『ROCKIN’ON JAPAN』増刊号 特集名 私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。

「●アカデミズムと原発●「東大という大学は、要するに、日本国家の行政と結びついてしか成り立たない大学です」」 下「」引用。
「大学も、行政も、企業も敵に回して、40年にわたり反原発のスタンスを貫いてきた京大原子炉実験所の小出裕章氏、彼の歩みを振り返ることで、その仕組みを明らかにしようというのが、このインタビューの趣旨である。-略-」

【御用学者について】学問に価値中立という立場は現実にはない。下「」引用。
 
「小出 いや、仕組みも何も……先ほどきいていただいたとおり、大学とか学問というのは、すべて社会の中にあるわけで。学問が価値中立敵なんてはことは、あり得ません。社会の中で、どういう役割を負わされているのか、ということで決まるのです。-略-」

専門もバカ……。下「」引用。

「みなさん、学者というと聖人君子みたいで、道徳的、倫理的に正しいというふうにイメージされるかもしれませんけど、そんなこと全然ないんです。学者なんてのは、言ってみれば、ただの専門バカです。-略-」

班目さんの場合「専門もバカ」という人がいましたが、「神話」関連の御用学者の全てでしょう……。社会に対する影響が考えられないのですから……。



「●司法と原発●「日本の司法の独立というのは、最後の最後の段階に来ると、なくなってしまう。やっぱり行政に追随しちゃうわけですよね」」和田光弘(弁護士/新潟第一法律事務所所長)。下「」引用。
「原発を作らせたくない住民と、原発を作りたい国・電力会社との裁判は、この国においては、必ず後者が勝つことになっている。というのは、過去各地で起きてきた訴訟の実例が示しているのだが、ではそこで、どのような経緯で、どんなロジックで、判決がへ下されてきたのか。新潟柏崎刈羽原発の設置許可処分取消の原告側弁護団の一員として、新潟地裁で敗訴、東京高裁でも敗訴、最高裁で上告棄却、と、30年近くの間戦ってきた和田光弘弁護士に、その過程を教えていただいた。いずれも、もう、愕然とするしかないような事実が並んでいる。他の方々のインタヴューにも共通することだが、これまでこの国では、いったいなんでこれがまかり通ってきたのか、そして今でもまかり通っているのか、ということを考えながら、読んでいただければと思う。-略-」

国側の代理人とテロ……。下「」引用。

「和田 いや、もう、たとえばね、2001年に9.11のテロが起きたあと、「やっぱり原発が危ないんじゃないか」と。テロの標的になってもおかくしない、そういう資料を提出しよう、っていう議論をしてると、それを知らない国側の代理人が、東京高裁のエレベーターの中で、「きみたちねえ、次回、原発がテロ攻撃に遭うなんて書面、出さないよね?」なんて言うわけですよ。実際、彼らは、そういう書面を荒唐無稽だと思っているわけですよ。-略-」



「唯一の高裁勝利例、「もんじゅ」無効確認判決」


「外部告発後の原子力ムラとの戦い」田中三彦。下「」引用。
「--田中さんは、会社を辞めた後、外部告発という形で、福島原発の歪みのことを発言されましたが、それは、言えば殺されるんじゃないかと思うような、極秘のことだったわけですよね。そのときの心境というのは、どういうものだったんですか。
田中 まさに今おっしゃたように、殺されるんじゃないかと思いましたよ。でもなぜそうしなければならないと思ったかというと、チェルノブイリの事故が起きたとき、電気事業連合会が、「日本の原子力発電所は構造が違うから安全です」とか、「日本は技術的に優れています」というような広告を出し続けたわけですよね。アメリラやソ連は失敗した、でも日本が失敗しないのは技術が高いからだよ、と一生懸命強調するわけだけども、それを見ていてだんだん原が立ってきた。当時は、原子力ムラという言葉はなかったと思いますが、電力会社と国が一体となって、原発に対する懸念というものを一切排除するという、そういう構造があるということは感じていました。-略-」

1988年6月、反原発運動……。日立の脅迫!!! ←犯罪です。下「」引用。

「1988年6月、当時は反原発運動が盛り上がっていた頃ですが、東京のイイノホールというところで、広隆さんと私、それから推進派のふたりによる、推進派対反対派という格好のシンポジウムが開かれました。僕がそういう公の場に出るのははじめてだったものですから、元の会社の人も来ていました。僕が、圧力容器の歪み修正作業について発言した瞬間、新聞記者がバーット駆けていくのが見えたんです。これは大変だと思った記者が、科学技術庁と日立に押しかけて、話しを聞いたんですね。当時の杉野という日立の原子力部の部長がその日のうちに、「そんなことはあり得ない」と否定しました。でも翌日になったら一転して、日立は「その事実はあったけど、問題はない。安全だ」と発表したんですね。科学技術も、日立がそう言っているので、問題はないということで話が終わりました。そして、ほとんどそれと同時に、日立の本社のイガラシ、ワタナベという--。-略-僕はあったことがないんでけども、電話で名乗ってきたものですから、広報か総務の人ですね。実は、僕の義兄が、日立製作所の某工場の副工場長をしていたんです。義兄なので苗字は違うんですが、彼と僕が義理の兄弟であることをどこからか探り出して、そのイガラシとワタナベが、義兄に電話をかけてきたわけです。自分はこれから、マレーシアだったか、シンガポールだったか、どこかへ行くんだけれども、1週間で帰ってくるから、その間に弟さんを説得しろと。そして、「家族の命をどう思っているのかということを、ちゃんときいておいてくれ」と。

脅迫電話も……。下「」引用。

「脅迫電話もかかってきました。『原発はなぜ危険か--元設計技師の証言』(岩波書店)を出したときなんかは、電話に出ると、「殺す」と言われたりして、子どもたちが電話に出るのを怖がるという、そういう事態がありましたね。あと、地下鉄を待っているときには、できるだけ(ホームの)壁際に寄るとか、本が出てからしばらく2年くらいは警戒していましたね。」







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