人間を!使い捨てる!東京電力・福島第一原子力発電所〈第1回〉
放射性核物質、差別される人々
ロジャー・ウィザースプーン / エナジー・マターズ 3月13日
昔の日本には、遠い場所から拉致されて来て、使役され虐待される黒人奴隷のような人々はいませんでした。
そのかわり、社会の底辺にあって社会的にも経済的にも汚いとされる仕事を賄うため、『部落民』という階級が作られたのです。
現代にあっても尚、その差別は解消していません。
もしその仕事が穢ければ、あるいは危険であれば、または差別されるような内容の仕事であれば、それをこなさなければならなかったのは、部落民と呼ばれた人々でした。
穢多(えた)、非人と呼ばれた彼らがその仕事をこなしたのです。
住む場所も制限され、スラム街で暮らす彼らには、他と違い生活の糧を得るための職業選択の自由もほとんどありませんでした。
彼らは一般の人々から完全に隔離された社会で生きる、不可触民でした。
数世紀前の江戸時代、当時の支配階級であった士分の人間たちが、当時の社会で汚れ仕事をさせるために作り出したのが部落民という階級だったのです。
そして現代、福島第一原発の4基の原子炉が引き起こした事故の収束と廃炉作業を行うことになった施設の運営者である東京電力は、汚染のひどい現場に練度の高い正社員を投入し、過酷ではあっても単純な労働によって被ばくさせてしまい、将来必要になるはずの専門知識を必要とする作業に彼らを使うことが出来なくなってしまう事態を恐れました。
「彼らは、使い捨ての人々です」と、広島市立大学・広島平和学会、歴史学科研究職教授田中利幸氏(ペンネーム : Yuki Tanaka)がこう語りました。
「彼らはまさに、不可触民です。」
この日本における差別の問題と、福島第一原発の放射能に汚染された環境の中で人間が使い捨てられている問題については、ニューヨークの125番街とハーレム地区の中のブロードウェイが交差するあたりにある、レストランで会話を交わすうちに持ち上がった話題でした。
レストランの頭上は高架橋になっており、決まった間隔で列車が地響きを立てて通り過ぎていました。
田中教授、東京を拠点に福島第一原発で働く作業員たちの組合を組織している君島京子氏、福島大学で公共政策を専門にし、大学の災害復旧研究所の先任研究員を勤める丹波文則准教授がその席にいて、一週間かけて行われた福島第一原発の、大規模な事故収束・廃炉作業についての集中講義と討論会に関し、ざっくばらんに意見を交わしていました。
彼らはすでに福島第一原発の事故後の対応と事故収束・廃炉作業の現状に懸念を持っている、ニューヨーク州、ニュージャージー州の住人たちと情報交換を行っていました。
ハーレム地区の40キロ北にある、インディアン・ポイント原子力発電所の廃止を求める4つの環境団体(インディアン・ポイント・セイフエナジー連合、リバーキーパー、クリアウォーター、シエラクラブ)のメンバーである彼らは、福島第一原発の状況についてもすでに多くの情報を手に入れていました。
日本には固定化されている非差別階級として、3種類の人々が存在します。
アイヌ人、部落民、そして朝鮮人です。
アイヌは北海道の先住民族で、数百年間、日本人による支配を受けていました。
しかし公式には1899年、非支配階級から「解放」され、その土地は大日本帝国の一部となり、彼ら自身も国民としての地位を保証されました。
彼らのうち大多数は日本人社会の中に同化しましたが、今なお道内の年のスラム街で、数万人の人々が苦しい生活を送っています。
第二次世界大戦前、そして戦中に「100万人以上の朝鮮人が、労働者として日本に連れてこられました。」
『隠された恐怖(米国内でYuki Tanaka名義で出版)』の著者でもある田中教授がこう語りました。
それはまさに第二次世界大戦=太平洋戦争における、日本の戦争犯罪でした。
「彼らは戦時中、石炭掘削などの重労働や火薬庫などでの危険な作業を強いられました。
しかし戦後になってもその地位はほとんど変わらなかったのです。故国に帰ることができなかったからです。
日本の社会で持つとも汚く、そして危険な労働を半ば強いられ続けたのが朝鮮人、そして部落民だったのです。」
しかしながらその中で最も数が多く、長期間差別され続け、その存在について多くの人々が認識していたのが部落民でした。
「差別のそもそもの始まりは、仏教の慣習の中にあったのです。」
田中教授がこう説明してくれました。
「日本の封建時代、その仕事に従事すれば『体が穢(けが)されてしまう』とされる職業に従事する人間を確保する必要が生じました。
動物を飼育したり、あるいは捕獲して殺して毛皮をとり、皮革製品を作る職業。人間の遺体を火葬にする仕事。そして汚水の管理をする仕事などです。」
「そこで封建社会の支配者層は部落民階級を考案し、彼らを大都市周辺のスラム街に住まわせることにより、一般移民の下僕として使役する方法を考えだしたのでした。
そして江戸時代、この被差別階級が暮らす社会が日本全国に広げられていったのです。」
「第二次世界大戦=太平洋戦争の終了後制定された日本国憲法により、彼らの身分は解消されました。
しかし差別は残りました。一般の人々はスラム街の出身だというだけで、偏見の目を向けるのです。」
部落民と朝鮮人に対する職業上の差別は、戦後の日本社会で拡大していきました。
「日本における部落民に対する差別は、アメリカ国内における黒人差別と似ていました。」
田中教授がこう語りました。
「日本における問題、それは見た目だけでは部落民だとは解らないことなのです。私たちは見た目は全く同じであり、外見で部落民を識別することは不可能です。」
「しかし」
田中教授の話を受け、北島氏が続けました。
「部落民と朝鮮人はその記録、あるいはどこで生まれたか、生活している場所がどこかを確認すれば、解るようになっています。もしその人がスラム街で生まれたという記録が残っていれば、その人はたちまち素性を問題にされ、就職を断られ、その地域に住むことを拒絶されてしまうのです。
スラム街から出て行くためには、良い就職先を探す必要がありますが、部落出身であることが解れば、その就職もできなくなってしまうのです。」
〈つづく〉
2回
福島第一原発では放射線防護服にすら、『差別』がある
ロジャー・ウィザースプーン / エナジー・マターズ 3月13日
日本では大学に進学するにしても、国が行う入試センター試験を始め大学入学試験の難易度は高く、レベルの高い大学に進学するのはそれなりの教育機会を与えられた子供たちに限られます。
そのため、教育によって身分格差を克服することは容易なことではありません。
「スラム街で暮らす人々は、こうした競争を勝ち抜くだけの教育を受ける機会を与えられてはいません。」
田中氏がこう語りました。
「地元の学校は、彼らに高等教育を受ける機会を与えるようなしくみにはなっていないのです。その代りに就職の援護に力を入れています。そのため、大学の入試試験に合格するのは難しいのです。」
「そこには最良の教師、あるいは彼らの人生設計を確かなものにするための教師はいません。そのために彼らは彼らは日雇い労働者として働かざるを得ないのです。」
そのような事情から部落民として身分を固定されてしまった人々にとって、原子力産業での仕事は魅力的に映りました。
この仕事は福島第一原発の6基を含め、日本に54基あった原子炉に関連するものでした。
全ての原子炉は定期点検と燃料補給のため、年一回定期的に停止しなければなりません。
通常この作業は、一か所の原子力発電所内で連続して行われ、最長で2カ月間続くことになります。
たとえ複雑な構造を持つ原子力発電所の専門知識を持った職員になれなくとも、部落民の人々は臨時作業員としてこうした作業を渡り歩くことにより、一年間途切れることなく働くことが可能になります。
しかし原子力発電所そのものではなく、下請け企業によって雇用され、原子力発電所を渡り歩く彼らには、正規職員に与えられる補償も、各種の福利厚生もありません。
その雇用状態はアメリカ合衆国の南部で何十年も続いた、黒人の小作人労働に非常に似ています。
しかも彼らは危険な重労働を子なことによって受け取った報酬の中から、下請け会社によって『諸費用』を差し引かれてしまう、北島氏がこう指摘しました。
「彼らは最も危険な作業を引き受けるために、原子力発電所を渡り歩くのです。」
原発の臨時作業員について調査・研究を続けてきた田中教授がこう語りました。
「彼らの健康を守るためには何をしなければならないか、それを判断するのは非常に難しいことです。彼らは正規の職員ではないため、継続して健康状態を記録・管理されてはいないからです。」
そして2011年、福島第一原発の事故が発生し、4基の原子炉が破壊されました。
3基の原子炉では100トンに上る核燃料がメルトダウンする事態が発生し、4号機では原子炉から取り出された核燃料が、原子炉の上にある使用済み核燃料プール内にそっくり置かれたままになっています。
3号機と4号機では換気システムを共用していたため、3号機のメルトダウンで大量の水素が生成されると、その影響はすぐに4号機にも及びました。
福島第一原発の事故では3号機の爆発により、3号機、4号機両方の原子炉建屋が吹き飛ばされてしまいました。
ある意味で、これは予測できない事態でした。
屋根も天井も壁も吹き飛ばされたため、日本政府は4号機使用済み核燃料プールについては放水によって水を満たすことにしました。
もし原子炉建屋が無傷まま残っていたら、この処置は不可能であり、水が無くなった使用済み核燃料プール内では、高温に達した核燃料が大火災を起こし、莫大な量の放射性物質を放出してしまっていたでしょう。
北島氏は2012年に行われた大規模な反原発集会を組織した一人ですが、アメリカ国内で4つの環境保護団体がニューヨークのブキャナンのインディアン・ポイント原子力発電所前で3月に開催した集会に、来賓として招かれました。
彼は、ラジオ番組の司会者で映画制作者でもあるゲイリー・ヌル、反原発について講義を行っている大学講師のハービヴェイ・ワッサーマン、ニューヨークにあるグラフト平和記念館の仏教徒であるジュン・サン・ヤスダさん(彼女はニュージャージー州のオイスター・クリーク原子力発電所からヴァーモント・ヤンキー原子力発電所までの200マイルの反原発デモを組織しました)とともに、来賓として招かれたのです。
北島氏は、日給制の臨時作業員と言えど、8,000円の日当のために放射能被ばくの危険がある福島第一原発に行く必要は無いと語りました。
「私は当初、反原発デモの参加者の一人に過ぎませんでした。」
「しかし今ではもっと深く、この問題に関わるようになりました。福島第一原発事故が起き、実際に現場で危険を冒して働いている人々の実態を知ることなく、安全な場所にいて福島第一原発の危険性について語ることは、道義的に問題があるのではないかと考えるようになったのです。」
彼がやったことは福島第一原発の現場の下請け会社と契約し、自ら作業員の被ばく線量を計測する仕事に就くことでした。
彼によれば福島第一原発の現場で働く作業員たちは、3層構造の重い放射線防護服を身に着け、ゴーグル、マスク、手袋を着用してその周囲をテープを使っていく層にも目張りし、放射能に汚染された空気が入り込まないようにします。
「福島第一原発の事故収束・廃炉作業の現場には、何種類かの異なる防護服があります。」
北島氏が説明してくれました。
「このうちの数種の防護服は、鉛を使った防御性の高いもので、IAEAの技術者や東京電力の職員が使います。緊急作業員はこのスーツは使いません。彼らが着用する防護服は、これ程防御性の高いものでは無いのです。」
〈つづく〉
3回
福島第一原発は緊急作業員に未来をあきらめさせ、危険な状況に追い込み、何の補償も受けられない仕組みを作り出してしまった
ロジャー・ウィザースプーン / エナジー・マターズ 3月13日
北島氏が福島第一原発の内部の様子について、以下のように説明してくれました。
作業員たちは区切られた、金属製のかまぼこ型の作業員用待機施設の中に入っていきます。
まず最初の部屋で彼らは一番外側の防護服を脱ぎ、廃棄します。
「私たちはその部屋では彼らに接触しないようにします。」
「彼らは自分自身で、一番外側の装備を捨てる作業を繰り返すのです。」
次に入った部屋では靴を脱ぎ、防護服の2層目を脱ぎ、フェイスマスクを外し、廃棄処分にします。
それぞれの部屋で放射線量が測定されますが、いずれも空気中の放射性物質が表面に付着しただけの事です。
鉛が入ってはいない防護服を透過し、作業員の体内に入り込んだガンマ線の測定は行われません。
「それから彼らは3番目の部屋に入り、私たちが彼ら自身の体の放射線量を測定するのです。もし測定された値が高い場合は、彼らは別の部屋に行って新しいフェイスマスクとフィルターを渡されます。シャワーを使って体についた放射性物質を洗い流すことは認められていません。この地区の水が放射能に汚染されているためです。彼らはアルコールのついたタオルを使って自分の体をこすり、放射性物質をふき取るのです。」
「そして一人ずつ東京電力の職員の聞き取り調査を受けるのです。彼らが汚染されているかどうか、どこの現場で、どのような作業をどのぐらい行ってきたか、質問されるのです。」
「東京電力の職員が現場に出て、放射能に汚染されることはありません。東京電力の職員が行うのは、現場に出て汚染されてしまった作業員に質問をし、記録を取ることだけなのです。」
そしてフルタイムで働く原子力産業労働者のため、法律が定める年間被ばく線量の限度まで被ばくした作業員はその場で解雇されます。
彼らは少なくともこの後4年間、原子力産業で働くことはできなくなります。
日本には健康保険制度がありますが、特別な治療などを要する場合には貧しい人には負担できない高額の免責条項があり、高い保険料を支払わなければ、受けられる治療も最低限のものにならざるを得ません。
田中氏がこう語りました。
「低線量被ばくエリアで働く作業員たちは、ほぼ1年間で被ばく線量の限度に達してしまいます。」
北島氏が語りました。
「放射線量の高い現場で働く作業員に至っては、2カ月で限度量に達してしまいます。いったん限界に達したら、4年間は原子力関連施設の現場に戻ることはできません。その間、彼らは報酬を受け取ることが出来ないだけでなく、どのような補償も受けられないのです。」
「東京電力は、緊急作業員は東京電力の職員では無く、したがって補償責任も無いと語っています。
そして日本政府はこの問題に関わろうとはしません。」
労働者自身に、直接抗議をする選択肢はありません。
「私は彼らがもっと制度化された補償が受けられるよう、直接彼らと話をしました。」
「しかし彼ら自身がそれを望まないのです。彼らは仕事を失ってしまう事を、何よりも恐れているのです。もし作業員たちが、待遇改善のための労働争議を起こせば、下請け企業ごとクビになってしまいます。そして別の下請け会社が別の部落民たちを連れてくるだけなのです。」
「彼らは日雇い労働者であり、常に金銭的に追い詰められた状態にあります。彼らに選択の余地は無いのです。これら緊急作業員たちは5年以内に何らかの放射線による疾病を発症するか、放射線障害を起こすことが予想されています。しかし彼らはすでに国の援護により治療を受けたり、補償を受けることをあきらめてしまっているのです。」
「彼らを危険な状況に追い込み、何の補償も受けられない仕組みを作り出してしまったことに、私は心の底からの怒りを禁じ得ません。」
「時に私は、日に6回、放射線防護服を着替えなければならないことがありました。一度捨てられた防護服がリサイクルされることは無く、ただ捨てられるだけです。福島第一原発では人間がそのようにして、使い捨てられているのです。」
〈 完 〉
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