福島みずほのどきどき日記より
第1 原発震災直後
1.3月11日
2O11年3月11日に地震が起きたとき、ちょうど有楽町イトシア前で、ニュージーランドの地震の募金集めをしているときだった。ニュージーランドの地震の被害のために募金をという街頭演説をしている最中に地震が起きて本当に驚いた。街頭演説の車が大きく揺れた。現地はどうかと本当に心配。
夜6時に各党の党首が官邸に集まり、何かのときのための官邸とのホットラインの電話番号を教えられる。
緊迫したなかで解散。ラジオのニュースで、全電源が喪失をしたので、電源車が現地へ向かっていると聞く。全部の電源が喪失、ステーションブラックアウトが生ずるという問題点は、様々な裁判で提起をされてきたことである。全電源が喪失をし、冷却ができなくなり、燃料棒が溶融していきメルトダウンが起きることは、一番危険なこととして、指摘をされてきた。
「どうか電源車が間にあうように」と祈るような思いだった。
地震と津波による被害の報道がはいってくる。
家族も夜12時すぎに歩いて帰ってきた。
2.3月12日
津波と地震の被害が心配で連絡をしたりするがつながらない。
電源車の電源が使われなかったことを新聞で知り、原発の状況が心配で、昨日もらったホットラインに電話をする。ファックスを送ってもらう。これは、緊急災害対策本部が作ったもので、「3月12日(7:00)現在」とあり、「東北地方太平洋地震について(第16報)」となっている。これは官邸のホームページにアップされ続けているもののである。
これを見て、心底驚いた。
各省庁の体制のところで、原子力・安全保安院は、11日の22時の時点で、福島第一2号機の今後のプラント状況の評価結果(放出される放射性物質の量は解析中)として次のように書かれていた。
(実績)14:47 原子炉スクラム(RCIC起動)
(実績)20:30 RCIC停止(原子炉への注水機能喪失)
(実績)21:50 水位計復活(L2:燃料上部より約3mの水位)
(予測)22:50 炉心露出
(予測)23:50 燃料被覆管破損
(予測)24:50 燃料熔融
(予測)27:20 原子炉格納容器設計最高圧(527.6KPa)到達
つまり、11日の夜10時の時点で、もうすぐ燃料熔融が起きることを予測をしているのである。
わたしは、心底驚いた。一体、原発はどうなっているのか。
避難については、12日の朝5時44分に、総理指示で、「福島第一原子力発電所から10Km以内の住民は、圏外に避難せよ」となっている。
しかし、これで十分とは言えないのではないか。
ホットラインの電話番号に電話をして、原発の状況を聞くと、「ここに電話をして下さい」と言われ、そこに電話をすると保安院だった。
朝の9時過ぎである。
保安院は、「圧力容器内の気圧が高くなっているので、ベントをしなくてはならない。しかし、一つの弁はあいたが、もうひとつの弁がどうしても開かなくて、ベントができない。」と大変な状況だった。
もう一つの弁を開けたいが、放射線量が高くて、近寄れないということであった。電気の遠隔操作でやるか、多くの人を使ってやるしかないと説明を受けた(後で聞くと、中央制御室に機器を持ちこんで、電気の遠隔操作で弁を開けたと聞いた。)
「燃料棒が損傷している可能性がありますね。」と聞くと、「はい、そうです。」と言う答え。
「燃料棒が損傷しているのであれば、10キロの避難では足りないのではないですか。」と保安院に言ったが、「これで大丈夫と考えている。」という答え。
もっと避難をさせるべきだと私は主張したが、これについては平行線で終わった。
大変なことになった。
原発震災という言葉を思い出す。
原発震災というのは、尊敬をする地震学者である石橋克彦さんが作られた言葉である。わたしは、随分以前に石橋さんの兵庫県のご自宅で地震についてレクチャーをしていただいたことがある。
石橋先生は、2005年2月23日に、衆議院の予算委員会で、発言をしていらっしゃる。
「現在、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつあるということは、ほとんどの地震学者が共通に考えております。」
「原発の事故というのは単一要因故障といって、どこか一つが壊れる、その場合は多重防護システムあるいはバックアップシステム、安全装置が働いて大丈夫なようになるというふうにつくられているわけですけれども、地震の場合は複数の要因の故障ていって、いろいろなところが振動でやられるわけですから、それらが複合して、多重防護システムが働かなくなるとか安全装置が働かなくなるとかで、それが最悪の場合には、いわゆるシビアアクシデント、過酷事故という、炉心熔融とか核暴走とかいうことにつながりかねないわけであります。」
地震と震災のことについて、まさに、福島原発事故の問題点をはっきり2005年に国会で述べているのである。
石橋先生は、非常に強い放射能があるわけだから、人々の救出などをやりたくてもやれなくなるとも述べている。
今回、たとえば、ベントをするために、弁を開けようとして、開かないときに、人が近寄れないということがまさに起きたのである。
災害に対応をしようにも、高い放射線量のために、人々が対応できないということが、原発震災の特色の一つだが、まさにそのことが起きたのである。
石橋さんの2005年の国会での発言は、福島原発事故の預言のようにも読めるし、また、今読むとこれからのことの警鐘のようにも読める。
燃料棒が熔融しているのであれば、メルトダウンが起きるのではないか。
また、ベントをするのであれば、被曝をできるだけ減らすために、人々にそのことを知らせるべきではないか。
そもそもベントができなければ、格納容器の爆発というとんでもないことが起きてしまうのではないか。
こんなに大変な状況であれば、10キロ圏内の人たちの避難などでは足りず、20キロ、30キロにわたって避難をさせるべきではないか。
対応が心配になり、官邸に電話をする。
保安院の中村審議官が、メルトダウンの可能性があると発表したことを知る(その後、中村審議官から西山審議官に交代をしてしまう)。
12日の3時に、各党の党首が集められる。
それぞれが意見を言う。
わたしは、燃料棒の熔融の可能性、ベントのこと、10キロの避難では足りないことなど、最悪のことを考えて対応をすべきであるということを要望をする。
しかし、官房長官の対応は、「10キロで十分である。」ということだった。
後で知ったが、この党首会談の最中に、1号機で水素爆発が起きていたのである。
東電から官邸への連絡も2時間ほど遅れたと、次の日の午後、総理に申し入れをしたときに聞いた。
3.3月13日
わたしは、6月10日に参院の予算委員会で、メルトダウン、メルトスルーについて質問をした。それは、原子力安全・保安院が、6月6日に「1号機から3号機までの炉心の状況を解析をした結果として、いずれも燃料が熔融し、原子炉圧力容器底部が損傷した可能性について公表をしたからである。
しかし、あまりに、あまりに、あまりに、公表が遅い。
3月12日午前8時39分から49分の間に、放射性物質テルル132が福島第1原発から6キロ離れた福島県浪江町で検出されている。
テルル132の検出は、核燃料が千度以上になったことを示すもので、ペレット、燃料が損傷し、放射性物質が格納容器から外に出ていることを明らかにしている。
燃料棒が熔融している可能性ではなく、まさに、燃料棒は熔融しているのである。
「しかし、原災本部事務局は、この3月11日から15日までの間のモニタリング結果のうちの大部分を直ちに公表せず、そのほとんどを6月3日になって初めて公表をした。」(事故調査・検証委員会の中間報告)。
保安院は結果の一部は直ちに公表をした。3月14日に、保安院は地震被害情報として公表をしたなかに、現地からの情報ということで、緊急時環境放射線モニタリングの実施により、テルルの分析結果についても公表をしている。
しかし、こんな重要なことをなぜもっと国民がわかる形で発表をしなかったのか。また、原災本部はなぜ全部を公表しなかったのか。当時、人々が事実はどうなのか知りたいと切実に思っていたときに、なぜデータを国民にすべて公表をしなかったのか。
メルトダウンの可能性などではなく、燃料棒は熔融しています、メルトダウンをしていますと言うべきだったのだ。
そうすれば、人々もっと的確な形で、避難などについて選択できたと思う。
テルル132については、6月10日の参議院予算委員会の答弁のなかで、官房長官は「私も今、テルルという、これ放射性物質だと思いますけれども、について、今委員が御指摘いただいたような、何というんでしょう、根拠になるようなものだということについては、今の御質問をお聞きして初めて承知をしたものでございます。」と言っている。
テルル132について、つまり燃料棒が熔融しているまさに証拠について、官房長官は説明を受けず、この質問の6月10日まで説明を受けていないのである。
ましてや国民は、説明を受けていない。
13日に、官邸に、事故対応について、申し入れに行き、総理と話す。
「原子力災害対策本部の機能を補完・強化すべく、電力会社、地元自治体、専門家等を含めた国を挙げた体制を立ち上げること。」などについて話す。
つまり、東電まかせにせず、国が東電をコントロールしてやるべきだと話す。
これ以降、ほぼ毎日のように申し入れ書を持参し、官邸に行く。
4.3月15日
これ以降、情報開示と避難の拡大などについて、申し入れに行く。
情報開示については、「事故状況はもちろんのこと、広域における放射線量測定値の分布状況、放射物質の被曝がもたらすリスク情報、気象情報(飛散情報)を迅速かつ定時的に開示すること。その際、常に最悪の事態を想定をした現状分析を行うこと。」
SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)がすぐ公表されなかったことは本当に問題である。
3月17日には、3点を申し入れている。
①20km~30kmの屋内退避指示圏内の住民をただちに30km圏外に避難させること。
②γ線だけではなく、α線も対象とした広域放射線量モニタリングの体制を早急に確保すること。
③東海地震の予想震源域に位置する浜岡原子力発電所の停止を決断すること。
政府に浜岡原発の停止を言ったのは、3月17日のときである。
屋内避難の住民を30km圏外に避難をさせるべきだという主張は本当になかなか認められなかった。
第2 地震か津波か
東京電力の清水社長は、3月13日夜に、地震発生後に初めて記者会見を開き、福島原発が被災した原因を「地震による揺れではなく、想定外の津波が非常用電源にかかり機能しなくなったため」と説明をした。
この説明には、2つの問題点がある。
一つは、「想定外」としていること。
二つは、「地震による揺れではなく」としていることである。
福島原発事故の原因は津波だけなのか、それとも地震も原因ではないかというのは、非常に重要な論点である。
例えば、浜岡原発について言えば、中部電力は、津波対策として、防潮壁を作ろうとしているが、津波よりも浜岡原発直下付近で地震が起きる可能性が指摘をされており、津波よりも地震のほうがはるかに重要な問題である。
福井県や石川県などに位置する原発も津波も重要だが、はるかに、地震の心配のほうが大きい。
今回の福島原発事故の原因を津波だけとすると、地震で起きたことを教訓とできなくなってしまう恐れがある。
このことについては、田中三彦さんが配管破断の可能性を分析し、書いていらっしゃる。
わたしも出席をしていたが、12月19日に議員会館で行なわれたNGO主催の「原発の運転再開に反対する政府交渉」で、政府は、「地震直後に面積0.3平方cmのひび割れが入った可能性は否定できないということか」という質問に対して、「否定できない。」と答えている。配管に細かいひび割れが発生をすると、そこからものすごい勢いで、水が外に出てしまう。また、そのことによってもひび割れは拡大をしていく。
まさに、地震によって、問題が生じ、津波によって、さらに問題が拡大をしたと言える。
だから、津波のみによって、被害が生じたということはできない。地震と津波の両方なのではないか。だから、津波対策をすればいいということでは全くないのである。
また、外部電源の喪失は津波が原因でなかったことは明確になっている。
さらに、3月11日午後3時29分に1号機から約1.5キロ離れたモニタリング・ポストの放射線量を知らせる警報が鳴っている。津波が襲って、非常用発電機が停止する前のことである。東電原子力設備管理部の小林課長は取材に対して「モニタリング・ポストが正常に作動をしていたか、まだ調査をしている。津波が来る前に放射性物質が出ていた可能性も否定できない」と認めている。
小出裕章さんも社会新報の新年号で、このことについて次のように述べている。
「地震が事故原因ということになると、停止中の全ての原発の再稼動にストップがかかってしまうため、何としても避けたいというのが国や電力会社の本音だろう。」と。
津波だけではなく、地震も問題だと強く言っていく必要がある。
第3 浜岡原発の停止について
浜岡原発の静岡地方裁判所の第1審判決の日、2007年10月26日に、わたしは、静岡地裁の法廷にいた。裁判官が、簡単に原告敗訴の判決を述べ終わったとき、隣りにいた近藤正道参議院議員が、「事故が起きたら、どうするんだ!」と叫んだ。近藤さんは、柏崎刈羽原発の裁判を担当をした弁護士で、社民党の参議院議員だった。わたしも一緒に、「事故が起きたらどうするんだ。裁判所は責任をとれるのか。」と叫んでいた。
あまりに悔しい一日だった。
原告のみなさん、長野さん、白鳥さん、佐野さんや多くのみなさんが、抗議をする発言をされていた。
その判決の後、地震学者の石橋克彦さんも、地裁前の道路上で報道機関にコメントを述べた。
「この判決が間違っていることは自然が証明をするだろうが、そのとき私たちは大変な目に遭っている恐れが強い」というものだった。
石橋克彦さんの原発震災についての発言もそうだが、石橋さんの発言は、預言者のような重みを持っていたと今も改めて思う。
今回の福島原発事故の後、福島原発事故はまさにこのときの石橋さんの発言を現実化してしまったものだと痛感をする。
3月17日には、社民党は、総理宛て緊急要請書の3項目として、「東海地震の予想震源域に位置する浜岡原子力発電所の停止を決断をすること」をあげ、官邸に対し、交渉をしている。
4月1日に浜岡原子力発電所に行き、社民党として、所長さんたちに浜岡原発の停止を申し入れ、交渉をした。
そのときに、中部電力側からから資料をもらったが、その資料に図入りで、次のように書かれていた。
「南海トラフ沿いでは百年から百五十年程度の間隔でマグニチュード8クラスのプレート間地震が発生をしており、地震の発生状況がよく知られています。浜岡原子力発電所は、東海・東南海・南海地震の3連動が起きることになっている」と。
これは、反原発の運動のちらしでも何でもなく、中部電力側、浜岡原発の側のパンフレットなのである。
ここまで言うのであれば、危険な場所にある原発ということを中部電力側がしっかり認めていることになるのではないか。
このことなどをもとに、4月18日に予算委員会で質問をした。
「総理、総理が今総理をやっている意味は、やっぱりここで福島原発から学んでしっかり政策を変えることです。総理、浜岡原発止めてください。」
これに対して、総理は、まず、こう答えている。
「浜岡原発について多くの議論があることは私も承知をしております。」と続く。
しかし、ここでは止めるという発言はなかった。
浜岡原発を止めるべきだという集会やデモが開かれ、わたし自身も参加をした。中部電力が浜岡を止めても、電力の供給に問題がないことは数字から明らかであった。また、2年前の夏は、駿河湾の地震による自動停止と定期検診による停止により、浜岡原発はすべて停止をしていたが、現にそのときも何も問題は生じていなかったのである。
その後も要請や質問をしたが、転機が訪れたと感じたのは、5月2日である。
予算委員会で、浜岡原発が位置する東海地域で30年以内に地震が起きる可能性について質問をした。
答えは、「30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%というふうになってございます」というのが答弁だった。
そして、「海江田大臣、停止命令、出すべきじゃないですか。」という質問に対して、海江田大臣は、「私も現地に行ってしっかりと見てきたいと思っております。」と答えている。
大臣が行くということを明言したということは、今までとは違う変化が発生をするのではないかと思った。
また、このとき、総理の答弁も変化する。「今御指摘の問題も含めて、必ずしも福島の問題の結論が出るまで待つことなく、しっかりと検討をしてまいりたいと、こう思っております。」と。
それまでの総理の答弁は、福島の問題の結論が出たら考えるというものであったから、「福島の問題の結論が出るまで待つことなく」というのは、明らかに答弁が変わったのである。
2人の答弁が変わったので、わたしは、8割くらいの可能性で、浜岡は止まるのではないかと思った。
「浜岡原発、考慮して止めてください。事故が起きたら政府の責任ですよ。日本が破滅するのを誰も見たくないんですよ。」と質問を続けた。
その日、だめ押しをするために、総理に電話をして、話をし続けた。
5月6日、総理は、浜岡原発のすべての原発の停止を要請し、12日に、中部電力は、運転中の4、5号機の停止を発表をした。
何人もの人たちにも総理に話をしてくれるように頼んだりした。集会やデモやブログやツィッターをやっても政治の何が変わるのだという声を聞くことがある。しかし、いろんなみんなの声や力が、現に政策を動かしていることを痛感をしている。多くのみんなの声や行動がなければ、総理も決断をできなかったのではないか。その意味ではみんなの声と行動が政治を動かしているのである。
第4 再稼動について
1.再稼動にひた走った経済産業省
福島原発事故があったにもかかわらず、経済産業省は、原発再稼動にひた走った。
海江田経済産業大臣は、6月18日に記者会見を行ない、「原子力発電所の再起動について」という大臣談話を18日中に、原発の立地自治体に対し、送付をしている。
談話はホームページで公表されている。
まず、初めから「1、原子力は、化石エネルギー、再生エネルギー、省エネルギーと並んで我が国の未来のエネルギーを担う重要な4本の柱であり、国が安全性も含めて責任を持って取り組んでいく。」としている。脱原発依存の考え方は示されていない。
そして、次のように続く。
「3.これまで経済産業省は、各電気事業者に対し、津波による全交流電源喪失を想定した緊急安全対策の実施を3月30日に指示し、この着実な実施により、炉心損傷等の発生防止に必要な安全性を確保していることは確認をした。これにより、原子力発電所の運転継続及び再稼動は安全上支障がないと考えている。」
津波のことしか言っていない。結局、これでOKだと言っているのである。
そして、最後の結論となる。
「8.したがって、我が国経済の今後の発展のためにも、原子力発電所の再起動を是非お願いしたい。必要があれば、私自身が立地地域に伺って、直接御説明とお願いを申し上げたい。」と。
この記者会見がなされたのは、6月18日のことである。
この時点で、経済産業省は、「我が国経済の今後の発展のためにも、原子力発電所の再起動を是非お願いしたい。」と言っているのである。
そもそも事故は収束をしていないし、検証も済んでいない。指針なども無効になり、根本からやりなおさなければならなくなっているのだ。
経済産業省、保安院、資源エネルギー庁などは、この時点で、安全性は確認できたとしており、3月11日前と頭も心もちっとも変わっていないと言える。
福島原発事故により、原発の安全神話も原発の安全性も壊れてしまったのである。今まで政府がやってきた原発の許可やチェックが役に立たず、完全に挫折をしたのである。
このような場合、根本的な見直しが必要であるはずなのに、なぜそのことが起きないのか。
なぜ安全と言えるのか。
なぜ再稼動をいそぐのか。
原発安全神話に則って、原発推進でやっているのが、経済産業省ではないのか。
今は少し変わってきているのだろうか。
わたしは、この6月の時点で、経済産業省も資源エネルギーも保安院も原発再稼動にやる気まんまんなのであり、原発推進にやる気まんまんだと思った。
変わらない役所と意識は変わった多くの人たち。
原発を推進してきた体制を変えていくには、とにかく多くの人たちの力と知恵しかない。
2.電力は足りている
社民党は、政府自身が発表したデータから、電力は足りていると試算をして、発表をしてきた。いくつかのNGOも電力は足りていると試算をし,発表をしている。
2011年の夏も冬も2012年も大丈夫なのである。
そして、政府のエネルギー・環境会議も、条件付きではあるが、2011年の冬も2012年の夏も電力は足りるという試算をしているのである。
「電気が足りなくなるので、大変」というのは、3月11日前にずっと長い間、原発を推進をするために使われてきたものである。
3.検証の必要性
事故の検証もされていない。
先日、政府の事故調査・検証委員会が中間報告を出したばかりである。
国会に設置をされた事故調査の委員会は、これからようやく動き始め,活動を開始をする。
まだまだ、何が起きたのかわからないことも多いし、検証しなければならないことはたくさんある。3月11日以降のことも問題だが、3月11日前の原発推進政策こそ徹底的に検証をすべきである。何を見落とし、何を考慮せず、やってきたのかしっかり議論をしていきたい。
事実究明がもっともっと必要だが、原発がどういう状況なのか、燃料棒はどうなっているのかさえわかっていないのである。
国会の事故調査委員会が結論を出す前に、なぜ原発の再稼動がてだきるのか、わからない。
調査も済んでいないに、なぜ原発を動かすことができるのか。
4.今までの指針や基準は無効になった
前述したが、今までの指針などは無効になったと考える。福島原発事故を防ぐことができなかったのであるから、根本的な問題があるのである。
小出裕章さんは、社会新報の新年号でこう述べている。
「諸指針に抵触するような事態は山ほど起きており、指針全体が意味をなくしているような状況。06年改定の現行耐震指針に基づいてバックフィット(バックチェック)をやり、安全だと言っていた原発が壊れた。意味をなくした指針に照らして認可された原発が今動いている。」
これはその通りである。ストレステストをすれば十分だということでは、全くないのである。
5.地元の同意
今、原子力安全委員会で、EPZの見直しをしている。
また、電力会社と自治体の間で結ぶ防災協定についても拡大をすべきである。その動きが広がっている。
当然である。交付金はおりてこないのに、放射性物質は降ってくることなどを自治体としては防ぎたいと思うことは当然のことだと思う。
原発事故が起きれば、多くの人たちが故郷を失い、莫大な人たちが被曝の危険にさらされるのである。住民のいのちと健康を守るという観点から、地元自治体の範囲をうんと拡大し、その同意がなければ、原発の再稼動をすべきではないのである。
第5 事故について
1.事故やトラブル隠し
石川県志賀原発は、1999年6月18日に、制御棒3本が脱落し、臨界事故を起こした。しかし、北陸電力は、運転日誌を改ざんした。2007年3月、この臨界事故隠しが発覚した。この直後、志賀原発に行った。
2004年8月9日、福井県美浜原発3号機で、配管が破裂し、熱湯が噴出して、作業をしていた5人が死亡、6人が重火傷を負うという惨事があった。わたしは、その現場検証の最中に、社民党の視察団として、現場にはいった。
2007年7月16日、新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発が、ガタガタになり、地面に1mもの段差が生じているとき、17日に、これまた社民党視察団として、原発にはいった。放射性物質が出てはいけないところに放射性物質は出でいた。
1999年9月30日に起きたJCO事故のまさに事故現場に行ったことがある。
原発を安全だと思ったことはない。
東京電力の福島第一、第二、柏崎刈羽の原発13基で、1980年代後半から90年代半ばにかけて自主点検記録に虚偽記載がなされていたことが2002年8月29日、原子力安全・保安院の発表によって明らかになった。これは13基の原発の検査にあたったGE技術者から通産省に内部告発があって判明をしたものである。疑惑は拡大をした。
社民党としても当時、東京電力に対し、公開質問状を出し、勝俣社長が社民党に来て、議論をしたことがある。
佐藤栄佐久福島県知事は、通産省が内部告発を受けながら2年間公表をしないで、プルサーマル計画を推進をしたことについて、「国と東電は同じ穴のムジナだと考えてきたが、国こそが本当のムジナだった。東電だけでなく、原子力全体の問題として体質改善をしないと同じ問題が起こる」と強く批判をした。
トラブル隠し、隠蔽、国が電力会社をかばうことなど、様々な事件で明らかになってきたことなのである。
トラブル隠しや情報を公開しないことは、3月11日以降に痛感をすることであるが、その問題点、体質は、3月11日以前にすでに存在をして、問題とされてきたのである。
2.「原発は安全だ」という神話
「原発は安全だ」という神話を広めてきた人たちは、安全ではないという事象を見ないできたのではないか。
事故調査・検証委員会の中間報告は、P503で、次のようにまとめている。
①津波によるシビアアクシデント対策が欠如していたこと
②原子力事故が複合災害として発生するという視点が欠如していたこと
③原子力災害を全体的に見る視点が欠如していたこと
の三つが大きく影響していると考える。
保安院のシビアアクシデントのときの対策を見ると、机上の空論、机の上だけで考えていたのだということを改めて痛感をする。
1基の電源が喪失をしても、原発は並んで立っているのだから、隣りの2基から電源を調達をするということなどが書かれている。今回の事故からすると全く非現実的、全く牧歌的な世界である。
地震と津波で、全部の電源が喪失をするなんていうことは念頭に置いていなかったのである。
中間報告は、津波によるシビアアクシデント対策が欠如と書いてあるが、地震によるシビアアクシデント対策も明確に欠如していたのである。
でも、これらは全くおかしい。
様々な裁判で、そして、様々な機会に、複合災害が起きること、原発震災、そのときの対策が非常に重要な論点として、論じられてきたからである。
すべての電源が喪失をするということは、地震のときなどに起きる。まさに、原発震災。
そして、中越沖地震で、柏崎刈羽原発が、どんな状態になったのかということも既に経験をしているのである。
指摘を全く考慮せず、無視してきたのである。
「想定外」とはそういうことだ。
原発を推進するために、様々な指摘は聞かず、すべて「想定外」にしてきたのである。
東京電力の清水社長は、3月13日夜に、地震発生後に初めて記者会見を開き、福島原発が被災した原因を「地震による揺れではなく、想定外の津波が非常用電源にかかり機能しなくなったため」と説明をした。
地震による揺れではなくとしていることも問題だが、「想定外」にしていることも問題である。
原発を推進してきた人たちにとって、「想定外」だったのである。
2010年4月から原子力安全委員長をしている斑目春樹さんは、2007年2月に浜岡原発訴訟で、中部電力側の証人として、出廷し、証言をしている。
原告側(住民側)の代理人から質問をされている。
問い 「非常用ディーゼル発電機2台が同時に動かないという事態は想定しないんですね」
答え 「想定しておりません。それは一つの割り切りであると」
問い 「割り切りというのはどういうことでしようか」
答え 「非常用ディーゼルが二台動かなくても通常運転中だったら何も起きません。ですから非常用ディーゼルが二台同時に壊れていろいろな問題が起こるためにはそのほかにも、あれも起こる、これも起こると仮定の上に何個も重ねて初めて大事故に至るわけです。だからそういうときに非常用ディーゼル二個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり、何でもかんでも、これも可能性ちょっとである、これはちょっと可能性かある、そういうものを全部組み合わせていったら物なんて絶対作れません。だからどこかで割り切るんです」
非常用ディーゼルが二個とも動かなくなることはないと割り切らなければ、物は作れないと浜岡裁判で証言をしている人が、原子力安全委員長なのである。
このことについては、参院予算委員会で質問をした。事故後、初めて委員長は公の場で発言をしている。
福島 「そのような事態は想定しない、そのような想定をしたのでは原発は造れない、だから割り切らなければ設計なんてできませんねと言っていますね。割り切った結果が今回の事故ではないんですか。」
斑目委員長 「確かに割り切らなければ設計ができないというのは事実でございます。その割り切った割り切り方が正しくなかったということも、我々十分反省してございます。」
3月11後の不手際はたくさんある。しかし、その不手際の原因は、3月11前に存在をしている。原発を推進をするために、わざと無視をしてきたのではないか。だから、その原発推進策こそ問われなければならない。もしも、日本でもう一度原発事故が起きれば日本は破滅してしまうと心底思う。
第5 労働者被曝について
被曝、そのなかで働く人たちの被曝や労働条件の問題は、今でも続いている重要な問題である。
労働者被曝については、「原発ジプシー」(堀江邦夫著)という本もあれば、樋口健二さんの写真集、藤田祐幸さんの嶋橋さんの労災についての本もある。
多くの取り組みがなされ、それぞれ労災認定を応援する運動もあった。
3月11日後も多くの団体が、何度も何度も行政交渉を続けている。
また、原発で働く労働者ばかりでなく、20キロ、30キロ内で働く公務員のみなさんの被曝の可能性も重要な問題で、社民党として、申し入れなどを行なってきた。現在、汚泥処理やがれきの処理、除染にあたる人たちの被曝の問題、港湾などで働く労働者の被曝の問題などたくさんの問題がある。
ここでは、とりあげてきたことであまり知られていないことなどに絞って書いていく。
1.3月11日以降、週刊現代などをはじめとして、週刊誌、新聞、インターネットなどで、原発で働く人たちの被曝、労働条件、食事、待遇、騙されて原発で働かされたことなど、様々な報道がなされた。
食事の改善などを厚生労働委員会で質問をした。
ところで、新聞に、働いていた人たちで、たどれない人たち、行方不明の人たちがいるということが報道をされた。
なぜそうなるのか。
原発で働く人たちについて、電力会社も厚生労働省もそもそも把握をしてこなかったのである。
下請け会社に振り、そこで集められた人たちが働くのであって、そもそも電力会社は、直接把握をしていないのである。だから、今回の福島原発事故の直後からも東京電力、厚生労働省は直接把握をしていないのである。
このことについて、2012年7月14日、厚生労働委員会でわたしが、質問をしたときに、当時の厚生労働副大臣小宮山洋子さんが次のように答弁をしている。
「厚生労働省といたしましては、昨日までに原則3月、4月中の新規従事者全員の内部被曝測定を終了するように指示をしました。132人の連絡先不明者が判明をしたということは大変遺憾に思っています。」
「なぜこういうことが起きていたかといいますと、以前は紙台帳に事業場名と名前だけを書かせていたんですね。ただ、その後、それでは駄目だということで免許証などでちゃんとチェックをした作業員証、裏にバーコードも付けたものに、発電所内は4月半ばに、Jヴィレッジでも6月8日にしていますので、それ以前のところはどうしてもこういうものが、その管理がきちんとなっていなかったために出てしまっている、そこも徹底的に調査をするようにというふうに言っておりますし、今後そういうことが出ないような対応も今取らせているということです。」
結局、今まで一人ひとりをチェックするということにしていなかったために、今回も行方不明の人たちが出てきてしまっているのである。
2.放射線量のチェック
働いている人にとって、毎日毎日自分がどれだけ被曝をしているか知り、チェックし、また、累積してどれだけ被曝をしているかを自分でわかっている必要がある。
日々の労働にまぎれていると、自分できちんと記録をしようとならなくなってしまう。きちんと記録を本人に渡し、また、積算のデータも本人に示すべきなのである。
今までは、放射線管理手帳は、たとえばある発電所を辞めて、次の発電所で働くときに、働く人に交付をされるというものであった。これはおかしい。
妊娠したときに、自治体から交付される母子手帳は、その母子手帳を母親が手元に置いて、自分や子どもの体重や変化を書き込んでいくもので、自分と子どもにとって、貴重な記録となるものである。
どうだったっけと思えば見ることができるし、身長や体重などつい忘れてしまうことも記録として残り、変化が良くわかる。
手帳は本人のものであり、放射線管理手帳も実は本人がもって、確かめ、記録として本人が持っておくべきものではないか。
そのことに取り組んだ。
そのことについて、7月14日の厚生労働委員会で、当時の副大臣である小宮山洋子さんは、わたしの質問に対して、次のように答えている。
「これまでも累積の線量については放射線管理手帳というのがあるわけですね。ただ、委員がおっしゃるように、確かにそこで働いている人たちが日々ちゃんと自分の被曝線量が分かるようにすることは必要だと思っていますので、先日もお答えしたように、紙によって日々通知をするようにいうことで、これは東電も準備を進めていますが、レシートみたいな形なんですけれども、それは出すようにはしていまして、あと、1月ごとぐらいには文書でそれをまた出すようにというふうにも指導しているところです。その放射線管理手帳との関係も含めて、どのような形がいいかは更に検討したいと思います。」
現在どのようになっているかについて、再度確認をしてみる。
また、データベースがどうなっているのか、他の原発ではどうなっているのか確認し、また、報告をします。
3.下請
2004年8月9日、福井県美浜原発3号機で、配管が破裂し、熱湯が噴出して、作業をしていた5人が死亡、6人が重火傷を負うという惨事があった。わたしは、その現場検証の最中に、社民党の視察団として、現場にはいった。そのとき、死傷された人たちは、下請けの人たちであった。
厚生労働委員会で、6月16日に質問をした。
質問(福島みずほ)
今日、改めてお聞きをします。雇用形態、例えば一番多くて何次、下請があったんでしょうか。
答弁(平野良雄さん)
厚労省では、現在、福島第一原発の方で、いわゆる協力会社というのが22社ございまして、その下にいわゆる下請というものがあるわけでございます。
その実態につきまして、5月26日から6月15日にかけまして実態の聴取、把握をいたしました。その結果、一番多いところで、下請の次数につきましては4次というふうに把握をいたしております。
質問(福島みずほ)
日給はどういうものでしょうか。
答弁(平野良雄君)
日給につきましては把握してございません。
質問(福島みずほ)
1度弁当ぐらい入れたらどうかと言ったら、1週間に何回か、毎日ではないが弁当が入るようになったようですが、でも相変わらず食事はレトルトが圧倒的に多いですし、是非、日給の把握、労働条件について、厚労省、労働局が身を乗り出して実態調査をされるよう強く申し上げます。
しかし、全労働者の労働条件の把握ということは実現をしていない。
第6 核燃料サイクルについて
1.核燃料サイクルの危険性
核燃料サイクルとは、ウラン採掘に始まり、ウラン濃縮、ウラン燃料の製造加工、原子力発電、使用済み燃料の再処理、高速増殖炉による発電、これらのサイクルから発生する低・高レベルの放射性廃棄物の処理・処分の連鎖を言う。核燃料サイクル施設とは、これらのうち、原子力発電以外の事業を行なう施設のことである。
再処理技術は使用済み燃料を溶解して液体状にした上で、プルトニウムとウランを分離して、プルトニウムを取りだす技術である。
世界で、重大事故が続出している。
そもそも核燃料の燃料ペレットに閉じ込められていた放射性物質を溶解する作業を伴うため、事故によって放射性物質の放出が始まると、甚大な被害となってしまう。
また、事故が起きなくても、環境への放射性物質の放出は原発よりもはるかに多く、問題のあるものである。
2012年1月5日付けの東京新聞は、今まで核燃料サイクルに10兆円の費用が投じてきたと論じている。これほど莫大な費用を投じながら、頓挫をしている。諸外国がとっくの昔に、放棄をしているこの再処理をまだ、日本がやろうとしていることは、全く理解ができない。機構のなかに、再処理のための費用が、現在、3兆円近く積んである。これからもドブにお金を捨てるように、再処理に費用を投ずるのか。全くの無駄であり、危険である。この3兆円こそ、国民のために、有効活用をすべきである。
使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取りだし、このプルトニウムを高速増殖炉で使うという計画は、そもそも高速増殖炉が頓挫し、できないために、全く意味のないものとなっている。高速増殖炉もんじゅはナトリウム火災事故を起こし、14年間停止し、ようやく動かしたと思ったら、今度は、炉内中継装置を撤去しようとして、この装置が原子炉内に落下をしてしまった。落下した装置をようやく引き上げたが、ナトリウムを使っているために,原子炉内がどうなっているのか、目視できず、どうなっているのかわからないのである。それでも一日5500万円を使っているのが、高速増殖炉もんじゅである。このもんじゅは、2003年1月27日に名古屋高裁判所金沢支部は、もんじゅの原子炉設置許可処分は無効であるとする住民原告勝訴の画期的な判決を出しているほどである。
この判決は、不当にも最高裁が変更をするが。
高速増殖炉もんじゅは、廃止し、廃炉にするしかない状況である。動かすことは、危険であり、成功しないもののために、多額の税金を投入していくことは、無駄であり、愚かなことである。
もんじゅの話が長くなったが、高速増殖炉もんじゅが廃止になるということは、再処理をやる意味がないということである。プルトニウムを取りだして、もんじゅで使うということがなくなるからである。
2.再処理のコスト
わたしは、2004年3月17日、参院の予算委員会で、再処理事業のコストと直接処理、つまり再処理をしない場合のコストについて質問をしている。
再処理の費用は、六ヶ所だけで、19兆円である。当時の税収は50兆円くらいだった。税収に比べてもあまりにあまりに、あまりに多額。1ヶ所の1つのプロジェクトに19兆円も使うのは経済合理性から言って全くおかしい。
再処理をしないで、直接処分をすれば、コストはかなり安くなる。
では、再処理をしない場合のコストは、いくらか。
日本の役所であれば、コスト計算をしているはずだと思ったが、聞いても数字が出てこない。単純に処理する場合のコストも計算をしているという噂が広がっていたが、役所に聞いても、うまく数字が出てこない。何か変。どこか変。とても変。計算をしているのか、してないのか。しているはずだ。そこで、このことについて質問をすることにした。
質問(福島みずほ)
私が質問しているのは、安全性の問題もさることながら、コストが余りに大きい。19兆円というのは、それは日本の経済にとっても大きな痛みとなってしまうんではないか。
では、お聞きします。再処理をしない場合のコストは幾らでしょうか。
政府参考人(日下一正資源エネルギー庁長官)
私どものところ、日本におきましては再処理をしない場合のコストというのを試算したものはございません。
これは、昨年10月に閣議決定されましたエネルギー基本計画におきましても、核燃料サイクル政策を推進することを国の基本的な考え方としていることも受けているわけでございます。しかしながら、一定の条件の下での計算でございますから、必ずしも我が国に直接あてはめることはできませんが、OECDのレポートにおきまして、再処理をする場合の方が再処理をしない場合 と比較して約1割程度費用が高く掛かるという試算もなされていると承知しております。
質問(福島みずほ)
国がある政策を取るときには、その道に突き進むのか、やめるのかというコスト計算をきちっとすべきです。コスト計算をされていないということについて、つまり、この19兆円が果たして必要なものか、そうでないのかについて、あるいは他の道のコストが幾らなのか計算をされていないと。日本ではこれからもこのコスト計算はされないのでしょうか。
実は、政府は、直接処分をした場合、再処理のコストの約4分の1であるということを1998年に計算をしていたのである。
その報告書をわたしは、後に見で、本当に驚いた。
しっかり計算し、しっかり報告し、その上で、こんなものを見せたら、反対の声が強くなるとして、表に出さないことにしているのである。完全な隠蔽である。その審議会には、電力会社も参加をしている。再処理が高くつくから、国民で負担をなんて言えないはずなのである。高くつくことは、電力会社も百も承知だったからである。
知らされなかったのは、国民と国会である。
この答弁は、だから明確な虚偽答弁である。
「原発社会からの離脱-自然エネルギーと共同体自治に向けて」(宮台真司、飯田哲也著 講談社現代新書)ではこのときのことが記載をされている。部分的に引用をする。
<飯田哲也さん>
「当時の経済産業省の村田さんなどは、経済合理派で、六ヶ所再処理工場を当時止めようとした。
その状況で、東電企画部が経産省に「六ヶ所をなんとかしたい、このままでは東電の経営が危ない」と相談をしたところ、原子力課長が全部はねつけて、退路を断ってしまったのです。
福島瑞穂さんの国会で「再処理と直接処分の経済性を比較したことがあるのか」と質問して、当時の日下一正資源エネルギー庁長官が「いままでは検討したことがありません。これから検討します。」と答弁をした。実は日下さんの後ろのキャビネットには、直接処分のほうが安くつく報告書があったのです。明らかに虚偽答弁です。」
この虚偽答弁は、問題になるもののその後、経済産業省内の経済合理派、再処理をすべきではないという人たちの方が弾圧をされていく。
この問題について、わたしは、2004年10月20日に改めて質問をしている(参議院予算委員会)。
質問(福島みずほ)
まず、核燃料サイクルのコストについてお聞きをいたします。
この予算委員会で、三月十七日、再処理のコストは十九兆円、しない場合のコストの試算はあるかと質問しました。そのような試算はありません、これが答弁でした。しかし、それは虚偽、間違っていました。これだけ資料が出てきて、十年前に通産省の審議会で議論し、このような試算は出さないようにしましょうと十年間隠ぺい、封印をしてきました。
この点について、大臣、謝罪をお願いいたします。
答弁(国務大臣中川昭一君)
委員御指摘のとおり、本年三月十七日の福島委員の御質問に対して、当時のエネ庁長官がそういう資料はございませんという答弁をいたしました。その後、あの新聞等にも出ましたので調べたところ、答弁者で、答弁者並びに答弁作成者は、その時点でそういう平成六年の審議会の資料があるということを知らなかった。知らなかったからなかったというふうに作成し、そして答弁をしたわけでございますけれども、いずれにいたしましても、結果的に、福島委員のこの国会の正式の場における御質問に対して結果的に間違った答弁をしたということで、この場をおかりをして、福島委員、また原子力というのは国民の理解と信頼に基づくわけでございますから、そういう意味で国民の皆様におわびをし、と同時に、その両名並びにもう一名を七月付けで私から訓告並びに厳重注意、そしてその後、更に精査をいたしまして十人に、十人に対しまして私から厳重注意を八月に行ったところでございます。
質問(福島みずほ)
この予算委員会で虚偽の答弁がされたことは重大だと思います。
違いますよ。この答弁書の作成者、安井正也さん、当時原子力政策課長、三月時点、十年前にこの部局の総括班長でした。知らないわけないですよ。これだけ審議会で議事録をやり、このような試算を出すと計画が通らない、再処理の計画が通らないからやめましょうという話合いを、議事録をお配りしておりますが、出しております。知っていたんじゃないですか。
答弁(国務大臣中川昭一君)
ですから、今年の三月の答弁作成者は、今、福島委員御指摘のように、十年前の審議会、いわゆるその資料を、資料というか、この問題に取り組んだ審議会のときの担当課の総括班長でございましたけれども、しかし、その後の省内での徹底的な調査を省を挙げてやったわけでございまして、三月における答弁作成者である担当課長にも何回も長時間にわたって、知らないのかと、どうだったんだというふうに聞きましたが、答弁作成責任者、担当課長は知らないということでございまして、またそれを覆すだけの、全部で二十五人ほど徹底的に関係の職員を調べましたけれども、まだそれを否定する状況にはないということで、結果的に、その担当課長は知らないということを我々としては受け入れたということでございます。
質問(福島みずほ)
信じられるでしょうか。十年前、担当課の総括班長であった。そして、再処理のコストは十九兆円、しない場合のコストはそれよりもはるかに安いというのが出ていて、答弁の作成をその人がして、そんなこと知らなかった、そんなことはあり得ません。
問題なのは、十年間、こういう議論を国会の中で、国民の皆さんの中で、地元で議論することを封殺をしてきた、そういうことです。このような計画は白紙にすべきではないですか。
ここで、中川大臣は、答弁者と答弁作成者は当時知らなかったと答えている。
しかし、これは明確におかしい。大臣は、はっきりと、2004年3月に「試算したものはございません。」と言う答弁を作成をした者は、この問題に取り組んだ時の審議会の担当課の総括班長だったと答えている。
自分が仕事を担当をしているのに、知らないなんて訳はない。また、当時の記録をひっくりかえせばすぐわかることだ。答弁を作成するときに、調べないわけはないし、また、調べる以前に自分が担当をしているのだから調べる必要もないことなのである。
どうしてこのようなことがまかり通るのだろうか。
結論ありきではないか。
経済産業省は、ここでまた2004年10月20日に虚偽答弁をしているのではないか。
ところで、2012年1月1日の毎日新聞の一面を見て、改めて驚いた。
「経済産業省の安井正也官房審議官が経産省資源エネルギー庁の原子力政策課長を務めていた04年4月、使用済み核燃料を再処理せずそのまま捨てる『直接処分』のコスト試算の隠蔽を部下に指示していたことが、関係者の証言やメモで分かった。全量再処理が国策だが、明らかになれば、直接処分が再処理より安価であることが判明し、政策変更を求める動きが加速したとみられる。」と。
予算委員会の議事録を示したが、このとき、中川大臣も認めているように、安井正也さんは、1998年の審議会の担当課の総括部長であり、しかもわたしが、3月に質問をしたときは、原子力政策課長であり、政府の答弁の作成者なのである。
知らないわけはない。
この記事によれば、担当課長は、4月に改めて隠蔽を指示していることになる。このことを前提に時系列を整理すると次のようになる(2012年1月1日付けの毎日新聞参照)。
1998年
審議会にコスト計算が出る。
2004年3月
「直接処理について、試算はあるか」とわたしが聞くが、「日本におきましては再処理をしない場合のコストというのを試算したものはございません。」と虚偽答弁
2004年4月
メモを隠すよう指示
2004年5月
経産省の諮問機関「総合資源エネルギー調査会・電気事業分科会」で、複数の委員から直接処分のコスト計算を求める意見が出るが、原子力政策課は委員たちに試算の存在を伝えない
2004年6月
分科会は、約19兆円を電気料金に上乗せする新制度の導入案をまとめる
2004年10月20日
国会で、質問するが、大臣は、3月の答弁が虚偽答弁であったことは認めるが、課長は知らなかったと答弁
このとき、再処理をさせないように政策転換をできなかったことはかえすがえす残念である。
これから、核燃料サイクルの廃止を多くの人たちと実現をしていく。
そして、虚偽答弁をし、嘘をついてまで強行していった経済産業省のなかの推進派の人たちは、本当に問題である。
第7 被曝について
1.しなくてもいい被曝をしている
東電福島原発事故が起きて、放射性物質が空に、海に、大地にまきちらされた。
多くの人が事故のとき、その後、そして、これからも被曝をし続けるのである。
遠くの人たちも食べ物を食べるという形で、内部被曝をしていく可能性がある。
被曝はどこからだったらしてもいいということではないだろう。できるだけ被曝はしないほうがいいのであり、事故のおかげで、みんな被曝をしていく。
「どこからだったら大丈夫」ということは実は存在しないと思っている。被曝をしないですむのであれば、できるだけ被曝を少なくするように力を尽くすしかない。とりわけ子どもたち、未来のいのちに対して、今、生きている大人たちは責任がある。
2.1mSvについて
3月11日前に、文部科学省が、小学生・中学生に対して出している副読本はひどいものである。小学生の副読本は「わくわく原子力ランド」、中学生の副読本は「チャレンジ!原子力ワールド」であり、原発の安全性が強調され、原発がかかえる問題点は書かれていない。
その後、3月11日後に、放射能についての副読本が出された。
小学生用は、「放射線について考えてみよう」、中学生用は「知ることから始めよう放射線のいろいろ」、高校生用は「知っておきたい放射線のこと」、そしてそれぞれそれを教える先生用のガイドブックがある。
3月11日以降に作った放射能についての副読本なのであるから、しっかり原発の問題点や被曝の規制などを教えるものであるべきだと思うがそうなっていない。
子どもたちへの副読本に全く記載をされていない非常に重要なことがある。
それは、日本では、放射線量の規制の基準が1mSvであるということである。これをまず、真っ先に教えるべきではないか。1mSvの基準は変わっていない。
このことについては、先生の教えるための教材用の解説のなかには書いてある。ではなぜ子どもたちの副読本には、図ではあるものの文章ではっきりわかるように書いてないのか。
基準は1mSvなのだということを子どもたちにしっかり教えるべきである。
だからこそ、今回の東電福島原発事故によって引き起こされた放射線量が高いと言えるのである。
3月11日前の副読本は、ひどすぎる。
原発安全神話を子どもたちに教えこむものではないか。わたしは、いのちを軽視していると思う。
しかし、すさまじい事故を経験し、今も被曝が続いているなかで、1mSvという基準をなぜしっかり書かないのか。わたしは、いのちを軽視していることは、変わっていないと考える。
この放射能を教える副読本は、根本的に見直す必要がある。
宮城県に行ったときに、多くの女性たちと話をした。すると、そこで、「100mSv以下であれば、健康に影響はありません」と講演をしている学者がいるとの話を聞いた。福島でも宮城でも、話を聞いた。
誤解を与える説明である。
このような説明は、即座にやめるべきではないか。
3.福島県の学校現場における20mSv問題について
学校現場において1mSvから20mSvという基準を政府が4月19日に出したことは、大きな批判を浴びた。
政府がこのような基準を出すのではないかということで、その前にも厚生労働委員会で質問をしたが、4月19日に出てしまう。
そして、その後、20mSvでいいのだということが一人歩きをしてしまう。
この20mSvというのは、とても高い値である。
労働衛生法での管理区域設定基準は1・3mSv、放射性同位元素等による放射線障害防止に関する法律による管理区域設定は1・3mSvである。
当時、1・3mSvをはるかに超えるところが多かった.市民団体の調査で、75・9%の学校で管理区域基準1・3mSvを超える放射線を観測、20・4%の学校等では個別被曝管理が必要となり得る放射線を観測。
結局、1mSvの基準ではやれなくなったので、基準の方を上げることにしたのである。これは本末転倒ではないか。子どもたちが学校で勉強しても大丈夫ですというために、基準をあげるのだから、子どもたちの命を優先して考えているとは思えない。
政府が20mSvという基準を出さないように、4月19日の厚生労働委員会に、原子力安全委員会の委員に来てもらいそのことについて、議論をする。
子どもは大人と違う配慮が必要ではないかという質問に対してである。
原子力安全委員の久住静代委員の答弁は次のとおりである。
「国際的に当てはまりますルールとしては日常的には1mSv以下でございますが、こういう状況を現存被曝状況と私どもは放射線防護で申しますけど、その場合にはこれは1から20mSvの範囲を適用していくというルールかと思います。ただ。じゃ年間20でいいということではなくて、そのうちでできるだけ低く被曝線量を下げていくということは当然のことでございますので、そのようなルールの中で、先ほど申しました子供に対して血の通った適切な対応をしていくということかと思います。」
この直後に、原子力安全委員会は、1から20mSvという基準を出してしまう。このとき、議事録は作成をされていない。
きちんとした召集手続きを経ていないし、議事録を出して欲しいと言ったら、後に簡単なメモが出てきた。
なぜこのような結論になったのか。
このように大事なことを簡単に決めたのはおかしいと原子力安全委員会の事務局に言ったら、事務局は、原子力安全委員会の事務局のところに、文部科学省の事務局が来て、何度か打ち合わせをしていったと答えた。ということは、文部科学省のイニシアティブで進められたのだろうか。
わたしは、そう思っていたが、厚生労働委員会で、6月7日、鈴木寛文部科学副大臣にこのことを質問をすると違うニュアンスが返ってきた。
一体誰がこれを決めたのか。
2011年6月7日の参議院厚生労働委員会の議事録から引用する。
質問(福島みずほ)
この二十ミリシーベルトについては、原子力安全委員会でも厚労省でもなく文部科学省が指導をしてきました。これを、二十ミリシーベルトを引き出して動いたのは文科省です。
一ミリシーベルト以下を目指すとしてくださったことについては、ちょっと質問をしますが、私は、やっぱり二十ミリシーベルトというのを出した文科省の責任はあると思っているんです。二十ミリシーベルトでいいとは言っていない、それは繰り返し国会でも答弁されました。一から二十となっています。二十でよしとはしていない。しかし、二十ミリシーベルトという数字を出したためにそれで二十ミリシーベルトよしとなったんですよ。二十ミリシーベルトが独り歩きをした、この責任はどうなるんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
文部科学省は、今のことを引き出したという事実はございません。原子力災害対策本部において発案をされ、そして原子力安全委員会に助言を求められお決めになったことを文部科学省と厚生労働省が通知をせよという御指示がございましたので、私どもはその担当部局に対して通知をさせていただいたと、こういうことでございます。
質問(福島みずほ)
原子力安全委員会に随分ヒアリングをしました。文科省と何度も何度も、専門的助言をする前に文部科学省の事務方と原子力安全委員会の事務方で何度も話をしているじゃないですか。明らかに文科省が主導していますよ。
答弁(副大臣鈴木寛君)
これは全て原子力災害対策本部の指示を受けてやったものでありまして、主導はしたという事実はございません。
質問(福島みずほ)
じゃ、やっぱり聞きたいですね。二十ミリシーベルトというのを引き出した張本人は誰なんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
原子力災害対策本部の責任において、その指示に基づいて各省の関係職員がそれぞれの職務を履行したと、こういうことでございます。
質問(福島みずほ)
文部科学省と原子力安全委員会はずっとこの件で協議をしているんですよ。文科省は、子供たちの命を守るんだったら二十ミリシーベルトなんて出すのは論外だと頑張るべきじゃないですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
文部科学省の職員が単独で独断で原子力安全委員会と折衝したという事実はございません。全て原子力災害対策本部の指示の下に行っております。
質問(福島みずほ)
対策本部の誰が具体的に指示したんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
最終的な責任は本部長において行われております。
質問(福島みずほ)
文部科学省の中において二十ミリシーベルトについてはどのような議論があったんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
これは原子力災害対策本部が安全委員会と御判断をされて、そして官邸の中にも専門家のアドバイザリーグループがあって、そこでの御議論を受けて、そして安全委員会の御議論を受けて決まったことであります。
もちろん、原子力災害対策本部の一員に文部科学大臣が入っていると、これは関係大臣全て入っているわけでございますが、そのことは事実でございます。
ただ、これはICRPの勧告というものを、そこに何か付け加えることも、あるいはそこから何か引くこともなく、その勧告に淡々と従っているということで我々は理解をいたしたところでございます。
質問(福島みずほ)
文科省は子供たちの命を守ってほしいんですよ。だからこの問題をずっと取り上げてきました。先日、一ミリシーベルトを目指すということなんですが、一ミリシーベルトを目指すための文科省が今具体的にやっていらっしゃる行動について教えてください。
答弁(副大臣鈴木寛君)
文部科学省はもとより子供たちの心と体とその発達について最大限の努力をこれまでもいたしてまいりましたし、これからもいたしてまいるということに何ら変わりはございません。
ただ、そのときに、是非御理解をいただきたいのは、これは国連科学委員会の勧告にもございますけれども、被曝者として扱われたという体験が精神的な影響を与えると。そして、例えばチェルノブイリの報告でありますと、そのことによって数百万人の方が結局自立できない、意欲がなくなって自立できないというような報告も出ているということも御理解をいただきたいと思います。
もちろん、一番の大前提として、受ける線量を下げていくということは当然の原理原則であるということも我々は明記をさせていただいております。
そういう中で、五月二十七日に、福島県内における児童生徒等が学校において受ける線量低減に向けた当面の対応についてお示しをいたし、そしてこの学校において受ける線量については一ミリシーベルト以下を目指すという、こういう方針を出させていただきました。
このことを実現すべく、まず福島県内の全ての小中学校等に対して携帯できる積算線量計を配布し、これにより児童生徒等の受ける実際の積算線量のモニタリングを実施をいたしました。これまで五十五校については行っておりましたけれども、全ての小中学校において行えるようにいたしたところでございます。そして、それを原子力安全委員会に報告をすると、こういうことにしております。それから、空間線量が毎時一マイクロシーベルト以上の学校を対象として、校庭等の土壌に関して線量を低減する取組に対し、市町村の教育委員会等と学校の設置者の希望に応じて財政的支援を行うことといたしました。つまりは、ほぼ全額を国が負担するということでございます。こうした対策を行っております。
引き続き、全校に配布いたしました携帯積算線量計の数字がこれから上がってまいりますので、そうしたことを踏まえて更なる検討を引き続きしてまいりたいというふうに考えております。
この中間報告のなかに、「文部科学省は、20mSv/年という値を設定するに当たり、福島県放射線健康リスクアドバイザーが100mSvまでの被ばくであれば健康に影響はないと説明していたことから、政府があまりに低い基準値を示すと、現地を混乱させる可能性があることも参考とした」という記述がある。
誰が主導して決めたのかと思うが、福島県の学校再開の基準について、福島県が現地対策本部に要望し、これを受けた文部科学省が検討を開始し、安全委員会も意見を出し、関わったどの機関も20mSvはおかしいとしなかったことが問題ではないか。
また、そもそもこの基準が福島県の学校再開の基準のために作られたものであり、高くなってしまっている放射線量にあわせて、1mSvの基準を上げて、20mSvとしたと考えられるのではないか。
初めから、子どもたちのために、1mSvにすることをめざすとするのではなく、学校再開のために基準を変えてしまったことが問題である。
同じことは、労働者の被曝の限度についても、埋めてもいい汚泥のべクレルの基準についても、3月11日以降変わってしまうのである。
とにかくいのちを守るというのではなく、現実に合わせて、基準を変えており、そこでは明確にいのちが軽視されている。
これは、実は、避難の範囲についても同様である。
早く20キロから30キロの自宅退避を避難に切りかえるべきだと何度も何度も要請したが、難しい、困難であるということであった。
この20mSv問題は、福島をはじめ多くの人たちの子どもたちの命を軽視しておかしいという怒りを引き起こした。当然である。
議員会館のなかで、何度も何度も行政交渉が行なわれた。矢面に立っていたのは、文部科学省の職員である。
わたしが忘れられないのは、5月23日に、文部科学省の庭で開かれた政府交渉である。政務3役は仕事があるということで出てこなかった。
福島から、おかあさん、おとうさんたちが、バスに乗って多数やってきていた。庭が一杯になっていた。
俳優の山本太郎さんが、「子どもの命を守れ」といったことを大きな声で言っていた。
子どもを連れた女性が切々と訴える。
このときのポイントは、主に、2つ。
1mSvに戻せということ。
除染の費用はそれまで、全部自治体の負担だった。だから、経済力のある自治体はやれても経済力のない自治体はやれない。自治体で大きな格差が生じていた。だから、除染の費用を国が持つべきだ、というものだった。
このときの交渉で、役人は必ず政務3役に伝えるということを確認した。
後日、伝えたかどうか確認をすると、きちんと伝えたという回答。それなら、今度は、大臣たちに会って、このことを進めたい。
高木文部科学大臣は、「福島さんと2人なら会ってもいい」ということだったので、5月26日に大臣室でお会いをする。大臣は、長崎出身。長崎の被曝の話にもなった.前述した2つのポイントについては、大臣は、基本的に了承をしてくれた。
次の日の5月27日、文部科学省は、児童生徒が学校において受ける1線量低減に向けた当面の対応を発表。
1mSv以下をめざすということと国の費用で除染するということを盛りこんだ。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワークやFoEやふくろうの会やいろんな人たちと話をする。不充分な点はあるが、一歩前進という意見が多かった。良かった。
浜岡原発停止もそうだが、実に多くの人たちの多くの熱い熱意と行動が、政府を動かし、政治を動かしていることを実感できた。
あれだけの人たちが、文部科学省に来て、また、それまでの多くの行政交渉や集会がやっぱり変えたのだと思う。
問題がこれで解決したわけではもちろんない。
(以下、続きます)
被曝、そのなかで働く人たちの被曝や労働条件の問題は、今でも続いている重要な問題である。
労働者被曝については、「原発ジプシー」(堀江邦夫著)という本もあれば、樋口健二さんの写真集、藤田祐幸さんの嶋橋さんの労災についての本もある。
多くの取り組みがなされ、それぞれ労災認定を応援する運動もあった。
3月11日後も多くの団体が、何度も何度も行政交渉を続けている。
また、原発で働く労働者ばかりでなく、20キロ、30キロ内で働く公務員のみなさんの被曝の可能性も重要な問題で、社民党として、申し入れなどを行なってきた。現在、汚泥処理やがれきの処理、除染にあたる人たちの被曝の問題、港湾などで働く労働者の被曝の問題などたくさんの問題がある。
ここでは、とりあげてきたことであまり知られていないことなどに絞って書いていく。
1.3月11日以降、週刊現代などをはじめとして、週刊誌、新聞、インターネットなどで、原発で働く人たちの被曝、労働条件、食事、待遇、騙されて原発で働かされたことなど、様々な報道がなされた。
食事の改善などを厚生労働委員会で質問をした。
ところで、新聞に、働いていた人たちで、たどれない人たち、行方不明の人たちがいるということが報道をされた。
なぜそうなるのか。
原発で働く人たちについて、電力会社も厚生労働省もそもそも把握をしてこなかったのである。
下請け会社に振り、そこで集められた人たちが働くのであって、そもそも電力会社は、直接把握をしていないのである。だから、今回の福島原発事故の直後からも東京電力、厚生労働省は直接把握をしていないのである。
このことについて、2012年7月14日、厚生労働委員会でわたしが、質問をしたときに、当時の厚生労働副大臣小宮山洋子さんが次のように答弁をしている。
「厚生労働省といたしましては、昨日までに原則3月、4月中の新規従事者全員の内部被曝測定を終了するように指示をしました。132人の連絡先不明者が判明をしたということは大変遺憾に思っています。」
「なぜこういうことが起きていたかといいますと、以前は紙台帳に事業場名と名前だけを書かせていたんですね。ただ、その後、それでは駄目だということで免許証などでちゃんとチェックをした作業員証、裏にバーコードも付けたものに、発電所内は4月半ばに、Jヴィレッジでも6月8日にしていますので、それ以前のところはどうしてもこういうものが、その管理がきちんとなっていなかったために出てしまっている、そこも徹底的に調査をするようにというふうに言っておりますし、今後そういうことが出ないような対応も今取らせているということです。」
結局、今まで一人ひとりをチェックするということにしていなかったために、今回も行方不明の人たちが出てきてしまっているのである。
2.放射線量のチェック
働いている人にとって、毎日毎日自分がどれだけ被曝をしているか知り、チェックし、また、累積してどれだけ被曝をしているかを自分でわかっている必要がある。
日々の労働にまぎれていると、自分できちんと記録をしようとならなくなってしまう。きちんと記録を本人に渡し、また、積算のデータも本人に示すべきなのである。
今までは、放射線管理手帳は、たとえばある発電所を辞めて、次の発電所で働くときに、働く人に交付をされるというものであった。これはおかしい。
妊娠したときに、自治体から交付される母子手帳は、その母子手帳を母親が手元に置いて、自分や子どもの体重や変化を書き込んでいくもので、自分と子どもにとって、貴重な記録となるものである。
どうだったっけと思えば見ることができるし、身長や体重などつい忘れてしまうことも記録として残り、変化が良くわかる。
手帳は本人のものであり、放射線管理手帳も実は本人がもって、確かめ、記録として本人が持っておくべきものではないか。
そのことに取り組んだ。
そのことについて、7月14日の厚生労働委員会で、当時の副大臣である小宮山洋子さんは、わたしの質問に対して、次のように答えている。
「これまでも累積の線量については放射線管理手帳というのがあるわけですね。ただ、委員がおっしゃるように、確かにそこで働いている人たちが日々ちゃんと自分の被曝線量が分かるようにすることは必要だと思っていますので、先日もお答えしたように、紙によって日々通知をするようにいうことで、これは東電も準備を進めていますが、レシートみたいな形なんですけれども、それは出すようにはしていまして、あと、1月ごとぐらいには文書でそれをまた出すようにというふうにも指導しているところです。その放射線管理手帳との関係も含めて、どのような形がいいかは更に検討したいと思います。」
現在どのようになっているかについて、再度確認をしてみる。
また、データベースがどうなっているのか、他の原発ではどうなっているのか確認し、また、報告をします。
3.下請
2004年8月9日、福井県美浜原発3号機で、配管が破裂し、熱湯が噴出して、作業をしていた5人が死亡、6人が重火傷を負うという惨事があった。わたしは、その現場検証の最中に、社民党の視察団として、現場にはいった。そのとき、死傷された人たちは、下請けの人たちであった。
厚生労働委員会で、6月16日に質問をした。
質問(福島みずほ)
今日、改めてお聞きをします。雇用形態、例えば一番多くて何次、下請があったんでしょうか。
答弁(平野良雄さん)
厚労省では、現在、福島第一原発の方で、いわゆる協力会社というのが22社ございまして、その下にいわゆる下請というものがあるわけでございます。
その実態につきまして、5月26日から6月15日にかけまして実態の聴取、把握をいたしました。その結果、一番多いところで、下請の次数につきましては4次というふうに把握をいたしております。
質問(福島みずほ)
日給はどういうものでしょうか。
答弁(平野良雄君)
日給につきましては把握してございません。
質問(福島みずほ)
1度弁当ぐらい入れたらどうかと言ったら、1週間に何回か、毎日ではないが弁当が入るようになったようですが、でも相変わらず食事はレトルトが圧倒的に多いですし、是非、日給の把握、労働条件について、厚労省、労働局が身を乗り出して実態調査をされるよう強く申し上げます。
しかし、全労働者の労働条件の把握ということは実現をしていない。
第6 核燃料サイクルについて
1.核燃料サイクルの危険性
核燃料サイクルとは、ウラン採掘に始まり、ウラン濃縮、ウラン燃料の製造加工、原子力発電、使用済み燃料の再処理、高速増殖炉による発電、これらのサイクルから発生する低・高レベルの放射性廃棄物の処理・処分の連鎖を言う。核燃料サイクル施設とは、これらのうち、原子力発電以外の事業を行なう施設のことである。
再処理技術は使用済み燃料を溶解して液体状にした上で、プルトニウムとウランを分離して、プルトニウムを取りだす技術である。
世界で、重大事故が続出している。
そもそも核燃料の燃料ペレットに閉じ込められていた放射性物質を溶解する作業を伴うため、事故によって放射性物質の放出が始まると、甚大な被害となってしまう。
また、事故が起きなくても、環境への放射性物質の放出は原発よりもはるかに多く、問題のあるものである。
2012年1月5日付けの東京新聞は、今まで核燃料サイクルに10兆円の費用が投じてきたと論じている。これほど莫大な費用を投じながら、頓挫をしている。諸外国がとっくの昔に、放棄をしているこの再処理をまだ、日本がやろうとしていることは、全く理解ができない。機構のなかに、再処理のための費用が、現在、3兆円近く積んである。これからもドブにお金を捨てるように、再処理に費用を投ずるのか。全くの無駄であり、危険である。この3兆円こそ、国民のために、有効活用をすべきである。
使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取りだし、このプルトニウムを高速増殖炉で使うという計画は、そもそも高速増殖炉が頓挫し、できないために、全く意味のないものとなっている。高速増殖炉もんじゅはナトリウム火災事故を起こし、14年間停止し、ようやく動かしたと思ったら、今度は、炉内中継装置を撤去しようとして、この装置が原子炉内に落下をしてしまった。落下した装置をようやく引き上げたが、ナトリウムを使っているために,原子炉内がどうなっているのか、目視できず、どうなっているのかわからないのである。それでも一日5500万円を使っているのが、高速増殖炉もんじゅである。このもんじゅは、2003年1月27日に名古屋高裁判所金沢支部は、もんじゅの原子炉設置許可処分は無効であるとする住民原告勝訴の画期的な判決を出しているほどである。
この判決は、不当にも最高裁が変更をするが。
高速増殖炉もんじゅは、廃止し、廃炉にするしかない状況である。動かすことは、危険であり、成功しないもののために、多額の税金を投入していくことは、無駄であり、愚かなことである。
もんじゅの話が長くなったが、高速増殖炉もんじゅが廃止になるということは、再処理をやる意味がないということである。プルトニウムを取りだして、もんじゅで使うということがなくなるからである。
2.再処理のコスト
わたしは、2004年3月17日、参院の予算委員会で、再処理事業のコストと直接処理、つまり再処理をしない場合のコストについて質問をしている。
再処理の費用は、六ヶ所だけで、19兆円である。当時の税収は50兆円くらいだった。税収に比べてもあまりにあまりに、あまりに多額。1ヶ所の1つのプロジェクトに19兆円も使うのは経済合理性から言って全くおかしい。
再処理をしないで、直接処分をすれば、コストはかなり安くなる。
では、再処理をしない場合のコストは、いくらか。
日本の役所であれば、コスト計算をしているはずだと思ったが、聞いても数字が出てこない。単純に処理する場合のコストも計算をしているという噂が広がっていたが、役所に聞いても、うまく数字が出てこない。何か変。どこか変。とても変。計算をしているのか、してないのか。しているはずだ。そこで、このことについて質問をすることにした。
質問(福島みずほ)
私が質問しているのは、安全性の問題もさることながら、コストが余りに大きい。19兆円というのは、それは日本の経済にとっても大きな痛みとなってしまうんではないか。
では、お聞きします。再処理をしない場合のコストは幾らでしょうか。
政府参考人(日下一正資源エネルギー庁長官)
私どものところ、日本におきましては再処理をしない場合のコストというのを試算したものはございません。
これは、昨年10月に閣議決定されましたエネルギー基本計画におきましても、核燃料サイクル政策を推進することを国の基本的な考え方としていることも受けているわけでございます。しかしながら、一定の条件の下での計算でございますから、必ずしも我が国に直接あてはめることはできませんが、OECDのレポートにおきまして、再処理をする場合の方が再処理をしない場合 と比較して約1割程度費用が高く掛かるという試算もなされていると承知しております。
質問(福島みずほ)
国がある政策を取るときには、その道に突き進むのか、やめるのかというコスト計算をきちっとすべきです。コスト計算をされていないということについて、つまり、この19兆円が果たして必要なものか、そうでないのかについて、あるいは他の道のコストが幾らなのか計算をされていないと。日本ではこれからもこのコスト計算はされないのでしょうか。
実は、政府は、直接処分をした場合、再処理のコストの約4分の1であるということを1998年に計算をしていたのである。
その報告書をわたしは、後に見で、本当に驚いた。
しっかり計算し、しっかり報告し、その上で、こんなものを見せたら、反対の声が強くなるとして、表に出さないことにしているのである。完全な隠蔽である。その審議会には、電力会社も参加をしている。再処理が高くつくから、国民で負担をなんて言えないはずなのである。高くつくことは、電力会社も百も承知だったからである。
知らされなかったのは、国民と国会である。
この答弁は、だから明確な虚偽答弁である。
「原発社会からの離脱-自然エネルギーと共同体自治に向けて」(宮台真司、飯田哲也著 講談社現代新書)ではこのときのことが記載をされている。部分的に引用をする。
<飯田哲也さん>
「当時の経済産業省の村田さんなどは、経済合理派で、六ヶ所再処理工場を当時止めようとした。
その状況で、東電企画部が経産省に「六ヶ所をなんとかしたい、このままでは東電の経営が危ない」と相談をしたところ、原子力課長が全部はねつけて、退路を断ってしまったのです。
福島瑞穂さんの国会で「再処理と直接処分の経済性を比較したことがあるのか」と質問して、当時の日下一正資源エネルギー庁長官が「いままでは検討したことがありません。これから検討します。」と答弁をした。実は日下さんの後ろのキャビネットには、直接処分のほうが安くつく報告書があったのです。明らかに虚偽答弁です。」
この虚偽答弁は、問題になるもののその後、経済産業省内の経済合理派、再処理をすべきではないという人たちの方が弾圧をされていく。
この問題について、わたしは、2004年10月20日に改めて質問をしている(参議院予算委員会)。
質問(福島みずほ)
まず、核燃料サイクルのコストについてお聞きをいたします。
この予算委員会で、三月十七日、再処理のコストは十九兆円、しない場合のコストの試算はあるかと質問しました。そのような試算はありません、これが答弁でした。しかし、それは虚偽、間違っていました。これだけ資料が出てきて、十年前に通産省の審議会で議論し、このような試算は出さないようにしましょうと十年間隠ぺい、封印をしてきました。
この点について、大臣、謝罪をお願いいたします。
答弁(国務大臣中川昭一君)
委員御指摘のとおり、本年三月十七日の福島委員の御質問に対して、当時のエネ庁長官がそういう資料はございませんという答弁をいたしました。その後、あの新聞等にも出ましたので調べたところ、答弁者で、答弁者並びに答弁作成者は、その時点でそういう平成六年の審議会の資料があるということを知らなかった。知らなかったからなかったというふうに作成し、そして答弁をしたわけでございますけれども、いずれにいたしましても、結果的に、福島委員のこの国会の正式の場における御質問に対して結果的に間違った答弁をしたということで、この場をおかりをして、福島委員、また原子力というのは国民の理解と信頼に基づくわけでございますから、そういう意味で国民の皆様におわびをし、と同時に、その両名並びにもう一名を七月付けで私から訓告並びに厳重注意、そしてその後、更に精査をいたしまして十人に、十人に対しまして私から厳重注意を八月に行ったところでございます。
質問(福島みずほ)
この予算委員会で虚偽の答弁がされたことは重大だと思います。
違いますよ。この答弁書の作成者、安井正也さん、当時原子力政策課長、三月時点、十年前にこの部局の総括班長でした。知らないわけないですよ。これだけ審議会で議事録をやり、このような試算を出すと計画が通らない、再処理の計画が通らないからやめましょうという話合いを、議事録をお配りしておりますが、出しております。知っていたんじゃないですか。
答弁(国務大臣中川昭一君)
ですから、今年の三月の答弁作成者は、今、福島委員御指摘のように、十年前の審議会、いわゆるその資料を、資料というか、この問題に取り組んだ審議会のときの担当課の総括班長でございましたけれども、しかし、その後の省内での徹底的な調査を省を挙げてやったわけでございまして、三月における答弁作成者である担当課長にも何回も長時間にわたって、知らないのかと、どうだったんだというふうに聞きましたが、答弁作成責任者、担当課長は知らないということでございまして、またそれを覆すだけの、全部で二十五人ほど徹底的に関係の職員を調べましたけれども、まだそれを否定する状況にはないということで、結果的に、その担当課長は知らないということを我々としては受け入れたということでございます。
質問(福島みずほ)
信じられるでしょうか。十年前、担当課の総括班長であった。そして、再処理のコストは十九兆円、しない場合のコストはそれよりもはるかに安いというのが出ていて、答弁の作成をその人がして、そんなこと知らなかった、そんなことはあり得ません。
問題なのは、十年間、こういう議論を国会の中で、国民の皆さんの中で、地元で議論することを封殺をしてきた、そういうことです。このような計画は白紙にすべきではないですか。
ここで、中川大臣は、答弁者と答弁作成者は当時知らなかったと答えている。
しかし、これは明確におかしい。大臣は、はっきりと、2004年3月に「試算したものはございません。」と言う答弁を作成をした者は、この問題に取り組んだ時の審議会の担当課の総括班長だったと答えている。
自分が仕事を担当をしているのに、知らないなんて訳はない。また、当時の記録をひっくりかえせばすぐわかることだ。答弁を作成するときに、調べないわけはないし、また、調べる以前に自分が担当をしているのだから調べる必要もないことなのである。
どうしてこのようなことがまかり通るのだろうか。
結論ありきではないか。
経済産業省は、ここでまた2004年10月20日に虚偽答弁をしているのではないか。
ところで、2012年1月1日の毎日新聞の一面を見て、改めて驚いた。
「経済産業省の安井正也官房審議官が経産省資源エネルギー庁の原子力政策課長を務めていた04年4月、使用済み核燃料を再処理せずそのまま捨てる『直接処分』のコスト試算の隠蔽を部下に指示していたことが、関係者の証言やメモで分かった。全量再処理が国策だが、明らかになれば、直接処分が再処理より安価であることが判明し、政策変更を求める動きが加速したとみられる。」と。
予算委員会の議事録を示したが、このとき、中川大臣も認めているように、安井正也さんは、1998年の審議会の担当課の総括部長であり、しかもわたしが、3月に質問をしたときは、原子力政策課長であり、政府の答弁の作成者なのである。
知らないわけはない。
この記事によれば、担当課長は、4月に改めて隠蔽を指示していることになる。このことを前提に時系列を整理すると次のようになる(2012年1月1日付けの毎日新聞参照)。
1998年
審議会にコスト計算が出る。
2004年3月
「直接処理について、試算はあるか」とわたしが聞くが、「日本におきましては再処理をしない場合のコストというのを試算したものはございません。」と虚偽答弁
2004年4月
メモを隠すよう指示
2004年5月
経産省の諮問機関「総合資源エネルギー調査会・電気事業分科会」で、複数の委員から直接処分のコスト計算を求める意見が出るが、原子力政策課は委員たちに試算の存在を伝えない
2004年6月
分科会は、約19兆円を電気料金に上乗せする新制度の導入案をまとめる
2004年10月20日
国会で、質問するが、大臣は、3月の答弁が虚偽答弁であったことは認めるが、課長は知らなかったと答弁
このとき、再処理をさせないように政策転換をできなかったことはかえすがえす残念である。
これから、核燃料サイクルの廃止を多くの人たちと実現をしていく。
そして、虚偽答弁をし、嘘をついてまで強行していった経済産業省のなかの推進派の人たちは、本当に問題である。
第7 被曝について
1.しなくてもいい被曝をしている
東電福島原発事故が起きて、放射性物質が空に、海に、大地にまきちらされた。
多くの人が事故のとき、その後、そして、これからも被曝をし続けるのである。
遠くの人たちも食べ物を食べるという形で、内部被曝をしていく可能性がある。
被曝はどこからだったらしてもいいということではないだろう。できるだけ被曝はしないほうがいいのであり、事故のおかげで、みんな被曝をしていく。
「どこからだったら大丈夫」ということは実は存在しないと思っている。被曝をしないですむのであれば、できるだけ被曝を少なくするように力を尽くすしかない。とりわけ子どもたち、未来のいのちに対して、今、生きている大人たちは責任がある。
2.1mSvについて
3月11日前に、文部科学省が、小学生・中学生に対して出している副読本はひどいものである。小学生の副読本は「わくわく原子力ランド」、中学生の副読本は「チャレンジ!原子力ワールド」であり、原発の安全性が強調され、原発がかかえる問題点は書かれていない。
その後、3月11日後に、放射能についての副読本が出された。
小学生用は、「放射線について考えてみよう」、中学生用は「知ることから始めよう放射線のいろいろ」、高校生用は「知っておきたい放射線のこと」、そしてそれぞれそれを教える先生用のガイドブックがある。
3月11日以降に作った放射能についての副読本なのであるから、しっかり原発の問題点や被曝の規制などを教えるものであるべきだと思うがそうなっていない。
子どもたちへの副読本に全く記載をされていない非常に重要なことがある。
それは、日本では、放射線量の規制の基準が1mSvであるということである。これをまず、真っ先に教えるべきではないか。1mSvの基準は変わっていない。
このことについては、先生の教えるための教材用の解説のなかには書いてある。ではなぜ子どもたちの副読本には、図ではあるものの文章ではっきりわかるように書いてないのか。
基準は1mSvなのだということを子どもたちにしっかり教えるべきである。
だからこそ、今回の東電福島原発事故によって引き起こされた放射線量が高いと言えるのである。
3月11日前の副読本は、ひどすぎる。
原発安全神話を子どもたちに教えこむものではないか。わたしは、いのちを軽視していると思う。
しかし、すさまじい事故を経験し、今も被曝が続いているなかで、1mSvという基準をなぜしっかり書かないのか。わたしは、いのちを軽視していることは、変わっていないと考える。
この放射能を教える副読本は、根本的に見直す必要がある。
宮城県に行ったときに、多くの女性たちと話をした。すると、そこで、「100mSv以下であれば、健康に影響はありません」と講演をしている学者がいるとの話を聞いた。福島でも宮城でも、話を聞いた。
誤解を与える説明である。
このような説明は、即座にやめるべきではないか。
3.福島県の学校現場における20mSv問題について
学校現場において1mSvから20mSvという基準を政府が4月19日に出したことは、大きな批判を浴びた。
政府がこのような基準を出すのではないかということで、その前にも厚生労働委員会で質問をしたが、4月19日に出てしまう。
そして、その後、20mSvでいいのだということが一人歩きをしてしまう。
この20mSvというのは、とても高い値である。
労働衛生法での管理区域設定基準は1・3mSv、放射性同位元素等による放射線障害防止に関する法律による管理区域設定は1・3mSvである。
当時、1・3mSvをはるかに超えるところが多かった.市民団体の調査で、75・9%の学校で管理区域基準1・3mSvを超える放射線を観測、20・4%の学校等では個別被曝管理が必要となり得る放射線を観測。
結局、1mSvの基準ではやれなくなったので、基準の方を上げることにしたのである。これは本末転倒ではないか。子どもたちが学校で勉強しても大丈夫ですというために、基準をあげるのだから、子どもたちの命を優先して考えているとは思えない。
政府が20mSvという基準を出さないように、4月19日の厚生労働委員会に、原子力安全委員会の委員に来てもらいそのことについて、議論をする。
子どもは大人と違う配慮が必要ではないかという質問に対してである。
原子力安全委員の久住静代委員の答弁は次のとおりである。
「国際的に当てはまりますルールとしては日常的には1mSv以下でございますが、こういう状況を現存被曝状況と私どもは放射線防護で申しますけど、その場合にはこれは1から20mSvの範囲を適用していくというルールかと思います。ただ。じゃ年間20でいいということではなくて、そのうちでできるだけ低く被曝線量を下げていくということは当然のことでございますので、そのようなルールの中で、先ほど申しました子供に対して血の通った適切な対応をしていくということかと思います。」
この直後に、原子力安全委員会は、1から20mSvという基準を出してしまう。このとき、議事録は作成をされていない。
きちんとした召集手続きを経ていないし、議事録を出して欲しいと言ったら、後に簡単なメモが出てきた。
なぜこのような結論になったのか。
このように大事なことを簡単に決めたのはおかしいと原子力安全委員会の事務局に言ったら、事務局は、原子力安全委員会の事務局のところに、文部科学省の事務局が来て、何度か打ち合わせをしていったと答えた。ということは、文部科学省のイニシアティブで進められたのだろうか。
わたしは、そう思っていたが、厚生労働委員会で、6月7日、鈴木寛文部科学副大臣にこのことを質問をすると違うニュアンスが返ってきた。
一体誰がこれを決めたのか。
2011年6月7日の参議院厚生労働委員会の議事録から引用する。
質問(福島みずほ)
この二十ミリシーベルトについては、原子力安全委員会でも厚労省でもなく文部科学省が指導をしてきました。これを、二十ミリシーベルトを引き出して動いたのは文科省です。
一ミリシーベルト以下を目指すとしてくださったことについては、ちょっと質問をしますが、私は、やっぱり二十ミリシーベルトというのを出した文科省の責任はあると思っているんです。二十ミリシーベルトでいいとは言っていない、それは繰り返し国会でも答弁されました。一から二十となっています。二十でよしとはしていない。しかし、二十ミリシーベルトという数字を出したためにそれで二十ミリシーベルトよしとなったんですよ。二十ミリシーベルトが独り歩きをした、この責任はどうなるんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
文部科学省は、今のことを引き出したという事実はございません。原子力災害対策本部において発案をされ、そして原子力安全委員会に助言を求められお決めになったことを文部科学省と厚生労働省が通知をせよという御指示がございましたので、私どもはその担当部局に対して通知をさせていただいたと、こういうことでございます。
質問(福島みずほ)
原子力安全委員会に随分ヒアリングをしました。文科省と何度も何度も、専門的助言をする前に文部科学省の事務方と原子力安全委員会の事務方で何度も話をしているじゃないですか。明らかに文科省が主導していますよ。
答弁(副大臣鈴木寛君)
これは全て原子力災害対策本部の指示を受けてやったものでありまして、主導はしたという事実はございません。
質問(福島みずほ)
じゃ、やっぱり聞きたいですね。二十ミリシーベルトというのを引き出した張本人は誰なんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
原子力災害対策本部の責任において、その指示に基づいて各省の関係職員がそれぞれの職務を履行したと、こういうことでございます。
質問(福島みずほ)
文部科学省と原子力安全委員会はずっとこの件で協議をしているんですよ。文科省は、子供たちの命を守るんだったら二十ミリシーベルトなんて出すのは論外だと頑張るべきじゃないですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
文部科学省の職員が単独で独断で原子力安全委員会と折衝したという事実はございません。全て原子力災害対策本部の指示の下に行っております。
質問(福島みずほ)
対策本部の誰が具体的に指示したんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
最終的な責任は本部長において行われております。
質問(福島みずほ)
文部科学省の中において二十ミリシーベルトについてはどのような議論があったんですか。
答弁(副大臣鈴木寛君)
これは原子力災害対策本部が安全委員会と御判断をされて、そして官邸の中にも専門家のアドバイザリーグループがあって、そこでの御議論を受けて、そして安全委員会の御議論を受けて決まったことであります。
もちろん、原子力災害対策本部の一員に文部科学大臣が入っていると、これは関係大臣全て入っているわけでございますが、そのことは事実でございます。
ただ、これはICRPの勧告というものを、そこに何か付け加えることも、あるいはそこから何か引くこともなく、その勧告に淡々と従っているということで我々は理解をいたしたところでございます。
質問(福島みずほ)
文科省は子供たちの命を守ってほしいんですよ。だからこの問題をずっと取り上げてきました。先日、一ミリシーベルトを目指すということなんですが、一ミリシーベルトを目指すための文科省が今具体的にやっていらっしゃる行動について教えてください。
答弁(副大臣鈴木寛君)
文部科学省はもとより子供たちの心と体とその発達について最大限の努力をこれまでもいたしてまいりましたし、これからもいたしてまいるということに何ら変わりはございません。
ただ、そのときに、是非御理解をいただきたいのは、これは国連科学委員会の勧告にもございますけれども、被曝者として扱われたという体験が精神的な影響を与えると。そして、例えばチェルノブイリの報告でありますと、そのことによって数百万人の方が結局自立できない、意欲がなくなって自立できないというような報告も出ているということも御理解をいただきたいと思います。
もちろん、一番の大前提として、受ける線量を下げていくということは当然の原理原則であるということも我々は明記をさせていただいております。
そういう中で、五月二十七日に、福島県内における児童生徒等が学校において受ける線量低減に向けた当面の対応についてお示しをいたし、そしてこの学校において受ける線量については一ミリシーベルト以下を目指すという、こういう方針を出させていただきました。
このことを実現すべく、まず福島県内の全ての小中学校等に対して携帯できる積算線量計を配布し、これにより児童生徒等の受ける実際の積算線量のモニタリングを実施をいたしました。これまで五十五校については行っておりましたけれども、全ての小中学校において行えるようにいたしたところでございます。そして、それを原子力安全委員会に報告をすると、こういうことにしております。それから、空間線量が毎時一マイクロシーベルト以上の学校を対象として、校庭等の土壌に関して線量を低減する取組に対し、市町村の教育委員会等と学校の設置者の希望に応じて財政的支援を行うことといたしました。つまりは、ほぼ全額を国が負担するということでございます。こうした対策を行っております。
引き続き、全校に配布いたしました携帯積算線量計の数字がこれから上がってまいりますので、そうしたことを踏まえて更なる検討を引き続きしてまいりたいというふうに考えております。
この中間報告のなかに、「文部科学省は、20mSv/年という値を設定するに当たり、福島県放射線健康リスクアドバイザーが100mSvまでの被ばくであれば健康に影響はないと説明していたことから、政府があまりに低い基準値を示すと、現地を混乱させる可能性があることも参考とした」という記述がある。
誰が主導して決めたのかと思うが、福島県の学校再開の基準について、福島県が現地対策本部に要望し、これを受けた文部科学省が検討を開始し、安全委員会も意見を出し、関わったどの機関も20mSvはおかしいとしなかったことが問題ではないか。
また、そもそもこの基準が福島県の学校再開の基準のために作られたものであり、高くなってしまっている放射線量にあわせて、1mSvの基準を上げて、20mSvとしたと考えられるのではないか。
初めから、子どもたちのために、1mSvにすることをめざすとするのではなく、学校再開のために基準を変えてしまったことが問題である。
同じことは、労働者の被曝の限度についても、埋めてもいい汚泥のべクレルの基準についても、3月11日以降変わってしまうのである。
とにかくいのちを守るというのではなく、現実に合わせて、基準を変えており、そこでは明確にいのちが軽視されている。
これは、実は、避難の範囲についても同様である。
早く20キロから30キロの自宅退避を避難に切りかえるべきだと何度も何度も要請したが、難しい、困難であるということであった。
この20mSv問題は、福島をはじめ多くの人たちの子どもたちの命を軽視しておかしいという怒りを引き起こした。当然である。
議員会館のなかで、何度も何度も行政交渉が行なわれた。矢面に立っていたのは、文部科学省の職員である。
わたしが忘れられないのは、5月23日に、文部科学省の庭で開かれた政府交渉である。政務3役は仕事があるということで出てこなかった。
福島から、おかあさん、おとうさんたちが、バスに乗って多数やってきていた。庭が一杯になっていた。
俳優の山本太郎さんが、「子どもの命を守れ」といったことを大きな声で言っていた。
子どもを連れた女性が切々と訴える。
このときのポイントは、主に、2つ。
1mSvに戻せということ。
除染の費用はそれまで、全部自治体の負担だった。だから、経済力のある自治体はやれても経済力のない自治体はやれない。自治体で大きな格差が生じていた。だから、除染の費用を国が持つべきだ、というものだった。
このときの交渉で、役人は必ず政務3役に伝えるということを確認した。
後日、伝えたかどうか確認をすると、きちんと伝えたという回答。それなら、今度は、大臣たちに会って、このことを進めたい。
高木文部科学大臣は、「福島さんと2人なら会ってもいい」ということだったので、5月26日に大臣室でお会いをする。大臣は、長崎出身。長崎の被曝の話にもなった.前述した2つのポイントについては、大臣は、基本的に了承をしてくれた。
次の日の5月27日、文部科学省は、児童生徒が学校において受ける1線量低減に向けた当面の対応を発表。
1mSv以下をめざすということと国の費用で除染するということを盛りこんだ。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワークやFoEやふくろうの会やいろんな人たちと話をする。不充分な点はあるが、一歩前進という意見が多かった。良かった。
浜岡原発停止もそうだが、実に多くの人たちの多くの熱い熱意と行動が、政府を動かし、政治を動かしていることを実感できた。
あれだけの人たちが、文部科学省に来て、また、それまでの多くの行政交渉や集会がやっぱり変えたのだと思う。
問題がこれで解決したわけではもちろんない。
(以下、続きます)
0 件のコメント:
コメントを投稿