放射能公害
西尾禎郎(広島学院中学・高等学校元教諭=世界史)
放射能による環境汚染について (暫定版)
以下のような内容を踏まえて、一枚のビラのようなもので
強く人々に訴えるものを作り、いたるところで配りたい。
��� ご感想はサイト管理者の竹本隆(takjapan@gol.com)へどうぞ。
西尾先生には責任をもってお届けします。
全面核戦争が最大の環境汚染であることは誰しも異論のないところだと思います。したがって、何があっても国家間の戦争行為は阻止しないといけません。
全面核戦争が起きると核爆発によって、太陽放射を吸収している成層圏のオゾン層が破壊され、大量の熱線・紫外線が地表に届くようになります。これが「核の夏」といわれる現象です。
また、別の説では核爆発によってできた原子雲が太陽からの熱線を遮り、地表温度が低下し、生物環境が急変し食糧難などがやってきます。これを「核の冬」といいます。
核兵器の小型化が進み、かつ、冷戦状態が緩和された現在の実情から、水爆などの大型大量破壊兵器が使用される可能性は比較的少ないと考えられます。
また、大気圏内での核実験は禁止され、ビキニ環礁などでおこなわれたような大規模核実験は行われなくなりました。
それでは、放射線による環境破壊は、我々が考慮に入れなくてよいほどのものでしょうか?
その問いに対する答えは NO!
地上の放射性物質は年々増加しつづけているのです。
我々人類は、年を追うごとにより多くの放射線被曝をせざるを得ない状態に進みつつあります。それが「核の秋」といわれる状況です。
地上での放射能の増大は、例えば原子力発電所からの放射能漏れといった一つの原因だけでなく、非常に多くの要因が積み重なって起こっています。全部の積算されたものが人類に覆いかぶさってくるのです。
ところが、一般に環境問題の話で放射能のことはあまり聞かれません。
なぜ抜け落ちるのでしょうか? それに対する私の答えは、Ⅳの構造的暴力(簡単に言えば「金持ちはますます物質的に豊かになり、貧しいものは、ますます貧しくなる」社会の仕組みのこと)で触れています。
【『平和を学ぼう―ヒロシマからの預言』関連頁(P78 世界中の全ての人が被曝者)以下同じ】
◆ 放射能とは (P43 放射線)
放射性核種 約1,700種類ある。
放射能 原子核が自発的に放射線を出す性質。
放射線 原子核の放射性崩壊によって出る粒子線または電磁波のこと。(放射線は粒子でもあり波でもある。)
半減期 放射能が半分に減る時間。数秒のものからウラン235の44.7億年までさまざま。
(例: ラドン222は3.28日、ヨウ素131は18.04日、ストロンチウム90は28.8年、ラジウム226は1,600年)
◆ 汚染の原因
1.放射性物質の採鉱・・・P3(以下に解説のあるページ)
2.核兵器など ・・・P4
A 核実験・・・P5
B 核兵器
汚い爆弾 (きれいな爆弾)・・・P6
劣化ウラン爆弾・・・P7
3.原子力発電・・・P8 工業・家庭電力などのエネルギー 動力源(原子力船、原子力空母、原潜など)
原発事故・・・P10
核燃料サイクルの再処理工程・・・P11 (高速増殖炉の問題など) (放射性核分裂生成ガスの放出など) 略
4.放射性降灰fallout=死の灰・・・P14 (P44黒い雨 残留放射能)
5.核物質の輸送、その事故・・・P15
6.放射線・放射性物質もれ・・・P15
7.核廃棄物・・・P16
8.核兵器の事故・・・P19 (爆撃機・潜水艦が多い。潜水艦・空母・衛星など動力として高性能原子炉を使用)
9.医療(検査及び治療にⅩ線照射その他)・・・P21
10.化学工業などにおける利用・・・P22
11.核物質のずさんな管理 〔→汚い爆弾〕・・・P22
12.テロリストの利用・・・P24
13.核の闇市場・・・P25
以下に上記各項目について、それぞれ、幾つかの例を挙げました。もちろん、これらは氷山の一角です。考える材料にしてください。
核の夏・核の冬(P78 核戦争が起きると)
ワシントンにあるシンクタンク「防衛情報センター」のブルース・ブレア所長によると、米国が保有する戦略核ミサイルのうち約2,200発が、命令直後に即時発射できる高い警戒態勢に置かれている。陸上配備の大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)ならば全ICBMの98%をわずか2分で発射でき、原子力潜水艦搭載型弾道ミサイル(SLBM)だと15分で発射できる状態にある。このように警報即発射態勢にある弾道ミサイルは米国よりはロシアの方が少ないとされているが、米ロが聖戦時代さながらに際どく脅し合う図式が残っている。(朝日新聞社刊 『核を追う』吉田文彦[編]朝日新聞社特別取材班 2005年12月30日発行による。以下『核を追う』と略記)
1. 採 鉱
ウラン鉱山では、採掘に伴っていろいろな放射性物質が出る。とりわけ肺を侵す危険性の高いラドンガスが、構内に充実しやすい。・・・
ピーク時、肺がんの谷レッドバレーには200ヵ所のウラン鉱山があったという。谷間に点在する三つの集落(180世帯)から、150人あまりが鉱山で働いた。その男たちの間で、肺がんが目立つようになったのは、70年代の後半で、これまでに50人が亡くなった。・・・
69年から82年の間に肺がんと診断されたナバホの男性32人のうち、23人までがウラン鉱山で働いていた。「みんな喫煙しない人だから、鉱山と肺がんは関係あると見てよい。」(中国新聞「ヒバクシャ」取材班『世界のヒバクシャ』 1991年4月22日 講談社刊 以下『世界の』と略記)
(韓国の)金東必さんは、霊光原発正門のそばで両親と三人の兄弟、妻、それに生まれつき左足首が不自由な二歳の娘と暮らす。・・・89年の8月3日、科学技術処理団と住民の話し合いの席で、「娘の障害は、自分が原発で働いたことと関係があるのか」と質問した。この若い父親の問いかけが、当夜のテレビで「原発作業員の娘に先天性奇形」と報じられ、波紋を広げた。日当九万ウオン(約一万九千円)というふだんの十倍を越える賃金に誘われ、東必さんが下請け会社の臨時作業員として営業運転目前の1号機には入ったのは、86年7月である。他の作業員7人とはその日が初対面だった。安全管理教育も受けないまま、一回15分ずつ二日間、延べ一時間働いた。作業は、加圧機内部の配管交換だった。・・・詳しい検査結果は知らされなかったが、「700~800ミリレム」と検査院が何げなく口にした数字が耳に残った。両手にできものが広がり一年後、長女が生まれた。・・・ 「今は公正な診察を受け、放射能の影響がどうなのかを知りたいだけ。それまでは怖くて子供はつくれない」 東必さんの心を被曝が蝕み続けている。(『世界の』)
コンゴにあるウラン鉱山で盗掘が続出。地元の鉱業労働者組合によれば、ごく最近まで、多い日で毎日一万~一万五千人の男が潜り込み、ウランを含んだ鉱石を盗掘していた。盗掘者たちは、鉱石を仲買人に売っていた。・・ウランのほかにコバルトも採掘された。・・・コンゴ政府も04年3月、キンシャサでウラン鉱石を精製したイエローケーキ約100キロを押収した。(『核を追う』)
2 核兵器
93年3月南アフリカのデクラーク大統領は、秘密裏に完成させていた原爆を廃棄したと発表、97年、朝日新聞記者の取材に「脅威がなくなった結果、核兵器を持ち続けることはむしろ国の利益に反すると判断した。国際社会に復帰するには、核は手足まといになった」と説明した。
A 核実験
ニューメキシコ、マーシャル諸島、モンテ・ベロ、クリスマス島、ムルロア環礁その他の太平洋地域、サハラ、ロブノールなどで大気圏内核実験が行われた。ソ連の場合はカザフのセミパラチンスクが最大の核実験場で1949年以降少なくとも320回の原水爆実験が繰り返された。
現在も多くの「原子の湖」があり、長さが5キロメートルくらいあるものもある。この地域の羊の体内に蓄積された放射能は平均で他地域の22倍、最大350倍。ミルクは25倍、骨は4~30倍というデーターもある。(『世界の』)
1951年1月29日、オンタリオ湖岸の町ロチェスターに大雪が降った。雪が地上に積もるにつれ、同地のイーストマン・コダック社フィルム工場のガイガー・カウンターが狂ったように鳴り始めた。その雪は放射能を帯びていた。コダック社幹部はすぐに、それが同工場から1,500マイル以上離れたネバダ州の新しい原爆実験場からの降下物ではないかと考えた。現に、それ以前にも同じようなことが起こっていた。1945年、ニューメキシコ州で最初の原爆の爆発が行われたあと、実験場から1,000マイル離れたインジアナ州ウォーバシュ川に放射能粒子が「雨と一緒に流れ込んだ」。・・・ネバダ実験場に吹く風は普通南西から吹いてくるため、実験による降下物は一般にオンタリオ湖の方向に流れる傾向があった。コダック社にとって不幸だったのは、ロチェスターがちょうど、AEC(アメリカ原子力委員会)の原爆実験専門家がいう降下物の通り道に当たっていたことである。
(ピーター・プリングル、ジェームズ・スピーゲルマン著 『核の栄光と挫折』 1982年3月10日 時事通信社発行)
ビキニ環礁水爆実験
ロンゲラップ島に灰が降り始めたのは、島民が閃光を見て五、六時間経ってからのことである。快晴だった空が薄暗く曇り、太陽を隠してしまった。
その空から、白い粉が舞い落ちてきた。・・・・・
あの朝、投網を肩に上半身裸で浜辺に立っていた43歳の屈強なナポータリは、床から起き上がれないほど衰弱していた。喘息、関節炎、直腸出血、白内障による左眼摘出、甲状腺切除・・・。最後に胃ガンにとどめをさされるまでナポータリは苦しみ続けた。
ニックの妹、ネルジェは甲状腺ガンになった。あの日、絶え間なく降る「雪」を物珍し気に見ていた5歳のネルジェは、11年後、最初の子を身ごもった時、体の異常に気付かされる。喉の腫瘍は「食物の嚥下が困難なほど」肥大し、69年「根治的腫瘍摘出手術」を受けるためアメリカへ行ったが、その時には病巣はすでにリンパ節転移を伴う乳頭状ガンになっていた。
アレットとアイクは、ともに生後15ヵ月で被爆し、同じように成長停止症になった。アイクは被爆直後から、アレットは4年目から、内分泌の機能障害が現われ、成長の遅れが目立ち始めた。アレットは9歳の時、右上腕骨の発育に異常があるのを発見された。二人とも、12歳になって甲状腺の萎縮が明らかになるまで、投薬や治療を受けた形跡はない。思春期の入口に立ちながら、二人の体は7歳か8歳のところで成長を停めていた。(前田哲夫著 『棄民の群島』時事通信社 1979年発行)
ビキニ水爆実験で被曝した243人のマーシャル人のうち17人の子供が甲状腺障害で発育不全に陥ったとブルックヘブン国立研究所が発表。 (『世界の』) 〈参考: 第五福竜丸被曝 〉
1988年米国上院は、核実験に参加し放射線障害にかかった元兵士への医療保障法を可決。対象は約25万人。
汚い爆弾
Dirty Bombというのは爆弾の中に放射性物質を詰めた爆弾のこと。放射性や毒性のある物質を街や水源や農地にばらまき、健康被害や環境汚染をもたらすのがねらい。核兵器のような複雑な製造技術が必要ないうえ、高濃縮ウランやプルトニウムよりも入手しやすい医療・工業用の放射線源でも汚染材料に使える。
2002年6月10日、米国のアシュクロフト司法長官は、「汚い爆弾」をアメリカ国内で爆発させるというテロ組織アルカイダの計画を察知し、構成員のアメリカ人容疑者を五月にシカゴで逮捕したと発表した。(川崎哲著 岩波新書『核拡散』 2003年11月20日発行)
「汚い爆弾」に使われる可能性のあるコバルトやセシウムといった放射性物質は、核兵器の材料となる高濃縮ウランやプルトニウムに比べて、管理が緩やかだ。かつてロシアの原子力関連施設からしばしば流出して問題となったが、実は米国内でも盗難や紛失事故が少なくない。米原子力規制委員会のエリオット・ブレナー広報部長によると、米国内の病院や研究施設で使われている放射性物質は、収納容器で約二万五千個分。このうち90~03年8月に、計約450個分の容器に相当する放射性物質が盗まれた。紛失や盗難の報告は年間約50件に達する。貯蔵施設や研究所など取扱場所で盗まれたのは三分の一に過ぎず、多くは駐車中の車両からの盗難だったという。(『核を追う』)
【中性子爆弾は、爆風による物体への被害を少なくし、中性子放射能を強めて、戦車の中にいる人間だけを殺傷する。「きれいな爆弾」とも言うが、どこがきれいなのだろうか。】
劣化ウラン弾
原子炉や核兵器に使用する天然ウランを濃縮した後に残る核廃棄物「劣化ウラン」を弾頭に備えた爆弾。ウランは地球で最も比重が高い金属である。劣化ウランの貫通体は戦車の装甲にぶつかった衝撃と摩擦熱で3,000~4,000度の高熱を出しながら装甲を溶かし、戦車内に侵入すると激しく燃える。この時、金属がエアロゾル、気体となって拡散する。その気体となったウランの微粒子がアルファ線を出している。その劣化ウラン弾を使用し、防御法を研究する任務にあった米軍少佐D. ロッキの尿から、通常の600倍ものウランが検出されている。(『内部被曝の脅威』肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著による)
劣化ウラン弾は燃焼の際に放射能を帯びた微粉末が飛散することから大気や土壌などの汚染が懸念されている。また、微粉末を吸い込むと肺にとどまるため、白血病やがんなど健康被害との因果関係が疑われている。
米軍嘉手納基地に01年当時、約40万発の劣化ウラン弾が保管されていたことが、米情報公開法に基づいて米空軍が公開した資料で分かった。湾岸戦争(91年)で米軍が使用した劣化ウラン弾の約半分に相当。
・・・劣化ウラン弾はイラク戦争(03年)でも使われたとされ、住民や米軍兵士に生じたガンなどとの関連が指摘されている。
劣化ウラン兵器が使用されたのは1991年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、97年湾岸戦争、99年NATO軍、旧ユーゴースラビア爆撃、01~02年アフガン戦争、03年~イラク戦争で、それぞれの地域で放射線障害が多発している。
藤田祐幸・慶応大助教授(物理学)が03年にバスラなどで実施した現地調査では、米軍が使用した劣化ウラン弾と見られる金属片からバグダッド市内の100倍の放射線量を検出している。(2006年8月2日毎日新聞)(P94 1989年 劣化ウラン弾)
3. 原子力発電
原子力発電への依存度
わが国全消費電力の原子力発電に対する依存度は3分の1。依存度0%という国も多い。先進工業国でも。
北朝鮮には亀城、順川、平山などにウラン鉱山がある。寧(ニヨン)辺(ビョン)には黒鉛減速炉、核燃料棒製造工場、再処理施設、核物理学研究所臨界実験装置などがある。その寧辺へ地中貫通型核攻撃がなされたとすると、その48時間後には新潟から函館付近までは1時間当たり1レム以下の被曝量がもたらされ、そのうち青森県は1時間当たり1~10レム未満の被曝をこうむるという試算がある(米「社会責任を求める医師団」)。
04年12月現在で、東アジア各国の運転・建設中の原子力発電所は日本57、韓国20、中国11、台湾8基である。この中で、日本は使用済み核燃料を再処理する道をとったが、韓国・台湾は再処理しないで「廃棄物」として処分する。しかし、現在は原発内で貯蔵して、問題は先送りされているが、やがてどこかに最終処分場を確保せざるを得なくなる。
このことについて、それぞれの国・地域での独自の処分か、ロシアを含めた北東アジア全体の地域協力によるか、が考えられているが、成長するアジアのエネルギー問題と、核不拡散とのジレンマをどう克服すればよいか未解決のままである。
中東諸国は石油産出国がほとんどである。それらの国での原子力開発の現状は次のようである。なぜ彼らが、原子力に頼ろうとするのか?
一つには、石油の輸出によって儲けるためであろうが、私には、原発先進工業国政府・企業の熱心な売込みがあるように思えてならない。
イラン 研究炉5基運転中 ブシェールに原発を建設中
アラブ首長国連邦 04年9月原発計画を発表
イラク 81年オシラクの研究炉がイスラエルの空爆で破壊
シリア 81年原発2基の建設を計画したが、実現せず
トルコ 04年原発3基建設発表
イスラエル 63年ディモナ研究炉運転開始 現在1基計画中
エジプト 80年代エルダバーに原発2基を建設計画
リビア 03年12月核開発計画を破棄
チュニジア 計画中
アルジェリア 研究炉運転中
(『核を追う』)
原子炉事故
日本での原発事故とその事故隠しについてはニュースでよく聞かれているでしょう。
例:1991年、美浜原発2号炉―メルトダウン寸前
1995年、高速増殖炉「もんじゅ」冷却材のナトリウム漏出(ナトリウムは他の化学物質と反応を起こしやすい)
1999年、北陸電力石川県志賀原発第1号機臨界状態になるも記録せず、報告せず。2007年発覚。
メルトダウン スリーマイル島事故のように炉心部が熱で融け、燃料棒が溶け崩れる事故。
核暴走 チェルノブイリ事故のように出力(中性子の数)の制御に失敗して原子炉が暴走する。
チェルノブイリでは、周辺30キロメートルを避難対象地域としたのですが、それでも不十分だったことは明らかです。
1989年だったと思う、日本在住のエドワード・ブジョストフスキ神父から手紙が来た。その内容は、ワルシャワ近郊に住む彼の甥が3歳(4歳?)になってもまだ立てずにハイハイで、言葉もうまくしゃべれない。両親が調べた所、その町に同様な発育不全の子供たちが何人も居る。チェルノブイリ事故の頃に生まれた子供ばかり。それで、日本からの援助も含め、擁護施設を作りたいが、広島でも協力してもらえないかということだった。広島の医師団のあるグループの集会で話したところ、直ちに資金援助をしてくださった。
チェルノブイリのセシウム被害は、ウクライナ・ロシア・ベラルーシ・ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー・ユーゴースラビア・ルーマニア・オーストリア・西ドイツ・イタリア半島・コルシカに及び、北極圏のラップランドではトナカイの汚染によってラップランド人の文化は消えてしまった。(かつての国名で記入した所もあります。) 日本でもそれによる放射能の変化が測定されている。
東海第2原発でメルトダウン事故が起こったら。
発生午前0時、放射能漏れは午前1時から2時間続く。東北の風風速毎秒3メートルと仮定。
・・・放射能漏れがはじまり、これが各モニターなどに検出され、その重大さが認識されて各方面に連絡が行き、人が動き出して初期活動が始まりうるのは、このケースではどんなに早くても明け方の六時頃以降ではないでしょうか。しかし、その時には、放射能雲は、勝田、水戸、石岡といった都市の上空を通り、土浦市のあたりまできているのです。・・・本格的な防災対策本部の設置、さらには避難の勧告といった頃には、朝の八時から九時、まさに通勤ラッシュを迎えた首都圏(取手、柏、我孫子、松戸、など)の諸都市を襲い、やがて東京都心(午前十一時頃から)を襲うことになるでしょう。現在の防災対策は、原発設置県に限られていて千葉県、東京都といった所では、まったく何の備えもありませんから、手のうちようがないでしょう。〔東海原発から20キロくらいまでで、全身100レムで急性障害、柏あたりまでの風の通り道では全身25レムで要観察、東京から湘南地帯では全身10レム(全員避難)伊豆半島では甲状腺100レム、全身3レム(全員避難)という状況になる。芝浦工大の水戸巌さんの計算〕
(高木仁三郎著 岩波ブックレット『原発事故 日本では?』1986年12月19日発行)
核の再処理高速増殖炉
セラフィールド(かつてのウインズケール)核工場は英国が第三の核保有国の地位を築くのに重要な役割を果たし、今も世界の核燃料再処理の一端を担う。しかし、度重なる事故による環境汚染は深刻だ。
1957年10月 原子炉火災
63年11月 ガス冷却炉で放射能漏れ
70年 8月 再処理工場でプルトニウム溶液の臨界事故
79年 4月 再処理工場で地下への廃棄物漏れ
79年 7月 再処理工場で火災事故
アイリッシュ海の汚染は60年代に入って急速に進んだ。
(『世界の』)
1977年 フランスのラアーグ核燃料再処理工場で、バルブの故障から周辺の土壌を汚染。
1986年 ラアーグ再処理工場で作業員5人がかなりの量の被曝と、核燃料公社が発表。
高速増殖炉の開発を最先頭に立ってすすめてきたフランスでも、世界で唯一の実証炉スーパーフェニックスは事故つづきで、九四年二月、プルトニウムやネプッニウムなどの超ウラン元素を燃やしてしまう焼却の実験炉とすることでやっと再稼動が認められることになりました。スーパーフェニックスが焼却炉となったことで、フランスの増殖炉計画も終わったといえます。(高木仁三郎著 『もんじゅ事故の行きつく先は?』 岩波ブックレット 1999年発行 第2刷)
上の本の「核燃料サイクル」の章から、小見出しと少しの説明を抜粋します。
MOX計画: この計画は「プルサーマル」とか「MOX利用」と呼ばれるものです。・・・MOXはプルトニウムとウランの「混合酸化物」の英語の略称・・・ですから、より正確に言えば「軽水炉でのプルトニウム・ウランMOX利用」です。・・・元来はウランを燃やすために作られた軽水炉で、プルトニウムを大量に燃やすことは、技術的にも経済的にも無理があります。プルトニウム燃料を全国各地の原発に輸送しなくてはならないというたいへんなものです。・・・
96年1月、日本原燃は、六ヶ所村に建設中の再処理工場の運転開始を3年遅らせて、2003年1月からとすることを発表しました。(実際は、2007年開始) これにより14トンほどのプルトニウムの供給が減ると言います。とはいえ、焼け石に水で、結局60~80トンというプルトニウムがあまることになります。
高くつく再処理: 世界的に見れば、原発の使用済み燃料は再処理しないでそのまま処分する方が一般的です。
再処理が廃棄物を増やす: 再処理をすると、図体の大きい使用済み燃料がガラス固化体になって小さくなると言われてきましたが、処理工程でかえってごみの量が増えることが、実績からわかってきました。確かに高い放射能レベルの廃棄物については体積がいくぶん小さくなるのですが、超ウラン核種をもふくむ中低レベルの放射性廃棄物が、それも、実に複雑雑多な種類が発生して厄介なことが分かったのです。・・・
使用済み燃料は寝かせておけ: イギリスのセラフィールド再処理工場の周辺では、全国平均の10倍も小児白血病が多発しています。フランスのラ・アーグ再処理工場の周辺でも、やはり白血病が多発していることが、最近になって明らかにされました。ドイツでは・・・再処理工場が経済性の悪さと反対世論から、89年に2,000億円を投じた建設途上で、放棄されざるを得なくなったのです。・・・・・
フランスやイギリスに再処理を委託していた国からも、スウェーデン、ドイツ、ベルギー、スイス、オランダ・・・と櫛の歯が抜けるように、再処理から抜け出そうという国が続いています。
84年3月イギリス中央電力庁のマーシャル総裁は、次のように語って聴衆をわかせました。「使用済み燃料はワインと同じで、寝かせておけばおくほどよい」。
廃棄物はどこに: そのような暫定貯蔵も困る、放射性廃棄物はいっさい自分の地元には困るという意見も多いでしょう。いや、それが当然かもしれません。その場合には、ゴミの押し付け合いを考えるのではなく、その発生源である原子力発電そのものを問題にしなければなりません。そのうえで、仮に原発をすべて止めた場合にも残る廃棄物を自分たちの世代の責任の問題としてどう取り扱うのが最善か、考える必要があります。
【この本以外にも再処理については多くの書物が出版されています。一読してほしいです。】
(P98 プルサーマル開始)
1989年、米国ファーナルド核工場の汚染に対する損害賠償で、連邦地裁は住民14,000人に総額100億円の賠償を認める。(『世界の』)
ソ連最高会議のユーリ・シチェルバク議員は「事故後の対策費を含めて被害総額は最大2,500億ルーブル(約66兆2千億円)にのぼる」と発言している。この推計には、国境を越えて近隣諸国に与えた損害は含まれていない。(『世界の』)
かりに、そのような大事故は起こらないとしても、原発設置のための補償費、設置費用、周辺住人や放射能による健康被害者に対する補償、海や河川など環境汚染に関する費用、廃炉の費用、核廃棄物処理の費用、などをトータルすると原子力発電にかかる費用は莫大なものになる。(さらに、廃炉をコンクリートで完全に覆っても、その寿命は50年くらいとされる。したがって、50年ごとに遮蔽のために3,000億円くらいの費用がかかる)原子力による発電費用はとんでもなく高くつく。
4.放射性降灰
いわゆる「死の灰」。その中にはストロンチウム90、セシウム137が含まれている。ストロンチウムはベーター崩壊するが、その半減期は28.7年。動物(人間、牛、羊・・・)の骨はカルシウムに似たストロンチウムを吸収し、蓄積してその結果、動物の体内ではベーター線が放出され続ける。カリウムは人体に必要な元素だが、ストロンチウムはそのカリウムに似た元素なので、排泄されることなく人体にとどまり、ベーター線(半減期30年)、ガンマー線を放出し続ける。
(山田克哉著 『核兵器のしくみ』 講談社現代新書 2004年発行)
1945年米国~1980年中国の大気圏内核実験で、地球の地表から海底にいたるまで、セシウム137やストロンチウム90その他各種の放射性物質で汚染されている。
なお、水爆実験や原子炉の大爆発などで成層圏まで飛ばされた放射性物質は、大気圏までは非常にゆっくりとしか降下してこない。
5.核物質の輸送
この問題を一挙にクローズアップされるきっかけになったのは、84年8月25日にベルギーのオステン港沖で起こった核物質輸送船モンルイ号の衝突陣没事故でした。450トンの核物質を積んでソ連に向かっていたフランスの貨物船モンルイ号が、西独のカーフェリーと衝突したのです。積荷は最初、ウラン濃縮のための六フッ化ウランではないかといわれ、海水との爆発的な反応が心配されたのですが、のちになって積荷は劣化ウランや天然ウラン、使用済み燃料再処理後の減損ウランであることが分かりました。・・・容器の破損も放射能汚染もありませんでした。にもかかわらずこの事件は当時“核ミサイル問題”でゆれる欧州で起こったこともあって、人々の間に非常な反響を引き起こすのです。
・・・世界的に見ても輸送事故の確率はもちろんそう高いものではありません。大きな事故は年間平均で100件以下に止まっているといわれます。核燃料物質やその原料の事故は過去15年間でわずか5件で、しかも人身への影響はまだ一度もなかったといわれます。
(高榎堯著 岩波ブックレット『核廃棄物』1985年第2刷発行)
核燃料物質の輸送路や輸送時間などは極秘事項だが、関東のある団体で、核燃料を積んだトラックの通過時間を察知、その走り去ったあとの放射能を測定した所、通常より高い数値を検出している。事故がなくても、微量ではあるが輸送路の周囲は汚染される。もし、大事故に巻き込まれたような場合の周辺住民に対する防御策は立てられていない。
1979年5月、米国ネバダ州の原子力エネルギー会社の廃棄物処理場で、トラック運搬中の放射性廃棄物が爆発。周囲を汚染。
1985年、米国ノースダコダ州で,酸化ウランを積んだトラックが貨物列車と衝突。ウランが散乱。警察官ら30~40人が被曝。
1988年、北ウエールズ沖で、爆発物検出用の放射性物質を積んだコンテナ船が沈没。(『世界の』)
6. 放射能漏れ
1967年、佐世保港の米国原潜ソードフィッシュ号周辺で、冷却水放出が原因の、自然値の20倍の放射線を測定。
その後も、わが国の港で、米国空母、原潜その他の出入港のたびに放射線量の増加が見られる。
1974年、原子力船「むつ」、出力2%で放射能漏れ
1978年、ラアーグ再処理工場の化学工場で液漏れによる放射能汚1981年、敦賀原発から放射性廃液が漏れ、浦底湾汚染
1983年、セラフィールド核工場周辺の海草から、通常の百~千倍の放射線を検出
1986年、米オクラホマ州の核燃料工場で、六フッ化ウラン漏れ事故
1988年、浜岡原発2号機で放射能漏れ。作業員17人が被曝
米国の原潜製造工場では多数の作業員の放射線による障害が発生している。これと同じことは、放射線の研究所、病院、その他各種の工場で発生しているが、いかに、厳重な処理を行っても、放射線漏れを完全に防ぐことはできない。従業員たちは家に帰るとき微量であっても放射性物質を持ち帰っている。
7.核廃棄物
放射性廃棄物の処理について。
現在、特に原子炉などから出る高濃度核廃棄物の最終処理方法は見つかっていない。低レベルのものの保管場所もいっぱいで野ざらし状態のものもある。
高レベル廃棄物の処理法について少し詳しく見る。
第一段階は溶液状態のものを固化することである。一般には、ステンレスの容器に入れ、ホウケイ酸ガラスに混ぜて固化する。放射能は1,000年たっても1本当たり数十キュリー残る。(1キュリーは370億ベクレル。1キュリーでも身につけると人は簡単に死ぬ。) 廃棄物の温度は次第に減少するとはいえ、最初は表面で100℃以上、中心部では400℃の高温である。それが150℃~200℃になるまで地表で冷えるのを待つ。
第二段階は安定した深い地層に保管する。ここでは特に地下水の浸入が大きな問題。地下水の影響のない岩塩層に保管するのだが、半永久的に地下水の浸入を防ぐことは考えられない。さらに、火山・地震など破滅的な災害、戦争、採掘など人為的な行為による放射性廃棄物の漏れのおこることが考えられる。(この部分は岩波ブックレット『核廃棄物』高榎堯著による。)
最近、高知県で放射性廃棄物の受け入れを歓迎する所が出てきました。県知事はカンカンに怒っていましたが。受け入れ地は何を考えているのでしょうか。市の目先の経済破綻を免れるため、将来の住人の生命・健康を質(しち)に入れようというのでしょうか?
政府出資の動燃は、高レベル廃棄物の安全な処理は可能だとしています。しかし、現在の技術では、世界中どこにも確実で永久に安全な核の保管場所はないのです。
(成層圏外に放棄すると、かなり安全性が高まるでしょう。しかし、その莫大な費用は誰が負担するのですか? また、成層圏外に撒き散らされた放射性物質は非常にゆっくりと落ちてくるとされています。)
ユーラシア・太平洋・フィリピン海と三つのプレートの境界線上にあり、断層だらけの日本のどこに安全な地層があるのでしょう?
少し長くなりますが、米国の核実験場の一つになったエニウエトック島について、『棄民の群島』前田哲男著、の文を引用します。
「・・・島民は故郷に帰る権利を取り戻した。しかしそれは何という変わりようであったろう。住民が立ち去る前、椰子の緑につつまれていたエニウエトック島は、一面コンクリートに覆われ、燃料タンクやクレーン、建物の立ち並ぶ不恰好な島になっていた。島人が海鳥や卵をとりにでかけたエルゲラップ島は消えてしまった。環礁のもう一つの住居圏エンジェビ島は立ち入り禁止地区の中にあり、北部から西部にかけての島々も「プルトニウム地区」とされている。・・・エニウエトック環礁にはプルトニウムの濛気が立ちこめていた。臭いも色も手触りもない猛毒が帰島者を待ち受けていた。環礁のことをいちばんよく知っているのは、いまイロージのヨハネス・ピーターでも長老でもなく、ガイガー・カウンターを扱うAECの技師たちであった。・・・
エニウエトック環礁のクリーンナップ作業が始まったのは七七年五月のことである。・・・・・
それはシジフォスの無為の作業を思い起こさせる。宇宙飛行士のような姿をした現代のシジフォスたちは、プルトニウムの土を集め、運び、それが飛び出す時作った大きな穴にほうり込む。毎日毎日その繰り返しである。ブルドーザー、クレーン、トラック、ボート、さまざまな機械が使われ、最新の技術が投入されても、しょせんそれは不毛の行為であり、失われたものは二度と元通りにはなりえないことを証明する労働でしかない。彼らの政府が解き放ったプルトニウムの生命は、半減するのに二万四〇〇〇年を要し、兵士たちの労働時間は一回一時間である。」
最近、私は瑞浪市にある日本原子力研究開発機構東海地科学センターの超深地層研究所で、核燃料廃棄物の地層処分を目的とする掘削作業所の見学に行きました。
この東濃地科学センターは、1962年に旧国道21号線沿いでウラン鉱床の露頭が見つかり、73年から東濃鉱山調査坑ができたことが出発点です。(現在、ウラン鉱山は閉鎖とのこと)
地下1,000メートルまで立坑を掘って、岩盤など、地質の状態を調べてみる実験場です。現在(2007年3月)地表から200メートルまで掘削が進んでいた。大変親切に案内をしてもらいました。
直径6.5mの主立坑と直径4.5mの換気立坑とが掘られていますが、換気立坑のほうは地下水がかなり出ています。「ここは実験だけでしょうが、実際に1,000m下に核廃棄物をどのような形で貯蔵するのですか、
掘削した後はいくら埋めても(土砂を埋めるということだった)地層は元の岩盤より柔らかくなり、水が浸入しやすくなるのではないでしょうか?」と尋ねてところ。「ガラス固化体にして鉄製の容器にいれ、それを粘土で閉じ込め、そこに地層の閉じ込める能力が働くので安全です。」という答えだった。1,000mも水がたまるとその圧力はすごいのではないかと、も少し詳しく聞こうとしたのですが、「我々がしているのはあくまで掘削と地質検査なので・・・」と逃げられてしまいました。
地震その他地球プレートの動きと関連する危険度などは、隣にある地震研究所で尋ねないと無理なようでした。知りたかったのですが、瑞浪市民のグループ15人ほどの中に、域外の人間が入れてもらっているなど、勝手なことはできない状態なので「安全な掘削法の勉強」で終わってしまいました。
1,000m掘った他のところから、6.5mの穴を見上げると、光の入ってくる穴は、5円玉の真ん中に開いている穴ぐらいにしか見えないと言うことです。1,000mの所を掘るときは掘削用の台をつるすワイヤーの重さだけで、80トンにもなると聞きました。
この場所に貯蔵するのではないのに、こんな大規模な掘削実験がいるのだろうか? 実際の処分場が何処になるのかわからないのに、瑞浪の地層を詳しく調べる理由は何だろう? ということと、「ここは、国が瑞浪市と借地契約をしており、この契約内容に、万一放射性廃棄物を持ち込むような場合には市が撤去命令を出し、それに違反すると法的に処罰されるので、処理場となることは絶対ありえません。」という主旨が繰り返されることにも、頭のどこかで、なにか投棄するための抜け道ができるのでは、と疑いを拭い去れずに帰りました。
8.核兵器の事故 核兵器の廃棄
1950年、米国オハイオ州レバノン上空で核兵器を搭載したB50爆撃機墜落。カリフォルニア州の空軍基地でB29爆撃機が離陸直後に爆発。
1954年、米国原潜ノーチラス号で乗員が高レベル被曝。
1957年、ニューメキシコの空軍基地近くでB36爆撃機が核兵器を誤投下。
1958年、B47爆撃機が空中接触し核兵器を2,400メートル上空から投棄。
B47爆撃機がルイジアナ州の空軍基地で炎上、核兵器も炎上。
1959年、核兵器搭載のF100戦闘機が太平洋地域の米空軍基地で炎上。
1963年、米海軍軍事衛星がインド洋上で事故。原子力電池が分散し、プルトニウムが成層圏へ。90グラムが12ヵ国へ降下。
米国原潜スレッシャー号がボストン沖で消息を絶つ。2,500メートルの海底に沈没。
1965年、沖縄近海で米国空母タイコンデロガ号から核兵器搭載のA4E攻撃機が滑り落ち核兵器は行方不明。89年5月明るみに。
1966年、水爆4個を搭載した米国B52爆撃機がスペイン、パロマレス上空で空中給油機と衝突、核兵器落下、高性能火薬爆発、広範囲の放射能汚染。
1968年、核兵器4個を搭載した米国B52爆撃機がグリーンランドのツーレ基地付近に墜落。大規模な放射能汚染。
同年、核魚雷を積んだソ連の原潜がハワイ沖で沈没。
核兵器搭載の米国原潜アゾレス群島沖で沈没。
1969年、ソ連の原潜コラ半島の基地近くで沈没。
1970年、ソ連ゴーリキー市内の原潜建造所で大爆発。ボルガ川も汚染。ソ連ノベンバー級原潜、英国の南西540キロおきで行方不明。
1972年、北米沿岸で、ソ連原潜の核魚雷放射能漏れ。
1978年、ソ連の原子炉積載衛星コスモス954がカナダ北東部の湖に墜落。
1983年、ソ連原潜がカムチャツカ半島ペトロパブロフスク海軍基地沖で沈没。
あまりにも多いので以下省略。
1986年1月、65年から77年までに米国海軍で381件の核兵器事故が起きていたことを示す秘密文書を民間団体が公表。
1988年、核兵器用のプルトニウム、トリチウムを生産するサバンナリー核工場で1960年以降28年間に30件の重大事故。
(『世界の』)
ハワイ沖で高知海洋高校の実習船に衝突したのも原子力潜水艦。
1981年、米国海軍が退役原潜シーウルフ号をデラウエア沖に投棄していたことが判明。
退役原子力潜水艦は海上で解体を待つ。高圧空気を送り込んだり、浮きを付けたりしないと、腐食などで沈没してしまう。
極東地域で解体を待つ原潜は計37隻であるが、ウラジオストック近郊のほか、カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー近郊と、サハリン対岸のソビエッカヤ・ガバニにも係留されている。
チャジマ湾には役三十の原潜中央部(2基の原子炉のある部分)が岸壁にロープでつながれ、浮かんでいた。03年8月バレンツ海で原潜解体工場に曳航されていた原潜「K159」が沈没し、乗組員9人が死亡した事故があった。
冷戦時代には日本の安全保障を脅かす存在だった極東ロシアの原潜だが、今はその多くが無残な金属の塊と化している。まさに冷戦の「負の遺産」そのものであるが、冷戦時代とは違った形で日本にとって大きな悩みの種となっている。
北洋艦隊基地の敷地内には原潜の使用済み核燃料や放射性廃棄物の貯蔵施設がある。ノルウエー放射線防護局が02~04年、基地の協力を得て敷地内の汚染状況を調べ、04年秋に「汚染マップ」を作成した。それによると、貯蔵施設周辺の複数個所で、毎時5~500マイクロシーベルト超の放射線を観測した。毎時500マイクロシーベルトを超えた場所が少なくとも3ヵ所あった。このレベルの放射線を2時間浴びると、国際放射線防護委員会の勧告に基づく一般人の難関の制限値を超える。
ロシア原子力庁のアンチーボフ次官は、「ロシアの経済事情は90年代に比べればよくなったが、独力で問題を解決するだけの財政的余裕はない冷戦時の軍拡競争には多くの国が参加したのだから、みんなが後始末にかかわるべきだ」と、日本などの支援に期待を示す。 (P90~91 原子力潜水艦・空母) (『核を追う』)
9.医療 〈人体実験も含め〉
1986年、マンハッタン計画などで1945年4月~47年7月、18人にプルトニウムを注射、うち13人がすでに死亡していたことが明るみに出る。
1971年、米国防総省の依頼でシンシナチ大学の医師らが過去11年間、がん患者111人に放射線の全身照射治療を行い、人体実験をしていたことが判明。
1984年米国テキサス州ファレスで、医療用放射性物質がスクラップとして売られ、国内やメキシコで販売。200人以上が被曝?
直接被曝に関し、広島の場合は(P50)のようであったが、チェルノブイリ事故の場合直ちに医療設備の整った病院に移された。しかし、そのため遺伝的に障害のある子供が多く生まれるという結果も招いている。(P58)
1990年2月21日に、セラフィールドのある燃料公社の幹部は「心配なら子供をつくらなければいい。」と言っている。
チェルノブイリで治療に当った医師たちが治療法を学ぶため広島へ来たくらい、原爆症に関する医学知識は世界に普及していません。
世界には、全く治療を受けていない被曝者が沢山いるのです。
10.化学工業などで
一例:カラーテレビの赤色蛍光体として使うイットリウムなどはマレーシア、イボーの三菱化成系のAREで精製され、日本・ヨーロッパへ輸出される。そして、トリウムを含む膨大な廃棄物が工場裏の溝に保管された。(トリウム232、その崩壊過程で生じるラドン220などは放射性物質)
さまざまな工業製品の製造には、パソコンの部品の洗浄などにも、放射能が利用されている。
工業以外でも、例えば航空機搭乗の際、検査のため手荷物を通過させる機械も放射線の利用。そばに手を出したりしないように!
11.ずさんな管理
IAEAがリストに載せた高濃縮ウラン、プルトニウムの密輸・不法所持事件の例(1993~2001年)
93年5月リトアニア
94年3月サンクトペテルブルク 5月ドイツ 6月ドイツ 7月ミュンヘン 8月ミュンヘン 12月プラハ
95年5月リトアニア 6月プラハ 6月チェコ 6月モスクワ
99年5月ブルガリア 10月キルギス
00年4月グルジア 9月グルジア 12月ドイツ
01年1月ギリシャ 7月パリ (『核を追う』)
1979年米国ニュークリア・フュエル・サービス社で濃縮ウラン9キロを紛失。
1979年9月、放射性物質の管理がずさんなアリゾナ州のアメリカン・アトミック社の工場を州知事が接収。
1985年10月、マレーシア、イボー市の三菱化成系エイシアン・レアアース社に、イポー高裁が操業停止と放射性廃棄物の除去を命じる仮処分。(『世界の』)
ロシアにおける高濃縮ウランやプルトニウムといった核物質の盗難や違法取引は、ソ連崩壊後の90年代初めから半ばにかけて頻発していた。・・・施設の内情に詳しい技師や兵士による「内部犯行」が多いのが大きな特徴であった。・・・アンドレア湾の原子力潜水艦基地では93年、水兵がウラン燃料棒を持ち出す事件があった。相次ぐ盗難事件にロシアの検察当局者は当時、「ジャガイモを盗むより簡単だ」とメディアに語ったこともある。
1993年、ロシア太平洋艦隊が日本海に液体放射性廃棄物を投棄していたのが発覚した。日本近海の環境汚染の脅威に衝撃を受けた日本政府は、ロシアなどと国際機関「非核化協力委員会」を設立した。その最初の成果が、98年にズベタ造船所に完成した液体放射性廃棄物処理施設「すずらん」だった。(『核を追う』)
1987年9月、ブラジルの病院跡地から医療用放射線源のセシウム137が持ち出され、市民200人以上が被曝。被曝者が「光る粉」と呼ぶセシウムの汚染被害は身の毛がよだつほど悲惨なもので、今もなお尾を引いていた。(『世界の』)
1990年、東大医学部付属病院で研究用の放射性同位元素のずさんな管理が明らかになり、科学技術庁が改善指導。
12.テロリストの利用
2007年にはポロニウムという非常に入手しにくい放射性物質粉末による暗殺事件の発生までに至った。
「核テロ」の危険とは何か
ロサンゼルス・タイムズ紙は、核不拡散問題でアメリカ政府に対しても影響力を持つシンクタンク、CNSのウイリアム・ポッター所長らの論説を掲載している。(2002年6月11日付)
このなかでポッター所長は、「核テロ」には、次の四つの種類があると整理している。
第一は、武装した反逆部隊によって核兵器そのものが強奪されるというシナリオだ。第二は、核兵器を作る目的で核分裂物質が盗まれるというケースである。第三は、原子力発電所や使用済み核燃料貯蔵施設などの民生の原子力施設に対する攻撃や破壊行為が加えられるというシナリオだ。第四はいわゆる「汚い爆弾」など、放射性物質と通常火薬を組み合わせた兵器が作られるというものである。
第一のシナリオに掲げられた核兵器の強奪に関連して、ポッター所長は、比較的小型で低威力の非戦略核兵器の管理について特に警鐘を鳴らしている。ロシアには約3,000発の非戦略核兵器があると言われているが、これらの管理状況には不明な点が多く、管理のための条約も存在しない。・・・これら核の安全性をめぐる問題は何も新しい問題ではない。核兵器が存在し、原子力発電をはじめとする民生の原子力活動が存在する以上、世界が常に抱えてきた問題である。
2003年10月現在で包括的核実験禁止条約(CTBT)には169ヵ国が署名し、うち106ヵ国が批准している。それでも、条約が定めた「主要44ヵ国」のうち12ヵ国がいまだに署名・批准をすませていないため、条約は発効していない。未批准国の筆頭には、アメリカと中国が挙げられる。
米外交問題評議会のチャールズ・ファーガソン研究員は「本物の核爆弾を爆発させるテロは、そう簡単には起きないとの点で、専門家の意見は一致している。もっとも起こり得る核テロは『汚い爆弾』だ」と懸念している。
「核テロ」への真の対処法とは「テロ」という言葉の持つ政治性や先入観を排除し、「核」そのものの危険を除去するための国際的な枠組みを強化することであろう。(川崎哲著 『核拡散』岩波新書2003年発行)
アナン国連事務総長は、2003年1月20日の国連安保理事外相会合で、次のように述べている。
『世界のあちこちで、テロリズムという「Tワード」を使うことで、政治的敵対者を悪霊として描き、言論と報道の自由を抑圧し、正当な政治的異議申し立てを非合法化するという動きが増えています、同様に、さまざまな形態の不安定や反乱と戦う国家が、政治的交渉を放棄し、安易に軍事行動へと誘惑されることが増えています。・・・テロ行為を予防することはもちろん重要でありますが、同時に、国連憲章の目標を追求することもきわめて重要なのです。貧困、不正義、苦痛、戦争との戦いに国連が成功することによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせることができるのです。』(『核拡散』)
13.核の闇市場
パキスタンのカーン博士 「二十年以上にわたって核技術を流出させたとの疑惑について、当局に証拠を示され、私は事実と認めた。許してほしい。」
欧州での核の闇市場の調達役: スイスのティンナー一家。
UAE(ドバイ)のタヒール マレーシア警察への証言「01年ごろ、六フッ化ウランがパキスタンからリビアへ空輸された」
パキスタン国会での証言「軍首脳部が91年、核技術をイランへ売るよう首相に要請した」
核の闇市場は日本も標的だ。03年4月直流安定化電源装置三台を「タイ向け」と称して実は北朝鮮向けに輸出しようとして、香港でつかまった。
リビア: 03年12月「かつて核兵器を含む大量破壊兵器の開発を計画していたが、すでに破棄した」 シャルガム外相「わが国のウラン濃縮に関する物資はすべて闇市場から調達した。技術もすべて闇市場で見つけることができた」
94年、ドイツやチェコでプルトニウムや高濃縮ウランが相次いで見つかった時、欧州の専門家の多くは「出どころはロシアの施設だ」と主張した。04年2月には、イランの核施設で見つかった高濃縮ウランについて、米紙ニューヨーク・タイムズが「ロシアの原子力潜水艦から取り出された可能性が高い』との分析を紹介した。
ロシア南部・チェチェン共和国のバサエフ司令官を名乗る人物が、ロシアのテレビ記者に放射性物質を埋めた場所を教えた。・・・記者が指示された場所に行ってみると、モスクワの公園でセシウムが入った容器が見つかった。核爆発はしないが、健康被害や環境緯線をもたらす「汚い爆弾」の恐怖を思いおこさせる事件だった。
国際原子力機関の「密売のデータベース」によると、03年末現在で報告された世界各地の違法取引や密売、不法所持の総数は540件。このうちウランやプルトニウムなどの核兵器に使われる核分裂性物質が182件、コバルトやセシウムなど医療・民生用が主の放射性物質が330件、その両方を扱ったのが23件、その他5件だった。(『核を追う』)
◆ 人体との関係
放射線量と人体(急性症状に関してはP45~46 急性原爆症): 爆撃・事故などによる直接被曝以外に、大気・食物・飲料水摂取などによるものが考えられる。(P78「核の秋」)
放射線は眼に見えないし、感覚で感じることもない。ところが、澄み切ったと思われる森の中の空気も放射能を含んでいる。
上にも書いたが、核の秋と言うのは、刻々、地球全体に対する放射能汚染がひどくなって行きつつある状態の比喩。現在これを阻止する手段はない。
人間の細胞内・間に入り込んだ放射性物質は死ぬまで出てゆかない。
したがって、原爆症の唯一の治療方法はその予防である。
放射性物質は人体のいたるところに蓄積される。
皮膚―クリプトン(10年)
脳下垂体―イットリウム90(64時間)
甲状腺―ヨウ素131(8日)
肺―プルトニウム239(24,000年)・ラドン222(3.8日)
肝臓―コバルト60(5年)・モリブデン99(66年)・プルトニウム239・セリウム
すい臓―ポロニウム210(138日)
腎臓―モリブデン99・ウラン・ルテニウム
生殖腺―セシウム137(30年)・プルトニウム239
卵巣―セシウム137・ヨウ素131・コバルト60・クリプトン85(10年)・バリウム140(13日)
筋肉―セシウム137・セシウム134(2年)
骨―ストロンチウム90(28.8年)・リン32(14日)・プルトニウム239・ラジウム224(3.7日)ラジウム226(1620年)・モリブデン99
骨髄―ストロンチウム90
◆ 食物連鎖
全地球規模の大気汚染・水質汚染・土壌汚染は生物を通過することによる放射能の濃縮を招き、その最終段階で人体に入ることになる。生体濃縮。
放射線の人体に与える影響は二つに分けて考えられている。
1 確率的影響 ちょっとでも浴びれば浴びた量に比例して害がある。 →ガン・遺伝的影響
2 確定的影響 ある程度以上に浴びなければ、その症状・病気が出ない。
遺伝的影響について言えば、「誰がいついくら浴びたかではなく、それぞれの人が長い間に浴びた放射線の量と、浴びた人数の関で決まる」つまり、その環境内で全ての人が浴びた放射線が多いと遺伝的な悪影響がある。したがって、「放射性フォールアウトで人類が危うい」ということになる。
ピッツバーグ大学医学部放射線科のスターングラス教授は、ペトカウ説を基礎として研究をさらに深め、次のような結論に辿りついたという。
1 放射線の線量が非常に低い低線量域では生物への影響はかえって大きくなる。
2 低線量放射線の健康への危険度はICRPが主張する値より大きく、乳児死亡の倍になる線量は四・五ミリシーベルトである。
3 アメリカや中国の核爆発実験の放射性降下物によって乳幼児の死亡率が増加した。
4 放射性下降物に胎児期被ばくした子供に知能低下が生じた。
5 スリーマイル島原発事故によって放出された放射能によって胎児死亡率が増加した。
・・・・・
私(肥田舜太郎)はペトカウ効果と、それを基盤にしたスターングラスをはじめとする多くの学者、研究者の「低線量放射線有害説」を支持して疑わない。(肥田舜太郎さんは広島での被ばく後、六十年にわたって内部被曝の研究を続けてきた医師。高齢にもかかわらず現在も被爆者認定訴訟などに活躍されている。) (P55 隠蔽 ロザリー・バーテル)
ヒロシマ原爆では急性障害の収まった後に多くの後障害が現れた。ガン・遺伝的影響などはその代表である。白血病が多発したのは7年後あたり、30年~60年たっても被爆者のガン発生率は通常より高い。(P55~58 後障害・遺伝的影響)
【参考】ペトカウ(医師)は牛の脳から抽出した燐脂肪でつくった細胞膜モデルに放射線を照射して、どのくらいの線量で膜を破壊できるかの実験をしていた。エックス線の大装置から15.6シーベルト/分【許容線量は1ミリシーベルト/年】の放射線を58時間、全量35シーベルトを照射してようやく細胞膜を破壊することができた。
ところが実験を繰り返すうち、誤って試験材料を少量の放射性ナトリウム22が混じった水の中に落としてしまった。燐脂肪の膜は0.007シーベルトを12分間被ばくして破壊されてしまった。彼は何度も同じ実験を繰り返してその都度、同じ結果を得た。そして、放射時間を長く延ばせば延ばすほど、細胞膜破壊に必要な放射線量が少なくて済むことを確かめた。こうして、「長時間、低線量放射線を照射する方が、高線量放射線を瞬間放射するよりたやすく細胞膜を破壊する」ことが、確かな根拠を持って証明されたのである。これが「ペトカウ効果」と呼ばれる学説である。
◆ 構造的暴力と関連して
放射能は目に見えず、すぐには体に感じられないので、その弊害は理解しにくい。また、核の軍事的利用・平和利用とも巨大産業で、われわれ一般人にとっては、その内容を知りえないブラックボックスになっている。特に軍事機密の壁は厚い。
原子力産業・利用の進行は民主主義の破壊、社会構造の汚染といえる。
放射能の影響などについては、何かと隠したがることが多い。日本でも原発の事故隠しは多く報告されている。電力会社が隠すだけでなく、政府機関が隠す場合もある。特に軍事関係となると非常に多い。
(P55 隠蔽 にある、低レベル放射の危険について講演に行く途中、空港で睡眠薬を飲まされたこと、自動車のタイヤのボルトが外されていたこと、また研究所襲撃などは、シスター、ロザリー・バーテルから私が直接聞いた話。)
1974年11月、米国カーマギー社のずさんな放射能管理を告発する資料を持ったカレン・シルクウッドさんが交通事故死。謀殺説も。
1985年、仏核実験抗議航海を控えたグリーンピースの「にじの戦士」号がニュージーランド、オークランド沖で爆破された。
1991年講談社発行の、中国新聞「ヒバクシャ」取材班による『世界のヒバクシャ』の本の帯には「放射能による地球環境の汚染は深刻である。ここ数年、地球温暖化、オゾン層破壊、酸性雨など地球環境の危機がさまざまに語られている。だが、なぜか環境論議から、放射能汚染問題が抜け落ちている。放射能汚染は地球環境を語る際の『原点』ではないのか」とあります。そうなってしまっている原因の中には、言論操作が行われている、すなわち、人々が「放射能問題に関心を深め、その危険性について考えること」を嫌う人々が、問題が明らかにならぬように、圧力をかけていると強く感じるのは私の僻(ひが)みでしょうか?
核拡散防止を理由にした武力行使が、果たして拡散防止に役立つのかとの疑問を投げかける有識者の一人、フランスの人類・歴史学者エマニュエル・トッド氏は次のように指摘している。「米国は現在、世界中で軍事介入する権利を手にしていると思っている。それは民主化を口実としたものであるかもしれないし、石油を確保しようとするものであるかもしれないし、はたまた単なる気まぐれによるものであるかもしれない。
重要なのは、攻撃を受ける国にとっては、皮肉なことに核兵器保有が唯一の自衛手段となってしまったことだ。通常兵器による戦争が核拡散を誘発する事態に陥っている。これこそが真の脅威ではないだろうか」
・・・・・・
カナダと日本は安全保障環境が大きく違ううえ、米国との関係の歴史も異なる。だが、米国の「核の傘」のもとにありながら、軍縮・不拡散を重んじる外交は相似形であり、「武力によるパワーゲーム」ではなく、「武力行使を制限する国際法や条約、多国間の取り決めをつくること」の方が国益にかなうという基本認識も一致する部分が少なくない。停滞気味の軍縮・不拡散態勢の「進化」にエネルギーを注いでいくには日本が、カナダや、日本・カナダと基本認識を共有する他の諸国と連携を強め、米国を動かしていく構想と行動が必要だろう。その際、日本自身の自覚が大切なのは言うまでもない。元ジュネーブ軍縮大使である猪口邦子氏に聞いた時、「核軍縮は、日本がやらなければ進まない。なぜか。原爆を投下された被害国だからだ。被害国がどうしても重要だと言えば、他国はいやいやながらも付き合う。当事国がわざわざ自らの所有物に制限をかけたりはしない。被害国が執拗にあきらめず、粘り強い外交を展開し続けた時に始めて『わかったよ』と当事国もようやく応じてくる」
と語っている。(『核を追う』)
皆さんも、さまざまな観点を併せて、公平に考えていただきたい。
◆ 環境破壊を防ぐには
共存共栄でなく、「共存共貧」と「相互援助」では?
まずは、物が有り余るといった状態の我々が、こまかなところからのエネルギー資源を節約し、そのための技術開発を第一にし、より質素な生活に切り替える。
飢え・劣悪な生活環境にある人々との、ペルソナ(本来の人間の姿を持った者どうし)としての連帯を果たしてゆくことではないでしょうか。
◆ 終わりに
『正法眼蔵』巻1 第7 一顆明珠 に弟子の僧が「尽十方世界、是一顆明珠、会ヲ用テそも(一切世界が一粒の明珠であると会得してどうなるのですか)」と問うたのに対し師の玄沙は「知ル、汝 黒山鬼窟裏二活計ヲ作(な)スコトヲ」と言っている。
仏教に詳しくない私にはこの言葉は難解だが、「鬼の住む真っ暗な洞窟すなわち偏見に陥って見識のない修行者も、そこで仏の真理に自由自在であることがわかる」というのではないだろうか。
現実の世界では、環境汚染の原点、放射能汚染と向き合って、人類世界の愛の中で、それと闘ってゆかねばならないが、そうした涙の谷の中でこそ、人間として生きる瞬間=永遠を持つことができるのだし、持ちたいと思う。喜びと希望のうちに。
(ここは、特に若い人にとって、何を言っているのか判らないかもしれません。これは私の叫びのようなもので、知的理解の領域の言葉ではありません。)
2007年3月17日 西尾禎郎 記
0 件のコメント:
コメントを投稿