2012年6月9日土曜日

武田邦彦氏 ”科学”について


科学の崩壊と再生 その総括

 およそ「科学」と名のつくもので、もっとも大切なのは「事実や理論」に基づいて、「分かるものは分かる、分からないものは分からない」と言うことだ。


まだハッキリ分かっていないものを断定したり、自分に希望や利権、怖れがあるからといって、決してそれを「科学」の中に持ち込んではならない。


 およそ「科学に携わる人」と名のつく場合、もっとも大切なのは「誠実さと謙虚さ」である。


 なぜ、誠実さが必要かというと、自分が考えたことと事実が異なることが多いからだ。その時に、自分の名誉、利権などが重くのしかかっても、それに負けない誠実さが求められる。


 なぜ、謙虚さが必要かというと、科学は進歩するからだ。1000年前に正しいとされた科学的認識のほとんどは現在、否定されている.このことは、1000年後には現在、科学者が正しいとしていることのほとんどが否定されることを意味している.


 やがてこの世の森羅万象がすべて明らかになるときが来るとすると、その時には人類の精神的活動の一部が無くなるだろう。「未知のものを知りたい」、「よりよいものを生み出したい」というのは人間に備わった本質的な欲求だからである。


 その時がくるまで科学は前進を続け、自らを「時代遅れにする」のに懸命になるはずである.


 かつて、それは私がまだ若い研究者の時だったが、視野が狭かったのか、未熟だったのか、科学は「事実と理論」に基づき、「誠実で謙虚」であり、「前進に対する信頼性」に溢れていた。


 生命は神秘だったし、生活は苦しかった。でも、やがて生命の神秘は解き明かされ、科学技術が発達して生活は楽になるにちがいないという確信があったし、それが研究者の夢だった。苦しくても明るい時代だった.


 ところが、1990年、ベルリンの壁からバブルの崩壊に到る過程で科学の一部も静かに崩壊して行った.


 それからの科学は、「役に立つもの」になり、「事実と誠意」は軽視され、「学会は政府の下」に甘んじるようになった。


 人間の理性を代表する科学が衰退すれば、幻想が跋扈する.それはあたかも非理性が支配したヨーロッパ中世の魔女狩りを思い出させるものだった。


 私が担当したリサイクル、ダイオキシン、環境ホルモン、地球温暖化、持続性発展、資源枯渇、科学技術産物の否定、そして生物多様化・・・なぜあれ程の誠実さと前進に対する信念をもった科学がこれほどもろく崩れたのかと目を疑うほどだった。


 1990年からの20年、科学の世界は「知の暗黒時代」だった。


 でも、やがて人間は本来の心と力を取り戻し、本来の軌道に帰るだろう.それには二つの行為が求められる.一つは20年間に蓄積した幻想を片づけること、もう一つは「事実、誠実さ、前進」の信念のもとに新しい科学の萌芽を見いだすことである。


 私が若ければ後者を選択するが、今の立場を考えると後進の科学者が後者に没頭することを可能にするために、前者を徹底的に進めたい.その行為の正しさはやがて歴史が証明してくれるだろう.


 (平成221128日 執筆)

科学が政治と結託すると




ナチス・ドイツの時代,科学が政治と結託し,「民族には優れた民族と劣った民族がある」と科学が言い,それを受けて政治がユダヤ人はじめ「劣等民族」を虐殺した.
スターリン・ソ連時代.科学が政治と結託し,「共産主義のもとで生物を育てると優れた遺伝子を持つようになる」と科学が言い,それを政治が利用して科学者をシベリアに送った.
日本国憲法第23条に学問の自由が規定されているのは,このようなことの反省の上に立っている。国家にとって,もっとも危険なのは,科学が政治と結託することであり,それに報道が助力したら,破滅である.
自分が憲法違反をして,それで高邁なことを言ったり,人を指導しようとしてもそれは無理である。
学問の自由とは,テーマを選択し,方法を決め,その結果を発表する自由である.だから,どんなテーマを選んでも,どのような方法で研究しても,そしてその結果が政府のご機嫌を損ねても,それは憲法で保障されている.
「温暖化より寒冷化する(丸山先生)」と言い,「温暖化はむしろ良いことだ(武田)」と言っても,それで不利を与えれば,それは憲法違反である。
国立環境研究所は,学問の自由がない.このことは研究所のおもだった人に直接,申し上げているので,ここで言うのもフェアーである。
国立環境研究所には,研究員がテーマを自由に選べず,上司がいて,査定がある.すべて学問の自由に反する.そしてその結果,たとえば温暖化について,金太郎アメのように研究員が「温暖化危ない」と言う.
学問は異論が止まらないものである.20人もいれば,かならず5,6人は多くの人が同意する結論に疑問を呈する.それなのに,国立環境研究所の人はなぜ,IPCCの結論に同意するのだろう.かならず,自分の研究結果にはIPCCと異なるところがあるはずだ.
先日のテレビ討論で,「温暖化が怖い」と言っておられた人たちが,全く同じことを言うので,「まるで共産主義ですね」と発言した人がみえた.本来は共産主義でも異論はあるはずだが,それより全体主義的だった.全体主義は学問ではない.学問は統一できない.
・・・・・・・・・
国立研究所の皆さん,科学―報道―政府 が結託したらどうなるのか,よく考えて欲しい.国立環境研究所―NHK―政府 が結託したら,ナチスやスターリンの歴史を繰り返し,それは暗黒の時代につながる.
事実,最近,温暖化に疑問をはさんでいる学者の人を見ていると,大きな差別を攻撃を受けている。それもネットが発達して,「匿名の人」からの学問とは縁が遠い,口汚い批判に晒される。
・・・・・・・・・
皆さん,もっと日本の将来を考え,日本人の誠を育て,学問の自由を守ってください.ネットで匿名で罵っている君も日本のために目を覚ましてください.
地球が寒冷化するのか,温暖化するのかはまだ学問的にハッキリしていることではないのですから,どちらを選択するかは政治の問題ですが,学問の方に逆に刃を向けると日本は衰退します.
国立環境研究所が学問の自由を持たない以上,「科学の衣を着て,政府と一体の研究所が望ましいのか?」を疑い,できれば研究員が主導的になって組織を解散して政府と独立した研究所になってもらいたいと思います。
(平成2196() 執筆)



日本にも科学者がいるのか?・・・頭脳活動と行動





連休に入って時間の余裕ができると、いろいろなことが頭を巡ります。「事実と幻想」、「科学の役割」が今の一つの課題でもあります。

ポアンカレという数学者は次のように言っています。
「私たちは、事実がどんなに残酷なものかを知っている。だから、幻想の方が事実より心の安まるもの、力づけてくれるものなのだ。私たちに信頼感を与えてくれるのは実は幻想にほかならない。でも、幻想は消え去る。その時に人は希望を失わず、そのまま行動する元気をもち続けることはできない」

幻想は甘い汁ですが、やがて消えていきます。そのときに冷酷な事実に力強く立ち向かうことができるのは事実そのものでしょう。人間は辛いことを正面から見るのは大変で、ダーウィンも「勇気を持てば事実が見える」といっています。まさに被曝と健康、福島の人の避難などに当てはまるでしょう。

また東大総長の浜田純一先生は訓示で次のように言っておられます。
「人間が陥りがちな弱さに自らも陥らず、そして人をも陥らせない役割が科学に携わる者には求められています。科学は精神安定剤ではないのです。人々の期待に力の限り応えながら、同時に期待の圧力に屈しない知的廉直が科学には求められます。科学の世界に生きる者に求められているのは、今の科学で出来ることと出来ないこととの区分を明確に示すとともに、その限界を乗り越えるために苦闘している姿を率直に見せることです。」

東大総長からこのような言葉がでるところに、今の日本の科学の脆弱さがあります。つまり東大の御用学者も頭ではこのこと、つまり科学は人間が陥りがちな弱さに陥らず、精神安定剤ではなく、期待の圧力に屈しない知的廉直さなのです。でも頭でわかっていることが実行できない悲しさを東大教授は持っています。それが国民を苦しめているのです。

地震予知が始まった1970年代。東大の地震の先生はお金が欲しいので「東海地震が先に来る」と言い、阪神淡路と東北で犠牲者26000人の原因を作りました。まさに「出来ることと出来ないこと」の区別が明確に出来なかったのです。

福島原発事故による被曝が始まると東大教授は「大丈夫」と言いました。被曝と健康の問題は法律で11ミリと決まっており、それをさらに明らかにしようと「苦闘している姿」だったのです、それは政府のいいなりになって科学を捨てました。

「わかっているのにやらない、わかっているのに違うことを言う」という自らの利益だけを考えた精神的疾患は、東大教授に著しく、日本のインテリに共通した病状です。これは日本人のある意味での限界を示したもので、特に宗教的基盤の薄い日本に顕著です。人間は頭でっかちですから、宗教やヨガという精神的基盤や鍛錬なしに厳しい現実に向かうことが出来ないのでしょう。
(平成24430日)


















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