(東京新聞「こちら特報部」8月14日付)
十和田の夏
福島第一原発の事故から5カ月が過ぎた。
それは、福島の子どもが我慢を強いられてきた長さだ。
せめて夏休みだけでも被ばくリスクを減らしたいと、県外脱出を図る家族も相次ぐ。
全国に「疎開」支援の動きも広がるが、青森県もその一つ。
約200人の小中学生や保護者を十和田湖畔に招いている。
故郷から300キロ離れて過ごす福島の子どもたちの夏を訪ねた。 (中山洋子)
「これも食べる?」
子どもたちが広場にしゃがみ込み、オオバコやシロツメクサを摘んで馬に与えた。
その姿を見守る父母たちも、穏やかな笑顔で
「土いじりを止めなくていいのがうれしい」
と口をそろえた。
十二日、福島の親子らの多くが参加した十和田湖畔の乗馬体験。晴れ渡った夏空の下、
子どもたちはおっかなびっくり馬に触り「あったかいね」と歓声。
実際に馬に乗ったり、芝生に座って写生を楽しんだりした。
青森県や十和田市、地元NPOなどでつくる実行委員会の
長期滞在支援「十和田・奥入瀬サマーキッズキャンパス」の無料プログラムの一つだ。
十和田湖畔は標高四百メートルの山の上にある。十和田八幡平国立公園内で自然も豊かだ。
ここで福島の小中学生と保護者六十組約二百人が今月七日から十六日間の日程で滞在する。
実行委はホテルや民宿の宿泊費の半額を補助し、
奥入瀬渓流の散策やカヌー教室などさまざまなプログラムを用意した。
地元の青森中央学院大からも、延べ百人近くの学生が毎日交代でボランティアに参加。
総合案内所の会議室で宿題を手伝い、
十和田湖小学校のプールや校庭でスポーツや遊びに付き合う。
プールでは、同大一年の斎藤あ咲(さき)さん(18)が
水鉄砲を持った子どもたちに追いかけられていた。福島県川俣町出身で、
四月から青森で一人暮らしを始めた。
東北自動車道が復旧したのは、入学式の一週間前だった。
不安な日々は忘れられない。
「福島の子どもが来ると聞いて、手伝いたいと思った」と同級生の坂野下知恵さん(18)と参加。
大はしゃぎする子どもたちに「みんな元気でよかった」と喜んだ。
“夏休み疎開”は福島の父母たちの声に押されて実現した。
「六月に入り、『夏休みだけでも青森に滞在できないか』という問い合わせが日ごと増えていった」。
実行委のスタッフで、県生活再建・産業復興局の木村圭一さん(40)が振り返る。
青森県も八戸市を中心に津波で被災し、同局は震災後に新設された。
十和田湖や奥入瀬渓流の観光客も一時期激減した。
福島からの疎開を受け入れる動きは北海道などで広がっていたが、
どこもすぐに定員が埋まる人気ぶり。
青森県への問い合わせも、六月だけで二百件以上寄せられ、
「同じ東北として何とかしなきゃ」と企画した。
福島県いわき市の根本広美さん(39)も疎開先を探し、問い合わせをした一人だ。
今春、小学校に上がった長男凌空(りく)くん(7つ)と翔生(かい)くん(5つ)に、土いじりを禁じてきた。「大人が心配するので、
子どもは『マイクロシーベルト』とか『被ばく』とか、知らなくてもいい言葉を口にするようになった。切ないです」
十和田湖畔に来てから不穏な言葉は聞かれなくなった。
乗馬を体験した二人は「揺れて楽しい」と満面の笑みで話した。
同じくいわき市の翻訳業高橋陽介さん(51)は、
長男悠くん(7つ)の小学校一学期の終業式後から家族で岩手や秋田でキャンプし、
十和田湖に合流した。
県内では比較的線量が低いいわき市でも、屋外活動を制限する学校は多い。
「いわきでは海開きもできなかった。仕事を一カ月休むことになるが、非常事態なので」
小学生の二児の母で、郡山市の菊地富江さん(45)も「子どもたちが明るくなった」と喜ぶ。
学校では校庭もプールも使っていない。
教室の窓も閉めっぱなしで、子どもたちは頭痛や体調不良を訴えていた。
「相当なストレスだったと思う」
長女真優さん(10)は「放射能のことを考えないで外で遊ぶのが楽しい」。
大好きなリレーもできず、運動会もなくなった。友達が転校していくのも、悲しかった。
実際、福島の子どもたちは友達との別れにも、耐えている。
県によると原発事故後、県外に転校した公立小中学生は夏休み前で七千六百七十二人。
夏休み中の転校者は千八十一人に上る。
このほか県内転校組も、夏休みまでに四千五百七十五人、
夏休み中に七百五十五人いる。
福島市南向台から来た母親(43)は
「次男の小学校は、夏休み前に全校児童二百人のうち二十人が転校した」とため息。
「お別れ会もせずに、黙っていなくなる子もいる。
子どもたちはまだよく分かっていなくて『そのうち帰ってくるんだよね』と言うんです。
二学期には、どれだけいなくなっているか」
南向台地区は文部科学省が
年間被ばく線量が一〇ミリシーベルトを超えると予測する高線量地点の一つ。
六月中旬に校庭の表土を削ったが、屋外授業は行われていない。
夏でもマスクや長袖、帽子は欠かせない。
「学校にエアコンがなくて、夏なのにインフルエンザがはやった」
福島第一原発の3号機が水素爆発した翌十五日
福島市では二〇マイクロシーベルトの空間線量を検出した。
「あのころ、子どもを連れて、給水車の行列や灯油を買うガソリンスタンドの列に何時間も並んだ。雪が降る日もあった」
国が「安全」を繰り返した結果、多くの親が子どもを危険にさらしたと悔やむ。
この母親も、仕事をやりくりし、高校三年生の長男や中学二年の長女を福島に残しても、
次男を疎開させてきた。
「夏休みに家族が離れ離れで過ごすのは初めて」
同じ小学校に長男が通う別の母親(36)は、
一週間で見違えるように日焼けした子どもたちの姿に
「これが普通の生活なんですよね」と漏らした。
「やっと深呼吸できた」とほほえむのは、
福島市渡利地区から小学生の孫二人を連れてきた本田美佐さん(73)だ。
ここに来る直前、家庭菜園のトマトやキュウリを抜いてきた。
例年通りきれいに色づき、思い切れなかったが、周辺線量は高い。
町内会で貸し出す線量計で測ると自宅の玄関先が約一・二マイクロシーベルト、
室内で〇・二マイクロシーベルト。
「子どもたちに、地元の野菜を食べさせることができなくなった」と嘆く。
窓を開けずに、どれだけ防げるか分からない空気清浄器だけで、大人たちも息を詰めて暮らしている。「福島は本当にいいところだった。自然も豊かで、台風などの災害も少なくて。今でも、夢でないかと思うくらい」
故郷を遠く離れて大きく伸びをしながら、本田さんは顔をこう曇らせた。
「戻ったらまたマスクと長袖を着せなきゃならない。何年続くのか」
<デスクメモ> かつて夏の十和田湖畔の緑陰で「乙女の像」を見たのが懐かしい。
二人の裸婦が手を合わせる姿に優しさと支え合いを感じ取ったものだ。
製作者は彫刻家で詩人の高村光太郎。
ほぼ同時期に福島県の安達太良山にも登った。
妻智恵子の古里だ。福島の子どもたちに「ほんとうの空」を早く返してほしい。 (呂)
あどけない話
智恵子は東京に空がないと言ふ、
ほんとの空が見たいと言ふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(安達太良あだたら)の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
智恵子は、ここ二本松から見た
安達太良山の「ほんとうの空」を忘れなかった。
ちちをかえせ ははをかえせ.
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
そして、げんぱつむらのじゅうにんよ
にんげんにかえれ
60ちょうのさいぼうのひめいが
じゅそにかわる
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