米軍はほんとうのところ、「トモダチ作戦」でなにをしたのか

『人民の星』 5578号1面

トモダチ作戦でたかる米国 ポーズだけの支援

 東日本大地震が三月一一日午後二時四六分、発生した。津波が来襲して東北、北関東の沿岸部は壊滅状態になり、福島第一原発の冷却機能喪失という重大事故が発生した。この非常事態をうけ、米国防総省は、在日米軍と米太平洋艦隊に東日本近海への出動を命じた。アメリカ政府はこの作戦を「トモダチ作戦」と名づけた。この作戦名にはアメリカ政府の狙いがこめられている。米軍の救援活動は、マスメディアをつうじて宣伝された。米兵が救援物資の輸送やがれきの整理などの作業をしたことは事実である。しかし、しなかったこともあり、この作戦と関連してやられたこともある。米軍はほんとうのところ、「トモダチ作戦」でなにをしたのか検証してみた。

なにもせず帰る核専門部隊
 震災発生後、米軍の動きははやく、一三日には原子力空母ロナルド・レーガンと随伴するイージス艦など四隻が被災地の沖合に到着し、複数の艦載機ヘリコプターが支援物資の輸送を開始したと報じられた。また宮城県沖にも空母部隊とはべつに駆逐艦ジョン・S・マケインなど四隻が配置についた。
 三月二五日のアメリカ大使館の発表では、「トモダチ作戦」に動員された兵力は一万八二八二人(うち沖縄から海兵隊員が三〇〇〇人)、艦船は空母、強襲揚陸艦などをふくむ一九隻、航空機一四〇機となっている。作戦の総司令部を米軍横田基地におき米太平洋艦隊司令官ウォルシュが指揮をとった。また現地司令部を陸上自衛隊仙台駐屯地(東北方面総監部)におき、一〇人の米軍幹部を派遣している。陸自東北方面総監部は日本の救援物流の指揮所でもあり、米軍は「トモダチ作戦」の遂行と同時に自衛隊の支援物流も指揮下においた。このほか、米軍の物資輸送の拠点として民間空港である、山形空港と仙台空港を占拠し、準戦時体制をしいた。

トモダチに込めた狙い

 米軍はこの「日本支援」作戦を「トモダチ作戦」と命名した。在沖米海兵隊は、トモダチは日本政府が名づけたことを強調しているが、採用したのは米軍である。
 というのは、地震発生の直前まで、日本人民の反米感情はピークに達していた。米国務省日本部長のケビン・メアが「日本人は合意文化をゆすりの手段につかう」「沖縄の人はごまかしとゆすりの名人だ」と暴言をはいていたことが暴露され、更迭せざるをえなくなっていた。実際は、アメリカこそ「ゆすりとたかりの名人」なのであるが、アメリカ支配階級の本音を正直にのべたメア発言で、日米関係は悪化し、「思いやり予算」もどうなるかわからない情勢であった。だからこそ、アメリカ帝国主義は東日本大震災を絶好のチャンスととらえ、「トモダチ」を売りこむことによって、対日要求を実現しようとしたのであった。
 同時に、米軍の最大の関心事は、福島第一原発の行方だった。原発は核兵器製造の一工程を商用化したもので、軍事機密そのものであった。福島第一原発はアメリカのGE製であり、状況次第によっては人民の斗争が激化する可能性があった。福島原発を戒厳下におき、人民を抑圧することが必要であり、そのための部隊派遣でもあった。

放射能巡る米軍の動き
 一二日に、同原発1号機の原子炉建屋が水素爆発しており、炉心溶融が確実視されていた。早晩、他の原子炉もおなじような状況におちいる可能性が大であった。一三日に「トモダチ作戦」を公表したが、この日空母ロナルド・レーガンの艦載機が仙台市周辺で活動して被ばくした。三機のヘリコプターと一七人の要員が低レベルの放射線を検知した。このとき同空母は福島第一原発の北東一八五㌔の地点を航行していた、被ばくにあわてて風下からの離脱をはかった。
 その後、一四日から一五日にかけて2~4号機の建屋もすべて爆発炎上する最悪の事態となった。一五日、米国防総省は米軍兵士の福島第一原発から五〇カイリ(九三㌔㍍)以内への立ち入りを禁止する措置をうちだした。また、原発から八〇㌔圏内にいる米国人の避難、東京、横浜、名古屋在住の米政府職員の家族の日本からの離脱をみとめた。こうして米軍の「トモダチ作戦」は被ばくしない範囲でおこなうことが方針化された。
 こののち、福島第一原発の放水による冷却がはじまるが、上空からの散水のための大きな袋、消防車、真水をはこぶ艀(はしけ)などは提供したが、けっして要員を提供することはしなかった。在沖海兵隊には放射能対応の専門部隊もふくまれていたが、出動することはなかった。
 さらに、四月にはいりアメリカ本土から海兵隊放射能等対処専門部隊(CBIRF=シーバーフ)が秘密裏に米軍横田基地に到着していた。二日に一〇人、三日に九〇人、五日に五〇人と計一五〇人が来日したが、最終日になって防衛省が公表した。CBIRFは、核・生物・化学兵器(NBC)に対処する部隊である。この部隊の配備は、米軍が独自の判断でおこなったものである。それは防衛省幹部が語っているように「原発の状況が悪化し、付近で活動する米軍部隊に除染の必要が生じた場合にそなえる」ためであろう。あくまで米兵のための配置なのである。CBIRFは、原発汚染の情報を収集し、自衛隊員に除染の訓練をほどこして、帰国していった。海外の出動ははじめてで、いい訓練になったのである。

マスコミ使い美談宣伝
 米大使館の発表によれば、第七艦隊の艦船、ヘリコプター、航空機は二六〇㌧の救援物資をとどけ、一六〇回の海上捜索をおこなったと“成果”を報告している。米軍のヘリや在沖海兵隊の一部が仙台以北を中心に一定の救援活動をおこなった。だが、この場合も、すべて政府の緊急災害対策本部の指示によって行動する自衛隊とはことなり、米軍は自由にヘリをとばして空から探索をし、すきなところに援助物資をとどけるという行動をおこなっている。しかも、これに日本の報道関係者を同乗させておこない、新聞やテレビではでに「トモダチ作戦」を宣伝した。
 三月一一日の最初の地震からかなりの期間がたっても一度も援助物資がとどかないところもあった。そうしたところに米軍が物資をとどければ住民がよろこぶのは当然である。とくに典型的なのが災害で孤立した宮城県気仙沼大島の支援である。救援物資をはこび、がれきをとりのぞき、仮設のシャワー施設までつくったという美談として報じられている。しかし、仙台の日米共同調整所(現地司令部)では、「米軍が提供した仮設シャワーの利用がふえないのはなぜか」といった話になっている。

反米封じ日本資金略奪
 ともかく、こうして在日米軍が一生懸命、災害救援活動に奮斗しているという報道が連日ながされることにより、情勢が熟したということで、国会は三月三一日、民主、自民の賛成多数で、向こう五年間毎年一八八〇億円の米軍への「思いやり予算」をきめた「特別協定」を可決した。「思いやり予算」はまったく根拠のない予算であり、米軍にただでくれてやっているのである。在日米軍基地は実際にはさらに多くの経費を日本政府からださせており、実際には毎年六〇〇〇億円にのぼる。これに在沖海兵隊の一部のグアム移転費も日本にださせ、日本の国家予算をアメリカの予算の一部のようにつかおうとしている。
 「トモダチ作戦」でアメリカがつかった費用は八〇〇〇万㌦(約六八億円)であり、元は十分にとれたわけで、この面では来日した国務長官クリントンも米国大使ルースも笑いがとまらず、ルースなどは防衛相の北沢をつれて空母ロナルド・レーガンを訪問し、「よくやった」とたたえた。しかもアメリカ政府はあつかましくも、八〇〇〇万㌦をこえる分は日本政府が負担してほしいと申し入れている。これこそ「たかりとゆすりの名人」である。そして、この「トモダチ作戦」のアメリカ側の対日窓口が、更迭されたメアであり、たかりの名人とは自分のことであったのである。
 おおざっぱであるが、「トモダチ作戦」の概要を見てきた。まだかくされているいろんな事実があるだろうが、おもてにでた事実をひろっただけでも、そのインチキは歴然としている。「アメリカはいいことをしてくれる」などとのんきなことをいっていたらたいへんなことになる。なによりも地震列島に原発をおしつけたのはアメリカである。日本がアメリカから独立することは、平和と人民生活の繁栄を実現するためにももっとも重要な課題となっている。

2012年08月28日 20時31分38秒 
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Sailor stands watch as USS Blue Ridge departs to support earthquake relief efforts.
Sailor stands watch as USS Blue Ridge departs to support earthquake relief efforts. / Official U.S. Navy Imagery


東日本大震災の時にアメリカ軍が「トモダチ作戦」という作戦を行い、日本を支援してくれたことを覚えている方は多いと思いますが、実は、このトモダチ作戦はちゃんとお金を請求されています。


☆米軍トモダチ作戦、予算は最大で68億円
URL http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110406-OYT1T00031.htm

引用:
東日本大震災を受けて米軍が展開中の被災地支援「TOMODACHI(トモダチ)作戦」を巡り、米政府は同作戦の予算が最大8000万ドル(約68億円)であることを日本政府側に伝えた。

 両政府は予算が超過した場合に備え、日本側の負担割合も含め、対応の協議に着手した。ただ、東京電力福島第一原子力発電所の事故対応予算に関しては、米政府内でも扱いが決まっていないという。複数の日米関係筋が5日、明らかにした。

 予算は米国防総省が「人道支援費」として計上した。震災発生直後、ゲーツ国防長官は人道支援費として最大3500万ドル(約30億円)を充当する意向を表明していたが、作戦の本格化に伴って予算上限が約2・3倍に引き上げられたものだ。
:引用終了


どうやら、年間の思いやり予算(1881億円)には今回のトモダチ作戦の料金は含まれていなかったようですね。やはり、アメリカは損得で動く国でした。

ちなみに、東日本大震災の直前に、政府は思いやり予算新協定に署名しています。新協定では、思いやり予算期間が3年から5年に延長されています。


☆思いやり予算新協定に署名=現行水準、5年間維持―日米
URL http://www.asyura2.com/11/senkyo105/msg/206.html

引用:
前原誠司外相とルース駐日米大使は21日午前、外務省で会い、2011年度以降の在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)に関する特別協定に署名した。協定の期間は3年から5年に延ばし、総額は現行水準(10年度予算で1881億円)を5年間維持する。

 署名に際し、ルース大使は「接受国支援(思いやり予算)は、日米同盟への日本の決定的な貢献の一つだ。日本や地域の防衛で重要な役割を果たしている」と強調。外相は「これからは思いやり予算という言葉は使わない。互いの戦略的観点に基づいたものだと、ここに宣言したい」と述べた。

 思いやり予算は1999年度以降、日本の財政難を理由に毎年削減されてきた。しかし、政府は最近の朝鮮半島情勢の緊張や中国の海洋進出活発化を踏まえ、強固な日米同盟を維持するために現状維持が不可欠と判断した。 

:引用終了


☆トモダチ作戦の見返りはおもいやり予算1880億円×5年
URL http://www.news-postseven.com/archives/20110419_17830.html

引用:
米国が2万人の“トモダチ”が駆けつけた「トモダチ作戦」は日米メディアで大絶賛された。だが、そもそも8000万ドル(約67億円)が計上された「トモダチ作戦」は無償の友情ではない。

 年度末の3月31日には民主、自民などの賛成多数で「思いやり予算の特別協定」が可決された。有効期限は従来の3年から5年に延長され、今後5年間、日本は米軍に現行水準(約1880億円)を支払い続けることを決めた。

「思いやり予算の延長は民主党内に反対意見が多く、与党も外務省も年度内通過を諦めていた。ところが、米軍の支援がトモダチ作戦でムードが変わったために、今なら可決できると踏み切った」(外務省元駐レバノン大使・天木直人氏)

 米軍にしてみれば、海老で鯛を釣ったようなもの。「友情の請求書」こそ、現在の日米関係を象徴している。

※週刊ポスト2011年4月29日号
:引用終了


支援には感謝ですが、トモダチ作戦というより、カツアゲ作戦のようにも感じますね・・・。
せめて、最初に料金を取ることを通達するべきと思います。

(04/14 17:40)CBIRF(シーバーフ)と呼ばれるアメリカ軍の専門部隊があります。 
「Chemical Biological Incident Response Force」の頭文字をとったもので、日本語にすると、「化学生物兵器事態対処部隊」と訳されます。 
原発事故への対応が問われる中、放射能などの脅威から人命を救う部隊の訓練を、奥寺 健キャスターが密着取材しました。 
横田基地で9日、CBIRFのデモンストレーションが行われた。 
汚染された状況下で、ビルの屋上から人を救出する訓練だった。 
人を1人救出。 
CBIRFの隊員は、ガスマスク、そして汚染された空気を浴びないためのフル装備をして救出作業にあたっていた。 
汚染された状況下で、建物の中に人がいるかどうか捜索をするが、その前に、作業員が建物自体がどれほど放射線で汚染されているか、カウンターを使って放射線量を測っていた。 
アメリカ海兵隊の化学生物事態対処部隊「CBIRF」は4月2日、アメリカ本土から到着した。 
1995年に発生した地下鉄サリン事件を契機に、アメリカ軍は化学兵器や放射能などの脅威から人命を救う専門部隊「CBIRF」を組織した。 
隊員たちの胸につけられたワッペンには、ラテン語で「見えない敵と戦う」の標語が記されていた。 
これまで9.11米同時多発テロ事件や炭疽(たんそ)菌テロ事件などでCBIRFは活躍してきたが、アメリカ国外で任務に就くのは、訓練以外では今回が初めてだという。 
CBIRF所属のマイク中佐は「われわれは放射能で汚染された中でも動けるよう、装備を整えています」と語った。 
そこで、CBIRFの隊員は、任務ごとにヘルメットで色分けしている。 
例えば、赤いヘルメットは「救助チーム」。 
青いヘルメットは「医療チーム」。 
黄色のヘルメットは「放射線を除染するチーム」だという。 
被ばくした市民は、除染の行われるテントの中で、体についた放射性物質を除去されるという。 
除去作業では、丁寧に放射性物質が洗い流され、担架に乗っていて洗いづらい部分まで、丹念に水で流していく。 
このテントは、汚染された水が外に流れ出ないよう、テントの中にたまる工夫がされている。
http://www.dailymotion.com/video/xi855h_yyyyyyyyyyyyyyyyyyyy_news#.UQS6kx3AEQN



米軍「トモダチ作戦」影の部分
 東奥日報編集委員 斉藤光政
 東日本大震災から1年半近くがすぎようとしている。震災に際して、米軍と自衛隊は災害支援活動「トモダチ作戦」を展開したが、実はこの拠点となったのは、本州最北端の青森県にある三沢基地であった。そして何より注目すべきは、この一大オペレーションが過去最大規模の有事即応訓練という側面を持っていたという点だ。仮想敵は最大のライバルである中国。日米対中国という21世紀の対立構図が浮かびあがってくる

自衛隊・米軍一体に
 最前線基地三沢が拠点
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トモダチ作戦は日米共同作戦のシュミレーションの側面も
P3C哨戒機が、一時派遣先の嘉手納基地(沖縄県)から青森県の海上自衛隊八戸航空基地に降り立ったのは震災翌日の2011年3月12日のことだった。
 海上自衛隊八戸航空基地は被災地にもっとも近く、それでいて無傷な滑走路を持っていたからだ。のちに「トモダチ作戦」と呼ばれることになる、米軍史上最大の災害支援活動のまさに第1陣が彼ら哨戒機部隊だったのである。
 米海軍のP3Cが震災直後に重点を置いたのは、上空からの状況偵察だった。輸送ヘリコプターが着陸できる場所はあるか、使える港はあるか、何より孤立した人びとはいないか。
 機長として、3月末まで6回の飛行をこなした同飛行隊のテイラー・バロー大尉はいう。「とにかく、最優先は救援物資を降ろす場所の確保でした。学校や広場などヘリコプターが着陸できる場所、それも被災者にできるだけ近い場所を、低空で目を皿のようにして探したのです。三沢市から仙台市まで東北の海岸線をなめるように何度も飛びました。心が痛むほどひどい光景を何度も目にしましたが、使命を果たすだけだ、と自分にいいきかせました」。
 実は、バロー大尉が作戦に参加した17日の時点で、早くも空の拠点は応急基地である海自八戸から、後方支援態勢が十分に整った三沢基地へと変っていたのである。
 三沢は八戸の北約30キロに位置する米空軍と航空自衛隊の共用基地。米軍のF16が40機、航空自衛隊のF2が40機、日米で合計80機もの戦闘攻撃機を擁する世界有数の「攻撃基地」であり、北朝鮮、中国をにらんだ「北の最前線」である。
 話をバロー大尉に戻そう。本来は、艦船や潜水艦を探すために使われるP3Cの新型画像システムや赤外線センサーが、役に立った。見つけ出した着陸地点には、八戸から岩手県三陸沖に陣取った空母「ロナルド・レーガン」や強襲揚陸艦「エセックス」から水や食料、毛布、医薬品などの生活必需品を満載したヘリコプターが急行した。

 基地地下深くコマンドセンター
 一方、三沢基地には国内外の米軍基地から輸送機が次つぎに乗り入れ、大量の物資を吐き出していった。効率的に再配分するため、米軍は滑走路わきに集積拠点として兵站センターを開設。米軍と自衛隊のトラックが現地との間を激しくピストン輸送した。
 震災から半月足らずの間に、兵站センターを通りすぎて行った物資は600トンにのぼった。「補給」と「有事」に強い米軍の面目躍如だった。それをコントロールしていたのが、基地の地下深くに造られたコマンドセンターだった。この時、三沢は一大ターミナルと化していたのである。

 主体は緊急展開部隊 指揮系統も日米統一
 結局、こうした三沢の空の前線拠点としての機能は、仙台空港が本格復旧する4月中旬まで1カ月続くことになる。
 ハワイのワイキキビーチから車で30分の丘の上にあるキャンプ・スミス。この米太平洋軍司令部からトモダチ作戦を指揮した司令官のロバート・ウィラード海軍大将(当時)は、誇らしげにいう。
 「トモダチ作戦は日米同盟の絆を世界にあらためてしらしめたという点で、非常に意味があります」。
  ウィラード司令官のいう日米同盟の絆。その強い結束点となっていたのが、三沢にほかならなかった。
 トモダチ作戦で三沢基地が前線の航空拠点となっていたちょうどその時、ハワイのヒッカム空軍基地からC17大型輸送機(第535空輸飛行隊)で駆けつけたブライアン・ホロック大尉の目に印象深く映ったのは、米軍と自衛隊のチームワークのよさだった。「非常に整然としていました。命令系統もすっきりしていて、互いのサポートがうまくいっているという感じでした。まるで、訓練をこなしているような冷静ささえありました」。

 最も大規模な共同作戦の性格
 最終的に、トモダチ作戦に米軍が動員した兵力は合計で1万6千人。運びこんだ物資の総量は飲料水8千トン、食料190トンにのぼる。
 膨大な物資を東北地方の海岸部の隅ずみまでに行き渡らせるためには、自衛隊との緊密な連携が不可欠だった。すなわち、トモダチ作戦は日米同盟史上、もっとも大規模な共同作戦の性格をあわせもっていたのである。
 それを可能にしたのが、ホロック大尉の指摘する日米の指揮系統の統一と調整だった。
 じつは、米太平洋軍司令部内には、朝鮮半島や台湾海峡での有事の際に結成される「統合任務部隊(JTF)」と呼ばれる緊急展開部隊が存在する。正式名称は「JTF519」。このJTF519こそが、トモダチ作戦の主体となっていたのだ。

日本は中国包囲網の要
 米軍がシュミレーション
 一方、日本側も東日本大震災に際して、陸・海・空の3自衛隊から10万人を動員。「災統合任務部隊」を臨時編成し、仙台市の陸自東北方面総監部の一元指揮下に置いた。
 日米のJTFが初めて行なった共同作戦。それこそが、トモダチ作戦の真の姿だったという点に注目したい。それは当然のごとく「日米によって大陸に押し込められていると感じている中国軍の関心を強く引いた」(軍事ジャーナリストの前田哲男さん)。
 防衛省幹部の1人はそんな中国側の反応を次のように披露する。「中国軍関係者が『12万人に上る日米合同部隊が短時間のうちに協調的に動き、しかも作戦を成功させたことにとても驚いている』と話していました」。
 トモダチ作戦を通して、日米の一体化はさらに一歩進んだといえる。それを象徴するできごとが、震災から早くも6日後の3月17日に見られた。場所は下北半島にあるむつ市の海自大湊基地。
 この日、米海軍のドック型揚陸艦「トーテュガ」から降り立ったのは、北海道苫小牧市から被災地に向かう陸自隊員ら約280人と車両約100台だった。米軍艦艇による部隊移動は自衛隊設立以来初めてのことだった。
 つまり、トモダチ作戦は名前を変えれば、そのまま有事の日米共同作戦に転用できることを証明したのである。その意味では、壮大なシュミレーションの側面を持っていたとさえいえる。震災は日米の有事即応態勢をみごとにあぶり出していたのである。

 沖縄県副知事の美化やめて発言
 米国の献身的ともいえる協力の裏には米政府、そして米国防総省の政治的思惑があったことはいうまでもない。それは中国をにらんだ日本の戦略的価値であり、在日米軍基地の存続である。
 冷戦時代に日本が果たした対ソ連の防波堤としての役割が今、中国包囲網のかなめに形を変えて求められているということだ。
 そうした観点から、米軍をとらえ直す必要性を訴えたのは、基地問題に苦しむ沖縄県の上原良幸副知事。2011年6月に那覇市で開かれた日本新聞協会の集まりでこう訴えた。
 「トモダチ作戦の美化だけはやめてほしい。米軍への感謝と基地問題は別ではないでしょうか」。それほどまでして米軍が日本を助けようとする真意を知ってほしい、という問いかけであり「日米一体化がかなり進み、異議すら唱えられない状況になっている」ことへの怒りだった。
 たしかに、トモダチ作戦は日米の一体化をさらに推し進めた。そして同盟の実効性を広く示すことで、中国はもちろん、ロシアなど仮想敵国への抑止力として機能したことは隠しようがない事実だ。

 中国の救援部隊は現場から遠い羽田
 中国地震局などによると、中国側は震災に際して救援部隊の派遣を提案した。しかし、日本側との調整で部隊は当初の100人規模から15人に減らされたうえ、着陸は三沢ではなく現場からはるかに遠い羽田空港に回されたという。
 なぜか。その疑問に対して、多くの軍事専門家は「いたって簡単」と口をそろえ、次のように説明する。
 「日米の共同作戦の現場を見せたくなかったからです。なぜなら、トモダチ作戦は人や物資を運ぶという意味では実戦にほかならず、日米が最大の仮想敵国である中国に、手の内を知られたくなかったのです」。まさにトモダチ作戦の影の部分ともいえた。その影は深く、太平洋進出を図る中国を阻止するため、急ピッチでアジア回帰に向かっている米国の戦略と深く結びついている。


平和憲法へのメッセージ』 より転載
「トモダチ」という作戦――大震災と自衛隊(2)
載「大震災の現場を行く」(2)は次回以降に掲載することとし、前々回の「大震災と自衛隊」(1)の続編をアップする。これと関連して、『朝日新聞』57日付オピニオン面「耕論 3.11自衛隊」に、元陸上自衛隊中部方面総監や元防衛庁長官と並んで、私のインタビュー記事が掲載された。今回は主として米軍との「トモダチ作戦」について述べることにしよう。なお、被災地における自衛隊の具体的活動については、「大震災の現場を行く」のなかでも触れる。
53日、憲法記念日の講演を福岡県大牟田市で行った。その翌日の夕方、「一被災者として、この発言は許せません」というメールが来た。そこに、前日の講演を伝える『毎日新聞』大牟田版のベタ記事がはりつけてあった。
《水島教授は、憲法9条で「日本は集団的自衛権を行使できない」と強調。「米軍は 遺体捜索と同時に上陸作戦の演習をやったのではないか。トモダチ作戦を『日米同盟の深化』などと言うと『次は自衛隊が米軍を助ける番だ』との議論が出てくる」と訴えた。》
メールには、「遺体捜索をしてもらった人の思いを踏みにじっている。想像力を持ち合せない人が学問をするのはおかしい。大学教授の肩書を捨ててほしい」といった厳しい言葉が並ぶ。
 ほかにも、この記事を見たという人たちから、「お前はそれでも人間か」といったメールが次々に届いた。ブログや掲示板、ツイッター上でも、私のことを罵倒する書き込みがかなり出ているようである。
 「騒ぎ」のもとになったこの記事では、講演の内容を断片的にほんの23行でしか伝えていないが、実際の講演は、質疑を入れて2時間ほどであった。これは私の話の内容を十分に伝えていない。
講演は、憲法と日米安保や沖縄問題についてさまざまな角度から論じつつ、東日本大震災の現地報告を加えたものだった。記事は、それらを短い言葉でつなげてしまっている。これが誤解を呼ぶことになった。
私は「遺体捜索と同時に上陸作戦の演習をやった」とは言っていない。前後でいろいろな問題を論じており、そのような単純な評価はしていない。ただ、講演という場でそのように受け取られたとしたら、それは私の説明の仕方も十分ではなかったかもしれない。後に詳しく述べるように、被災者救援や遺体捜索という、それ自体としては被災地の人々にとって緊急かつ重要な活動と、この「作戦」全体を米軍がどのように位置づけているかという問題とは区別して論ずる必要がある。私は遺体捜索を上陸作戦の演習と言ったのではなく、「トモダチ作戦」全体が、個々の救援活動の感動的エピソードや懸命な遺体捜索活動を超えて、日米の軍事的協力関係を高めていく方向で活用されているという問題を指摘したのである。
これは、『毎日新聞』422日付15-16面特集「自衛隊10万人 史上最大の作戦」の次の下りを念頭に置いたものだった。
《震災救援を目的に約16000人を投入した米軍の「トモダチ作戦」。
かつてない規模の展開は自衛隊・米軍の統合運用と民間空港・港湾の米軍使用に踏み込んだ。実態は「有事対応シミュレーション」といえた。外務省幹部は「オペレーションの性質は違うが、民間施設利用や上陸など実態的には朝鮮半島有事を想定した訓練ともなった」と指摘する。》
上陸演習という話は、この外務省幹部の言葉を紹介したものだった。メールを送った方々には、「トモダチ作戦」の背後にある日米関係のリアルな現実について語ったのだということをご理解いただきたい。
そして、来週以降も連載する「大震災の現場を行く」をお読みいただければ、私が被災地や被災者にどのような姿勢で臨んでいるかがお分かりいただけると思う。
その「トモダチ作戦」であるが、それが迅速に展開した背景に、鳩山内閣以降の「日米同盟の不安定性」があることは間違いない。
 ケビン・メア国務省日本部長の「沖縄はゆすりの名人」発言で、沖縄県議会が全会一致の抗議決議を挙げたのは38日。その翌々日、キャンベル米国務次官補が松本外相に謝罪した。その24時間後に大震災が起きた。「トモダチ作戦」発動の背後には、メア発言で苦慮していたルース駐日大使の機敏な動きがあったようだ。「大統領を起こせ」。就寝中のオバマ大統領への大使の第一報で初動対応が決まった(『読売新聞』413日付)。
 米第7艦隊の原子力空母「ロナルド・レーガン」を軸とした空母戦闘群が宮城沖に展開。
艦艇19隻、人員18000人、航空機140機を集結させた。米原子力規制委員会(NBR)の基準により、米軍の活動は福島原発から80キロ以上離れた地域で行われた。
 そのため、宮城県と岩手県が中心になった。米軍はごく一部を除き、福島県には展開していない。米兵に危険が及ばない放射能管理は徹底している。在日米軍人の家族7500人を帰国させ、横須賀を母港とする原子力空母「ジョージ・ワシントン」を日本海に待機させたことからも、「フクシマ」は「トモダチ作戦」に影を落としている。
なお、上記の写真は、「ジョージ・ワシントン」(CVN 73)の第70任務部隊(CTF-70)のワッペンである。
下の写真は、その航空部隊である第5空母航空団のワッペンである。この在日米海軍の主力を温存したのは、放射能の危険を回避し、大震災の最中でも、“First to Fight”の維持が必要と考えていたからだろう。
 宮城県を中心とする米軍の活動は、仙台空港の復旧活動が特に目立った。
米空軍特殊部隊の派手な降下作戦で始まり、日本側も「ミラクル」と驚くようなテンポで復旧が進んだという。米兵は仙台空港を「キャンプ・センダイ」と呼んだ(『毎日新聞』45日付)。これはすごいことである。これまで米軍は民間空港を自由に使用できないできたが、今後、仙台空港は「トモダチ」の使用に開かれたものとなるだろう。
孤立した気仙沼・大島の救援活動もメディアの注目を集めた。孤島状態になった大島では、LCU(上陸用舟艇)を使って東北電力の電源車を陸揚げするなど、米軍は島の救援・復旧に寄与した(『読売新聞』44日付)。
 住民から米軍への感謝の念が生まれたのも当然だろう。
こうした救援活動それ自体は、住民のためになっており、評価できるものである。
また、JR仙石線 野蒜駅 と陸前小野駅 では、米兵と自衛隊員が共同で瓦礫を取り除く作業を行い、「ソウル(魂)トレイン」作戦と自称した。メディアはそうした「象徴的」で絵になる場面を詳しく報道し、「日米同盟美談」に仕立てていった。
 米海兵隊専門部隊「シーバーフ」(CBIRF)145人も派遣されたが、3週間滞在後、何もせずに帰国していった。
 NBR 基準により、福島原発から80キロ圏外に活動が限られたため、原発から離れたところで「待機」を続けた。
 その間、中央特殊武器防護隊(中特防)と共同訓練を行った程度である。それも、放射能漏れ事故の現場からの人命救助や体の放射性物質を洗い流す除染の訓練である。彼らは原発事故対処の部隊ではなかった。しかし、メディアは「核戦争を想定した訓練を積んだ特殊部隊」と過大評価した。
「トモダチ作戦」で一番問題なのは、武力攻撃事態の「有事」メカニズムを大震災で「試用」したことだろう。「大震災と自衛隊」(1)でも書いたように、自衛隊の「災統合任務部隊」(JTF)と並んで、米軍は横田基地に「統合支援部隊」(JSF)を立ち上げた。陸海空軍・海兵隊の米4軍が一元的に指揮される初めてのケースとなった。その場に陸上幕僚監部の防衛部長(陸将補)が常駐していたことは重要である。日米防衛協力の指針(ガイドライン)に基づく日米調整メカニズムの、災害における全面的な「試用」である。「有事並み、作戦調整一体」とされる所以である(『朝日新聞』47日付)。
 「トモダチ」という作戦――大震災と自衛隊(2)
『週刊ポスト』429日号は「米軍『トモダチ作戦』の代償は『友情の請求書』」という記事を載せた。
これは、なかなかリアルな認識を示している。例えば、413日に岩手沿岸で行われた日米共同オペレーション(一斉遺体捜索)について、参加した海自隊員の声は重要である。「米軍は空母から艦載機やヘリを飛ばすだけで、潜水して不明者を捜索するのは海自の水中処分隊と海保、消防、警察のダイバーです。津波から3週間が過ぎたから、ヘリからの捜索に意味はほとんどなかった」と。
米軍にとって、空母まで動員する大作戦を展開する狙いは、果して遺体捜索のためだけなのか。
「トモダチ」という歯の浮くような言葉を使ったこと自体、沖縄基地問題でこじれた日米関係が背景にあることを示唆してはいまいか。前述の大島に上陸したのは、沖縄の第31海兵遠征軍。問題になっている普天間基地の部隊である。現場の隊員たちが被災者のために、懸命にかつ誠実に努力したことは疑いない。それだけ島民の感謝の念も深かったようだ。
しかし、米軍上層部が「普天間飛行場の地理的優位性」や海兵隊の存在意義を宣伝するものだから、沖縄メディアの不評をかうことになる。
『琉球新報』318日は「強い違和感を覚える」として、「被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか。地震発生から3日経ての出動なのに『即応』もあるまい」と手厳しい。『沖縄タイムス』49日付は、海兵隊の災害救援活動を沖縄基地や海兵隊存続につなげる議論を「震災の政治利用」と批判する。
『東京新聞』52日付社説「日米を真のトモダチに大震災と米軍支援」は、「トモダチ作戦」に醒めた眼差しを向け、有事司令部の災害転用、「フクシマ」を米国に波及させない「防衛」作戦、そして日本を経済大国の地位から転落させない経済的狙いを見て取る。
「軍隊は外交の道具として使われる。そして外交は、純粋な善意だけで成り立つはずもない。みてきたように『トモダチ作戦』は、米国の利益に直結している」と。
そして社説は、「思いやり予算」に注目する。米政府が「トモダチ作戦」のために用意した予算は最大で8000万ドル(約65億円)である。他方、日本では米軍「思いやり予算」に関する新たな特別協定が41日に発効した。
かの「前原外相」の置き土産である。毎年1881億円を5年間にわたって日本が負担するというものだ。「トモダチ作戦」65億円が1兆円の「友情の代償」(前出『週刊ポスト』)となるわけである。
「負担を少しでも減らすように努めるのが真の友情であろう」と『東京新聞』社説は結ぶが、日米関係の「忖度と迎合」の構造はそう変わりそうもない
   『朝日新聞』54日付が一面トップで伝えた「ウィキリークス公電7000点の本社分析」。そのなかで、米軍グァム移転の経費を水増しして、日本の負担率を低く装うという詐術が明らかとなった。米国のしたたかな計算と打算を見ずに、「トモダチ作戦」を米軍の純粋な支援として手放しで礼賛し、「日米同盟の深化」と扱うことには、慎重になるべきだろう。
ところで、「友だちの友だちがアルカイダ」という元法務大臣がいたが、そのアルカイダの頭目とされるオサマ・ビンラディン容疑者が52日、米軍特殊部隊によって殺害された。リビアのカダフィ大佐「標的作戦」についてはこの直言でも扱ったが、ビンラディン容疑者の場合、武器を持たず、拘束した後に殺害された疑いも指摘されているから、裁判手続きを経ない「現場処刑」になりかねない。パキスタン国内でのこの殺害作戦は国際法上も疑義が指摘されている。各国首脳は米国の「対テロ戦争」勝利を賛美し、ビンラディン殺害を「喜ぶ」という表現を使った。ドイツのメルケル首相もその一人。そのため、彼女はいま、カトリック教会をはじめ、自らの党の内部からも批判にさらされている。
冷戦後の軍隊は、防衛軍から介入軍へと性格を変えつつある。NATOも日米安保条約も、防衛から介入への傾向を強めている他国への介入・干渉の手段としては、コソボでは「人権干渉」(「人道的介入」)リビアでは「内戦干渉」。そして昨年1月の中米ハイチの大地震では、米軍の動きは異様で、まさに「震災干渉」と言えるものだった。
米国は12000人の軍を送り、空港から港湾などの戦略施設を完全統制下に置いた。これは、地震に伴うハイチの混乱が米国に及ぶのを未然に阻止するための予防占領の側面を持っていた。米軍の統制の結果、地震後の第1週という最も重要な時期に、負傷者を救うための医療援助要員を乗せた飛行機を、米軍は追い返した。ドイツの軍事研究所のサイトでは、「介入の口実としての大災害」という形でハイチのケースが分析されている
被災地の人々にとって、個々の米兵は、顔の見える距離で援助をしてくれた存在だったろう。そこに人間的関係が生まれることも否定しない。しかし、巨大な米軍という組織で見たときは、これは明らかに米国のしたたかな狙いと利益で動いている。そこはリアルに考えておく必要があるだろう。
原発事故では、首相官邸に米軍関係者が常駐しようとしていた(『朝日新聞』421日付)。米国も、菅内閣の迷走ぶりは見ていられないというのは理解できるが、しかし、実現したら、史上初の「原発震災干渉」になっていただろう。
   「トモダチ作戦」における自衛隊側の問題については、連載「大震災の現場を行く」のなかで触れることにしよう。
(了)




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