここに行き着くには、長い道のりを歩まねばなりません。本当に長い道のりが。」ということでございまして、私の道のりも長いんですけれども、もう暫くがんばってみようと思っております。また今後皆さんとお会いできて、支援頂くことがあるかもしれませんけど、どうぞよろしくお願いします。今日は大変雑多な話だったんですけども、皆さんの前でいろんなお話させてもらうことができて大変感謝しております。どうもありがとうございました。 (拍手)

(質問)
 私6、7年前に、2週間ほど東大の小泉さんなんかのグループと一緒にあそこに行かせてもらった経験があるんですけども、それでロシアが経済的非常に困っているっていうようなことは一般に分かっているんですけど、どの程度に困っているかっていうのが実感として伝わらないと思うんですよね。先程先生のお話の中で、お医者さんたちの月給が日本円に換算して、3600円位だと、こういうようなお話で、それでだいたい一般の方わかると思うんですけど、たまたま私が行かせてもらった時には、計算しやすく、1ルーブルが1円というようなときだったんです。その頃ゴメリ州立病院の小児科医長さんが、私の月給は3500円位だとおっしゃっていました。私共がお土産に持っていったウイスキーのビンを指さしながら私の月給ではこれ一本買えませんよね、と笑っていらっしゃいました。チェルノブイリの事故のあったところで、働いている一般の労働者がどのくらいだかわかりませんけれど、私共の通訳をしてくだすった方はそこのどういう立場の人だかちょっと分かりせんけれど、その人はその時、月給が3万ルーブルというような事を言ってましたから、一般の人の10倍位もらっているような感じですよね。そういう意味で、だいたいどういうような状況なんだという事をお話しして下さると先生の話が実感としてお分かり、みんなから分かっていただけるんじゃないかなというような感じがしているんです。私が行ったときには、小学校に長く勤めていて、そして若手の先生方を指導する立場にあるとおっしゃった方が、2800ルーブル、2800円位、普通の小学校の先生方が平均すると2500円なんかもってないんじゃないかなっていうようなお話でした。私共を案内してくれた通訳の方は、若い方30歳位の女の方でしたけれども、モスクワ大学を卒業した人でその人の月給が1000ルーブルだと言ってましたね。年配の方は、私は1200ルーブルだ、とこういうふうに言ってましたので、なんか1000や1200円でなかなか生活がどうやってできるのかなという部分もあるもんですから、私は旅の間にいろいろ聞きましたから多少はわかるつもりですけど、そういう部分をお話していただくと今の話がもろわかるんじゃないかっていう感じがしたので、ちょっと質問します。
(回答)
 ご質問の中でですね、多分ルーブルでベラルーシルーブルとまたちょっと違うと思います。今ロシアのルーブルでございますね。ベラルーシルーブルもっとひどいですからね。月給等に関しましてですけれども、先程申し上げましたように、一般の方々の給料っていうのはですね、多分、どれくらいですかね、15ドル位じゃないですか、ならすと。ドクターの場合は多少良くて30ドル、それでもそういう額ですからね。それから先程言いました、田舎の方っていうのはひょっとしたら10ドルいってないんじゃないですか、2つの職業をしてても。ですから一般的な給料がだいたい15ドル位と考えてもらえると。
(質問)
 私が行った時には、コルフォーズなんかで、トラクターの運転なんかをしているようなちょっと技術を持った先端的な機械が出来るというような人はその人たちは割合に良くて、5000ルーブル位でした。
(回答)
 ベラルーシルーブルですか?ルーブルですか?
(質問)
 ルーブルだと言ってました。
(回答)
 ベラルーシの人ですか、ロシアですか?
(質問)
 通訳の方はロシアの人でした。
(回答)
 ですから今の給料っていうのはベラルーシルーブルですか?
(質問)
 私の行った時のあれは、ベラルーシでの聞いた話ですから、ベラルーシの。
(回答)
 ベラルーシルーブルですね。
 今インフレですから、とにかく40万ベラルーシルーブルが1ドルですからね。結局インフレはどんどん進みますから、給料は上がりませんから、逆に言ったら、給料下がるわけですよね。諸物価が上がっても、スライドして給料上がりませんから、結果的には逆に給料下がっちゃうというそういう状況ですね。
(質問)
 お話の中で、チェルノブイリのことがなかなか伝わってないっていうようなお話もありましたが、私もそれ実感していて、日本でも事故の直前の4月24、5日位になると、NHKなんかも一年に一回くらいやりますけれども、正確な情報が伝わらないんですよね。今日は初めて、ヨードですかね、ヨーソの濃度のデータとして伝わったですけど、私共が聞いている汚染の地図いうのは、セシウムですよね。その辺でああゆうような情報をできるだけ私共にも回るようななんか対策をどこかで立ってもらえないのかなというのが一つありますよね。そういうことをお願いしたい。
(回答)
 出来るだけそうしたいと思っておりますけれど。こういう情報っていうのを、あんまり公開してほしくないっていうのも、あの国の事情なもんですから、私が今日お見せした放射性ヨードのこういうものっていうのは、極秘でしょ。お見せしております。ですから、みなさん方手にはいらないと思いますし、それ以外データというのも、世界に発表してないことをみんな私、デミチク教授から、私日本に行ったらこれを発表していいですよってことで、許可もらってやってますけれども、これをどっか載せることは一応まだ公に出てませんから、今日はここに来ていただいた方だけにアップトゥデートの一番新しい情報をお知らせしているという状況でございます。
(質問)
 放射性ヨードの残存期間というのはどの位なのかなというのが、ちょっと素人なんでわかんなんですが、初期対策に非常に重要だと思うんですけれど、ただそればっかりじゃなくて食物連鎖とかもあるんだと思いますが、それが一点と、あと甲状腺ガンっていうのは早期発見、早期摘出手術をすればとりあえず生命には別状ないと思うんですけど、それが遅れた子供、そういう子もけっこういるのかなと、いうのをもし先生が分かっていたら、教えていただきたいと思いますし、今後の大人の甲状腺ガンもってるんですけども、そういった子供たちそれ以外の子供たちも含めて二世、三世への影響は医学的に考えると先生どうでしょうか。あと最後なんですが、柏崎ではプルトニウムを混ぜた燃料、MOX燃料というのを原発に混ぜてやるらしいんですが、それがもしこういう状態になったときに、どんなふうになるのかなと、医学的に先生が分かる範囲で教えていただければと思います。
(回答)
 こういう質問来ると僕もお手上げになって、実は恐れていたんですけれども、前半の部分をお答えします。
 放射性ヨードの半減期が1週間、だいたい8日ですから、そうするとこれがもし外界に洩れた場合の甲状腺への影響っていうのは、だいたい半年で消えます。あとはほとんど影響ないと思います。ですから先程の初期対策という意味では早い時期にヨードを与えるということで、昨日も申し上げたんですけども、本当は事故の起こる前に、前日に子供にヨードを飲ませておけばこれほどいいことはないです。ですから、せめて情報公開がはっきりしましたら、すぐ投与して下さい。ポーランドでも4日目にやってもあれだけいい成績でございますから、よろしいと思います。それから甲状腺ガンのことにつきまして、子供のガンですけども、600人のうち現在亡くなったのは1人だけなんですよね。甲状腺ガンっていうのは、非常にたちのよいガンなんです。だからこそ余計気の毒なんですよね。ガンを持ったまま生きていくわけですから、そういう中で結婚して子供を産むと、そうしますとやっぱり当然伴侶の一緒にいる方も、ワイフ金かかってしょうがないよなって言って、そういうことだってうまれるといっしょにいるのやだなというふうになったりとか、いろんな問題が出てくるんですよね。でそのお母さんにしてみれば、自分自身が肺に再発するとか、骨に出るとか、あるいはまた、今言った子供さんへの問題ですけれども、少なくともその自分のガンが子供にうんぬんというのはそれはないと思います。子供さんに関してはまた別の形でセシウム、ストロンチウムを結局摂取してそして低濃度の汚染で生きていくわけですから、そういうものが蓄積した場合に、本人ならびに子供にどう与えるかこれは本当に残念ですけれども、世界で初めてのことで、これからもフォローしていくしかないんですね。データーがないわけですから、だからこそ、チェルノブイリは終ってないんだなと、僕は思ってますけれどね。それを子供たちの精神的な大人もそうですけども、サイコロジカルな面もサポートしていかないと、今後ですね、若い女の子が結婚しないとか、子供産まないとかっていう状況が生まれてますと、あの国が今度逆に衰亡していくっていう状況も考えられるわけです。それからもう一つ甲状腺ガンが予後がいいって言うことで、私今日本当申し訳ない広河さんに批判的なんですけれども、ああゆうたった一例のものをですね、出して、そしてやるってことは誤解を招くと思うんです。決して悪いって意味じゃないんですけども、あれだけでなくて残りの人は元気でいるんですし、これから夢や希望をもって一生懸命生きて行こうという、そっちの面もスポットをあててあげないとあの国がかわいそうすぎると思うんです。ですから私は日本人のみなさんは、いつもこう見ててとんでもない、同じで見てあげて、逆の立場だったらどうでしょうか。日本人はプライドがありますから、むこうからめぐんで貰おうというときには、どういう反応するか。だから私たちの態度っていうのはやっぱり、同じ目でもってみてあげて理解していかないといけない。ベラルーシに関してですけども、ただ、柏崎の問題に関しては、これはまったくもう別の問題で、ぜひこの世界の財産であるチェルノブイリの事故を有効に活かしていくという、そういう対策を考えていくことが、私は是非皆さん方続けてもらいたいと思っております。
(質問)
 柏崎の原発もやたら事故が起こってるんですけれども、事故が起こると放射能が外部に洩れておりませんで、必ずはんこで押したように東電の方は発表するんですけれども、その場合に、まあ実は昨日私薬局に行ってヨーソ剤を発注してきたんですけれども、まあいくらもしないうちに届くと思うんだけども、そのたんびに飲んでもかまわんでしょうかね。大変安いっていう話ですし、事故があったよっていっていいかげん経ってから、実は大変な問題だったんだって言われたときに、なんでいったいそんな100円でも200円でもそんな、その程度だったら何とかなります、かまわんでしょうか。
 それとあとBSN(放送)さんがこういう重大な所に、一社だけこられたということは高く評価しまして、それから刈羽村の中に有線放送っていうのがあるんです。原発事故についてはまず、ほとんどやらないんです。こっちから聞くと、原発を止めるような、そういう慎重な運転をしているから近藤さん大丈夫なんですてって、俺何度か言われたんです。そんなに安全なんですかねと、とぼけてましたけども、すなわち報道機関が、何時ヨウソ剤を飲むかっていう鍵をにぎっている訳だから、じゃんじゃんと放送して下さい。
 すぐ飲んでかまわんもんなんでしょうか。
(回答)
 薬局で売られているような、ヨウド剤を飲んでいいんですけども、もっと安いことはですね。柏崎は海があって美味しい物がいっぱいあるわけですから、海藻類とか昆布とかおさしみとか、そういう海のもの食べてればいいわけですよね。ですから買わなくても。普段はここの海の近くに住まれている方は、子供さんはみんな、かなりやっぱりヨードがたくさん入っていると思いますけれども、それ以上に採ると逆にホルモンが出来すぎますと今度はアクティブにハイになっちゃいますから、副作用が出ますから、そういう意味では飲みすぎは注意した方がいいと思います。ただ事故が起こったときには飲みすぎてもいいですから、甲状腺の中をですね、ようするにたちのよい無機のヨードで一杯にした方が安全ですね。普段食べているうえに、さらに余分に入れてもいいですから、その時は外からの放射性ヨードを入れちゃいけないわけですから、で日常生活ではどうかと言われたら、普段は飲まなくてもいいじゃないですか。ただ、
(質問)
 事故が起きたよっと言ったときに、BSNが発表したときに、言われたときにそういうときにどうしたらいい。
(回答)
 そういう時はすぐ飲んで下さい。大量に。それは大人でなくて子供さんに。今日お見せしたように、チビであればチビであるほど。一歳未満の子があれだけ事故当時ガンになっちゃってるんですよ。だから小さい子ほど、それは溶かしって言うか工夫して、今回の場合、ポーランドは溶液ですから飲めるわけですよね。今度こういうその今の錠剤でしたよね今日、ただああゆうものがはたしての3ヶ月の子供にどうするかっていうと、つぶしてやるとかそういう具体的な、驚かすわけじゃないですけれども、そこまで考えておいたほうが安全ではないかと思っております。よろしいございますか
(司会)
 あとどうでしょうか。柏崎の場合は、まあ多いと月一回位のペースで止まる場合があるんですけれども、それ位でもそう問題ではないと、それはもういいですかね。
(質問)
 私が申し上げたいことは、柏崎の原発は事故起こさないっていうお話のようですけども、今聞きますと一月にいっぺん位止まるとか言われてますから。そういうことがありますから、今日お見せしましたように、予防対策でなくて、逃げてください、早い話、ここは。結論はそうでないですかね。ここは全部だめになりますから。逃げるときにヨードを飲んでると。わかりますか。今日お話してるのは、これはもうチェルノブイリでなくて遥かに離れたとこでやってるわけですから。原発のところはみんなもう30km以上全部住めないわけですから、だから万が一、いやそんな深刻な顔すると困っちゃうんですけど、いや起こればここには住めないんじゃないですか? 基本的には。じゃないの先生。
(司会)
 そうですね。先程、先生チェルノブイリも行ってこられたということですけど、30km位まで住めないですかね?
(回答)
 30kmゾーンは住めませんよ。廃墟です
(司会)
 ここが7、8km。
(回答)
 それじゃもう答え出てるじゃないですか。だからもう30kmゾーンで、だから30kmゾーンはだめですから、もちろん100kmもダメですし、それから風むきによってはやっぱりもっと離れた所だって、ゴメリ市だって、あれみんな150km位離れているわけですからね、それでも、高汚染地スポットになってますし、200kmダメですから風向きで。よろしいございますか。そういうことです。
(質問)
 放射性ヨードの他にも、半減期の長い放射性物質というのはまだ相当残っていて、ちょっとやそっとの年月じゃ減らないと思うんですが、そういう長期的な被曝に対する、データーといいましょうか、あんまりデーターなんていう言葉は好きではないんですけれども、そういう影響の病気っていうのがどの程度出ているものなんでしょうか。
(回答)
 今作ってるんですよね。今ですからセシウムやストロンチウムっていうのは、半減期が30年ですよね。そうするとまだ半分も経ってないですね。事故後13年ですから、半減期のまだその半分もいってないわけですよね。先程見せたあれみんなストロンチウム、セシウム、それからプルトニウム含めて全部汚染されて、プルトニウムって半減期が、でね。半永久ですよね。ですから今の汚染地30kmのここ7kmでしょ、わかりますでしょ。100年以上使えませんよ。だから今の世代ということじゃなくて、子供、孫の世代までいきますから、そこを考えなくっちゃいけないということなんです。使えないですよ。ですからきっと日本のどっかに移住アパートが出来て、そこに住まなくちゃいけないと思います。ということなんですけども、チェルノブイリを現実に言ってみますとね。30kmゾーンはぜんぜん住めませんよ。
(質問)
 具体的に、体の病気といいましょうか、そういうのってのは。
(回答)
 これからなんです。今見てるんです。だから世界で初めてのことであるから、チェルノブイリっていうのは、大変大事な世界の財産であるから、終ったんじゃなくて、これから見ていって何が出るか、ですから低濃度の汚染地に住む、先程の可愛い子供たちは住んでいかなくちゃいけないんです。だからいつも、そういうことを背中に背負いながら、一生を送っていって自分たちに何、今後病気出るかもしれませんけども、それをフォローしなきゃいけないし、そういう状況を今度は遺伝子のレベルで行くと次の世代に何が起こるかですね。これはもうデーターないんです。
(質問)
 ものすごく時間がかかる。
(回答)
 ええ、生きてませんよ。もう、
(質問)
 そうですね。
(回答)
 そうですよ。死んで何代かしてからデーター出るんですから。だから僕達は見えないけども注意しなくちゃいけない。将来の問題として。あるいは結果的には何も出ないかも知れませんよ。だけど少なくてもやっぱり我々は汚染の所で生きるべきではないと、生活すべきでないと、こんなこと誰も分かってると思いますけどね。
(司会)
 だいぶ長くなってしまったんですが、最後これだけはというような方いらっしゃいましたら。
 いいですかね。そういうことで今日は本当にありがとうございました。もう一度大きな拍手で。


続 チェルノブイリ原発事故その... 投稿者 098765t

コメント

このブログの人気の投稿

米軍はほんとうのところ、「トモダチ作戦」でなにをしたのか

孤立する日本。 FUKUSHIMAよ立ち上がれ! 海外メディアは、”真実”を配信してくれている!

脳の放射線耐性と副作用 年齢と照射の範囲によって決まり,とても複雑です。例えば,全脳に40グレイという線量をかけるとします。これは成人では許される量かも知れません。 しかし,4歳の子供にこの線量を当ててしまえば知能の発達は期待できなくなります。逆に75歳の高齢者にこの量を当てればかなり高率に認知症(痴呆)になります。白質脳症というのが起こるのです。